四日の日記を書き終わったあと、保坂和志『未明の闘争』について考えたことを二千字弱書きつけると日付が変わろうとしていた。過眠のためかずきずきと頭痛がしたが、それをおさえるためには再び寝るしかないというのが皮肉だった。
九時に起きて、ハムエッグを焼いて米にのせ、味噌汁、クリームとりんごとキウイが乗ったワッフルを食べた。三宅誰男『亜人』を注文し、Rachel Cooke, How can we make sense of the world without reading stories?(http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/jan/04/ruth-rendell-reading-dying-art)を読んだあとに五十六の英文を二回ずつ音読した。十一時半をむかえ、ダンベル、腹筋、背筋をおこなったあと、ひどく久しぶりに瞑想をした。ベッドに置いたクッションの上に腰掛けて四十回深呼吸をした。それからガルシア=マルケス『族長の秋』を冒頭から五頁音読した。
晴れてはいたが雲が多い空で、南西の山の上空には列島のように連なった雲が長く伸びていたし、北西の山の向こうからは煙めいた雲がもうもうと湧き出ていた。西陽は隠れがちだが雲を逃れるわずかなあいだには穏やかながらたしかな暖かさをもったひとすじの光が地上を染めた。陽光に触れて安心を感じつつも、ちくちくと刺すような痛みが腹部にあった。電車内ではMiles Davis『Four & More』を聞いてほとんど目を閉じていた。
午後二時には(……)についた。水色のジャケットを着た男性に抱かれた赤ん坊の顔を見ながら改札を抜けた。顔の大きさは握りこぶしよりひとまわり大きいくらいしかなく、毛髪は薄くまだまだ生えそろっていなかった。つぶらな瞳という言葉を改めて理解するほど丸い瞳で、どこかあらぬほうを見つめながら眉尻は少し下がっていた。改札を出て右に折れた。待ち合わせスポットとなっている壁画の前を過ぎて北口を出た。広場の中央には丸い植えこみがあり、そのまわりにも待ち合わせをする人々が腰掛けている。左手の道は二本に分かれ、広場から左に伸びる道はモノレール駅のほうへと続いているが、図書館に向かうのは正面の道である。屋根のついた歩廊を歩いていると警官に拘束された薄汚い身なりの男とすれ違った。厚くたくましい体の警官は二人で男の左右を囲み、うしろにも一人か二人いただろうか、男は困惑した目を両側に向けて警官へなにやらつぶやいたようだったがどうにもならない。通りすぎる人々はちらっと一瞬好奇心にかられた目を向けたあと、すぐに前を向いて歩き出す。歩廊の屋根が途切れると右手にガラス張りの細長いカフェがあり、左手には(……)である。(……)のビル沿いに進み、英国式リフレクソロジーをうたったマッサージ店、宝くじ売り場を過ぎるとビルは途切れ、歩廊の性質も変わる。それまでは石のタイルだったのが、そこからはコンクリートだろうか、元は鮮やかな緑色だったのだろうがそれが剥げた下からくすんだ色がのぞいており、盲人用の黄色のブロックも薄汚れている。左手のエクセルシオールカフェ、右手のロフトを通りすぎ、前方にやや傾斜した横断歩道橋を渡る。左側に折れるとHMVへと向かうが、映画館の前を過ぎて正面に進むと、今度は左に(……)がある。表に面しているカフェは日曜日とあって盛況だった。一本道をそのまま進むと右手にビジネスビルがいくつか並ぶそのうちのひとつが図書館の建物である。パレスホテルを過ぎて右に曲がると左手に図書館の入口がある。
CDを返却した受付の中年女性はひどくぶっきらぼうな口調で、確認しますのでお待ちください、ありがとうございます、などと言ってはみるものの何の感情もこめず義務的に言っているのを隠すつもりもない。日野=菊地クインテット『Counter Current』、Bill Frisell『East / West』、Stevie Wonder『Talking Book』を借りた。下階におりて、フランス文学の棚の前に立った。クロード・シモンが五冊あったがそのなかに『フランドルへの道』はなかった。ベケットが三冊、『ワット』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』があった。『カミュの手帖』、モンテーニュ『エセー』が四巻、ミシェル・レリス『オランピアの頸のリボン』、『ボーヴォワールへの手紙 サルトル書簡集Ⅱ』、スタンダール『南仏旅日記』『イタリア紀行』があり、ロブ・グリエが二冊あり、バルトの研究書が四冊あった。鈴村和成訳『ランボー全集』があり、ベケットの戯曲は『ゴドーを待ちながら』『エレウテリア』『勝負の終わり/クラップの最後のテープ』『しあわせな日々/芝居』があった。レーモン・クノー・コレクションは一、七、十を除いて十二巻まであり、それに加えて『あなたまかせのお話』があった。プルースト全集は十四巻から十八巻と別巻があったが、特に気になったのは十六から十八の書簡だった。フランス文学以外には『パヴェーゼ文学集成』全六巻が気になり、日本では小島信夫はあまりなかったが、佐々木中が九冊と金井美恵子が十一冊あった。あらかじめ決めておいたのだが、『フランシス・ポンジュ詩集』を手にとり、ラテン文学にはまだ読んでいないガルシア=マルケス『落葉 他十二篇』と『予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語』があったのでそれらも借りることにした。
図書館に入ったとき、新着図書に名前は忘れたがサーカスを取りあつかったらしい写真集があるのを見かけ、写真も見ていこうと決めていた。階を上がって洋書の棚の前を通るときに気づいて、『族長の秋』の原書があることを確認しておいた。イサベル・アジェンデやバルガス・リョサなども多くそろっていた。写真集は海外のものはあまりなく、日本のものも当然ながら知らない名前ばかりだが、ロベール・ドアノーが三冊あり、レヴィ=ストロース『ブラジルへの郷愁』、吉増剛造『盲いた黄金の庭』、アルド・ファライ『夢あはせ』などが気になりつつも、『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集 ポートレイト 内なる静寂』があったのでそれを借りることにした。
Miles Davis『Someday My Prince Will Come』を聞きながら帰りの電車内ではほとんど眠っていた。四時半に帰宅すると、陽も落ちて空気が灰色めいていた。雲は一面にのび広がっていたが、層は薄く、その下から水色が透けて見えていた。南東の市街の上空には紫に染まった雲がわずかにのぞいていた。
Miso Banana Trio『Uirapuru』を流しながら借りてきたCDをインポートし、クレジットを記録した。ホメロス/松平千秋訳『イリアス』の第二歌を読むと六時をむかえた。
風呂に入ったあと、米、麻婆豆腐、白菜ともやしのスープ、鮭のムニエル、キャベツの千切りを食らった。母はピンクのダウンジャケットを着て歩きにいった。彼女が歩きはじめてこれで三日目だった。散歩をするのはいいことだが、仕事がはじまる明日以降の彼女に歩きに出る気力は残っていないだろう。父は(……)の新年会で帰宅したときから不在だった。
CDがインポートできない自体に見舞われて買ったばかりの外付けドライブがはやくも故障したのかと危ぶまれたが、ディスクを取り出してドライブ内に息を吹きかけると見事に回復した。スーパーファミコン時代につちかった経験の勝利だった。しかしそんなことに時間をとられてまたすぐに七時半をむかえた上に、Stevie Wonder『Talking Book』の最後の二曲はディスクのほうの問題でどうあがいてもインポートできないようだった。英紙Guardianの社説、China and Japan: the pot and the kettleを(http://www.theguardian.com/global/2014/jan/02/china-japan-pot-kettle-war-shrine-visit)読んだあとに、Misha Tsiganov『Always Going West』とつづけてMisha Piatigorsky Trio『The Happenin'』を流しながらガルシア=マルケス『落葉 他十二篇』を七十一頁まで読んだ。午後九時を過ぎたので日記を書きはじめて、十時半前までかかった。