2019/5/26, Sun.

 四時五五分になって自然と夢のなかから浮上した。布団のなかの身体が汗だくだった。それで布団を剝ぎ、寝間着のズボンを捲ったり肌着のシャツも少々引き上げたりして、汗ばんだ肌を外気に晒した。五時近くでもうよほど明るく、身体を起こして窓の向こうを見やれば、東南の空の際にはゼニアオイ色はもはや見られず、漂白されたような朝陽の暖色が揺らめいていた。臥位に戻ってみれば、西の方面に入りの月がうっすらと、控え目に埋めこまれたように映っている。汗が引くとふたたび布団を被って一応眠ろうとはしてみたものの、予想していたとおり眠気が訪れる気配が露ほどもないので、五時一五分頃になるともう起き上がってしまい、コンピューターに寄ってスリープ状態を解除した。そうして前日の記録を付け、日記を書き出したのが五時二〇分、さほど書くことはなかったのですぐに仕上げてこの日の分も短くここまで綴ると五時三五分である。眠る前に鼻が詰まっていたのはおおよそ解消されているが、声の方はまだ治っていないようだ。そして、腹が減っている。熱がないらしいのが幸いなことだ。
 前日の記事をインターネット上に公開すると、上階に行った。居間の東窓のカーテンを一枚ひらくと、その裏に隠されていた白い幕が太陽の光を受けて仄かに温まっており、レース編みに濾された陽射しがテーブルの上を斜めに横切って影と明るみの絵柄を作る。南窓のカーテンもひらいておき、それから台所に入って、溢れんばかりになっていた食器乾燥機のなかを少々片付けたあと、ハムと卵二個を冷蔵庫から取り出した。フライパンに油を引いて少々熱してからハムを一枚ずつ剝がして放り落とし、その上から卵二つを割り落とした。そうして僅かに加熱して黄身が固まらないうちに、丼によそった米の上に取り出し、卓に就いた。醤油を掛けて黄身を崩して米と搔き混ぜ、一人で黙々と食事を取るとさっさと使った食器を洗って下階に帰った。
 時刻は六時だった。Mさんのブログを読むことにした。コンピューターの前のスツール椅子に腰掛けて一時間、六日分の記事をゆっくりと読むと、そろそろ両親も活動しはじめたし良いだろうというわけで、音楽を流しはじめた。いつもながらのFISHMANS『Oh! Mountain』である。そうしてベッドの上に乗ってティッシュを一枚敷き、足の爪を切る。切って鑢を掛けているあいだ、窓から射し込む陽射しが午前七時だと言うのに既に液体質の粘つくようなもので、汗が湧いてきた。爪とその粉を受けたティッシュを丸めて捨てると、それから今日の読書会に着ていく服を見繕って、次々に着替えてみて独りファッション・ショーのような様相を呈した。Tシャツを着るのだったら上にカーディガンでも羽織らなければ様にならないが、生憎と良いアイテムがない。一つはユニクロのブルーもので、それは冬用なので今日着るにはもう暑いし、もう一つも滋味深い海を思わせるような青々とした色のなかなか良い品だが、もう古いものである。Tシャツに合わせるとしたら後者で、あるいはフレンチ・リネンの青いシャツを着ていくという選択肢もあった。その場合、下はガンクラブ・チェックのズボンでも良いし、この青シャツとともに買ったオレンジっぽい煉瓦色のズボンでも良いが、色味の鮮やかさからするとやはり後者だろうか。色々と着てみてから一旦ジャージの格好に戻り、そうして七時半過ぎから読書を始めた。まず英文、Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionである。辞書で単語を調べ手帳にメモを取りながらそれを一〇頁余り読んで、そののち九時前から小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』に移行した。クッションに凭れて脚を伸ばすと丁度その伸ばした脚の位置に光の矩形が重なって暑く、途中からジャージを大きく捲って脛を露出させた。動いておらずとも肌に汗が滲んでくる今日も夏日だった。
 一〇時半から一一時まで三〇分ほど、枕に頭を載せて意識を曖昧にしていたようだった。そうして読書を切り上げると、上階に行った。便所で真っ黄色な尿を放出し、それから台所に入ってカレーを食べようかなと母親に言うと、流水麺の蕎麦にしなと言う。そのほか、茄子を炒めることとなった。それで大きく色濃い茄子二つを切り分け、笊に入れて水に浸け、そのようにして灰汁を抜いているあいだは卓に移って新聞をめくりながらいくらか時間を過ごし、台所に戻るとオリーブ・オイルをフライパンに垂らして炒めはじめた。蓋をしつつ、時折りフライパンを振って搔き混ぜながら炒めて完成すると、今度は流水麺を水に晒して洗い、そうして食事の準備は整った。卓に移って一人で先にものを食べる。麺つゆが「にんべん」の「ゴールド」と名前に冠されたもので、高いものだから節約して使いなと母親は言ったのだが、そのわりにあまりぱっとしないような味だった。それでも文句を言わずに安っぽい蕎麦を啜り、茄子を食い、母親が即席で作ってくれた胡瓜の和え物も齧って、食事を終えるとさっさと皿を洗った。それから風呂も洗って下階に戻ってくると、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)とともに日記を書きはじめて現在正午が目前となっている。一時前には家を出なければならない。
 服を着替えた。まず、ガンクラブ・チェックのパンツを身につけ、Tシャツ二枚と海色のカーディガンを持って上階に上がった。仏間に入ると先日買ったカバー・ソックスを履き、その次にまず、赤褐色の幾何学的な模様のTシャツを着た。そうして玄関の大鏡に映して調和を吟味したあと、モザイク状の抽象画めいたプリントのTシャツに替えて同じように映し、こちらを着ていこうと決定した。そうして自室に戻ると、出かけるまでに一時間弱の時間が余っている。前回の読書会以来、この一か月間に読んだ本をリュックサックに入れた。ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』、金原ひとみ『アッシュベイビー』、『いま、哲学が始まる。 明大文学部からの挑戦』、岸政彦『ビニール傘』、岸政彦『断片的なものの社会学』、ジェイムズ・ジョイス/米本義孝訳『ダブリンの人びと』、ジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』、それに今読んでいる途中のMichael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introductionに、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』である。こうして数えてみると、九冊もの本を収めていたわけである。それから財布や携帯なども入れてしまい、その後の時間で出発までに何をするのか迷ったが、また短歌でも作るかというわけで『岩田宏詩集』をひらいた。それで作歌を試みたが、頭のなかの言葉が定型の音調にうまく嵌まらない気配だったので、作詩に移行した。一連を三行ずつと決めて適当にイメージを膨らませて作ると、一二時四五分ほどに達した。完成させた詩をTwitterに投稿したあと、短歌も三つ、さっと適当に作った。

 放課後の田舎娘が通せんぼする
 目くるめく蛍光灯の嵐のなかで
 彼女の青白い額は孤独な島のように照り輝く

 あれは小夜曲か 夜想曲か 狂詩曲か
 不穏な闇の不安な匂いのなかで
 倒れながら踊る娘の肉体の真っ白な影絵

 手に触れるものすべてが
 夢よりも確かで現よりも朧なとき
 彼女の声はささめきよりも弱々しい悲鳴と化す

 さあ 唄を歌おう
 ただし街に向かってはいけない
 ごろつきどもの集まりに火の矢を投げかけてしまうから

 風がカーディガンの裾を翻す
 娘は欠伸を漏らしたあとふたたび踊りはじめる
 その肉体に身震いしながら僕ら 唇を噛みしめる

 路地裏をばかり選んで闊歩する後ろめたくて表に出ない
 儚くて今日も今日とて徘徊す臨終までに地図を埋めたい
 誰も彼も死ぬというのにこの世には挽歌もなけりゃ終末もなし

 そうしてリュックサックを持って上階へ行った。玄関に出て、もう一度鏡にTシャツ姿を映して吟味しているとちょうど父親が帰ってきたので挨拶をした。カーディガンは羽織らずに、リュックサックに収めて持っていくことにした。何しろ暑い日であり、北海道は帯広で三八度を観測したとかTwitter上でも騒がれていたのだ。Brooks Brothersのハンカチをパンツのポケットに入れて出発した。
 道の上に染み渡る陽射しに触れたそばから汗が湧きはじめた。前方、道の奥には車が停まっており、こちらを向いたそのフロントガラスに純白の――と言うよりは真空めいて色という構成要素を剝ぎ取られたかのような光球が、ガラスのなかは狭いと言わんばかりに大きく厚く膨らんでいる。その車の脇を過ぎるとまた日向がひらいていて、額や頭頂に掛かる陽の重さ、頭がくらくらしては来ないかと恐れられるような類のそれに、これでは倒れる人も出るだろうなと思った。木の間の坂に入ってまもなく、腕時計をつけてくるのを忘れたことに気がついた。木屑の散らばったなかを上っていくと、木蔭のなかに日溜まりが蜂の巣状になって円々とひらいている。出口に掛かって頭上に樹木がなくなると、ふたたび重い陽射しが伸し掛かってきて、それに動きを停滞させられるかのようにのろのろと坂を抜けた。
 駅に到着した。一〇分ほどの行程で既に汗まみれである。ホームの屋根の下で携帯を取り出して日記を書きはじめてまもなく、電車がやって来た。屋根の下から出て乗り込み、扉際でメモを続ける。青梅に着くと乗り換え、携帯を右手に掴んだままホームを移動し、二号車の三人掛けへ入った。車内は冷房が利いていて、汗の水気で助長されるその涼しさがなかなか鋭かった。シャツの背がべったりと貼りつくのを避けて前屈みになりながら携帯を操作する。カーディガンを羽織ろうかとも思っていたのだが、じきに汗が引いてくると涼風にも慣れた。それでいつものように勿体ぶって脚を組みながら引き続きメモを取る。拝島で停まっているあいだに現在に追いついた。
 その後は手帳を読み返しながら到着を待った。立川に着くと座席に座っていた人々もすぐに立ち上がって一斉に降りていき、乗ってくる者を別にすれば車両内に残ったのはこちらだけとなった。人々は、何故あんなにも行動を急ぐのだろうか。こちらは少々のあいだ手帳を読み続け、階段口に人の気配がなくなったところで降車し、広々とスペースの空いている階段を上り、改札を抜けて北口方面へと曲がった。広場に出る手前の階段に折れて下り、LUMINEの前を通り過ぎると、車椅子の女性が通り掛かって、何故だか頻りににやにやと笑っていた。過ぎて進み、通行整理員が、お渡りになる方はどうぞ、と声を張っている横を短く渡り、さらに進んでビルに入って二階へ階段を上った。銀座ルノアールに入店した。店内を見回したが、AくんとNさんはまだ到着していなかった。レジカウンターの後ろから出てきて、煙草はお吸いになりますかと声を掛けてきた初老の男性店員に、がらがらの声で吸いませんと答え、手近の四人掛けに入った。隣の椅子にリュックサックを置いておき、メニューを見ていると店員が水とおしぼりを持ってきたので、クリーム・ソーダを注文した。そうして、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』を読みながらAくんたちが来るのを待った。
 彼らはまもなく、ちょうど二時頃にやって来た。挨拶し、風邪を引いたと言って笑う。体調を慮られるのに、大丈夫、声はがらがらだが喉が痛いわけではない、苦しくはないと応える。二人が入ってきたのを店員は見逃していたのか、水とおしぼりが出てこなかった。しばらくして注文の品を決めた二人が店員を呼び、オーダーとともに水を頼むと、すみません、すぐにお持ちしますと女性店員は恐縮してみせた。ちょっとおどおどしているような感じの人で、彼女を見るといつも、優しく見守ってあげたくなる。その彼女が何やら困惑した様子で黙って立ち尽くしていたので、気づき、あ、僕はもう頼みました、と言った。
 しばらくすると飲み物が届いた。クリーム・ソーダは液体の量が多すぎたのか、アイスクリームが溶けてそれがグラスの外側に白く垂れついていた。届けてきた店員のいる前で即座に拭いては批判しているように取られようと配慮し、彼が去ってから密かにおしぼりで汚れを拭った。そうしてまずアイスクリームを食べようとしたのだが、スプーンでアイスを突くとふたたび白い液体がグラスの上端を越えて細くつーっと垂れてしまったので、またもや拭い、まず液体の量を減らそうとストローで化学的な緑色のソーダを吸った。
 『ダブリンの人びと』あるいは『ダブリナーズ』の話。ちくま文庫の米本義孝の方はこちらとしては訳があまり気に入らなかった、二〇〇八年の訳にしては古めかしいと言うか、それを措いても、どこがどうと正確に指摘するのは困難なものの、日本語としての精度が低いように感じられたと言った。Nさんも訳が固いと感じたようだ。それでこちらはわざわざ、柳瀬尚紀訳を買い足してそちらも読んだわけだ。『フィネガンズ・ウェイク』って知ってる、とAくんに尋ねた。Aくんは初めわからなかったようだが、前に本屋で紹介したことがあると思うけれど、あのジョイスの、滅茶苦茶というか訳がわからないやつで、と言うと、ああ、と思い出したので、この訳はあれを訳した人の翻訳なのだと言った。時系列を無視してのちのちに話したことを先に書いてしまうが、米本義孝訳では「オムツ新教徒やーい!」と訳されていたプロテスタントに対する侮蔑・からかいの言葉を、柳瀬尚紀は「メソジスト」に掛けて「めそ児[じ]ッたれ!」と創造的と言うほかない訳出に仕立てているのだと紹介した。そのほか、「執達吏」という言葉に「ひったくり」というルビを振っているテクニックなどにも言及した。
 『ダブリンの人びと』は、最後の「死者たち」あるいは「死せるものたち」の終盤を別とすれば、こちらにとっては特段に注目するべき箇所の見当たらない、地味な作品だった。それで全体に地味な作だとは思った、あまり書き抜きたいと思ったところもなかったと述べると、Nさんもあまり面白く読めなかったようで、いわゆる純文学を読むとままあることなのだけれど、どうしてこれが評価されているのかわからなかったと言った。今回ばかりはこちらも、その言に幾許かの共感を表明した。そこからNさんは、詩というものを読んでも、純文学的な小説と同じように評価の基準がわからないと漏らした。と言うのは、ちょうど昨日、他人の詩を読む機会があったのだと言う。――確か昨日、と言っていたと思うが、泊まったようなことを行っていたので、もしかしたら一昨日とかだっただろうか? 忘れてしまったが、ともかく、その詩を読まされた相手と言うのは、あれはおそらく大学の後輩なのだろう。Nさんはサッカー部のOGとして大学のクラブの活動に未だにたびたび参加している。その関係の後輩という話だったと思うのだが、件の人は一八歳でありながらNさん曰く「アル中」であり――酒を瓶から直接、いわゆる「喇叭飲み」する人を初めて見たと彼女は語った――なかなか「アウトロー」なタイプの人間であるらしく、彼女はそれを「紙一重」の人間と形容した。話を聞いていると、今どき珍しい、無頼派じみた人間であるらしい。それでその後輩が詩を書いていて、深夜の零時頃になって唐突にそれを読まされたと言うのだが、Nさんとしては、良いなと思うフレーズのようなものはあったものの、それ以上の感想が出てこなかった。Nさんが見るところ、それに対して相手は不満だったのかもしれず、本当はもっとその裏にある「思い」などを読み取ってもらいたかったのだろうと言う。自分はそれに充分に応えることが出来なかった、そもそも詩というものを読む時の評価基準がわからず、ここが良いな、くらいの感想しか持てないとそういう話だった。こちらはそれに答えて、それで良いと思う、自分も詩の読み方など皆目わからず、このフレーズ格好良いな、くらいの意識でしか読んでいない、要は音楽を聞くようなものだという風に話した。
 そこからいわゆる文学や芸術というものがどのように評価されるのか、その社会のなかにおける位置づけ、近年の人文学系学問や芸術という分野の肩身の狭さなどについても語られたのだったが、これに関してはよく内容を覚えていないので割愛する。先に『ダブリナーズ』の話に戻っておくと、こちらが良いと思ったのは「死せるものたち」の終盤だと説明した。ゲイブリエルが、歌に耳を傾けている妻の姿を目にして、若かりし頃に戻ったかのように改めてその美しさを感得し、それで感情が猛烈に高まってしまい、それに従ってこれから愛を交わそうという時になってしかし、妻は先ほどの歌に聞き入っていた時間のあいだ、昔の恋人のことを思い出していた、ということが判明する。それを受けてゲイブリエルは、当然不満や怒りや嫉妬を覚えるわけだが、そこで終わってしまえば凡百の小説なのだとこちらは言い、しかしジョイスはそこから、眠る妻の姿を眺めるゲイブリエルに、自分のなかに「愛」とも名付けるべき感情があることを自覚させるところまで進む、そうした感情の機微を描いているところが、やはり小説だなと思ったと述べた。Aくんはそれに対して、いきなり「愛」という言葉が出てくるのが、若いなと思った、と言った。青臭い、とこちらが言い換えると、そうそう、と彼は受けて、ゲイブリエルが何歳なのかはわからないけれど、三〇代後半くらいだとすると――多分設定上はもう少し年嵩なのではないかと思うが――その歳の主人公が唐突に口にするには、「愛」という語は青臭い、でも、「死せるものたち」をジョイスが書いたのは二五歳の時だから、そう考えると納得が行く、というようなことを言った。それに応じてこちらはさらに、この「愛」の対象が肝心なところなのだと説明を展開した。まず、該当部分を引いておくと――訳は柳瀬尚紀のものに依る――「傍らに寝ているこの女が、ずっと長い間、生きていたくないと告げたときの恋人の目の面影をどんなふうにして心の内にしまいこんでいたのかと、彼は思った。/寛大の涙がゲイブリエルの目にあふれた。己自身はどんな女に対してもこういう感情を抱いたことはなかったが、こういう感情こそ愛にちがいないと知った」である。ここにおいて、「寛大の涙」が向けられている相手、「愛」と言うべき感情の行き先こそが問題であるわけなのだが、それは普通に読めばおそらくゲイブリエルの妻グレッタだということになるだろう。しかしこちらがここを読んで理解したところでは、この「寛大」さと「愛」が差し向けられているのは、妻グレッタのかつての恋人、すなわちゲイブリエルの恋敵であるマイケル・フュアリーであるようにも思えるのだ。むしろ、ここの記述は、情動の対象がどちらとも取れるように書かれているのかもしれない。これらの感情は、自分の妻と恋敵の双方に同時に向けられているのであり、ジョイスの描写は感情の行き先がどちらなのかを問うことは意味をなさないという水準にあると言うべきなのかもしれない。こちらとしては後者の読みを是非とも採用したいと思うのだが、そのように、先ほどまで嫉妬や刺々しい感情を覚えていた当の相手に対して、打って変わったほとんど虚無的な冷静さのなかで突然に「愛」を自覚するというダイナミズム、この動勢こそが小説という芸術形式の賭け金であるように思われたのだ。その「愛」は同時に「追悼」のような感情でもあるのではないかと推測するが、いずれにせよ、ここで起こっていることは一種の「啓示」であり、感情の「浄化」である。若くして亡くなった妻のかつての恋人に対する「愛」と「追悼」を「啓示」のようにして突然に認識する――そのように読んでこそ、その一文あとの、「涙がなおも厚く目にたまり、その一隅の暗闇の中に、雨の滴り落ちる立木の下に立つ一人の若者の姿が見えるような気がした」という記述にも滑らかに繋がるように思う。雨のそぼ降る暗闇のなかに立ち尽くすこの影は、言うまでもなくマイケル・フュアリーのものである。既に死者の領域にある彼の姿を想像しながら、ゲイブリエルの「魂は、死せるものたちのおびただしい群れの住うあの地域へ近づいて」いく。そうして雪が降り出すのだ。アイルランド全土に、「生けるものと死せるものの上にあまねく」、深々と降り積もる雪の白い風景に包まれながら、「彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった」と小説は結ばれる。ここでは死者の姿を想像的に夢見ながら、ゲイブリエル自身も美しく白い死の領域へと入りこんでいくかのような描かれ方が成されている。それよりも前の箇所では、彼はジューリア叔母の死を思いながら、叔母だけでなく自分自身も含めて「一人、また一人と、皆が影になっていくのだ」と虚無的な思いに打たれているのだが、それもなかなか魅力的な静謐さであり、ここにこちらは『マクベス』の終盤に主人公が漏らす台詞との響き合いを感じ取った、とも述べた。
 こちらは途中、一度トイレに立った。戻ってくると、二人は次回の課題書は詩にしようかと話していたところらしかった。Nさんが前日の体験から、これを機にいくらかなりとも詩というものに触れてみたい、詩というものを読む時の基準を見出したいというような気持ちになったようである。彼女はエミリー・ディキンソンの名を口にした。それも前日に会った「アル中」の「アウトロー」である後輩が名を挙げていたらしい。こちらは勿論了承して、そう言えば自分もちょうど昨日、生まれて初めて詩を書いたと話した。タイムリーだねと言い、ブログに載っているので読んでいただければとAくんに告げ、まあでも全然大したものじゃないけどね、素人のものなんでねと笑った。
 後半はこちらが持ってきた本の紹介がなされた。話が盛り上がったのは岸政彦『断片的なものの社会学』を紹介した時である。この本のなかからこちらは特に二箇所で書かれていた内容についてその一部を――がらがらの錆びついた声で――音読しながら紹介したのだが、該当箇所の付近を、長くなるが下にまず引いておこう。

 さきにも書いたが、小学校に入る前ぐらいのときに奇妙な癖があって、道ばたに落ちている小石を適当に拾い上げ、そのたまたま拾われた石をいつまでもじっと眺めていた。私を惹きつけたのは、無数にある小石のひとつでしかないものが、「この小石」になる不思議な瞬間である。
 私は一度も、それらに感情移入をしたことがなかった。名前をつけて擬人化したり、自分の孤独を投影したり、小石と自分との密かな会話を想像したりしたことも、一度もなかった。そのへんの道ばたに転がっている無数の小石のなかから無作為にひとつを選びとり、手のひらに乗せて顔を近づけ、ぐっと意識を集中して見つめていると、しだいにそのとりたてて特徴のない小石の形、色、つや、表面の模様や傷がくっきりと浮かび上がってきて、他のどの小石とも違った、世界にたったひとつの「この小石」になる瞬間が訪れる。そしてそのとき、この小石がまさに世界のどの小石とも違うということが明らかになってくる。そのことに陶酔していたのである。
 そしてさらに、世界中のすべての小石が、それぞれの形や色、つや、模様、傷を持った「この小石」である、ということの、その想像をはるかに超えた「厖大さ」を、必死に想像しようとしていた。いかなる感情移入も擬人化もないところにある、「すべてのもの」が「このこれ」であることの、その単純なとんでもなさ。そのなかで個別であることの、意味のなさ。
 これは「何の意味もないように見えるものも、手にとってみるとかけがえのない固有の存在であることが明らかになる」というような、ありきたりな「発見のストーリー」なのではない。
 私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。そしてその世界にひとつしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである。
 (岸政彦『断片的なものの社会学朝日出版社、二〇一五年、20~21)

 多数者とは何か、一般市民とは何かということを考えていて、いつも思うのは、それが「大きな構造のなかで、その存在を指し示せない/指し示されないようになっている」ということである。
 マイノリティは、「在日コリアン」「沖縄人」「障害者」「ゲイ」であると、いつも指差され、ラベルを貼られ、名指しをされる。しかしマジョリティは、同じように「日本人」「ナイチャー」「健常者」「ヘテロ」であると指差され、ラベルを貼られ、名指しをされることはない。だから、「在日コリアン」の対義語としては、便宜的に「日本人」が持ってこられるけれども、そもそもこの二つは同じ平面に並んで存在しているのではない。一方には色がついている。これに対し、他方に異なる色がついているのではない。こちらには、そもそも「色というものがない」のだ。
 一方に「在日コリアンという経験」があり、他方に「日本人という経験」があるのではない。一方に「在日コリアンという経験」があり、そして他方に、「そもそも民族というものについて何も経験せず、それについて考えることもない」人びとがいるのである。
 そして、このことこそ、「普通である」ということなのだ。それについて何も経験せず、何も考えなくてもよい人びとが、普通の人びとなのである。
 (170)

 学生を連れてよくミナミのニューハーフのショーパブに行く。だいたいいつも、女子学生が大喜びする。ああいう空間では、むしろ女性のほうが解放感を感じるようだ。あるとき、ショーの合間にお店のお姉さんが、女子学生が並んだテーブルで、あんたたち女はええな、すっぴんでTシャツ着てるだけで女やから。わたしらオカマは、これだけお化粧して飾り立てても、やっとオカマになれるだけやからな、と冗談を飛ばした。
 私は、これこそ普通であるということだ、と思った。すっぴんでTシャツでも女でいることができる、ということ。
 もちろん私たち男は、さらにその「どちらかの性である」という課題すら、免除されている。私たち男が思う存分「個人」としてふるまっているその横で、女性たちは「女でいる」。
 (171)

 一番上の箇所に関しては、この、「世界中のすべての小石が、それぞれの形や色、つや、模様、傷を持った「この小石」である、ということの、その想像をはるかに超えた「厖大さ」」を知り、実感し、それに思いを馳せるということが言わば芸術家であるということなのではないかとこちらは話した。そうした世界の豊穣さを知るということは、先に話されたNさんの後輩のエピソード関連でも出てきた。彼女曰く、その後輩は「詩はコミュニケーション」だと言っており、Nさんに対して何かを伝えたく、自分が試作に籠めた何らかのものを理解してもらいたかったようなのだが、それに対してこちらは、コミュニケーションは勿論結構だが、それは結局のところ自己表現ということだろう、しかし自己表現など大方大したものではないのだと突き放したように語った。自己などというものは世界が途方もなく豊かであるのと同じ意味で途方もなく貧しいものであり、言ってみれば屑みたいな、塵みたいなものである。自己表現も結構だけれど、あまり自己というものに耽溺しすぎると、自己のその周りにある世界というものの豊かさを見落としてしまうことになりかねない、とこちらは言ったのだった。
 二つ目と三つ目の箇所に関しては、その一部を音読しながら、これは本当にその通りだと思った、自分で言えばパニック障害の経験があるから、それを考えればよくわかると言った。そうした話の流れで、同性愛やLGBTの人々のことが話題に上りもして、こちらは昔に友人から、女性と付き合う気配の一向に生まれないお前はゲイなのかと思ったと言われたとエピソードを紹介して、そうした言明が「笑える」冗談になるという事実それ自体に、この社会の一種の縮図が現れていると言うか、同性愛者の人々が置かれている社会状況の一端が垣間見えているように思えたと話した。「お前、ゲイなの?」という発言が冗談になりうる一方で、「お前、ヘテロなの?」という言明が冗談になることは決してない。同様に、「在日韓国人」というレッテル貼りが存在するとしても、日本国内において「日本人」というレッテル貼りは存在しないということだ。勿論、例えば外国に行った場合などは、この「日本人」という国内においては透明な属性が一つのレッテルとして機能するようになることもあるわけだが。
 そうした流れで、驚くことに、Nさんがバイセクシュアルであることが明かされた。と言っても、彼女自身そのように強く自認してアイデンティティを持っているわけではなくて、大学時代に仲良くなった女性がレズビアンの人で、その人から愛情を伝えられて付き合っていたことがある、というようなことらしかった。それ以来、ほかに付き合いたいと思う女性と出会ってもいないと言うし、現在は男性であるAくんと付き合っているわけである。彼女は大学の仲間には比較的オープンにその事実を明かしてきたらしかった。と言うのも、彼女の通っていた(……)大学は、そのあたり雰囲気が寛容だと言うか、比較的明け透けな空気が醸成されていた場所らしく、周りにも結構同性愛者がいて、オープンに振る舞っていたのだと言う。サッカー部の仲間などはほとんど皆知っていたし、寮の仲間も知っていた。ただ一人、仲良くはしていたけれど、この人にだけは話せないなと思った相手はいたらしいが。それで言えばAくんも、中学時代から関係の続いている仲間のなかに一人、自分では言わないし、周りからわざわざ訊くこともしないけれど、多分ゲイなのではないかと思われる友人がいるのだと話した。もう二〇年近くの付き合いになるわけで、彼が実際にゲイだったとしても、それをカミング・アウトされたとしても、Aくんからすれば彼らの関係に何一つ変化はもたらされないと思うのだが、それでもやはり自分から尋ねるということはできないよね、と彼は言った。それはそれで良いのだと思う、と言うか、そうした、何と言うか、ただ静かに見守り、相手が向こうから自ずと言いたいことを言うのを皆で待つという人間関係は、非常に良いもの、貴重なものなのではないかという気がこちらにはした。
 どんな事柄でも同じだが、そして言うまでもない当然のことでもあるが、例えば同性愛者と一口に言っても、一般的にカテゴリカルに一括りにできるものなのではなくて、一人ひとりはそれぞれの差異を備えた固有の存在なのだ、という話もした。同性愛者と呼ばれる人々のなかには、例えば結婚を法的に認められて、言わば異性愛者の社会に「同化」したいという人もいるだろう。しかし他方では、例えば「クィア」と自認する人たちもいる。このあたりこちらは全然詳しくないし、それに関連する文献もまったく読んだことがないので、本来だったらそれについて語る資格など持ち合わせていないのだが、「クィアqueer)」という言葉がある、それは知っているかとAくんに問いを投げかけた。Aくんはそれを知らなかった一方で、意外にと言っては失礼に当たるものの、Nさんはこの言葉を知っていた。大学でジェンダー論の講義など取っていたのかもしれない。「クィア」というのは、「奇妙な」というような意味なのだけれど、要は「変態」ということで、一部のLGBTの人たちなどが、八〇年代からだろうか九〇年代あたりからだろうかわからないが、自分たちは「クィア=変態」なんだという形で、むしろ自分自身の周縁的な性自認を強烈なアイデンティティとして主張するようになったのだと説明した。そうした人々は、おそらくはむしろ、異性愛者がしているような「幸せな結婚」のモデルによる「承認」には反対するわけだろう。そのように、一口にLGBTと言ったって、非常に当たり前のことなのだが画一的な集団ではない。カテゴリカルに一律に定義できるものではないわけで、一人ひとりはそれぞれの好みや趣味嗜好や政治的傾向性といった固有性を備えたただ一人の人間なのだ。大きな政治のレベルではそれらのあいだにうまく調停をつけなければならないから難しいわけだが、非常に小さな私的な領域においては、つまり我々が個々人としてそうした人々と関係する場合においては、相手の固有性を尊重するということが実践の基本的な方針となり、それに尽きるのではないかとこちらは話した。そして、上に述べたこととも関連するわけだが、そうした他者の固有性を捉え、認識し、それを尊重して描き出すということは、芸術というものの一つの役割なのではないかということも言った。
 本来はもっと色々と話したのだったが、それを逐一充分に記録できない自分の能力の貧しさに不甲斐ない思いを覚える。しかし会話の記録はこれくらいにして、今は先に進むほかはあるまい。喫茶店に滞在していたのは四時半頃までだったかと思う。書店に行こうということで席を立った。Nさんがトイレに行きたいということで先に会計を済ませるからと伝票を持ってレジカウンターへ向かった。その後ろでこちらはAくんに、短歌作るの結構面白いよ、と話しかける。彼は、それは空想なのか、それとも自分の体験などをもとにしたものなのかと問うので、何と言うか、言葉からイメージの連鎖を膨らませるような感じだろうかと答えて、二番目に会計をした。クリーム・ソーダで七二〇円――高い! 一〇二〇円を払って女性店員に礼を言い、ガラス扉をくぐって店外に退出した。そうしてしばらくAくんとNさんを待って、合流すると階段を下りた。
 淳久堂書店の方に行くことになった。太陽を見上げながら駅舎方面に歩き、駅舎入口にあるエスカレーターに乗る。こちらが先頭だった。後ろを向きながら、自分は詩では岩田宏という詩人と、石原吉郎という詩人が好きだと二人に話した。それで駅前広場に出ると伊勢丹方面の通路へ。Nさんはアメリカのセレブリティが掛けるような大きなサングラスを掛けており、後ろを振り向いてそれを見ながら、めっちゃサングラスやん、とこちらは笑った。歩道橋を渡り、高架歩廊を行って高島屋に入館、エスカレーターに乗って数階上がり、淳久堂書店に踏み入ると、左折して詩のコーナーを見に行った。現代詩文庫というシリーズがあると喫茶店にいるうちに話してあった。『岩田宏詩集』も『石原吉郎詩集』も見事に揃っていたので、その二つを二人に紹介し、岩田宏のなかでは「神田神保町」という詩の、「やさしい人はおしなべてうつむき/信じる人は魔法使のさびしい目つき」というフレーズが好きだと言って、一時期ブログのタイトルにしていたこともあると話した。そのほか、長田弘を、この人の詩は優しげでわかりやすいと紹介したり、あとはやはり谷川俊太郎だろうなあなどと言って『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』を見せたりした。Nさんは長田弘が気になったようで、現代詩文庫の『長田弘詩集』を持って、その名前を記憶しようとしていたようだ。Aくんは選ぶ基準がわからないけれど、それでも何となく石原吉郎が良さそうだという結論に達したようだった。
 それから、岩波文庫の区画に、エミリー・ディキンソン詩集を見に行った。赤版のコーナーの前に達すると、AくんとNさんが早々と当該著作――亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集』――を発見し、見分を始めた。刊行年を訊くと、一九九八年だった。二〇年も前の刊行であるわけだが、ぱっと見た感じでは特に訳文に違和感はなかった。ハード・カバーでも何か出ていたように思うとこちらは言って、海外文学の方も見に行ってみるかと訊くと肯定の返事があったので、フロアを歩いてそちらに移動し、アメリカ文学の棚を見分したが、ディキンソン関連の著作は解説書が一つあるのみで、彼女自身の詩を収録した本は見当たらなかった。それで、先ほどの岩波文庫の『ディキンソン詩集』と、『石原吉郎詩集』が次回の課題書ということで良いのではないかと相成った。こちらとしても異存はない。それで、じゃあ俺はもうここで買ってしまうわと言って、海外文学の棚の前に残った二人と一時離れ、詩のコーナーに行った。そこで、『金井美恵子詩集』、『小笠原鳥類詩集』、谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』を買うことにした。小笠原鳥類という人は、名前は勿論以前から聞き及んでいたのだが、その詩の現物を目にしてみると、氾濫する言葉の感触がなかなか凄いように感得されたので買うことにしたのだった。それから岩波文庫の区画に移動して、『ディキンソン詩集』も手に取り、レジカウンターに向かった。締めて四三六八円。会計を済ませると近くの書棚の前に移ってきていた二人と合流し、退館に向かった。
 次回の日程を決めていなかった。退館後、通路を行きながらAくんとNさんの二人が話し合って、七月七日、七夕の日ではどうかということになった。Nさんはサッカーなどで色々忙しいようで、少しあとになってしまうが、こちらは異論なかった。そこで思い出して、エクセルシオール・カフェの前を通り過ぎたあたりで、そう言えば、と口にし、俺、職場に復帰しましたと報告した。お蔭様でと定型句を口にすると、何を教えているのかと来たので、英国社だと答えた。相手は小中高すべているが、基本的には中学生相手。色々ともどかしいことがあるでしょうとAくんが言うのに、あるね、と答えはしたものの、彼の言わんとするところの正確な意味はわかっていなかった。駅前広場を通過して、人波で溢れる駅舎に入ったあたりでAくんは追加して、Fは結構知識が豊富だけれど、それを全部伝えることは出来ないだろうから、話したいことを選んで話さなければならないだろうから、と説明した。しかし自分はそんなにものを知っているわけでもないし、相手は所詮中学生なので、伝えたいことが何かしらあるとしてもあまり通じるとは思えない。むしろ中国で学生に日本語を教えているMさんのように、例えば国語の授業などで文章から連想される脱線的なエピソードを話したりして生徒を楽しませたいと思うのだが、自分はそういうことは苦手で、そうした能力はどうもあまりないようである。Mさんのあの連想力と言うか、話題を次から次へぽんぽんと思いつく力というのはやはり一つの才能なのだ。
 改札をくぐると、AくんがNさんに、トイレに行っていいすかと言った。それでトイレの前に行って、そこで二人と礼を言い合って別れ、こちらは一人、一番線ホームに下りた。青梅行きは既に停まっていた。一号車に乗り込み、鷹揚に席に就くと、最初は携帯で日記を書こうかと思ったが心を変えて、小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』を取り出して読みはじめた。途中でこちらの隣には明るめの茶髪の若い女性が座った。彼女も文庫本を手に持って、集中してそれを読んでおり、こちらはその頁の上に時折りちらりと視線をやったが、何の本なのか同定することは出来なかった。小説ではあったようである。拝島でしばらく停まっているあいだ、空の彼方から西陽の光が斜めに射し込んで、こちらの持っている本の頁の上にふわりと宿り、手にも触れた。光に明るんだ右手の甲を眺めていると、あれは汗なのかそれとも肌の脂なのか、皮膚の細かな肌理の襞のなかに、塩の粒よりも小さな極小の液体が嵌まっているようで、それが光に感応して僅かに光るのが目に見えるのだった。その後の道程では、走る電車の外を流れていく家々の建物の合間、西南の空に、数千度の高熱を帯びた灼熱の鉄球のような太陽の姿が時折り露出した。そうして河辺に着いて降りると、ベンチに寄ってリュックサックを座席の上に置き、手帳に読書時間を記録してから歩き出した。ここでも線路のレールの上に落ちていく太陽の光が斜めに乗って、甘やかなとも言うべき琥珀めいた橙色に激しく焼けついているのが見られた。
 駅を出て歩廊を渡るあいだ、左方の果てに落日が見えるが、高度はもうだいぶ低く、その明かりは右方の、円形歩廊を挟んだ向こうのマンションに掛かるのみで、歩廊の上にはもはや宿らず、目を直接に射ってくることもない。歩廊の下の広場に立ったヤマボウシが花の盛りを迎えていた。図書館の入口前まで来ると、リュックサックから本を一冊ずつ取り出し、ブックポストに入れて返却していった。そうして黒点と化した鳥たちが空中を飛び交うその下で歩廊を戻り、駅舎の入口まで来ると、ここにはいくらか西陽の薄い照射があった。右方を見やれば太陽が山際に膨らんでいるが、それももうまもなく姿を隠してしまうはずだった。
 ふたたび改札を抜けてホームに戻り、立ったまま手帳を取り出し、読みながら電車を待った。まもなく電車がやって来ると乗り込んで南側の扉際に就き、手帳に目を落とし続ける。青梅駅に着くと奥多摩行きは既に到着していた。乗り換え、ここでも扉際に立ち尽くして、手帳に記された英単語などを確認し、最寄り駅に着くと降車して駅舎を抜けた。太陽の落ちた夕刻の、それでもまだまだ薄明るい初夏の空気のなかで、多少なりとも涼しくなった気温を感じながら帰路を辿った。
 帰宅したのはちょうど七時頃だったように思う。自室に戻って服を脱ぎ、リュックサックのなかの本類を取り出しておき、ジャージ姿になって上階に行った。食事のおかずは餃子、米がなくなったのでメインは素麺だった。プラスチック・パックに入った素麺を、鍋に用意された汁に放り込んで少々煮込み、丼によそった。そうして卓に就いて食事を取ったが、テレビが何を流していたのかはまったく覚えていない。父親は既に風呂に入って会合に出かけたという話だった。食事を終えると抗鬱剤ほかと風邪薬を飲んで食器を洗い、風呂に行った。風呂のなかでのことも特に覚えていない。出てきて下階に戻り、Skypeを確認すると、通話がなされていたので、八時過ぎから参加した。驚くべきことに、この日は昼間から通話が始まって、今までずっと続いているらしかった。よくもそんなに話すことがあったものだ。一体何を話していたんですかと訊くと、ゆるゆると、どうでも良いような雑談をしていたという答えがあった。通話にはEさんが参加しており、彼のマイクから、BGMとして流しているらしいヒップホップの音楽が薄く漏れていた。こちらは風邪っぴきのがらがらとした低い声で、今日は読書会だった、『ダブリナーズ』について話したが、こちらとしてはあまり印象深い小説ではなかったため、脱線している時間の方が多かったかもしれない、そのほか、岸政彦『断片的なものの社会学』などを紹介したと語り、次回は詩を読もうということになったと報告した。
 それから、Eさんが自作のフランス語の詩をチャット上に貼り、それを音読しながら意味するところを日本語で説明する時間があった。そのなかで印象的だったのは、彼が受けてきた数々の差別的な扱いで、例えばロシアに行った際など、警官に突然呼び止められてポケットのなかを見せるように求められた、それでどうしてかと尋ねると、お前は黒人だから、黒いから怪しいと言われたという話があった。また、フランスの学校でも進路相談のような時間があって、担当の教師についてもらって話をするらしいのだが、そこでも黒人には建築関連の仕事などが推薦される一方、白人には医者などの職業が推薦される、そのような形の差別的な扱いもあるということだった。Eさんは、自分はそれはおかしいと思う、白人にも建設の仕事を勧めるべきだと思う、と言った。こうした生々しいエピソードを聞くのは勉強になることだ。
 そのお返しというわけでもないが、こちらも前日に作った狂い鳴く鶯の詩と、この日の昼間に作って上記してある田舎娘の詩をチャット上に貼りつけた。Bさんは田舎娘の詩が好きだと言ってくれたので、これは、とりあえず三行ずつって決めて適当に作ったやつですと笑った。そこから確か詩の話になって、こちらは岩田宏という詩人の「神田神保町」が好きだとここでも繰り返すと、是非朗読してくださいとの反応があったので、手もとにちょうどあった『岩田宏詩集』を取って、最初の連と最後の連を低い声で音読した――そのあいだ、Eさんは夕食を料理していたようで、彼のマイクからは何やらがちゃがちゃ作業をやっている音が漏れていた。Aさんが、朗読はいいですよねと言い、自分は物心ついた頃からもう本を読みまくる子供だったので、普通は夜眠る前など、子供が親に絵本を読んでもらうようにせがむものだと思うが、自分の場合は親のところに行って、自分が読むから聞いてほしいと、逆のせがみ方をするような子供だったと話して、これは少々面白かった。
 その後、通話に途中から参加していたNNさんに、今読んでいるのは何ですかと尋ねた時間もあった。石川淳の『狂風記』だと彼は言った。石川淳も名前だけしか知らないで、それ以上の情報はなく、著作を一つも読んだことのない作家である。金井美恵子が若かりし頃、石川淳を一番よく読んでいたというようなことを自分で語っていた覚えがあって、それ以来多少なりとも気になっている作家ではある。『狂風記』はかなりロックな作品だとNNさんは言った。
 そうして一〇時に達したところで、こちらは日記を書かなければならないのでと言って退出した。そして、aikoの音楽をBGMに聞きながら、一時過ぎまで三時間ほど日記を綴ったのだったが、それでも喫茶店での会話の途中までしか書けなかった。そこで区切りとして一旦上階へ行き、戸棚から明星の「チャルメラ」(醤油味)を取り出し、電気ポットで湯を注いだ。それを自室に持ち帰り、インターネットを閲覧しながら食うと、汁をすべて飲み干し、容器をぐしゃりと潰してゴミ箱に放り込んでおき、それからベッドに移って読書を始めたのだったが、ほとんど読まないうちにいつの間にか意識を失っていた。気がつくと四時一〇分で、カーテンの裏がもう既に薄白く明るんでいたのだが、明かりを落としてそのまま就床した。


・作文
 5:21 - 5:35 = 14分
 11:39 - 11:56 = 17分
 22:18 - 25:13 = 2時間55分
 計: 3時間26分

・読書
 6:00 - 7:02 = 1時間2分
 7:38 - 11:04 = 3時間26分
 17:35 - 18:10 = 35分
 計: 5時間3分
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「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-05-18「幽霊がそこらにもしもいたならばきっと驚く独語の多さ」; 2019-05-19「石ころを手土産にするあなたには迎えにきてくれるひとがいる」; 2019-05-20「水鳥の風切羽にしたたる水滴が落ちるあなたの眠り」; 2019-05-21「火種とは子らの沈黙いたずらな犬の足取り視線の行方」; 2019-05-22「水星を背負って歩くけだものになりきることができればいいのに」; 2019-05-23「少しずつ夜になっていくあなたやぼくがいたりいなかったりする」

  • Michael Stanislawski, Zionism: A Very Short Introduction: 57 - 68
  • 小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』: 196 - 327

・睡眠
 2:45 - 4:55 = 2時間10分

・音楽