宇野 (……)ベネディクト・アンダーソンですよね。要するに近代国家というのは何でできたかというと、ある種言語によって作られたわけです。
中島 国語ですね。
宇野 そう。決して自然なものではなく、むしろ作為的に作り出された近代語によって、その言語が支配する空間に所属する人々を、あたかも一つのネーションであると想像することが可能になった。そのような言語を普及させたのが、印刷術であるというわけですね。
(東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、76~77; 酒井邦嘉・宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)*
小野塚 日本では、漢語がまず知的な言語ないしは支配階級の言語として定着し、それに対して、やまと言葉が女性あるいは後宮の言語として、女性たちの文学とか恋愛とかの言語として使われるようになった。そういう二重構造が、近代になって翻訳を受容する過程でも続いていましたし、それは漢語に置き換える形でもって現在まで来ている。
実を言うと日本の政治も、そうした二重構造をそのまま持っているんじゃないでしょうか。近代になって西洋の政治システムをいろいろな仕方で入れてきて、議会とか君主、政府、内閣、政党とか、それから民主制とか(共和制は確かになかなか根づかなかったかもしれないけれども)を入れてきて、それを全部、漢語でもって表現した。そういうものとしては現在でも確かに日本にあるとは思うんです。日本は立憲君主制の国であるといえば確かにそうなのかもしれない。
だけど、日本の政治の実態は、それとはもうちょっと違うところで、やまと言葉で動いている部分もあります。忖度は、それ自体は漢語なんですけれども、人の心をおもんぱかって先に動いてしまうといったようなこととか、あるいは直近の上の人間にはこびへつらうんだけれど、直近の下の人間には非常にきつく当たるといったような、日本的な政治風土には、実を言うと、やまと言葉でないと語れないような政治というのがあって、日本の政治というのは、そういう意味では言語に対応して二重構造をなしているんじゃないのか。
昔、経済でも、日本経済の二重構造論というのが盛んにあったわけです。日本経済というのは、表向きの重化学工業の大資本が成立している部分と、そうではない農業とか中小企業の分野と、全く違う産業構造をしているという議論があったんですけど、実を言うと政治も二重構造があるんじゃないのかという気がするんですけど、どうでしょう。
宇野 そうではないかと思ってしまうところがありますよね。よく私は言うのですが、日本の政治家はなぜこう失言が多いのであろうかと。
小野塚 彼らは日本語で考えているんですよね。
宇野 というか、どこかしら公式の場では、それこそ漢語を使ってきちんとしたことを言わねばいけないという発想がある。しかし、それでは何となく言い切れない部分がある。言い切れない部分というのを内輪の世界で、和語の世界で語りたいという欲求がどうしてもある。しかし、それをつい間違えて公式の場で言ってしまうとえらいことになる。ある種の二重言語の使い分けの失敗が、日本における政治家の失言をもたらすという仮説を私は持っています。それなので、今おっしゃることは非常によくわかるんです。
(82~84; 酒井邦嘉・宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)
この日のことは九月八日現在まだ何も記しておらず、メモもそこまで詳しく取ったわけではないので記憶の欠落が多い。覚えていない部分はどんどん省略して行こう。この日は昨日に引き続き、(……)さん、(……)さんが集まり、そこに(……)さんが加わって美術館に行く日だった。それでSkypeのグループ上に、今日もまた喫茶店でビデオ配信をしてくださいね、などという文言を投げかけていたのだが、そうすると一時四〇分頃から通話が始まった。原宿だか渋谷だかのTully's Coffeeにいるらしかった。こちらは、ビデオ通話にしておらずこちらの姿は向こうに届いていないにもかかわらず、イェーイ、見てる~? などと右手でピース・サインを作り、一人盛り上がってふざけた。じきに顔を両手で隠した(……)さんと(……)さんの姿が並んで映し出された。(……)さんの格好は(……)さんと似ており、ロングスカートを身に着けていたと思う。先日、声を拝聴した際にはちょっとふわりとした雰囲気の方のように思われたのだったが、その印象に相応しいような服装だったと思う。(……)さんは七月に会った際にも履いていたものだと思うが、クリームっぽい風合いの薄水色めいたスカートを履いていた。互いの印象を二人に尋ねてみると、(……)さんは(……)さんのことをおっとりしている美人だと言ったので、昨日のネタを引きずってすかさず、会いたい! と口にして笑いを取った。(……)さんも(……)さんのことを美人だと言うので、ここでも、マジで、(……)さんと会いたい、と冗談を投げかけると、昨日会ったじゃないですか、と呆れたような返答があった。
通話の内容はほかに全然覚えていない。と言うか、大した話はしなかったはずである。(……)さんも三時半には東京を発たなければならず、あまり時間的猶予もないとのことだったので早めに終えたのだと思う。あとで(……)さんに聞いたところによると、(……)さんはいきなり通話が始まって困惑していたと言うか、全然知り合いがいないところに投げ込まれて当惑気味だったようなので、それはちょっと申し訳ないことをしてしまったなと思った。その後、通話からは一人ずつ抜けて行って、最後の一人になったかなというところでしかし(……)さんがまだ残っていた。それで、それから彼女とサシで、久しぶりに、五時まで三時間くらい話をすることになった。まず最初に聞いたのは、昨日耳にしたばかりの(……)さんとの関係のことだったと思う。昨日の夜、(……)さんとチャットした時には、「会う前からなにかおかしかった」と彼は言っていましたよと報告すると、(……)さんも、確かにおかしかったですねと肯定した。(……)さんが仕事に行っている時間を除けば、SkypeやらLINEやらでほとんど常に話しているような状態だったと言う。それでいて話題が途切れなかったとも言うし、以前聞いた話によると二人で実際に顔を合わせた際には図書館に五時間も滞在していたと言うので、よほど相性が合っているのだろう。ラブラブである。たまに(……)さんに会いに行くときは、始発電車に乗って行くと言う。キリンジの"朝焼けは雨のきざし"のなかにある、「君の部屋のベルを僕は鳴らすのさ/始発よりも早く愛を届けよう」という一節をこちらは思い出させられた。
最近読んだ本の話もした。例によってこちらはプリーモ・レーヴィの『これが人間か』が素晴らしかったと告げ、そのほか、ホロコースト関連の文献を読んでいると話した。ホロコーストに興味を持ったのは何でなんですかという問いが寄越されたので、何故ということもないのだが前々から関心はあった、それについて何かしらのことは知らなければならないとは思っていた、そこに、大学の同級生とやっている読書会でルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』を読むことになったので、それに合わせていくらか読んだのだと説明した。また、その後、今はハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』を読んでいると言うと、(……)さんはハン・ガンは良いですね、大好きですと声を高めた。『回復する人間』が良かったらしい。最近は韓国文学がちょっとしたブームになっていますよねとこちらは漏らした。前日訪れた立川淳久堂でも、韓国文学を並べて特集した一角が見られたのだった。『八二年生まれ、キム・ジヨン』だったか、読んでいないので正確な題が分からないけれど、あれが何だかやたら売れたらしくて、それからのブームですよねとこちらは指摘した。また、(……)さんは最近中国のSFなども読んでいるらしく、ケン・リュウという人が好きだと言った。こちらも名前だけはどこかで聞いたことがあった。
何かのきっかけで美術展の話にもなった。そう、(……)さんが最近読んでいる本としてマーシャル・マクルーハンの名前が挙がって、マクルーハンというとメディア論ですよね、ビデオ・アートとかも論じていますか、ナム・ジュン・パイクとか、と訊いたのを機に、ワタリウム美術館でナム・ジュン・パイク展を観た時のことを話し出したのだった。あれは二〇一六年のことですね、(……)さんが東京に来た時のことだ、と呟き、(……)さんという人については話しましたっけと問うと、詳しくは聞いていないようだったので、僕が日記を書きはじめるきっかけになった人ですと短く紹介し、その(……)さんとナム・ジュン・パイク展を見に行ったのが二〇一六年の一一月のことだと言うと、よく覚えていますねと驚かれたので、ちょうどドナルド・トランプが当選した時で印象に残っているのだと言って、一つのエピソードを紹介した。(……)さんはその来京の時、新宿のカプセルホテルに泊まっていたのだが、ラウンジのような場所にいたところ、テレビでドナルド・トランプの当選の報が流れはじめた、その瞬間周囲にいたホテルの客の外国人たち全員が一斉にテレビの方に視線を送り、画面を注視しはじめた、それを見て(……)さんは、今、世界史の瞬間に立ち会ったな、という感慨を覚えたのだと言う。そういう話を彼の口からも直接聞き、またブログの文章でも読んでいて印象に残っていたために、あれは二〇一六年の一一月のことだったとすぐに思い出せるのだった。その瞬間のことを綴った(……)さん本人の記述を下に引かせてもらおう。二〇一六年一一月九日のことである。
ホテルにいった。フロントにいき予約していたMですと告げてから、きのうとまるっきりおなじ手続きをタブレットでこなした。朝ルノアールに滞在しているあいだに連泊の予約をとっておいたので、それがきちんとできているのかだけ確認した。ロッカーの鍵を受けとったところでカプセルにはむかわずそのまま更衣室にいき、ジャケットとワイシャツを脱いだ。それから浴場そばの脱衣所にある螺旋階段をのぼって四階のラウンジにいき、中身の空っぽになっているコインランドリーの前にたってまずは清掃ボタンを押し、二分かかる事前清掃のそのあいだにリュックサックの中から汚れ物をまとめてとりだして先ほど脱いだばかりの白シャツといっしょにまとめ、清掃のすんだ機械のなかにぶちこんで金をいれた。洗濯と乾燥込みでたしか140分かかると表示された。そのあいだに風呂に入ろうかとおもったが、替えのパンツがなかったので、洗い物が終わるまでのあいだラウンジで過ごすことにした。適当な席についてパソコンを起動した。そうしてトランプ当選の報せにふれて硬直した。マジかよとなった。ほんのついさっきまでの、たのしくて充実した気持ちが一変した。うそだろ、うそだろ、と何度となくおもった。やがてラウンジのテレビでトランプについてのニュースがはじまった。パソコンから顔をあげてそちらに目をやると、おなじテーブルに腰かけていた日本人も、それから中国人も韓国人も、さらには別のテーブルでそれまで英語でぼつぼつとおしゃべりしていた西洋人も、おそらくはスペイン語らしいことばで電話していた男もフランス語をあやつるカップルも、みながみな手元のパソコンやらタブレットやらスマホやら雑誌やらからいっせいに顔をあげて、ききとれない日本語のニュースのほうにじっと視線を送り出した。世界史の瞬間だとおもった。民主党からは当然のことながら共和党内部からも批判されていた成金が声のでかさだけで世界でいちばん影響力のある国家の頂点にのぼりつめてしまった。おそろしく安っぽいフィクションの世界ではないかとおもった。仮にフィクションでトランプのような人物が登場し、過激な発言で注目をあつめて合衆国大統領にのぼりつめるというような筋書きがあったとしたら、われわれはきっとそれをフィクションだからの寛容なひとことを介してのみ受けいれることができるだろう。ところがこの現実はぜんぜんフィクションなどではないのだ。馬鹿なのではないかとおもった。おれたちはそろって殺したり殺されたりの殲滅戦にむかおうとしているのかとおもった。後世の歴史の教科書で人類がもっともおろかであった時代の人間としてわれわれはきっと糾弾されることになるにちがいない、というこのヴィジョンすらあまっちょろい、というのもそのヴィジョンにはいずれ人類がこの時代のあやまちをみとめて悔い改めるという未来が無条件に織り込み済みになっているからだ。現実がそう運ぶとはかぎらない、トランプ的なものがそのまま打ち倒されることなく世界の主流を占める価値観としてかがやきつづけるそんな未来だってぜんぜんありうるのだ、死ぬほど問題含みではあるが理念としていちおうは正しいとされている民主主義にとってかわるあらたな理念としてトランプ的なものが今後の世界史を通底しつづけることだってあるのだ。
それでワタリウム美術館で観たナム・ジュン・パイク展に関しては、例えば「啓示の木」、あるいは「ケージの木」だったか? いずれにせよ、ジョン・ケージに対して捧げられた作品などがあったと話した。展示室の一角に樹木が生え伸びており、その周囲の足もとや枝先の空中にテレビが設置されて、それぞれ様々な映像を流している、という作品だったはずで、なかには一つ、確か坂本龍一が演奏か何かしている映像もあったのではなかったか。そういうものがあったり、最上階では、ヨーゼフ・ボイスとのコラボレーションのパフォーマンスを収めた映像があったりした、と説明した。ナム・ジュン・パイク展の感想と言うか、感想と言うほどのものでもないが、その日の日記で展覧会に触れた部分の記述を、長くなるけれど以下に改めて写しておこう。二〇一六年一一月八日の記事からの引用である。
(……)カラフルに色分けされたチラシや壁に掲示されていた略歴を見ると、ナム・ジュン・パイクという人については何も知らなかったのだが、韓国に生まれ朝鮮戦争を逃れて米国に渡った人で、「フルクサス」に参加してジョン・ケージらとちかしくして、世界で初めてビデオアートを発表した人間だと言う。展覧会は、前半の時期は最初期のフルクサス時代の作品から、八〇年代までのものを取りあげていたようだが、その期間は一〇月で終わっており、いまは後半、九〇年代以降の歩みを辿っていた。それで二階はチラシによれば、「Room4: 1990- パイク地球論」との題が付いている。最初に気に入られたのは、題は忘れてしまったが(「ストーリー・ボディ」とかいう感じで、「ストーリー」という語が入っていたのは確かだと思われる)、細かく仕切られた多数の小枠のなかに、黒板にチョークで描いた子どもの絵のような記号がそれぞれ一つずつ入って並んだ絵画である。その整然とした配列を無造作に断ち切って数箇所に、複雑に配合された絵具が厚くなすりつけられていて、一箇所などはまるで木の洞のような質感を呈しており、秩序のなかに仕掛けられた侵犯の強さが鮮烈だったのだ。さらには、パイクの本領であろうと思われるビデオアートも勿論展示されていて、「時の三角形」という題だったはずだが(いま検索してみると、微妙に違って、「時は三角形」だった)、モニターを積み上げて高い壁を作り、種々の映像を映し出させるという、いかにもビデオアート然とした作品が見られた。素早く移り変わりながらまさしく機械的に反復され続ける映像はどれも少々毒々しいような、けばけばしいような色使いをされていて、ある種近未来的な想像力の安いPVめいたその配色は目に痛いようだが、その前に立ち尽くして、瞳の焦点を展示本体から手前に引き寄せて、虚空に停止させてみると、像がぼやけて無数の色彩の氾濫として溶けだした映像たちが、繰り返し幾何学的な波を作って立ち騒ぎ、麻薬の類を使って見える幻像はこうもあろうかと思われて楽しい。この階の、おそらく目玉として扱われていたのは「ケージの森/森の啓示」という、ジョン・ケージに捧げられた作品である。見上げる木々の枝葉のあいだのそこここに、角のやや丸みを帯びて四角いテレビモニターが、まるで鳥の巣めいて仕掛けられて、例の鮮烈な色使いでうねる映像を流している。なかのいくつかをしばらく見つめてみれば、一つの画像が枠を歪めて変形し、ただちに吸いこまれたり滑ったりしてどこへとも知れず消えれば、その下からまた新たな画が現れて滑らかに移行を続ける。足もとには褐色の落ち葉が敷き詰められており、その上に載せられて一つ大きめのモニターには、演奏会のような様子が映って、琴の音やそれに付された合唱の音もあたりに流れていた。京都の人はこの作が大層気に入ったようで感嘆を洩らし、双子の兄も同じく気に入ったようだった。ほかには、室の端の気づかれないような場所から小部屋が続いていて、なかに入れば暗室めいた暗がりのなかで、一本の蠟燭に灯った炎の像が壁に投影されて、あるかなしかの空気の蠢きに揺らぐ本体を拡大していくつか重ね合わせた幻像が、応じて気体めいて柔らかにほぐれている。京都の人によれば、こうした手法はフィオナ・タンという作家のそれに似ているらしい。それから階を一つ上がると、ここには「ユーラシアのみち」という作が小さなフロアをいっぱいに使って置かれていた。パイクはソ連崩壊後にモスクワからイルクーツクまで旅をしたらしい。その道々で買い集めた様々な日用品やら衣装やら人形やら、言ってしまえばガラクタめいたような雑多な物々を、上から吊るすなり無造作に並べ転がせるなりして、大陸の縮図めいた塊を作っているわけである。それを囲むようにしてお得意の、テレビモニターもごろりと岩のように設置されてある。物の配置には一見して法則性などなく、先には大陸の縮図めいたと述べたが、文化の分布を再現しているわけでもない。物置めいてただ適当に放り出されているだけだから、誰かが勝手にどれかの場所を変えても気づかれず、作品の何も損なわれないだろう。壁にはモニターがあって、パイクが自作の解説をしていると言うのでヘッドフォンを付けてみると、結構流暢な日本語で旅のあいだのことを話すのが聞かれた。各地でロボットも製作したらしく、これは写真が「ユーラシアのみち」の脇の壁に示されていた。最上階に上ると、ここのテーマはヨーゼフ・ボイスとのコラボレーションの仕事である。ボイスの死後に彼に捧げて、テレビモニターを組み合わせて作った、不格好なようなロボットもあって、表面に赤の粗い字で、「忘威洲」だったか、何の必然性もないような当て字で名が印されているのが思わず笑ってしまう。ほかに印象に残っているのは、ボイスとパイクの演奏会の場面を、黒と暗褐色でトランプカードに印刷して菱形に配置したもの、またその隣にはボイスの作も一つあって、 "Continuity" と題されていたと思うが、黒板のような大きな画面に、白い線を引いただけのシンプルなものである。初めは曖昧に小さく揺れていた線は、ある点から大きく波打っていて、両者の共同した演奏の原理を図示したものらしいが、意味合いはともかくとしてそのすっきりとした構図が気に入られたのだ。この階には映像資料も三つ展示されていた。一つはボイスとパイクのデュオコンサート、もう一つも同じく両者の、ジョージ・マチューナス追悼としてのピアノ演奏、さらに一つはボイス死後の、高橋アキとの共同による追悼パフォーマンスである。マチューナス追悼のものを初めに見たが、まったくの混沌には到りきらず、構築への意志をかろうじて残した即興という様相のピアノデュオは、ジャズに慣れた耳で聞いてもそれなりに聞けるものだった。二番目に、ボイス追悼パフォーマンスを見た。画面のなかでは白いワイシャツ姿のパイクが、ピアノの弦の隙間に螺子を打ちこんだり、その小さな金属でもって弦を搔き鳴らしたり、あるいは楽器の下に潜りこんで木板の真ん中にやはり螺子を突きこんで、残響をあたりに広がらせている。一向に次の展開に到らないので、しばらくしてヘッドフォンを外してしまったのだが、京都の人はこれを長く見て感銘を受けていた。曰く、ピアノを棺に見立てたパフォーマンスなのだが、佳境に到って、細かいことは忘れてしまったが、ピアノを破壊するような激しい様相を呈したらしく、そこに差し掛かると感動が湧いて涙を催しかけたと言う。最後に見たデュオコンサートは、ピアノが二台ステージ上に用意されていながら、鍵盤に触れているのはパイクだけで、目の覚めるようなオレンジ色の楽器をボイスの方は放置して、その前に座りもせずに立ってうろうろと行き来しながら、コヨーテの鳴き真似をひたすら続けている。死にかけの肺病病みの、喉の奥に籠った咳のような、獣の抑えた息遣いである。黒板にモールス信号めいた図を記し、それを示すのに合わせて長音と短音を交錯させてみせるのには、知らず笑みが湧くのだが、その後見ていても低調のままで、やはり素早い展開はない。退屈を感じはじめながらも見続けていたところに、長椅子の隣に若い女性がやってきてイヤフォンを付けたのに、あちらとこちらのどちらが先に立つかと、子どもめいた対抗心が戯れに生じて、腰が固まった。女性が黙って視線を逸らさずにモニターを見ているあいだ、こちらもじっと画面を見つめて、獣を自らの身に憑依させんばかりに、据わったような目つきの男が物狂おしく、しかしやはり単調に鳴くのを追う。数分で女性が立って行き、馬鹿げた勝利を獲得したあと、すぐにこちらも立つと合わせたようで嫌だなと自意識を大いに発揮して、まだしばらく眺めてから耳を解放した。最上階をあとにすると、一階に戻って、そこから階段を下りて地下のショップに入った。一画の壁にはまたもやモニターがあり、そこにはナム・ジュン・パイク追悼コンサートの模様が流されている。音量が小さくて、画面に大層耳を近づけてもよく聞き取れないようなさまでよくわからないが、照明を落とした暗がりのなかで、ノイズめいた音響パフォーマンスがなされていたようである。終わって明るくなり、出演者が一同に並んで映し出されたのを見れば、坂本龍一や、サスペンダーでズボンを吊って上着は脱いだシャツ姿の、浅田彰が立っている。締めくくりにというわけで、拍手のなかで皆が和気藹々とした様子で、ネクタイを鋏で切っては客席に投げこんで行く。これはパイクが初期のパフォーマンスで、ジョン・ケージのネクタイを切ったことに因んだものらしいが、あとで電車のなかでこの映像のことを京都の人に話すと、中原昌也が作業日誌のなかで、これを猛烈に批判していたと言う。パイクは元々ネクタイ切断を、完全に唐突なハプニングとして行って、それだからこそ面白く意味のあるものだったのに、まるで「市役所の役人」のような爽やかな様子でそれをやっても、まったくパイクに対するオマージュにはならない、という趣旨らしい。
ほか、こちらが過去に一人で行った美術展として、二〇一四年のことだったか二〇一五年のことだったか、世田谷美術館にボストン美術館展を見に行った時のことも話した。その際の展覧会では、クロード・モネの「ラ・ジャボネーゼ」と言っただろうか、色鮮やかな日本の着物を身に着けた妻カミーユの姿を描いた作品が目玉とされていて、それを実際に前にしてみると思いの外に大きくて迫力があった、と思い出してこちらは述べた。この日の美術展の記述も当時の日記から引用しておこう。何故か句読点をまったく使わずだらだらと繋げた文体になっていて、やたら読みにくいが、この日は確か色々なものを目にして頭のなかに入っている情報量が多かったので、きちんと書くのが途中で面倒臭くなってこのような適当な書き方になったのではなかったかと思う。二〇一四年九月一二日のことである。
(……)世田谷美術館は見た目にはそんなにぱっとした印象はうけなかったその入口前の広場のきわで女性がひとりなにかを配っていてよくきこえなかったのだけれど個展をやっていますとかなんとかいっていたような気がしてよくみずに素通りしてしまったけれどもらってみればよかったかとおもいながらなかにはいるとチケット購入にならんでいるならんでいるのは大半が中年以上の連中で若者なんてほとんどいやしない比較的若い女性がふたりづれで来ていることはあるがひとりで来ている若者なんてほとんどいやしない金曜の昼間なのだから当然とはいえなかにはいってからも絵の前に立つのはおじさんおばさんおじいさんおばあさんばかりでそういえば車いすをつかって見ている人も結構いたような記憶だけれど大規模な美術展にははじめてきたけれど要するに暇をもてあました連中の巣窟であってこれが有名なあのとかいっているわりにはみんな数秒かせいぜい一分長くても三分絵の前にとどまればすぐに次にいってしまうしというか列ができて流れ作業のように進む流れができてしまうのがこっちには困りものだったつまりじっと見ていると邪魔になってしまうしはやくいけみたいなかんじで背中を押されたりもしたのだけれどまあ結局そんなことは気にせずにみたいものの前にはとどまったし遠慮なく至近距離からじろじろとながめもしたけれどみんなぜんぜんみないしメモをとっている人間なんかほとんどいやしないひとりしかみかけなかった若い女性がひとりノートをもって熱心にあれはたしかアルフレッド・ステヴァンスの《瞑想》という絵の前だったけれどほどよい距離からながめながら熱心に書き綴っていたそれくらいだったしヘンリー・ロデリック・ニューマンの日光東照宮外壁の水彩画をみていると高慢そうなおばさんが外人が描いたんでしょやっぱり筆がなめらかじゃないね言っちゃわるいけどなどとのたまったときにはここは一体紋切型のオンパレードなのかと天を仰ぎたい気分にもなったのだが一番最初のほうは歌川広重の浮世絵がいくつかあって浮世絵というものの実物をみたのは当然はじめてなのだけれど最初の印象としてなにかずいぶんきっちりしているというか几帳面な印象を受けたのだけれど見ていくうちに単純な話浮世絵には明確な輪郭線があるということがその一因だろうとかんがえて浮世絵は線でもって明確に平面を区分していきそこに一様に均一に色を塗っていって立体的な陰影はつけないから線と面の印象が強いその平面的な領域の区分がきっちりとした印象につながっているのだろうというようなことを壁によりかかりながらひとまず書きつけていると学芸員のひとが近づいてきてよかったら椅子はお使いになられてはというので大丈夫ですとことわったのだがしばらくするとまた寄ってきてひどく申し訳なさそうな笑顔で壁から離れて書いてくださいということをいわれたのでそれ以降は絵を近くでながめては人の列を外れてメモするということをくりかえしたのだが浮世絵が面を分けていくその線というのはたしかになめらかでこの点では高慢なおばさんのいっていたことはあっていてまた面の印象が強くなるのはたとえば着物の首元にのぞく重ねの描写なんかはこまかい区分が連続するわけだから当然印象は強いし広重の《名所江戸百景 水道橋駿河台》の前景に泳ぐ鯉のぼりのうろこなんかもそうかもしれないしまたこのうろこにはこまかな黒い線の集合によってうろこの色合いと質感が描写されていてその集合にも几帳面さを感じるのだがそれはもろもろの絵の背景に書きこまれた木の林立をみたときにもおもったしまた美人画の髪の線描もそうでそれにたいして女性の顔の描写はまったくの起伏のない白い平面にパーツがのっているだけでじつにのっぺりとしていたからやはり線と面ということをおもったわけだけれど構図についていえば《水道橋 駿河台》とかあるいは《亀戸梅屋舗》この《亀戸梅屋舗》の色はよかったというか浮世絵の色はどれもすごくいい色で主張しすぎない質素さというのかたしかに日本的和的だなどという紋切型なことをいってみたくもなるのだけれど亀戸についていえば画面下部の草地の緑もいいし背景の何色といえばいいのかピンクというか梅の香りただようようなその薄紅色もいいしまたそしてどの絵もグラデーションがひどくなめらかなのにもおどろかされたけれど構図にもどると駿河台とか亀戸のようにこれは広重の特徴なのかしらないけれど前景に拡大近接してものをおいて後景と対比させることによって平面的でありながら奥行きを導入しているわけだがいちばん最後のほうにみたモネの日没の《積みわら》もみたかんじこれと似たようなことをやっていてこのころのモネはこの絵はたしか一八九一年だったけれどこのころのモネの絵はみたかんじもうかなり平面的で立体感はない例のこの展覧会の目玉でもあった着物を着たカミーユの絵みたいな立体感はぜんぜんないわけで《積みわら》の絵にみえるのはほとんどふたつの平面でつまり積みわら(前景)と後景であってそのあいだの色の対比でもって面をくぎっている具体的には積みわら上部の輪郭のまわりに配されていたのはこの絵のなかでもっともあかるい黄色あるいは金色でそれと(あいだにわずかにあかるいオレンジをはさんではいるものの)積みわらの暗いくすんだ色をぶつけることによって輪郭を強調というか面をくぎっているわけでまた積みわらの上部右側や下部左側にはピンク色の層をまとわせることによってここでも輪郭を強調しているようにみえたのだけれど後景というか積みわら以外の面はというとそこにあるのは複雑な色の混ぜ合わせとそのあいだの推移であってこれはモネの諸作とおなじ部屋にあって順番的にはすこしまえだったピサロの《雪に映える朝日、エラニー=シュル=エプト》という絵もおなじくこまかく色を混ぜていて色の組み合わせでもってひとつの瞬間の効果あるいは雰囲気あるいはそれこそ印象あるいはモネが「包みこむもの」と呼んだようなものを達成しようというのが印象派的な手法といえるのだろうけれどこれらの絵にちかづいて一部分を拡大してみるとほとんど抽象画みたいな色の混淆があってじつに混沌としているようにみえそれでいて離れてみるとものの像をなしてみえるのだからおもしろいものだがピサロのほうがモネとくらべると点描をやっていたということが関係するのかこの絵が点描をやりだす前のものなのかそれとも点描からもどったあとのものなのかしらないけれどピサロの絵のほうが色の塗り方というか一筆がこまかいようでだからよりざらざらとしたような感触をうけたのだけれどモネの積みわらの絵はよりなめらかに色がうつっていく印象でどこかどの色であるとはっきりといえないけれど積みわらより下部の草地から積みわらの横をぬけてさらに先の山あるいは丘そして山ぎわの焼けた色から空の光に満ちた黄色と緑の混淆と全体にあわい色調で移行していき山の手前にはかすかに家や人の姿も描きこまれているのだけれどそれはほとんど色のなかにとけこむというか埋没していてこれらすべてが一面としてつながっていて積みわらと対比させられているようにみえたその絵の次には《睡蓮の池》というのがあって最後に《睡蓮》があったわけだが《睡蓮》のほうは《池》のほうとくらべればかなり落ちついた色調で優美ささえもかんじられるようなものでつまり睡蓮の葉の緑色は緑色で水面の紫からピンク系統の色はその色でまたそのあいだにある影の色は影の色で同じ系統の色はまとまり濃淡のグラデーションでもって形や陰影をつくっていたこの絵をみたときの全体的な印象としてあたえられるのはその緑と水面の色の対比だとおもうのだけれど比較して《池》のほうはわりとあたまがおかしいかんじで睡蓮の池とその上にかかる橋とそのむこうの林とが描かれているのだけれど色の混ぜ方が相当混然としておりここでは画面全体がほぼまったくの一面として構成されているようにみえてそのなかでひたすら色が氾濫しているというような印象だったのだが混ざり合わさっている色というのがあまり明確にきれいなものではなくて色調は全体に暗いしにごっているという感触も避けがたいものではあって画面の下半分では特に暗い紅色がわりと多く使われて目を引くこともあってけばけばしさみたいなものもあったけれどごちゃごちゃと描きこまれていながら最低限の描きわけはなされていて池に浮かぶ睡蓮とそのあいだの水面に木々が反映しているさま赤く染まった池に金色の木々が映りこむさまはやはりうつくしい毒々しいうつくしさとでもいうようなものもかんじられてみたなかでは《ラ・ジャポネーズ》の次におもしろかったその《ラ・ジャポネーズ》はといえばたしかにこの展覧会の目玉で四十分くらいみていたけれどこの絵のまえにはさすがに常に人だかりが生まれて絶えることはなかったその目玉はまず展示されている絵のなかでいちばんサイズがおおきかったたぶん縦は二メートル五十センチくらいはあったからそのおおきさだけでもインパクトはやはりあるわけでそのなかでまず感じたのはうねりの印象赤のうねりの印象で着物のすその豊かなうねりの表現目の高さと展示されている絵の高さからいってもそれにまず目がいったわけだけれど着物のすその端は青を基調としながら金色の装飾を配した縫いこみがされておりほとんど画面左右いっぱいにひろがったその丸みにそってまず視線は動きまた同時に着物の立体的なひだの陰影にも引きつけられるそうしていくらか拡散していた視線が中央に集中していくとそこにあるのは例の武士の装飾であり刀を抜こうとしているこの武士の顔や腕それが刺繍にしては妙に立体的で自立しているようにもみえて不思議だったけれどこの装飾の基調となっているのが青色で着物下端の青よりもさらにあかるい青であってその上に乗った金色の刺繍によって動きの印象をあたえられながら上方へすべっていく視線が出会うのは当然ふたたび着物の真紅でこの赤・青・赤の色の移り変わりが鮮烈なわけだが着物の上半身には真紅のなかに配された葉っぱのかたちをした緑色の模様が目に楽しくそのあいだを抜けていく視線はカミーユの顔と金色の髪にたどりつくがまだそこではとまらずそれよりもさらに上にあるひろげられた扇の上端にまで達するそこにあるのは薄紅色で広重の《亀戸梅屋舗》の色にもいくらか似たような薄紅色であって目に強い真紅の層を抜けてきたあとの淡い色彩がさわやかさをあたえたあとにふたたび視線はたどってきた道を逆に動いて下方へとおりていくわけでとおくちかくからみながらこの上下の運動をくりかえしていたらいつのまにか時間がたっていたわけで二時ちょうどにはいって出たときは閉館の六時の十分前くらいだった(……)
日記に関しては、上のような二〇一四年の時期までは辛うじて残っているのだが、二〇一三年のものはすべて消してしまった。そのことを告げると、何でですかと訊かれるので、単純に読み返しみて糞だったから、とこちらは答えた。本当は二〇一四年のものも削除しようと思っていて、途中まで実行したのだが、面倒臭くなって消去作業を中断したまま結局は残っているのだと続けて話す。(……)さんも醜形恐怖症があって、作品は自分の一部みたいなものだから、悪いもの、不完全なものを残しておくのが嫌ですぐに消したり捨てたりしてしまうのだと言う。彼女がTwitterに上げているイラストなど見る限り、美術の出来ないこちらからすると糞上手いではないかと思う出来なのだが、それも(……)さんは残しておくことに耐えられず、速やかに廃棄してしまうらしかった。その点、僕は過去の自分を許せるようになりましたねとこちらは笑う。そう言うと、それはやっぱり、歳を取ったからですかと訊かれるのだが、まあそれもあるのかもしれない。過去の分を残しておけばそれだけ日記の総体が長くなるから、という理由もあると思う。
その後、昨日(……)さんや(……)さんとどんなことを話したんですか、という質問が投げかけられた。本の話とか……と漏らしながら、電車内でのことを思い出し、(……)さんが惚れやすいっていう話になったんですよ、何しろ彼はスタバの店員に惚れているくらいですからね、それで(……)さんはそういうのないんですかと(……)さんが訊くもんで、別にないけれど、可愛い女の子といちゃいちゃはしたいって言ったら、素直過ぎますって怒られました、と笑って話した。それに対して(……)さんは、(……)さんだったら今までにそういう経験あるでしょう、みたいなことを言うので、いや、全然ないのだ、恋愛経験というものが皆無なのだと答えると、そうなんですか? 意外です、という反応があった。(……)さんはさらに、いちゃいちゃしたいって例えばどんなことですか、と訊くので、そんな具体的には考えていなかったんですけど、と笑って、でもまあ僕はそんなに性欲がないですからね……と漏らすと、(……)さんは甲高く短い笑いを立てた。性欲は病気と精神薬のせいで以前よりも結構減じたし、性交に対する欲望というものは元々それほど強くはなかった。性欲=射精欲と性交欲はここでは別物として考えている。でも男性は大変だと思います、とだって定期的に「処理」しなくちゃいけないでしょ、みたいなことを(……)さんがさらに言ったのだが、それで言ったら女性の生理の方が格段に大変に決まっている。生理が基本的に苦痛を伴うものであるのに対し、男性の射精は一応快感を伴うものなのだ。それに、別に処理しなくても問題はないですよ、蛋白質として身体に吸収されますから、と言うと、(……)さんはその事実については知らなかったようで、そうなんですか! と驚いていた。定期的に精子を排出しないと身体に悪いものだと思っていたらしい。店とか行く人いるじゃないですか、と彼女は言うので、いますね、と受け、僕は特別行きたいとは思わないですけど、と答え、しかし続けて、でもまあ行ったら日記のネタとして面白そうかなとは思いますと笑った。あと、岸政彦みたいに風俗店で働いている人にインタビューをして来歴を語ってもらう、とかが出来ればそれは性交するよりも遥かに面白いことなのだろうけれど、今のところそんな見通しはない。
そのような話をしている最中に、(……)さんが通話に入ってきた。彼は今、薬用植物園とかいう場所に来ているらしく、それについて短く語ったあと、何の話をしていたんですかと訊くので、(……)さんとエロい話をしていましたとこちらは笑っておちゃらけた。(……)さんは、何でそういう誤解を生むようなことを言うんですか、と呆れていたと思う。(……)さんはほとんど数分だけ通話に参加して、すぐに去って行ったので、(……)さんと引き続き性に関する話を続けた。結局、男性は一度射精をすればそれで終わりですからね、とこちらは言う。まあ、二回三回と射精できるような精力の強い人間もいるのだろうけれど、自分は確実に一度出せばそれで一旦終わりである。(……)さんはこちらが三十路も前にしながら聖なる純潔を未だに保っている童貞であることを取り上げて、でも、綺麗なお姉さんに手解きしてもらうとか、良いじゃないですか、と言うのだが、まあそれも良いは良いけれど、自分の場合精力に自信がないので、女性の方から仮に迫られることがあったとしても、その要求に答えられないのではないかという気がする。それであまり、性交に対する積極的な欲望はないのだ。別の観点からこちらはさらに、男性の性行為っていうのは、射精っていう終わりが定められているわけですよね、それは要するに結末の決まっている物語の退屈さなんですよ、と述べた。本番――挿入――に取り掛かりだしたが最後、それがどんなに遅延しても最後には射精に至るということは基本的にもう定められていて――射精出来なければその性交は失敗と見なされるわけだ――どのようなルートを辿っても結局は同じ地点に至るわけで、それはやはり退屈なことなのだ。そういう観点からすると、多分性行為において面白いのは本番よりも前戯や愛撫の段階なのではないかと思う。性器という特権的な部分でのみ触れ合うことはたった一つの終幕に向かって突き進まざるを得ない以上退屈なことであり、それよりもバリエーションの広い多様な愛撫の方が官能的なのであって、そこにおいて主体は官能性を拡散させ、接触の場を複数化させることの愉悦を味わうのではないかと思うのだが、(……)さんとの会話のあと、出勤するために道を歩いている途中、以前こうしたことを蓮實重彦がどこかで述べていたなと記憶が刺激された。それで今しがたEvernoteの記録を検索して該当箇所を発見したので、それを以下に引いておく。蓮實重彦のこのあたりの対談やインタビューなんかも、また読み返してみなければならないだろう。
―――それはそうでしょうねえ(笑)。ところで、以前蓮實さんは女流作家というのは畸型なのだとおっしゃってましたね。
蓮實 実はそこで問題になると思うのですけれど、僕は男性女性ということがあまりよく分からないわけです。現代の社会で、男性が女性を抑圧する構造が確立しており、そこで性差といったようなものが問題体系として浮上してくることは理念として分かる。ただし、その僕がいちばん映画で惹かれるのは、たとえば一人の女優があでやかな格好でスクリーンに立っているときではなく、女性と男性が最初に唇を合わせようとする瞬間だけなんです。ということは、女優男優あるいは男性女性ということではなくて、むしろキスとか接吻とか抱擁そのもののほうに興味があるわけです。どこか抑圧的な体型である性交よりも、唇と唇とが触れあう瞬間を目にすることって、妙に解放的でしょう。接吻は性交の征服的な体位を曖昧に隠蔽するものだと言えばそれまでだけれど、マスメディアとしての映画がつくった最大の幻想である接吻に僕はとらわれているのです。「性器なき性交」という言葉で言ったことがあるけれど、僕の批評も接吻的であることを理想とし、性交的ではありたくない。
小説についてもそれと同じことで、女性の書き手が書いたか男性の書き手が書いたかということは、それ自体として実はあまり興味がないのです。そこに性器の結合を超えた何かが現れるような瞬間に僕は惹かれているのであって、その点では、何と言うのでしょうね、言葉があるとき、――その言葉そのものがだいたい男性化しているものではあるけれども――それがその男性性というものから不意に遊離するような瞬間を何とか引き寄せたいと思っているわけで、その遊離する瞬間は、男性作家が書いても女性作家が書いても変わらないと思うのです。たとえば夏目漱石にそういう瞬間があるわけですし、谷崎潤一郎にもそういう瞬間があるのです。
(蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』日本文芸社、1994年、313; 「蓮實重彦論のために」聞き手=金井美恵子)
蓮實 僕は理論化するつもりはないんですけれども、実感からして、何が男性的な文章であるかということは分かっている。女性が書こうが男性が書こうが、社会が必要としており、その必要性に意識的に、あるいは無意識に応じている文章はすべて男性的なんです。だから、エクリチュールは女性的だといったデリダの視点をとることはしません。それは、肉体的な性差があからさまに露呈される性器で相手と交わろうとする姿勢で書かれたものも、作者の性別をこえて男性的な文章です。その性器至上主義を文学と名づけることも可能でしょう。他と接するための特権的な場所があり、それは知性であったり、分析力であったり、あるいは感性であったりするかもしれないけれども、その特権的な場所においてのみ世界と交わろうとする文章はいずれも男性的なものです。
それに対して女性的なエクリチュールというのがあるだろうか。僕はないと思う。文章の男性性を批判する文章の女性性などあるはずがない。こうした男性的な言説の絶対的な優位に対して対置できるようなものは、特権的な場所を自分の中につくらずに世界に交わるという姿勢だけです。接吻的でもいいけど、いわば「性器なき性交」といったような体験に似たものだけが、女性的だからではなく、男性/女性の対立を無化することができる。ふと風に吹かれたときに、より官能的なものを覚えるというような――これは日光を浴びるといったことでも何でもいいんだけれども――精神や肉体の一部を特権化せずに全身で外界と触れたときにおぼえるような喜びといった文章体験があって、これは男性的でも女性的でもなく、性を超えたというか、むしろ、より正確には性を視界に浮上させまいとする少なくとも性器中心主義的ではないエクリチュール、それだけが男性社会に特有の支配的な言説に対立し得るのです。
(401~402; 「羞いのセクシュアリティ」聞き手=渡部直己)
そのほか、底の浅い考えかもしれないが、女性が性についてもっと表明出来た方が良いのではないかというような話もした。つまり端的に言って個人的に親密な男女の関係においても、性行為をしたければしたい、性行為をしたくなければしたくないともっとナチュラルに、はっきりと言える世の方が良いのではないかという気がしていて、それが出来ないという点で様々な誤解とかすれ違いや時には無益な暴力が発生しているのではないかというような感じがするのだ。あと、エロいということと色気ということは違いますよねとか話したり、(……)さんが色気を感じる時はどんな時ですか、と訊かれて答えに悩んだりもしたのだが、細かい話はもう書くのが疲れたので省略したい。タイプの女性、みたいなことも話したが、まあ強いて言えばこちらはボーイッシュと言うか、あまり女性女性しているよりは中性的な感じの人とかがわりと好きなのかもしれない。しかし基本的に好きなタイプというのがあまりよくわからなくて、その人物の人間性を総合的に好きになると思う、とありきたりなことを述べてお茶を濁していたのだが、そうすると(……)さんは、このSkypeのグループの人はやっぱり素晴らしいですね、真っ当ですね、みたいなことを言って妙に感激していた。そのほか、(……)さんは前日にビデオ通話でこちらの顔を見ているし、その後多分、(……)さんからも画像を貰ってこちらの顔を目にしたと思うのだが、容貌についてはダンディだったとお褒めの言葉を得た。髭を剃るのが面倒臭くてだらしない無精な顔で行ったのでそう映ったのではないか。作家らしい顔、だとも言われた。作家らしい顔というのはどんなものですかと尋ねると、何か、やっぱり繊細そうな、というような返答があったので、まあ神経質そうな顔ではあるでしょうねと応じた。
それで五時頃になって通話を終えて、その後は労働などあったのだが、この日のことはもうよく覚えてもいないし、書くのも疲れたので割愛しよう。授業は(……)くん一人が相手で、石垣りんの「挨拶」という詩や、森鴎外の「高瀬舟」を扱ったということだけ記しておく。
・作文
17:09 - 18:00 = 51分
25:19 - 26:59 = 1時間40分
計: 2時間31分
・読書
22:37 - 23:01 = 24分
23:03 - 24:38 = 1時間35分
27:13 - 27:53 = 40分
計: 2時間39分
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-08-23「想像しうるいっさいの中にまた想像するあなたも含めよ」; 2019-08-24「反吐が出る虫酸が走る胸糞が悪くなって吐き気を催す」
- プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、書抜き
- ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』: 91 - 119
・睡眠
4:00 - 11:35 = 7時間35分
・音楽
- FISHMANS『Corduroy's Mood』
- Brad Mehldau『After Bach』
- Art Tatum『The Tatum Group Masterpieces』