2019/5/9, Thu.

 全然眠気がやって来なかった。一度目を開けると、カーテンの色が薄青くなっていて、外は白みはじめていたので、これはもう眠れないなというわけで、僅か三〇分、床に臥していただけで起き上がり、明かりを点けた。そうして、金原ひとみ『アッシュベイビー』を読むことにした。読みはじめた頃には全面に雲の掛かっているらしい空は薄青かったが、五時を越えた頃には白くなり、東南の果てが僅かに雲を逃れて朝陽の茜色を敷いていた。外気の明るみが充分なものになったので天井の蛍光灯を消し、窓の帯びている明るさのなかで本を読み続け、最後まで読了したあと、感想を手帳に綴っているとあっという間に六時四〇分を迎えた。
 金原ひとみ『アッシュベイビー』。アヤの「愛」は「死」に対する欲望と直結している。村野に殺してもらうことこそが、「彼の手から与えられる、唯一の幸せ」なのであり、アヤにとって「死」は「幸福」と同義である。そして、殺されることは彼女においては村野を所有することであり、同時に彼に所有されることでもある。一〇九頁におけるアヤの言明を見てみよう。そこで彼女は、「私の体だけを殺してくれれば、私はあなたの中で生きられるような気がするの」と述べたあと、間を置かずほとんど連続させて、「私を殺してくれたら、あなたは私の中でずっと生き続ける」とも言っているのだ。前者の言明はわかるが、後者の言明は少々奇妙ではないだろうか。殺されてこの世から消え去った「私」のなかに、どのようにして「あなた」が生きられるだろうか。しかしこれは要するに、「死」における互いの一体化・同一化について語っているのだろう。愛する者と一体になりたいと願うのはごくありふれた感情だと思うが、アヤの欲望のうちではそれは「死」によって達成される。性愛の究極の形態としての「殺害」と「死」というテーマは、この小説においてはさらに、「煙」と「灰」のイメージによって想像されている。アヤは「とても丁寧な動作で」煙草を吸う村野の様子を見つめながら、その「葉っぱと紙」を羨み、「私も、彼の中に入って消化されたい」と空想する。殺されたあとは、「火葬にして私の煙を肺いっぱいに吸い込んでほしい」、「そして灰になった私を、灰皿からゴミ袋に吸い殻を捨てるように、無造作に捨ててほしい」というのが、彼女の究極的な欲望だ。アヤが求めるのは物質的な「死」であり、気体として大気中に拡散する物質の即物性である。ここでは、存在の一体化という「愛」のロマンティシズムが、乾燥的に和らげられている。
 しかしその「愛」と「死」は求めて得られることはない。村野は最後までその内面性を露わに見せることはなく、「幽霊」のような生気のなさでアヤの好意を受け流し、静かに拒否し続け、性交をし、結婚までしても彼らの「距離は全く近づかない」。アヤは結局、「好きです」と甲斐なく呟き続けるだけで、「殺してほしい」という彼女の本質的な欲望を、はっきりと表明して村野に伝えることすらできないのだ。そして小説は、最後に句点を打つこともなく、文の途中で唐突に途切れてしまう。その直前に、「ここには死がない。ここにあるのは、ただ存在が消えるという事だけだ」とある通り、彼女の求めた物質的な「死=愛」は得られず、その代わりに概念的・言語的な「存在の消滅」が与えられて、作品は終わりを告げる。『アッシュベイビー』は、畸形的で激しく過剰な欲望に支えられた、過激で苛烈な「愛」の悲劇である。
 上の部分まで書いて、金原ひとみ『アッシュベイビー』の記事をブログに作成したあと、前日の記事をかたかたと書きはじめた。音楽は流さず、窓の外から小鳥の囀りが入ってくるなか、一時間ほど掛けて完成させ、それもブログに投稿した。Twitterへの通知は、一日の要約を付すのが面倒臭くなったので、紹介文なしで日付とURLのみを投稿した。そうして八時を回ると上階に行った。母親は台所で洗い物をしており、テレビにはNHK連続テレビ小説なつぞら』が映し出されていた。卵とハムを焼くことにした。台所に入って冷蔵庫からそれぞれを取りだし――また前日のサラダの残りも取りだし――フライパンに油を引いて、ハムを四枚敷き、卵を二つ割って投入した。そして、短く焼いて黄身が固まらないうちに丼の米の上に取りだし、居間の卓に就いた。黄身を崩すとともにそこに醤油を垂らしてぐちゃぐちゃと搔き混ぜ、米と黄身と醤油を絡めてから賞味した。新聞を少々めくりながら――米国、コロラド州デンバーの高校で銃撃事件があったと言った――さっさとものを食べ終えると、薬を服用して食器を洗った。母親は九時頃から料理教室に出かけるのだった。こちらは下階に下りて、八時四〇分から読書を始めた。『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』である。小説を読む時はそれなりに頭が働いて、上のように感想の類も最近は多少書けているのだが、ノンフィクションと言うのか、こうした教養書の類はあまり頭は動かず、メモもそんなに取らないし、いかにも自分がうすのろになったような感じがする。一〇時まで読んだところで一回読書を中断してコンピューターに寄ると、YさんからのメッセージがSkypeに入っていたので、しばらくやりとりを交わした。そうして一〇時半過ぎからふたたびベッドに乗って読書に入ったが、いつの間にか意識が朧になっていたようである。気づくと一二時前、そこから身体を水平にして曖昧な微睡みのなかに入り、いくらか眠れたようだった。一時半頃起きて、その頃には母親も既に帰ってきていた。スーツを干さなくて良いのかと部屋の戸口にやってきたので起き上がり、紺色のスーツを持って上階に行ってベランダに吊るした。料理教室で作ってきた品があると言ったが、まだあまり腹が減っていなかったのでひとまず下階に戻り、Yさんとふたたびやりとりしながらcero "Yellow Magus (Obscure)"を歌った。それから小沢健二『Life』を流しだして、日記を書きはじめた。音楽を時折り口ずさみながらここまで綴って、二時一〇分。
 食事を取りに上階に行った。スーツは既に室内に取り込まれていた。母親の作ってきた料理――薩摩芋などの天麩羅や、白キクラゲとフルーツのデザートなど――を食べ、そのあとで風呂を洗ったのだったか、それとも食べる前に洗ったのだったか記憶が不確かだが、どちらでも良いことだ。母親は三時から、今度は歯医者に出かけると言った。差し歯か何かが取れてしまったらしい。こちらは下階に下って、二時四〇分からベッドに乗り、身体に布団を掛けてまた読書をはじめた。BGMとして流したのは小沢健二『Life』の続きと、Evgeny Kissin『Schumann: Kreisleriana; Beethoven: Rondos, Etc.』である。このピアノは高速時の音の粒立ち、その明快さが素晴らしいように思われる。T田は超絶技巧だけれど同時に非常に音楽的でもあると思う、と評していた。クラシック音楽が終わったあとは窓を開けて涼気を取り込みながら読み続け、四時半に至ると書見を切り上げた。便所に行って腸内を軽くし、歯磨きをしながらMさんのブログを一日分読んだあと、もうスーツを着てしまおうということで――六時に復帰手続きのために元職場に出向くことになっていたのだ――ジャージを脱いでワイシャツを身に纏い、着替えたのだが、何と用意してあった紺色のスーツのスラックスが入らなかった。腹回りに肉がついたために、ホックが止まらなくなってしまったのだ。自分はそんなにも太っていたのか! こんなことは予想しておらず、笑うしかなく、またしまったと言わざるを得ないが、しかし冷静に考えて、病前よりも一〇キロも太ったのだからただでさえ細身の身体にぴったりとしていた服が入らなくなるのも道理ではある。そうは言っても、まさか自分がそのような経験をするとはとてもではないが思っていなかった。しかし冷静に焦らず騒がず、もう一つのスーツも試してみることにした。真っ黒な上着のもので、ベストは黒と灰色のリバーシブルになっているやつだ。その黒いスラックスを履いてみると、こちらも相当にきついのだが、何とかぎりぎり身体を入れることができた。しかしそれでも、尻や太腿の周りの布の感触とか、ポケットに手を入れた時のスペースの具合などからして、いささか狭苦しく窮屈である。以前のようにポケットに財布や携帯を入れてバッグを持たずに手ぶらで出勤するということはできないだろう。しかし、ひとまずスーツを身につけることはできた。それにつけてももう一つのスーツが入らないのが何とも勿体なく、悔しいものである。毎日腹筋をして痩せるか、スーツを買い換えるかするしかないが、そう簡単に腹の脂肪を減らして痩せることができるだろうか? 一応付け加えておくと、現在の自分の体重は六五キロほどで、身長は一七五センチくらいなので太りすぎているわけではなくてむしろ適正である。以前の自分が五三キロほどで明らかに痩せすぎだったのだ。それほど太ったのはやはり精神疾患のための薬が寄与していて、夏にオランザピンを飲んだあたりから体重が増えはじめた。オランザピンは今はもう飲んでいないが、セルトラリンなども太る副作用があるのだろうか?
 日記を上記まで書き終えると五時を一〇分ほど回ったところだった。財布や通帳を入れたクラッチバッグを持って上階に上がると、母親が帰ってきたところだった。トイレから出てきた母親に、青いスラックスが入らなくてさ、と報告すると、彼女はそうなの、と苦笑してみせた。紳士服店で直してもらえるのではないかと言う。それか買い換えるかだなと受けて、出発した。
 ベストをなかに着込んでジャケットまで羽織っていると、蒸し暑いような陽気だった。足取り軽く、坂を上って行った。三ツ辻のところにトラック行商の八百屋が来ており、周辺の家の人々が集まっていた。歩いていくと老婦人がこちらを向いたので会釈し、こんにちは、と言いながら歩を進めると、鮮やかな黄色のバナナを持った八百屋の旦那が、珍しいじゃんと声を掛けてきたので、お久しぶりですと受けて通り過ぎた。こちらが過ぎたあとから、T田さんの奥さんが家から出てきたようだった。
 街道に出る頃にはスーツの裏にじっとりと汗を搔いている。表通りを歩いているあいだ、燕が道路の上を飛び交って、すぐ目の前にも滑空してきたかと思えば身を翻して電線へと飛び移り、そこからまた宙に弧を描いて丸く滑る。裏通りに入って、咲き乱れている色とりどりの花のあいだ、歩いて行った。職場に着いたらどういったことを話そうかと思い巡らしながらの途上だった。
 歩いているうちに太陽の脚に追いついて日向のなかに入ると、後頭部に温もりが宿る。液体のような温い陽射しを肩口に受けながら進んでいくと、一軒の前、車の下からちょっと姿を出して白猫が地面に寝そべっていた。近づいていき、しゃがみこんで、手を差し出してみると、猫はそれを避けながら車の下から這い出してきた。右手はバッグで塞がれていたので、左手で猫の体を撫でると、白い毛が綿のように体から取れて空中に浮かんだ。しばらく体をほぐすように撫で回したり、口元に手を持っていったり、首元をくすぐるようにしてやったりしていたのだが、じきに猫はまた車の下に入ってしまったのでそれを機に立ち上がって道を進んだ。
 駅前に出るとコンビニに入り、陳列された品々のなかから二色のボールペンを取ってフロアの奥に向かい、レジに続く列に並んだ。少々待ってから年嵩の男性店員がこちらを呼んだので、歩いて入口に近いほうのレジまで進み、ボールペンを差し出した。二四三円を払い、釣り銭を受け取って礼を言うと、入口付近のダストボックスに寄って、ペンの包装ビニールを剝がして捨て、なかのものはスーツの胸の内ポケットに収めて退店した。そうして職場に向かい、扉を開けるとともに笑いながら、こんにちはと(……)室長に挨拶をした。ちょっと早くてすみませんと言い、どうぞと促されたのに従って靴を脱ぎ、焦茶色のそれを下駄箱に入れるとスリッパを取りだして履き、面談スペースに入った。まもなく室長が面接用の用紙を二枚、持ってきたので、それに個人情報を記入していく。出身大学だとか、希望する担当科目だとかそういったことである。さらに心理検査の類もあったので項目ごとに丸をつけていってそれを片付けると、手近にあった週刊誌――このようなものが教室にあるのを見るのは初めてだったが、今度は四枚ほどまた新たな紙がやって来た。労務規定とか講師台帳とかそういったものだ。ふたたび個人情報を記入し、朱肉を借りて印鑑を何箇所にも押印した。そうして書類の準備が出来ると、室長がやって来て向かいに座り、しばらく話をした。こちらはもうわかっていることなので、室長の説明もさほど詳しいものではなく、講師と生徒のあいだで成してはいけないことのガイドライン――アドレスを交換してはいけないとか、交際してはいけないとかそういうことだ――などが簡易的に解説された。その後、こちらが務めていた時期と変わったこととして、変わったことはそんなにないけれど、誕生日カードというものを作ってもらっているとか、夏期や冬期の講習時のみだったスタンプを通年でやるようにしたという話があった。その後、シフトを書いていきますかと言うのではいと肯定し、持ってこられた日付リストに丸とバツを付けていった。と言って、日曜日以外に特に用事もない身なので、丸でない日などないのだが、土曜日は休みを貰うかというわけで土曜の欄はすべてバツにしておいた。それで来週から実際に働きはじめることになったのだが、研修などは、前とシステム的に変わったこともあまりないのでなしで良いだろうということだった――果たしてすぐに仕事のやり方を思い出せるかどうか不安ではあるが! しかしまあ、何年もやってきていたわけなので、実際始めてみれば身体の記憶が導いてくれるだろう。シフト表を見ながら(……)先生はもういないですかと言うと、そうですね、卒業しちゃいましたとの返答があった。そのほか、元同僚が結構いなくなっていたのだが、半分弱くらいは知っている名前も残っていた。また、名前のリストのなかに一人、過去の生徒だったような覚えのある名があったので、この人は生徒でしたかと尋ねると、さすがですねと室長は言った。それで話が一通り終わったあと、立ち上がって、(……)先生に挨拶してもいいですかと許可を取った。ああ、順番が前後するがその前に、(……)先生もいなくなった、卒業したという驚きの事実が明かされたのだった。(……)先生というのは一番のベテランで、歴々の室長の片腕として事務仕事を一手に引き受けていた人なのだが、彼女が辞めたというのはこの時聞いた話のなかで一番の驚きだった。見切ったみたいですね、会社を、と室長は言った。それで、だから(……)先生が今や一番のベテランと相成ったわけで、彼女はすぐ傍で授業をしているところだったので、パーテーションの蔭からこちらは姿を現し、こんにちは、お久しぶりですと挨拶をした。顔面を笑みで歪ませながら、恥ずかしながら戻ってくることができましたと言った。心強いですと彼女は受けたが、こちらは、仕事を思い出せるかどうか不安ですと苦笑し、新人になったつもりで、と笑みを浮かべた。それでよろしくお願いしますと互いに礼をしあい、こちらはその場を離れた。すると(……)先生はパーテーションのあいだから出てきて、入口付近でこちらと室長と交えてまたちょっと話をした。その後、ちょっと教室内を見て回ることになって、フロアの奥を見分したり、生徒のボードが並んでいる棚を見たりしたのだが、結構以前教えていた頃の生徒も残っていたので、知っている名前を見つけるたびにうわ、懐かしい、と声に出した。
 教室内でのことはそんな感じでいいだろう。それで入口の間際に行き、室長にありがとうございました、よろしくお願いしますと挨拶をして、新人になったつもりで頑張りますとふたたび口にして、礼をして扉を開けた。戸口を跨いで外に出ると振り返り、もう一度礼をしてから帰路に就いた。七時一五分だった。
 涼しげな宵だった。良い季節になったものだ。細い月が青い空に掛かっていた。あれは蟋蟀なのだろうか、じりじりと低い音で道脇から無骨な虫の鳴き声が飛び出してくるなかを歩いていった。月の周りに雲が掛かっているのが月光で照らし出されて、その雲が月を取り囲むように浮かんでいるなかに弧を描いた細月が切れ込みのように入って、全体としては一つの目のように映った。歩いている途中で、こちらの控えとなる書類を教室のテーブルの上に忘れてきたことに気づいたが、まあ室長が多分保管してくれているだろう。また、途中でバッグのなかが振動したので携帯を取りだしてみると、Aくんからのメールが入っていた。自分は新しい体験を求めて新しい小説に手を出してしまうが、こちらの『族長の秋』の感想を読んで、同じ小説を読んでも新しい体験ができるということに気づいた、再読の重要性に気付かされたというようなことが書いてあった。それを読んで、ロラン・バルトが再読について語っている『S/Z』のなかの記述があったと思いだしたので、あとでそれを彼に送っておこうと思った。
 帰宅すると、母親に挨拶し、下階に下りて服を着替えた。そのついでにもう一度、紺色のスーツのスラックスを履いてみたのだが、今度はぎりぎりホックが留まったものの、ぎりぎりもぎりぎりでこれではさすがに無理だろうというようなものだった。そうして食事に行く。スラックスを履けるようにするために、体重を減らし、腹の肉をいくらかなりとも落としたいので――と言ってそんなに腹が出ているわけではないと言うか、むしろ出てはいないほうだと思うが――米は少量にして、そのほかおかずとサラダをよそった。そうしてさっさと飯を食うと薬を飲み、皿を洗って入浴。温冷浴をして速やかに上がると、下階に下り、コンピューターに向かい合って、Yさんとやりとりをしながら日記を綴った。いや、その前に相澤くんに対する返信を綴ったのだった。ロラン・バルトからの引用を地道にかちかちと長く打ち込んで返信を送ると日記を綴りはじめたのが九時過ぎ、今日は何時から通話を始めるかと聞いてきたYさんに、さっさと始めちゃっていいんじゃないですか、時間が早いほうが参加できる人も増えるのではと言うと、九時半から始めることになった。こちらは日記を書かなければならないのでチャットで参加しようと思っていたのだが、いざ九時半が来て通話に出ると、誰も喋らないので、思わず笑いながらマイクをつないで、何で誰も喋らないんですかと声を差し向けた。通話にはYさん、Mさん、Nさんが参加していた。Nさんに『アッシュベイビー』読みましたよと差し向けると、ブログを読みましたとあったので礼を言った。色々詳しく分析されてて凄いと思いましたと言ってくれたのにもありがとうございますと受けると、結局の所、あの小説はお好きでしたか? と尋ねられたので、うーん、と考え、あんまり好き嫌いって感じじゃなかったですけれど、でも結構面白かったですよと答えた。Nさんは、こちらがブログに上げた感想のなかで、一箇所、それはそうだなあと納得の行って頷く場所があったらしかった――それがどこだったのかは具体的にはわからなかったが。ありがたいことである。その後、Yさん企画でMさんがサドやら澁澤龍彦やらについて語る会が始まり、こちらはそれを背景に聞きながら日記を綴り続けた。書くのを忘れていたが、Kさんという新しい方が通話に連れてこられていた。彼と挨拶を交わしてからこちらはチャットに移行して、打鍵を続けたのだった。Nさんは途中で課題があると言って退出した。Mさんは『ソドムの百二十日』は、澁澤龍彦の抄訳よりも、佐藤晴夫の完訳本のほうが面白いと思うと言った。この本はこちらは水中書店で手に入れて、手元に保持しているものであるが、いつになったら読めるのかわからない。『ソドム』は変態性欲の百科事典のような作品だと、澁澤か誰かが言っているらしくて、Mさんもその言には同意らしかった。パゾリーニの映画の話などもしていたが、その頃にはAさんもチャットで参加しており、パゾリーニの逸話など披露していたので、流石、随分詳しいものだなと思った。
 日記を書き終わると通話に参加した。Kさんは関西人で、IDから察するにおそらく一九九〇年生まれでこちらと同年である。彼に、どんなものを読むんですかと差し向けると、小説はたまにで、人文書のような類をよく読んでいるとの返答があった。そのほか漫画も好きで、最近読んだ漫画として、『鬱ごはん』という作品の名前が挙がった。普通のグルメ漫画というのは、如何に食事を美味そうに描くかが肝だと思うが、この漫画はその逆を行っていて、食事を不味そうに食べるグルメ漫画なのだと言う。ほかには、『はたらく細胞ブラック』という作品の名も挙がった。不健康な人の身体をブラック会社に喩え、そこで過剰に働かされる細胞を社畜の社員として描いたものだと言う。そのような話を聞いたあとに、人文書だと何ですかね、哲学とか読みますかと訊いてみると、読むとの肯定の返答があり、彼は中島義道の名を挙げた。大学時代に読み耽っていたらしい。中島義道はこちらも昔、それこそ大学時代にちょっと読んだきりだったと思うが、勿論名前は知っていたので、『後悔と自責の哲学』とかですよねと受けて、地元の図書館の書棚に並んでいる著作の記憶を掘り起こした。確か『明るいニヒリズム』とかいう本も書いていたような気がする。その点に関して、「死」についてよく書いていますよねと言葉を送ると、Kさんは、あの人自身が「死」を異常なまでに恐れている人ですからね、タナトフォビアと言うか、と言って、タナトフォビア(と多分言っていたと思うのだけれど)という用語は初めて聞くものだった。こちらもそうだが、ニヒリズムに陥った若い青年なんかが嵌まる感じですよねというようなことを言うと、Kさんもやはり大学時代はそのような形で嵌まっていたらしき返答があった。そのほか、あの人って騒音が大嫌いで、例えば電車のなかとか、駅のなかとか、やたらとアナウンスがひっきりなしに流れているじゃないですか、そういうのが大嫌いで、それで騒音が嫌いだっていうことで一冊本書いていましたよねと話すと、MさんもKさんも笑った。人文書だと、一番最近は何を読みましたかと訊くと、『存在の呪縛』という哲学書を読んでいたと言う。これは彼の大学時代の恩師の著作らしく、説明が難しくてよくわからなかったのだが、西洋哲学の伝統というのは、今まで「無」を超越的なものとして問うてはいない、その点について突っ込んだ本らしかった。それでこちらも、自分も哲学が結構好きで、と言っても下手の横好きみたいな感じなんですけれど、それで今は『いま、哲学が始まる。』という本をちょうど読んでいますと紹介した。明治大学文学部が二〇一八年になってようやく哲学専攻を新設したらしいんですけれど、その専攻を担当する五人の先生方が集まって対談した本で、対談のほかにはそれぞれの先生が小論を寄せていて、本居宣長の思想と朱子学のそれを対比させて紹介したり、と説明した。すると、Fさんもそういったものを読まれるんですね、いいですねえというような返答があった。こちらはさらに、Aさんに向けて、Aさんは哲学とかは読まれないんでしたっけと差し向けると、めっちゃ好きですという返答があったので、何で黙っていたんですかと笑いながら突っ込むと、いや、私、皆さんのお話を聞いている方が好きでという答えがあった。それでもそこからAさんも自分の好みについて話してくれたのだが、彼女は西洋哲学よりもどちらかと言えば東洋哲学の方が性に合っているのだと言った。西洋の哲学は過去の哲学者の考えを検討して、「これちゃう、これちゃう」といってどんどん破壊していくようなところがあるけれど、東洋の哲学はもう悟ったところから始まっているじゃないですか、それでその考えを弟子とかがまとめるみたいな、と言い、そういったあたりが彼女の性質に合っているらしかった。仏教も好きだし、老荘思想なども読んでいたらしい。こちらはそうした話を聞きながら、古代ギリシアから始まる西洋の哲学の真理への至り方は言わば対話型なのだよなと思いだしていた。対話によって考えや意見や主張を闘わせ、相手の意見の瑕疵を突き、自分の主張の優越点を明確にしながら、対話に参加した誰もが納得できる普遍的な着地点を悟っていく。言わば法廷モデルとも言えるわけだけれど、過去の思想を破壊的に更新していくというのも、過去のテクストとの対話を通して真理に至ろうとするということと同義だろう。そうした点において、西洋の思考傾向というのはひらかれていると言うか、誰しもが真理に至ることができるというような信念がその底にはあるように思うのだが、それに対して東洋のそれは密教型と言うか、まさしく少数のエリートが秘密的に真理を悟ってしまうと言うか、真理はごく一部の訓練された習熟者によって体現され、伝えられるというような違いがあるのだよなとそんなことを思い起こしていた。また、先ほど出た「超越的な無」に関連して、仏教や禅宗なんかはそういった「無」の概念を捉えてきたのではないかとも思ったが、このあたり全然詳しくないので発言はしなかった。
 哲学の話はそんなところだろう。ほかに何を話したのか全然覚えていない。それなのでどんどん次の事柄に行こうと思うが、途中、会話に、と言うか通話上ではなくてグループのチャット上に、誰か知らない、新しい人が現れた。Yさんが追加したわけではなかったようで、一体誰だろうと見守っていると、Y.Cですとの発言があったので、まったく予想していなかったこちらは笑ってしまった。Yさん――Yさんと同じYで被ってしまうので、この日記ではCさんと表記しようと思うが――そのCさんは、Twitterでこちらにもよくリプライを送ってきてくれる方で、たびたび会話をさせていただいており、こちらの日記にも良い評価を持って読んでいただいている方である。それで、Cさんは実際に話すことはしないと事前に聞いていたので、通話に出るだけ出て、ミュートにすれば喋らなくて済む、チャットで参加してくださいと発言をしておき、それからCさんが実際に参加してくるまではいくらか時間が掛かったのだが、ともかく彼もしくは彼女も――一体どちらなのか未だ判断がついていないのだ――こちらは女性だと思っていたのだが、YさんはCくんは男だよと言う――我々の会話を聞きながら、時折チャットで発言することになった。
 それで肝心の会話の内容をまったく覚えていないのだけれど、途中で課題に目処がついたらしいNさんが戻ってきたので、『族長の秋』を読みはじめたらしい彼女に、今どこまで読みましたかと訊いた。すると、パトリシオ、という言葉が返ってきたので、ああ、パトリシオ・アラゴネス、と受けた。一章の途中である。それで、どうでしたか感触と言うか、と尋ねると、読む前はもっと固い、難しいような小説だと思っていたのだけれど、そうではなくて、思っていたよりもするすると読めるという返答があったので、それは良かったと受けた。でも、三人称とか色々あるんですよねと訊くので、三人称と一人称が混在したりというのがありますねと受けると、そのあたりで読みづらくなるかもしれないと言うので、まあ流れに身を任せるような形で、とこちらは軽く返答した。
 零時も過ぎ、一時が近くなると、メンバーも減っていき、こちら、Yさん、Aさんの昨日も三時半まで話していたつわ者たちもしくはYさん言うところのサイコパス候補の連中に、Nさんが加わった四人になった。Nさんは大学が明日一限からあると言い、通学にも一時間半だか掛かるという話だったので、何で今ここにいるんですかと突っ込んで笑った。それで、話していると、途中でYさんがビデオを使って自室の紹介を始めた。飼っているハムスターや蛙などの動物、蛾の標本、それにずらりと棚に並んだ海外文学やら岩波文庫やら講談社学術文庫やらの著作群である。こちらが棚にある書籍群を順番に映すように頼むと、彼はその求めに応じて携帯を棚の前でゆっくり左右に推移させてくれた。ここは図書館なんだと彼自身もよく言っているが、まるで本屋のような品揃えだった。『マルセル・シュオッブ全集』の巨大な存在感を特によく覚えている。下段の方にはオカルティックな類の本――カバラーとか魔法についてとかのそれだ――もあり、「スピ活」をしていた時期のものだと彼は言った。そのほか、衣服の紹介などもあったのだが、印象に残っているのはやはりハムスターの動画で、小さな齧歯類がYさんの指から直接餌を貰って食べ、戯れている映像には皆可愛い、可愛い、と口々に言った。
 そのうちに通話の音声が段々と途切れるようになったので、一旦切ってもう一度掛け直しましょうとなった。そうすると音声の途切れは回復されたのだが、こちらのコンピューターは動作が鈍重になっていたので、一度再起動してきますと言って通話から抜け出した。そうしてコンピューターを再起動させ、そうしているあいだは『いま、哲学が始まる。』を瞥見しながら待ち、もう一度Skypeに戻ると、一時二〇分頃、Nさんが離脱していて、安心した。一限に遅れていないと良いのだが。それで残ったいつもの――いつもと言ってもこの三人のみで話すのはまだ二回目だと思うが――サイコパス野郎どもで会話を続けているあいだ、ここにいる三人は皆感情がやや薄いと言うか、何事にも驚かず、動じることがなさそうだという話になった。Yさんは離人症の気がある。こちらも昨年はまったく何も感情の動きが感じられないという状態に陥ったし、それ以来以前よりも情動方面は多少鈍くなったような感じがある――もっとも、瞑想をやっていたこともあってか、元々基本的に驚かず、平静を保っているような性分だったけれど。Aさんは、一見落ち着いていながらも屈託なく育ってきた感じが窺われるような明るめの方なのだが、それでも小中の頃などは多少いじめにあっていたこともあったようで、そうした体験と関連しているのか、彼女の性分として、「信じる」ということがよくわからない、何かを全面的に信頼するということがなくて、自分の信頼は最高でもせいぜい六〇パーセントくらいなのだと話した。それだから、信頼していた物事に裏切られることがあっても、ああやっぱりな、というような感じで、平静に受け止めることができるのだと言う。
 そんな話をしたあと、二時に至って、こちらはもう眠りますと言って会話を抜けることにした。それとももう皆、解散しますか、と訊くと、しかしYさんが幼い駄々っ子のような調子で、やだ! と口にし、まだ話したいと言うので、それではあとは残った二人でどうぞと言ってこちらは、ありがとうございましたと礼を述べながら通話をあとにした。それでチャット上でもいつも通り、今晩もまたありがとうございましたとのメッセージを送っておき、それからコンピューターを閉ざした。三時頃まで本を読もうと思っていたのだが、何となく眠気の匂いがあったと言うか、わりあいスムーズに眠れそうな気がしたので、もう明かりを落として布団にもぐりこんでしまった。それで実際、結構速やかに眠りに就いたようである。


・作文
 6:45 - 7:03 = 18分
 7:09 - 8:04 = 55分
 13:55 - 14:11 = 16分
 16:53 - 17:09 = 16分
 21:05 - 21:37 = 32分
 21:55 - 23:05 = 1時間10分
 計: 3時間27分

・読書
 4:35 - 6:40 = 2時間5分
 8:41 - 9:59 = 1時間18分
 10:37 - 11:51 = (30分引いて)44分
 14:40 - 16:28 = 1時間48分
 16:33 - 16:45 = 12分
 計: 6時間7分

  • 金原ひとみ『アッシュベイビー』: 131 - 177(読了)
  • 『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』: 2 - 132
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-05-05「大局にたてばおおよそ千年間やむことなしに降り続く雨」

・睡眠
 4:05 - 4:35 = 30分

・音楽