2014/3/7, Fri.

 昨夜寝る前にベッドの上でストレッチをしていると、ほんの小さな解離めいた瞬間が訪れた。驚きをともなってはっと夢見から醒めるように、自分の存在がいつの間にかいまこのときに至っていることを意識した。今日の労働や昨日Nと会ったことはもちろん覚えているが、しかし一体それは本当にあったことなのか、あったに決まっているけれど、ついそんな疑いがもたげてくるほど、過去の記憶はそれが過去になった瞬間から、水っぽく溶かされた絵具のように色薄くかすんでいってしまう。失われた時を求めたプルーストはみずからの記憶を一大長編として復活させ、ウルフは「私はただこの現在の瞬間をとらえるだけだ」と書いた。
 なかば瞑想めいたかたちで『族長の秋』を暗唱してから寝たおかげか、七時半に起床するという快挙を達成した。プルーストを読みながら煮こみうどんを食べたあと、昨日の日記を書いた。驚くほど書けなかったがこういう日も受けいれなくてはならない。「何の賞讃がえられなくとも書きつづけることで満足すべきだ」。Lou Rawls『Portrait of Blues』を流しながらプルーストを読みつづけた。九時過ぎあたりまでは起きていたようだったが、いつの間にか眠っていて気づけば十一時をむかえるところで、中途半端に横になりきらない姿勢で眠ったため、首がひどく疲れていた。ストーブの石油を補充しに外へ出た。陽射しは暖かいが今日もやはり風は冷たかった。昼食に緑のたぬきを食べてからBuddy Guy『Damn Right, I've Got The Blues』を流して、午後一時ごろマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2』を読了した。そのころになると空は白く染まり、黄金色の光は消えて寒々しい空気が広がっていた。Art Blakey Quintet『A Night At Birdland Vol.1』を久しぶりに流したけれど出会って以来変わることのない名作ぶりで、慣れ親しんだ旧友に再会したようななつかしさを覚えながら書きぬきをした。腹が痛んだにもかかわらず茶を胃にぶちこんで痛みを助長した。借りたCDのデータを記録してから風呂に入った。
 細かな白粒が風に吹かれて飛ぶ虫のように渦を巻きながら音もたてずに車のフロントガラスにぶつかりはじめると、雪だ、と母が声をあげた。雨と見まごうばかりに小さく、しかしたしかに白さを持っている粒子は窓にかすかな足跡を残して消えていった。腹痛はつづいており、密閉された車中の空気が手を貸してわずかばかりの吐き気まで感じはじめたが、図書館の前で降りて冷涼な空気のなかを歩きはじめると、胃が揺れて油くさい空気を排出し、楽になった。Grateful Dead『Blues For Allah』とJosé James『No Beginning No End』を持って階を上がると、新着図書で目についたのはジュール・ヴェルヌ『黒いダイヤモンド』と色物との噂を聞いたことがある郡司ペギオ幸夫『いきものとなまものの哲学』くらいだった。『失われた時を求めて』の一巻(登場人物の系図をコピーし忘れていた)と四巻と、忘れずに柴崎友香『ビリジアン』を借りた。
 空はほとんど全面青く染まっていたけれど、何ものをも包むことのない剝き出しの晴天の青とはちがって、何かを覆い隠す靄めいた曖昧な青だった。その向こうにあっては太陽の旺盛な光も頼りなげにかすんでしまうが、それでも居場所を知らせるには充分だった。ぼやけた光球が浮かぶ直下の山ぎわで雲海には途切れ目が生まれ、雲の輪郭線と、それよりも深い青に包まれた山の稜線が囲む一角だけは、一面の青のなかで白く明るみを帯びてかたちを露わにした雲が渦を描いていた。電車を降りて眼前の丘を眺めれば、色味の鮮やかさは減じているとはいえ緑や紅がかった茶の色が散らばっているのに、彼方の山並みは一様に暮れた青、東山魁夷の絵画を思わせるような老成した青の影と化しているのだった。
 退屈な労働をこなして帰る途上の空には笑みを描く月と星が浮かんでいたけれど、まだ夜が深くないためかその輝きは薄く見えた。帰ってチェーン店の寿司を食べ、風呂に入ってから日記を書きはじめたが、苦戦して日付が変わる直前までかかった。Art Blakey Quintet『A Night at Birdland Vol.2』とRobert Glasper Experiment『Black Radio』が活力をくれた。