2019/9/4, Wed.

 宮本 それに対してオープンな、絶えず自分を新しくしていくナラティブもいろいろと考えられます。たとえば、死生学の渡辺哲夫さんのような、ナラトロジーのメソッドを用いる精神分析家に聞くと、日本の精神医療では、普通の精神分析医というのは患者さんに容体を聞くとき既に基準があって、この容体はこの基準に合っているからこの薬を出そうというのが多いみたいなんです。
 それに対して、ナラトロジーを使っている精神分析の場合は、ただひたすら相手の話を聞くわけです。渡辺哲夫さんに言わせると、ほとんどの統合失調症のナラトロジーの共通点は、自分は誰かに迫害されている、誰かに殺されるというのが基本的な筋だそうです。何度聞いても、手を変え、いろんな話の筋を変えて、同じような筋の話をするのです。ところがクライアントは、ある日突如として道を歩いていたら、誰か自分にほほ笑んだというような話をたまにするんだそうです。その言葉を、分析家はアンテナを鋭くして、逃さないようにして、相手に、「今日はあなた、ちょっと今までと違った話をしたね」と言うんだそうです。
 相手がほほ笑んだということを種にして、「新しい物語を作ってごらん」ということは絶対言わない。とにかく本人が新しい筋を自覚しなければならない。だからすごく時間がかかるわけですけれども、それをクライアントに言って、新しい自分の言葉とか、ナラティブを作っていくことで、新しい自分というものが成立してくる。そういうメソッドが精神分析学にも取り入れられているというわけです。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、92~93; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)

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 宮本 喩え話は、抽象的な話じゃなくて、日常頻繁に起こるようなテーマを題材に取って作られたものです。「善きサマリア人の喩え」ですと、標高800メートルくらいのエルサレムからエリコという地上で一番低い都市まで下りていった人が、途中で追いはぎに遭って、半殺しの目に遭い、そこに捨てられた。そこに神殿の務めを終えた祭司と、レビ人という祭司に似たような人が来るけれども、死体に触れると穢れてしまうから、同胞愛よりも宗教的な穢れというものを重く見て、穢れないように半殺しの人を避けて通っていってしまったという話です。そこにサマリア人が立ち現れて、サマリア人というのはユダヤ人の敵なのですが、にもかかわらず、半死半生のユダヤ人を助けるという話なんです。
 (94; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)

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 宮本 その言葉の力というものをさらに追っていくと、旧約聖書の神の名前に行き着きます。神の名前はエクソダス出エジプト記)に出てくるのですが、モーセが神の名前を尋ねると、神はエヒイェ・アシェル・エヒイェと答えました。エヒイェというのは一人称未完了単数です。アシェルというのは関係詞。エヒイェ・アシェル・エヒイェですから、エヒイェが二つあって、その真ん中をアシェルがつないでいるわけですから、これは翻訳不可能といわれている、歴史上、非常に難しい言葉です。
 エヒイェというのは未完了形ですから、たえず神が自分に自己完結しない、自分から出ていくことを意味しうるでしょう。では、このエヒイェ・アシェル・エヒイェは誰に向けられているかというと、エジプトの奴隷たちです。奴隷になっているヘブライの民。つまり、神にとって他者です。奴隷という二束三文の値打ちもない(もちろん奴隷というのはギリシャ・ローマ世界では財産なんですけれども)人たちは、エジプト王によって(この場合はファラオによって)ほとんど殲滅状態に置かれている。その他者に向かって神が自己から抜け出ていくという神の自己超出的構造を示しているわけです。その場合に、エヒイェという対他的エネルギーを体現しているのが神の助っ人として呼ばれるモーセという預言者であり、モーセの語る言葉も行為もエヒイェの体現であるわけです。
 (96~97; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)


 一〇時頃に一度覚醒したのだが、やはり午前四時近くまで夜を更かしているためか、身体が重く、起き上がれないままに切れ切れの夢を見ているうちに時間がするすると過ぎていき、一二時半を迎えたところでようやく呻き声とともに身を起こした。その直前、ちょっとした淫夢の類を見ていたようだ。それで股間が膨張していたので収まるのを待ちがてらコンピューターに寄って起動させた。Twitterを少々眺め、Skypeの方も覗いてから上階に行った。何となくうどんのような香りがした気がしたので、うどん? と問いながら階段口から居間に出たが、うどんではなくて茄子だと母親は答えた。台所に入ると、茄子と豚肉の炒め物、茄子の味噌汁のほか、調理台の上にはカレーパンやチョコレートのなかに仕込まれたパンの欠片、胡瓜を和えたサラダなどがあった。それらのうち、温めるものは温めて卓に移し、新聞を手もとに置いて食事を始めた。香港情勢についての記事や、APECの会合で韓国が日本批判をしたのに対し、議長国であるチリが韓国を嗜めたという報告であったりを読みながらものを食べたあと、水をコップに汲んできて抗鬱薬を服用した。セルトラリンももう二粒しか残っていなくて、普通に飲めば今回で尽きてしまうが、今日は医者に行く余裕はないので一粒のみを飲んだ。明日は労働がないので何とか午前中のうちに起きて医者に行かなければなるまい。
 母親の分もまとめて食器を洗ったあと、風呂を洗おうと洗面所に入ったが、すると母親が今洗濯をするからちょっと待ってくれと言うので、一旦下階に下りた。Twitterを覗くと(……)さん、(……)さんとのダイレクトメッセージ欄に(……)さんからの返信が届いていた。(……)さんの要望で、牧野信一に加えて町屋良平『愛が嫌い』を読書会の課題書に加えたいとのことだったのだが、(……)さんも二冊でも大丈夫ですと返答していた。こちらも二冊とも課題書にすることに異存はない。(……)
 FISHMANSCorduroy's Mood』を流して、"あの娘が眠ってる"や"むらさきの空から"を歌いながらこの日の日記を書きはじめていると、母親が部屋にやって来て、風呂を洗ってくれと言う。加えて、布団を車に運んでくれとも言うので、"むらさきの空から"を口ずさみながら部屋から出て両親の寝室に向かい、柿色の布団を身体の前に抱え込んで階段を上り、玄関を出て車の後部座席に運び込んだ。それから戻ると風呂を洗って、便所に入って糞を垂れたあと、下階に帰って"むらさきの空から"をもう一度歌い、そうしてArt Tatum『Piano Starts Here (Gene Norman Presents an Art Tatum Concert)』とともに日記の続きに取り掛かった。ここまで綴ると二時二〇分である。Twitterで(……)さんに近況を伺うダイレクトメッセージを送っておいた。
 そのまま九月一日の日記に入っても良かったのだが、何となく今日は先に(……)さんのブログを読んでおこうという気になって、八月二五日と二六日の二日分を閲覧した。それからしばらくだらけたのち、三時半頃からふたたび日記に取り掛かって九月一日の記事を進めている途中、Twitterを覗いてみると(……)さんという方が、交通事故で嗅覚を一時的に失った人間がそれを取り戻しはじめた時の記述として、次の文章を紹介していた。「そして匂いがひたひたと戻ってくるにつれ、着いたときには嗅覚環境が白紙だったニューヨークという街に、今まで見えなかった意味の層が現れた。街が新たな意味を持って脈打ちはじめたのだ」。この引用文がなかなか良いように思われたので、リプライを送って、よろしければ何という本からの引用なのか出典を教えていただきたいとお願いした。返信はすぐにあり、村田純一『味わいの現象学』からの孫引きだという言が送られてきた。さらに引用元は、モリー・バーンバウムという人の、『アノスミア――わたしが嗅覚を失ってから取り戻すまでの物語』という著作だと言う。大元の本は初めて知るものだったが、村田純一『味わいの現象学』の方は(……)の淳久堂書店の思想の棚に、表紙を見せて置かれているのを見てちょっと気になっていた本だった。それから(……)さんと少々やりとりを交わしながら日記を書き続け、四時半で中断すると上階へ行った。書き忘れていたが、母親は昼過ぎ、ドラッグストアに出掛けていた。ぎょう虫を殺す薬を買いに行ったのだが、と言うのは、ロシアの(……)さんからメッセージが送られてきて、曰く、(……)ちゃんがぎょう虫検査に引っ掛かった、念の為(……)家の皆さんも薬を服用しておいた方が良いかもしれないと伝えられていたのだった。パモキサン錠というものがマツモトキヨシに売っているらしいが、一回五錠も飲まなければならないのだと言う。母親はそれを買いに行っていて不在だったので、居間で一人食事を取ることにして、醤油味のカップラーメンを用意した。それに加えて前日の残り物、薩摩芋と切り干し大根が入った小皿に、小ぶりのクリームパン一つを卓に運び、新聞の国際面に掲載された記事を読みながらものを食べた。林鄭月娥香港行政長官の板挟み状況についての記事があった。ロイター通信が伝えたらしいが、長官は先日、私的な会合のなかで、自分の思うように行動出来るのならば、まず深く謝罪して、それから辞任したいというような言を漏らしたと言う。勿論、表立ってはそんなことを言えないわけで、公式には否定するほかはないが、長官は中国政府と民意とのあいだで板挟みの苦しい状況に置かれているとのことだった。そのほか、アフガニスタンの和平に関してタリバンと米国が基本合意に達したとの報もあった。米軍が駐留人数を減らす代わりに、タリバンの方も一部の地域での戦闘行為を控えるという線で固まったようだ。
 食後、食器を洗っておくと階段を下り、食事の余韻も味わわずに洗面所で歯ブラシを取り、口に突っ込んだ。自室に帰ってコンピューター前で歯磨きをして、口を濯ぐと階段を上がって香りのついたボディシートを一枚取り、身体を拭ったあとに下階に戻って仕事着に着替えた。そうして玄関に行き、出発である。雨がそこそこの勢いで落ちていた。傘を差して階段を下り、ポストから夕刊を取って玄関内に入れておくと、扉を閉めて鍵を掛け、道に出て歩き出した。雨が降っているために林から蟬の声は一つも漏れ聞こえず、その代わりに鳥の声が雨に混ざって頭上から落ちていた。細かく歩を踏んで水溜まりを避けながら進んでいくと、(……)さんが自宅の車庫の前に出ており、もう老齢だと言うのに傘も持たず、雨に打たれるがままになっているのも意に介さない様子でいた。近づいていき、こんにちは、と挨拶すると、行ってらっしゃいと返ったので、はいと答えて坂に入った。
 駅に着くとホームの屋根の下で手帳をひらき、目を落とす一方で、汗が湧いて仕方がなかったのでハンカチを尻のポケットから取り出して、首の後ろなどに当てて水気を吸わせた。夕刻五時台に至ってもまだまだ蒸し暑さの残る残暑の期である。雨降りなのでホームの先には出ず、到着した電車の最後尾に乗り、手帳に目を集中させて窓の外も見ずに過ごした。プリーモ・レーヴィは『溺れるものと救われるもの』のなかで、「偶然が自分の前に運んで来た人間たちに、決して無関心な態度を取らないという習慣」を自分は身に着けていたと語っており、それがのちのち『これが人間か』を作り出すことにも――あるいはそもそもアウシュヴィッツを生き延びることにすら――大いに寄与したと思われるのだが、そうした態度こそがやはり作家という人間のあり方だろうと好感を持ち、自分もそうありたいものだと電車のなかで願った。
 (……)に着くとホームを辿り、階段を下りて通路を行く。改札の手前で外国人の青年が一人、そこそこ流暢な日本語でトイレの場所を尋ねていた。多目的トイレが目の前にあるものの、それが使用中だったのでほかの場所を尋ねていたのだと思うが、随分焦っているような様子だったので、よほど我慢していたのだろうか。青年がうろついているあいだに多目的トイレが開いたのは見たが、それ以上は通り過ぎて確認できず、改札をくぐって職場に行った。
 (……)
 (……)
 (……)退勤した。雨は止んでいた。駅に入って改札を抜け、ホームに上がって発車間近の(……)行きに乗り込んで、扉際に立った。ここでは手帳を取り出さずに車内の人々に目を向けたりして時間を過ごし、最寄り駅に着くとクラッチバッグと傘を右手に提げて降りた。ホームを歩き、屋根の下に入ると自販機に寄ってコーラのスイッチを押し、SUICAを当てて炭酸飲料を購入し、ベンチに座った。辺りに響き重なる秋虫の音のなか、手帳を見ながらコーラをゆっくりと飲み込んで、ボトルを捨てると駅舎を抜けた。
 帰宅すると母親に挨拶して階段を下り、自室に入って服を脱ぐとともにコンピューターを起動させた。Skypeにログインするとグループ上で(……)さんからの不在着信が何度か掛かっていた。それで、今労働から帰ってきたところですと発言し、飯と風呂を済ませて来ますと伝えると、一時間後にまた電話を掛けますとのことだったので了承し、上階に行った。時刻は八時を過ぎた頃合いだった。夕食は納豆炒飯だと言った。納豆は白米の上に乗せて食うのが一番美味いと思っており、このように別の料理に混ぜて食うのはあまり好きではない。それで炒飯は頂かず、ナメコとエノキダケの味噌汁に生サラダのみ食べることにしてそれぞれ用意し、卓に就いた。テレビは録画しておいたものだろう、またあのおよそくだらない番組である『スカッとジャパン』が流れていた。それを背景にしてものを食べ終わった頃、母親が風呂に入らなきゃと言っていたが、先に入って良いかと希望を述べ、洗い物は彼女に任せて入浴に行った。いくらも浸からずに出て来てパンツ一丁で自室に戻ると、ゴミ箱を燃えるゴミとプラスチックゴミとの両方持って階を上がり、ゴミを一つにまとめて台所に置いておいた。そうして下階に戻ると通話の時間までいくらかでも日記を書き進めようというわけでキーボードに触れ、この日のことを書いているうちに約束の九時過ぎになって着信があったので、日記を中断して応答した。
 その後、(……)さんと、プリーモ・レーヴィについてガチガチの、それはもうガチガチの文学談義を交わしたのだが、九月八日に至った現在、この時の会話の内容の記憶は既に流星のように流れ去ってしまったし、こちらの述べたことは大方『これが人間か』の感想のなかに記してあるはずなので興味のある向きはそちらを参照して頂きたい。そのほか、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会についても感想を交わしたが、これも省略だ! 省略、どんどん省略だ! この日のこのあとの事柄で印象に残ったことなどない! これでやっと溜まっていた日記の負債を返すことが出来た!


・作文
 13:41 - 14:23 = 42分
 15:27 - 16:33 = 1時間6分
 20:51 - 21:09 = 18分
 22:14 - 25:05 = 2時間51分
 計: 4時間57分

・読書
 14:24 - 14:50 = 26分
 25:11 - 25:37 = 26分
 25:40 - ? = ?
 計: 52分 + ?

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-08-25「産声とともに放った矢がめぐりめぐってこの背を射抜くのが死」; 2019-08-26「夢を見るのではないのだ夢が見るのだというのだ夢のお告げが」
  • 宇野重規「日本で進行する「静かな全体主義」への危惧」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019082900004.html
  • ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』: 119 - 146

・睡眠
 4:00 - 12:30 = 8時間30分

・音楽