2019/5/8, Wed.

 九時のアラームで一度ベッドを抜け出したのだが、頭の濁りに打ち負けてふたたび寝床に戻ってしまった。そうすると身体が石と化したかのように、あるいは床に接着剤で貼りつけられたかのように布団のなかに囚われて、あっという間に一時一五分を迎えていた。睡眠時間はちょうど一二時間、丸半日をベッドのなかで過ごしているわけで、言い訳のしようのない、完璧な堕落である。糞だ! 何とも情けない。朝早くから起きて家事をこなしている母親に対しても、同様に今日から仕事に出ている父親に対しても、それどころか世の中自体に対しても何となく申し訳なくなってくるものだ。何とかこの怠惰の網から抜け出したいと思う。
 上階に行くと同時に、母親が下階で掃除機を操りはじめた。こちらは唸り声を上げながらソファに就いてちょっと休んだあと、台所に入ってフライパンのなかの炒め物――前夜の残りである――を皿に取りだし、電子レンジに突っ込んだ。それから米を椀によそって卓に向かい、二品のみの貧しい食事を始めた。玉ねぎと豚ロース肉の混ざった炒め物をおかずにして米を食べ、食べ終えると台所に足を運んで食器を洗い、それから抗鬱剤を服用した。そうしてすぐさま家事を済ませてしまおうというわけで、浴室に入って風呂を洗う。浴槽のなかに入りこんで四囲の壁や床面をブラシで擦り、シャワーで洗剤の泡を流すと出てきて下階に戻った。母親が自室にいた。FREAK'S STOREの紙袋を手にしながら、これはいらないのと訊くので肯定すると、メルカリで売りに出してみようかなと言う。その他、UNITED ARROWSの袋なども母親は見繕って、四枚くらい持って部屋を出て行った。こちらはコンピューターの前に立ち、Skypeにログインすると、Aさんからメッセージが入っていて、ブログを読んでくれたようだったので、礼を述べておいた。そうして二時過ぎから日記を書き出して、いつもとは違ってこの日の分を先にここまで綴って二時二〇分である。今日は立川に出かけようかと思っている。
 日記を書き終えた直後に、元職場に向けて、体調が回復してきたので復帰させてほしいが可能かと尋ねるメールを送った。そうして便所に行ったついでに上階に上がり、立川に出かけると母親に告げた。それから仏間に入って、真っ赤な靴下を身につけると下階に戻り、窓を閉めてFISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめた。そうして衣服を街着に着替えた。どちらかと言えば冬場に着るような質感のものだが白いシャツを身につけ、下は褐色のスラックスを履き、上にグレン・チェックのブルゾンを羽織った。そうして洗面所に行き、歯磨きをしたあと、"感謝(驚)"を流して歌うと、コンピューターを停止させて仕舞い、荷物を持って上階に行った。母親は卓に就き、眼鏡を掛けてタブレットを見ていた。おそらくはまたメルカリだろう。引き出しからハンカチを取って尻のポケットに入れ、行ってくると告げて出発した。
 玄関を抜けた瞬間から風が吹いており、強い葉鳴りが林の方から落ちてきた。陽射しは道の上に通っていた。坂に入る間際にも、厚い葉鳴りが頭上から降ってきて、それがさらさらと言い表すよりももっと厚い響きだったのは、風の強さのためのみならず、五月を迎えて梢の葉叢が密になったのだろう。その響きのなか、坂を上って行った。
 街道に出ると、石段の上、民家の垣根に白やピンクの躑躅がゼリーのように瑞々しく咲き群がっていた。気温は結構高く、街道に出た頃には早くも背に汗を搔いていた。公園の桜の木の葉は濃い緑に充実しながら揺れており、その背景を成している丘もいつの間にか全体に青々と初夏の色を湛えていた。燕が電線のあいだを飛び交い、その影が車の途切れた道路の上を素早く滑った。
 シャツとブルゾンを少々腕まくりして裏通りに入った。一匹の蝶が前方で、枯葉のように力なく落ちるかと思いきや、突然復活して舞い上がっていた。細道から出てきた老婆二人は、近くの家の庭に咲いた花を見ながら、綺麗だねえと言い合っている。裏通りにも風が通り、歩いているあいだ、ブルゾンの前を左右に押し広げる。林からも葉鳴りが立って、終始道に沿ってささやかに鳴っていた。その林の色は密な緑に締まっていて、見ているとこちらの視力が良くなったかのようにも思われた。歩いている道にある木も、次々に目に入るものすべてが鮮やかな色を満たしており、いつの間にか風景がこんなにも青々としていたかと思われた。
 駅に入ると電車が発車するまで一分だった。改札をくぐり、足早に歩を進め、一段とばしで階段を下り、上る方も同様に一段とばしで軽快に上がり、すぐ手近の車両に乗り込んだ。それから車両を一つ移って、三号車の三人掛けに腰掛け、携帯電話を取りだしてメモを取った。その途中に元職場からメールが入り、それが「ありがとう~」という端的な言葉とともに顔文字を付したものだったので、「どういうことですか笑」と返信を送っておいた。現在時までメモを取り終えるには昭島まで掛かった。その後は加えて、前日にAさんと交わした会話を思い出してメモに取り、立川に着くと車両いっぱいだった人々が降りていくのを待ち、しばらくして人がいなくなってから降車した。無人の階段を上り、改札を抜け、携帯を片手に、連想的に思い出したことをさらにメモに取りながら人波のあいだを進んでいく。広場に出て、今日はオリオン書房の方に向かうことにした。海外文学の新刊を見分しようと思ったのだ。それで強い風の横から吹きつけて顔を顰めさせるなか、歩いていき、ビルに入った。HMVの入口付近のモニターにはテレキャスターを持ったFreddie Mercuryの姿が映っていた。おそらく"Crazy Little Thing Called Love"を演じているところだったのだろう。エスカレーターに乗って書店に踏み入ると、すぐ正面に本屋大賞を獲ったという、濃緑色の表紙の何とか言う作品が飾られていたが、本屋大賞に特段の興味はない。壁際の海外文学の区画に向かった。それで平積みにされている本や、本棚に並んでいる本を見分していった。棚のなかには、フィリップ・ソレルスの新作、『本当の小説 回想録』というものが見られて、これは初めて見かけるものだった。そのほか、平積みにされているもののなかにはブッツァーティーの短編集が二冊並んでいた。幻想・怪奇文学の方面もちょっと眺めてから、哲学の書架に移った。それでやはり平積みにされている本や、書架を見分して四時半を過ぎたが、今買ってもすぐには読めないわけだから、ここで金を使う気はなかった。それに見分してばかりいても実際に読んでいることにはならないわけで、さっさと喫茶店に行って書き物をするかというわけで、書店をあとにして喫茶店に向かった。
 PRONTOへ。途中、ディスクユニオンに寄ってFISHMANSのディスクが何かあるか調べようかとも思ったが、広い交差点を渡るのが面倒だったのでまたの機会にすることにした。喫茶店に入店し、レジカウンターの向こうの女性店員――眼鏡を掛けて、黒髪を後ろで一つに結わえた人だ――に会釈をし、階上に上がった。ガラス戸で区切られた喫煙席傍の四人掛けが空いていたので、ただ一人で来たにもかかわらずテーブル二つを繋げてあるその席に陣取ることにした。リュックサックを席に置いて財布を取りだし、下階に下るとアイスココアのLサイズを注文した(三八〇円)。そうして上階の席に戻り、ココアの上に乗せられた生クリームをストローで掬って少々味わい、それから残りのクリームをストローで突いて褐色の液体のなかに沈めて混ぜ、冷たい飲み物を啜った。そのあとコンピューターを取りだし、書き物を始めたのが五時直前だった。それから一時間半ほどぶっ続けで打鍵して、前日の記事を仕上げ、この日の分もここまで綴ることができた。
 コンピューターを閉ざし、席を立って、通路の途中にいる女性店員に会釈を掛けながらトイレに行った。用を足して便器を閉めると、水を流し、手を洗うとハンカチを使うのではなく、備え付けのペーパーで水気を拭った。そうして室を出て席に戻ると、手首に腕時計をつけ、脱いでいたブルゾンを羽織り、コンピューターをリュックサックに仕舞って、トレイを持って女性店員に近寄り、差し出された両手にトレイを渡して礼を言った。そうして下階に下り、カウンターの向こうの女性店員にもありがとうございますと礼を言って退店した。通りからエスカレーターに乗って頭上を見上げると、空は淡い勿忘草の色に染まってひらいていた。高架歩廊を辿り、駅舎のなかに入って、改札口から出てくる人波のあいだを縫いながら、GRANDUOに向かった。昨日Aさんと話した際に、両親との関係の話になったのだが、特に悪くもなくどちらかと言えば良いけれど、母の日や父の日のプレゼントなどは面倒臭いのであげていないと言うと、それは駄目ですよと咎められたのだ。昨日が母親の誕生日だった、自分は家事ぐらいしかしていないけれど、父親がケーキを買ってきてくれたとも言うと、息子さんもちゃんとしないとと忠告されたので、まあそれもそうだなということで、遅れ馳せではあるけれど、何か甘味の類でも買って帰ろうと決めたのだった。GRANDUOのなかには「銘菓銘品」という店がある。そこに母親の好きな無花果のチョコレートなり、「Pomme D'Amour」という林檎のチョコレートなりがあるので、それでも買って帰るかと思ったのだった。それでビルに入り、並ぶ店舗のなかを通り抜けて行き、フロアの奥に進んで「銘菓銘品」の区画に踏み入った。前に来た時もそうだったのだが、無花果のチョコレートはないようだった。「Pomme d'Amour」は見つかったので、それを一つと、苺餡と緑茶餡の生八ツ橋――一箱で一〇個入り――を二箱買うことにした。三つの品物を持ってレジに向かい、並んでいる婦人方の後ろに就いた。しばらく待って順番が来ると、中年の女性店員が、これはプレゼントですかと訊いてきたのにちょっと考えてから、そうなんですけど、と薄笑みを浮かべ、でもそのままでいいです、と答えた。それで会計、二五三八円を払って紙袋に入れられた品物を受け取り、相手の顔を正面から見据えてありがとうございますと礼を言って店舗をあとにした。GRANDUOのなかから直接駅舎内に通じている改札を通り――その手前でおそらく私立の制服の中学生が二人、身体を組み合わせて戯れていた――電光掲示板に視線を送ると、直近の青梅行きは五番線である。それでそのホームに下りて、一号車の停まる位置に立ち、リュックサックから古い方の手帳を取りだして、韓国関連の事柄の復習を始めた。一九九八年一〇月に金大中が来日して日韓共同宣言が出されたとか、日韓請求権協定は一九六五年だとか、韓国大統領の任期は五年だとかそういったことだ。そうしているうちに電車がやって来たので乗りこみ、扉際の片側に陣取った。そうして引き続き、手帳を眺め続ける。電車内は結構混み合っており、途中までこちらの目の前、扉の正面にも、前に抱えたリュックサック――THE NORTH FACEの黒い、無骨なものだった――をガラス戸にくっつけるようにして目を閉じながら男性が立っていた。
 河辺でいつものようにほとんどの人が降りたので、リュックサックを背負ったまま席に就き、浅く腰掛けて前屈みになって手帳の文字を追う。その頃には視線の先にある文章は、ハンナ・アーレント『政治とは何か』からメモした事柄に移っていた。そうして青梅駅に着き、ホームを階段へと向かう人々の流れを避けるために少々待ってから降りると、空高く、電線の合間に極々細い月が、右下に向けて弧を描いて掛かっていた。ホームを歩き、最後尾の位置に就き、奥多摩行きがやってくるのを待つ。じきに電車がやって来ると乗りこみ、席に腰掛けてリュックサックは隣の席に置き、偉そうに脚を組んだ姿勢で手帳の文字を追い続けた。
 最寄り駅に着くと、星が息絶えたような闇のなかに極細の三日月の切れ込みが入っている空の下、駅舎を抜けて、ボタンを押さずに横断歩道を渡って坂道に入った。昼間と違って風は吹かず、道脇の林から張り出して宙に掛かった枝先の緑葉が電灯の光を受けてそよめきほどの動きも見せずに静止していた。その静かななかを下りて行き、平らな道を行くと、近所の家の垣根の躑躅の白さや、道端に生えた紫色の小花の色が夜の底に見えた。
 帰宅すると居間に入り、母親にお土産を買ってきたと言って、「Pomme D'Amour」を差し出した。それじゃあ明日、お料理に持って行こうかなと彼女は言った。八ツ橋も卓の上に置いておいて下階に戻り、コンピューターを机上に据えて、ブルゾンを脱ぎ、収納のなかのハンガーに掛けた。そうしてジャージに着替えてコンピューターに向かい合い、完成した前日の記事をブログに投稿して、Twitterに通知を流した。そのなかからパニック障害について語った一連の文章を長々とツイートしておき、それから食事を取りに上階に行った。夕食のおかずは麻婆豆腐だった。フライパンに用意されたそれを火に掛けて温め、丼にご飯をよそってその上から垂らし掛けた。そのほか、茹でた豚肉を何枚かと菜っ葉の類を副菜として卓に運び、こちらは胡麻ドレッシングを掛けて頂いた。さっさと飯を食ってしまうと、薬を服用し、食器を洗った。風呂は帰ってきた父親が入っていたので、こちらは一旦下階に下りた。YさんからSkypeにメッセージが届いたのでやりとりをしつつ、一方でHさんからも、パニック障害についてのツイートに関してTwitterでダイレクト・メッセージが届いていたので、そちらにも返信をした。そうして父親が風呂から出た気配を聞きつけると部屋を出て、上階に行って寝間着と下着を持って洗面所に入った。浴室に踏み入り、浴槽の蓋を畳んで、掛け湯をしてから湯のなかに身を沈めた。しばらく浸かってから一度出て、冷水シャワーを下半身に浴びせてふたたび温かな湯のなかに戻る。それをもう一度繰り返したあと、洗い場に座りこんで、髭を剃った。翌日の午後六時に元職場に伺うことになったためである。それで言えば忘れていたが、帰宅した直後に廊下に吊るしてあるスーツからビニールを取り除いておいたし、食後も以前履いていたスーツ用の靴を取りだして、玄関にしゃがみこんで靴磨きで少々拭いておいたのだった。シェービング・ジェルを顔全体に塗って産毛もまとめてT字剃刀で当たり、風呂を上がると早々と自室に戻った。久しぶりに緑茶を用意していた。それを飲みながら日記を書きはじめたのが九時半、Yさんから、一〇時に通話を始めるというメッセージが入っており、こちらは日記を書き終えたら参加すると返答しておいたのだったが、一〇時一三分現在、まだ始まっていない。音楽はBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』のディスク二が掛かっており、今はあの偉大なる"All of You (take 2)"の途中、Scott LaFaroが闊達なベースソロを展開しているところである。
 金原ひとみ『アッシュベイビー』。「モコ」や「あっくん」を相手にした時のアヤの性行為は、砂のように乾いて淡白なものだった。村野との行為も、「砂漠でヤッているようだった」と言われてはいるものの、しかしそこに至ってようやく幾許かの官能性が滲み出してきたようだ。それは村野が、アヤが烈しく恋慕する意中の男性だということも勿論寄与しているだろうが、小説的により重要なのは「傷」の介在である。アヤは村野との絡みの最中、自らナイフでもって太腿に開けた傷を舐められて「ひどく幸せ」な心地になっているし、「村野さんの指が私の傷をえぐるところを想像したら、全身が鳥肌を立てて感じた」とも言う。そうして実際、村野の「異常なほど美しい手」の指で傷を押さえられて、「痛い」とともに「気持ちいい」という言葉を発しているのだ。アヤがこの小説において性交中に「気持ちいい」という喘ぎを上げ、性の快楽を表出するのは、おそらく村野との性行為におけるそれが初めてだったと思う。さらに、彼の親指が「傷口を割って」入りこんでくると、彼女の「天井が、崩壊を始め」、アヤは「ああ、このまま私をえぐり殺して。もっと入れて。その穴こそが私の貴いマンコなんです。その美しい指を、もっと入れて、ピストンして」と熱烈に懇願する。これが痛みと綯い交ぜになった官能の愉悦の表現でなくてなんだろう。
 アヤが自分の太腿をナイフで刺したのは、彼女とルームシェアをしているホクトが赤ん坊を家に連れこんでいるのを目撃した直後である。文庫版の解説を綴った斎藤環も、「ホクトが赤ん坊を監禁していることを知ってアヤはショックを受け、彼女の肉体と精神は解離を起こします」と書いているが、この時点ではホクトは赤ん坊のことを、「親戚の、子供」だと言い訳しており、アヤはホクトの不審な様子に、「もしかして、幼女監禁でもしてんじゃねーの?」と疑念を抱いてはいるものの、おそらく彼が赤ん坊を「監禁」しているということにまだ決定的な確信は持っていないと推測される。実際、そこで「ショックを受け」ている様子も見受けられないし、アヤが解離を起こした直接的な要因は、文脈をそのまま順番に追うならば、ホクトに赤ん坊の世話をしてくれないか、と頼まれたことに対する苛立ちであるように思われる。「クソ野郎」とホクトに向かって呟き、部屋に戻った直後、彼女は自己の内部における主客分裂を引き起こし、自分自身に向かって「お前」と二人称で呼びかけ、ひとしきり悪口雑言を吐き続ける。この滔々と流れ出る罵倒の連なりもなかなか見ものだが、そうした自分自身への悪態の果てに、アヤは「きぇえー」という奇声を上げて、錯乱的に「果物ナイフをつかんで左の内腿に突き立て」ることになるのだ。従って、アヤが自傷行為を行った直接の原因は、赤ん坊の存在とそれに対する苛立たしさであると思われるのだが、上のような性交の場面をのちに読むと、彼女はまさしく村野に「傷」をえぐってもらうためにこそ、引いてはその「傷」を通して彼に殺してもらい、「死」に至るためにこそ、それを作り出したのではないかとも感じられてくる。その傍証と言うほどでもないが、実際彼女は、「もしかしたら、村野さんと知り合ってなかったら、ナイフを太腿に突き刺す事もなかったかもしれない」と述懐してもいるのだ。
 太腿の傷が自分の「貴いマンコ」なのだと言ってそれを性器と重ね合わせているあたり、「傷」を指でえぐられることがアヤにとって性交の代理、その象徴的表現であることは一目瞭然である。と言うかむしろ、それは「代理」と言うよりは、彼女にとっては性交そのもの、「真の」性交とも呼ぶべきものなのであって――だからこそ彼女の「傷=性器」は「貴い」のだ――ここにおいては象徴的・擬似的な性行為と、現実上のそれとの地位が逆転しているように見えるのが特筆するべきことだと思う。そして、彼女が「このまま私をえぐり殺して」と乱れながら懇願したり、「爪を果肉用スプーンみたいにギザギザに削って、その牙で内側からグチャグチャにしてくれればいいのに。その手で私を血と肉だけにしてくれればいいのに」と破滅的な願望を述べたりしているように、「傷」は「死」へと一直線に繋がる「穴」である。「傷」を指でえぐるという、避けようもなく痛みと快楽をもたらす苛烈な行為は、彼女の「死」への欲望を搔き立て、それと密接に通じ合っている。そこでは「傷」―「性器=性交」―「死」という三位一体が成立しているのだが、それには村野の手の「美しさ」が関与している。彼女が村野に殺害されるという観念を最初に表明するのは、村野の「異常なほど美しい手を撫でている」瞬間であり、彼の魅力、官能性が集約されたその手の「美しさ」のあまりにアヤは思わず「この手になら殺されてもいい」と心中で漏らすのだ。
 上に書いた感想を書き記しているうちに一時間ほどが経った。通話は結局、零時近くなってから始まった。こちらは上の文章の推敲がまだ終わっていなかったので最初のうちはチャットで参加した。メンバーはYさんに昨日もこちらと話したAさん、RさんにMさん、それに新しい人であるY味さんだったが、Mさんはほとんど一言も話さないうちに小説を書くからと言って退出し、Y味さんもSkypeの操作がよくわからないようで、音声自体は聞こえているものの、発言が通話に乗らないようだった。こちらは零時を過ぎたあたりで、推敲を終えてそれを長々とTwitterに放流し、通話に参加した。
 今宵はYさんが概ね主導して話していたようなのだが、彼は本当に、落ち着いた調子でありながら滔々と流れるように、連想的に様々なことを思い出してどんどん脱線的に話を展開していく。どんどん横滑っていくその脱線の動きからして、Yさんの話をそのまま文章化したらそれは面白い小説になりますよとこちらは途中で言った。
 今回はサイコパスの話とか、シリアル・キラーの話とか、穏やかでないような話題が多かったようである。Yさん曰く、サイコパスは夜型の生活をしている者が多いのだと言う。夜に活動する動物というのは古来から他の動物を捕食する種類のもので、草食動物などの他の動物は夜は当然穴蔵のなかなどで眠っている。そうした捕食動物の遺伝子が残っているので、サイコパスと言うか、犯罪的な人間は夜型になりやすいのだというような話だったが、こうして書いてみると眉唾物であるし、最近は「サイコパス」という用語も随分と意味が広く扱われている気がしてならない。Aさんは、サイコパス診断などを受けてみると、すべての質問に引っかかるのだと言った。落ち着きがあって一九歳にしては大人びていながらも――というこちらの印象も途中で彼女に伝えた――明るく屈託のなさげな彼女にあっては意外なことだが、これは彼女がホラーやサスペンスものの小説や映画を愛好しているために、そうした発想がどうしても思いつくようになってしまったためではないかとの推測が彼女自身からあった。言わば後天的に、犯罪的な発想、思考というものを学んだようなもので、こちらはそれを受けて、名探偵が一番犯罪者の心理をよく理解するとかそういったことですねと言った。
 シリアル・キラーの心理というものもYさんの口から語られた時間があって、彼はそれを『連続殺人の心理』という本で読んだらしく、その画像をその場で撮ってチャット上に上げてもくれた。曰く、本物のシリアル・キラーという存在は、自分が殺人を犯しているという認識がないということだった。どういうことかと言うと、ある殺人者は、被害者の頭を殴るか刺すかして殺したのだが、その供述を聞くと、「頭を撫でているうちに気づいたら死んでいた」というようなことを言うらしく、従って彼の認識では殺人をしているという自覚はないのだと言う。そうした性向を形作るには、やはり幼少期の激しいトラウマなどが密接に関わっているらしい。
 何かの拍子に、幽霊を信じるかとAさんが尋ねた時があった。僕はあんまり、とこちらが答えると、Yさんは、直接的な体験がないからだよと言って、それにはこちらも同意した。確かに心霊体験の類をしたことはない。Yさんはそれに対して、体外離脱の時に耳元で女性の声で、「どこ?」だったか、「どれ?」だったか、そのような声がはっきり聞こえたという体験を挙げてみせたのだが、そうした経験にはこちらも思い当たるところがあった。それで自分は瞑想をしていたので過去には変性意識に入りやすかった、それで昼寝をしている時なども自然に変性意識に入って――と言うか、変性意識というのは要するに、身体は起きていながら脳は眠るのと同じ状態になっている、要は起きながら夢を見ている、白昼夢を見ているような状態と同じようなものだと思うのだが――そういう時にはやはりかなりはっきりとした幻聴が聞こえることがあったと話した。音楽が聞こえることもあったが、そういう時の音楽というのはこれが実に完璧で、一点の瑕疵もないもので、非常に美しく感じられるものなのだ。瞑想は趣味で、とAさんが訊くので、元々はパニック障害に瞑想が効くとかいう話を聞いて始めたのだと言った。どういうやり方をするんですかと質問が続いたのには、瞑想と一口に言っても色々なやり方はあるが、大別すると集中性のもの――サマタと呼ばれる――と、拡散性のもの――これがいわゆるヴィパッサナーである――がある、瞑想と言うと多分集中性のものをやる人が多くて、これは要は一つのこと、一点に意識を集中させ続ける、大抵は呼吸など、と説明し、これをやっていると変性意識に入ることができて、心地良い感覚を味わえる、そうした状態の時は非常に鮮やかな画像が眼裏に一瞬はっきりと見えるといったこともあったと話した。それから拡散性の方を説明する前に話題が逸れていったのだったが、折角なのでこちらも書いておくと、ヴィパッサナーというのは物事を正しく観ることを目指した瞑想で、これもやり方は色々あるのだろうけれど、実況中継という方法がわかりやすい。瞑想しているあいだに感覚したもの、意識に引っ掛かったもの、浮かんだ思念などを頭のなかで追い続けるのだ。その際に使われるのが「サティ」=「気づき」という技法で、例えば鼻が痒くなったら、「痒み、痒み」という風にそれを言語化して対象化する。何か雑念が思い浮かんでいることに気づいたら、「雑念、雑念」という風にそれも対象化してはっきりとそれを認識する。そういったことを続けて訓練していると、対象化の能力が涵養されてきて、わざわざ言語化しなくとも、自分の知覚を常に一歩あとから追いかけているような状態になる。そうすると例えば不安や怒りが生じた時にも、それを即座に対象化してそれに対して少々距離を取り、感情や心的反応に巻き込まれ飲み込まれることがなくなる。そういった意味でヴィパッサナー瞑想というのは、パニック障害精神疾患への有効性が部分的に認められてもいて、これを西洋式に整えた方法がいわゆるマインドフルネスと呼ばれる種類の療法である。もっとも、瞑想をやりすぎたり、方法が間違っていたりすると、かえって不安を強めたり、疾患を悪化させたりすることもあるようだが。ところでお気づきだと思うが、この実況中継をしている際の頭の働き方というのは、外を歩いている時などに見たもの感じたものをその場で書き綴るテクスト化の技法とほとんど同じものなのであって、こちらが日記を書くに当たっても、ヴィパッサナー瞑想の訓練、その認識のあり方が多大に寄与したということは言えると思う。
 Yさんが滔々と話し続けるのだけれど、彼がどんなことを話していたのかはしかしほとんど覚えていない。と言うか自分は、自分が発言したことならばわりあいに思い出せるのだけれど、他人がどんなことを話していたのかということに関してはあまり記憶できないようだ。それでもAさんはこちらの昨日の日記を読んでくれた時に、時間が巻き戻ったような感じがしたと言い、何であんなに覚えているんですか、メモを取っていたんですかと言ってくれた。メモはほとんど取っていない。ただ覚えている限りのことを書いたのみで、あれでもこちらはまだまだ記憶できていないと言うか、本当はもっとたくさんのことを話したわけで、そのほんの一部しか記録できていないという思いがあるのだが、Aさんからするとあれでも充分、多くのことを覚えているという感じらしい。日記については、要は自分のなかに、自分が感じたこと考えたこと、体験したことをなるべく全部書きたいというような欲望がある、それであれだけ書くことができるのだと話した。それで言えば、最近は本の感想をよく書くことができているわけだが、それも同じことで、本を読んでいるあいだの時間というのは以前はあまり言葉にならなかったものだけれど、最近では読書中に自分が思ったこと、気に掛かったこと、思いついたことなども記録したいという思いがあるので、読んでいて気になった部分は手帳にメモするようになった。そのついでに、頭のなかに浮かんできたことをつらつら書いてみたりもするので、それで日記にあのような感想文を綴ることができているわけだ、とそうしたことも語った。
 あとはAさんに、昨日、母親にプレゼントをあげたほうがいいですよって言ってくれたじゃないですかと話を向け、それで今日、菓子を買ってきましたと報告した。何を買ったのかと訊かれたので、「Pomme D'Amour」という林檎のチョコレートと生八ツ橋だと言い、チョコレートの方は確か神戸壱番館というメーカーから出ていたと思うので、兵庫県明石市在住のAさんは聞いたことがあるかなと思っていたのだけれど、はっきりとは知らないようだった。それで、お母さんの反応はどうでしたと言うので、まあ普通に、ありがとう、みたいな、と言うと、仲が良いんだねとYさんが言ったので、まあ悪くはないですねと答えた。悪くないと言う人は、仲がよいんですよとAさん。それに対してYさんは、ノーマルな家庭、一般的な家庭の感覚がわからないと言い、例えば家族同士で憎しみあっている家庭というのはやっぱり少数派なのかなと訊くので、それは少数派でしょうねとこちらは答えた。詳しくは聞いていないが、彼もどうも難儀な家庭環境で育ってきたようで、そのあたり思うところがあるのだろう。
 そんなYさんの幼稚園の頃の夢の話が面白かった。彼は蛙になりたいと思っていたのだと言う。幼稚園のお遊戯会だか何だかで、皆が将来の夢を発表する段があり、Yさんは紙には蛙と書いていたのだけれど、周囲の皆が消防士だとか何だとか言っているのを聞いて、この流れで蛙は明らかにおかしいなと思ったらしく、咄嗟の判断で変えたのがしかし蛇だったと言うので、結局人間の職業ではないのかとこちらは面白く笑った。Aさんは蛙が苦手で、蛇は好きらしかった。Aさんの宅の周辺は昔は田んぼばかりだったと言って、道の途中に蛙がやたらといるので以前は歩くのが怖かったくらいだと話した。そうした話になったのは、Yさんが買っている蛙の鳴き声が通話のなかに聞こえたからで、Aさんはこれに対しても、私苦手なんですよと言っていくらか怖がっていた。
 あとはグループ名を変更したひとときもあった。元々今までは「SNSでSOS」というYさんが名付けた名前のグループだったのだが、怪奇・幻想文学界隈の人が多いから、その分野の小説のタイトルなどから取るのがいいのではないか、などと話し合った結果、Yさんが手元にある本として、「夜明かしする人、眠る人」というタイトルを挙げてみせた。みすず書房の本であるらしい。それで、深更まで通話に耽る者もあり、通話に参加しなかったり、途中で抜けて順当に眠る者もありのこのグループにはいかにも似つかわしいではないかというわけで、新しいグループ名はそれに決定した。「夜更かし」ではなくて「夜明かし」とあるのが良いポイントだ。
 そうこうしているうちに時間はあっという間に過ぎて、三時近くになった。三時になったら僕は寝ますよと言いつつ、一〇分前くらいになったところで、二人にこちらの印象を尋ねてみた。何やらYさんやAさんの印象をそれまでに語った時間があったのだ。それでこちらの印象も流れで尋ねてみたわけだが、Aさんは、「意外と人好き」そうと言った。人嫌いな雰囲気を醸し出しているかと思いきや、思いの外に人が好きそうだと言うので、まあもっと若い頃は陰鬱な性分だったけれど、歳を取って社交性を多少なりとも身につけたということでしょうねと受けた。Yさんはこちらの印象をいいあぐねていた。うまい形容が見当たらなかったらしく、まだこちらのことをあまり掴めていないと言うので、しかし我々結構話していますよと言って笑った。でも、昨日のこととか一昨日のこととかすぐに忘れちゃうから、とYさんはそれを健忘のせいにした。
 覚えているのはそのくらいである。三時を迎えて眠ろうと思ったのだが、Yさんが我々を引き止めて、自分で画像を投稿したり、我々にも顔の画像を見せるように求めたりしていた。我々は当然嫌ですよと断り、こちらは代わりにガルシア=マルケスの肖像や、セロニアス・モンクが完全にヤクを決めたかのようなファンキーな顔つきでピアノを弾いている画像などを投稿しておいた。そうして結局通話を終えるのは三時半になってしまった。ありがとうございましたと言い合って電話を切り、チャット上でも、「今晩も、非常に長々とありがとうございました!」「健康に悪い会ですね笑」と投稿しておき、そうしてコンピューターを閉ざした。ベッドに移ると、一日のうちでまったく本を読まないというのはやはり忸怩たるものがあるので、三〇分だけ読もうというわけで金原ひとみ『アッシュベイビー』をひらいた。そうして四時を回ったところで本を置き、明かりを消して就床したのだったが、眠りは一向にやって来ず、三〇分ほどで諦めて起き上がり、ふたたび読書に邁進することになったのだった。


・作文
 14:09 - 14:19 = 10分
 16:53 - 18:26 = 1時間33分
 21:33 - 22:14 = 41分
 22:49 - 24:05 = 1時間16分
 計: 3時間40分

・読書
 22:21 - 22:47 = 26分
 27:35 - 28:03 = 28分
 計: 54分

・睡眠
 1:15 - 13:15 = 12時間

・音楽