2016/9/14, Wed.

 夢を見ていたはずが、気づかぬうちに流動的に現世に通じて、アイマスクの裏で目を覚ましていた。外して時計を見ると、八時台である。五時間の睡眠で随分早く覚めたなと思いながら、しかしその好機を掴み取れないのはお定まりで、知らずふたたび寝付いた。眠っているあいだに、多くの夢を見たようだが、それらはもはやほとんど記憶に残っていない。何度目かに気付くと一一時で、逃した起床を惜しく思ったが、意識が定かになってから改めて時計に目を向けてみると、針がぼやけながらも一〇時を指していたので、まだ救われた気分になった。八時に覚めた時には布団の下でほとんど動く気にならなかったところが、七時間の眠りを通過してみると身体が動いて、布団を横にどかす力も出るもので、やはり無理に起きようとしても無駄なのだなと思った。いまのところ、七時間かそこらの眠りは必要で、意志の力を動員して五時間で起床したとしても、その日の活動中や、ほかの日に反動が来るに違いないのだ。結局眠りというものは自然に任せるのが良いというわけで、あとは瞑想などの方策を用いて、心身が自然に欲する眠りの量を減らしていけるか、という問題になる。布団を剝ぐと脚を刺激していたが、ともすればふたたび眠りに引きこまれそうな気配もあったので、例によって携帯電話を取って他人のブログを読んだ。それから起きあがり、用足しをしてきてから瞑想をした。一〇時二一分から瞑目して、思念を弄んでから目をひらくと一六分が経っていたが、それが体感と一致しなかったので驚いた。そうして上階に行き、フライドチキンを電子レンジに入れ、豆腐や味噌汁を用意して卓に就いた。新聞をひらき、高速増殖炉もんじゅ」が廃炉の見通しかという記事などを読みながら米を食った。皿を空にした頃に、母親が玄関のほうから呼ぶ。言ってみるとキャスター付きの小さな棚があって、これを車に運んでくれと言うので、サンダル履きで外に出た。母親の軽自動車の後部に収めておいてから室内に戻り、食器を片付けて自室に帰った。コンピューターを点け、前日の記録を済ませて一一時半である。Big Bill Broonzy『Good Time Tonight』を流して、即座に書き物に取り掛かった。大して書くこともなかろうと思っていたところが、やはり一時間は掛かって、三四〇〇字を足した前日の記事は四二〇〇字になるから、意外と書いてしまうものだ。それからこの日の分に入り、まずもはやほとんど消えてしまった夢の記憶を集めた。

・M野M政。何かホテルのような場所の廊下を歩いている記憶? 何かしら合宿のような雰囲気?
・N村Y太郎がでてきたということだけ覚えている。その他は忘却。
・T橋A美とT石K。自宅である。階段を下りて廊下に来ると、兄の部屋のほうから、声、T橋が歌の練習か何かしているらしい。録音とかいう言葉も聞かれた気がする。戸口から隣室を覗くと、ベッドの付近に二人集まっている。それから一度自室に入るのだが、再度隣室のほうに行って、今度はなかに入って行く。何らかのやりとりがなされたはずだが忘却。

 それでこの日の覚醒時からのことを綴って、一時前である。労働が三時限の日なので、それほど時間的な余裕はなかった。それでさっさと毎日のノルマを済ませることにして、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraを手に取った。三〇分で四ページほどを読み進めると、間髪入れずに『日本史B用語&問題2100』に持ち替え、こちらも三五分間めくって江戸時代の用語を記憶した。それで二時過ぎである。ギターを弾いたかインターネットを回ったか、記録上次に現れる時間は二時五三分、腕立て伏せを行った時のものである。それから、三時二分に音楽プレイヤーの履歴にStevie Wonder "Sir Duke" が残っているので、歌をちょっと歌ってからシャワーを浴びに行ったものらしい。湯を浴びてから仕事着を着込んで、薬は一粒、薄青いパッケージのロラゼパムのほうを飲んで、三時五〇分頃には家を発ったはずである。雨が心配ではあったが、思ったよりも明るく、水気の遠そうな曇り空だったので自転車に乗ることに決めていた。乗り物を駆り出して息を少々切らしながら坂を上って行き、街道に出て進むあいだ、ふと見上げると電線に烏が一羽止まっていて、灰に染まった空を背景にその姿が黒く塗り潰されて、羽根を広げてさえ何の起伏も見えず、現実に厚みを持った生物というよりは看板に描かれた図形か記号のようだと思った記憶があるが、これは徒歩でゆっくり街道を通った前日のことだったようにも思われる。中学校に入る口の前を過ぎる時に、運動会の練習をしているのだろう、管楽器と太鼓の響きが鳴るのが聞こえた。裏通りに入って紅色のサルスベリに目をやりながら走って行き、余裕を持って職場に到着した。普段より長い労働を済ませて九時半に退勤した。幸い雨は降っておらず、平和に夜道を戻り、帰り着くと自室に帰ってスラックスを脱ぎ、瞑想をしたが、何だか気が急いて五分で構えを解いた。すると一〇時直前、食事に向かった。ビーフシチューをよそり、ほかには確かフライドチキンとクリームコロッケが残っていたのではなかったか。それらを並べて新聞に目を向けながら食った。食べはじめてすぐに母親が風呂から出てきて、しばらくすると山梨に行っていたという父親も帰ってきて、実家に寄って土産に貰った桃や葡萄を提示した。早速母親がそのなかから、薄緑色のマスカットらしき葡萄を用意したので、皮を剝かなくても食べられるというそれをいくつかつまんだ。その後一度室に帰ったのだが、思い出すことがあって上に戻った。前日の夕刊に載っていた美術展の日程リストを保管しておこうと思ったのだ。それで過去の新聞を収めた袋から目当てのものを取り出し、鋏でリストを切り抜いた。そのままソファに就いて、父親が風呂から出るのを待ちながら、この日が最終回である家を売る女のテレビドラマを散漫に眺めた。劇中で、走る登場人物の背後に流れる街路に生えたサルスベリがやはり紅色の花をつけているのを見て、その旨を口にしたところから、サルスベリというのは開花が長く、落ちたはずがまた咲いているのを目にする、あれはどういうことなのかと、珍しくこちらが振る形で母親と雑談が始まった。母親はタブレットを取って検索をして、園芸をやっている人間のブログなどを示したが、こちらの疑問の解決になるような情報は含まれていない。じきに父親が出たので替わって風呂に入り、出てくるともう零時も近かったことだろう。室に帰ると、美術展日程表を机上の棚の正面に画鋲で留めておいた。上野の東京国立博物館平成館で催されている「古代ギリシャ 時空を超えた旅」は大層行きたかったし、また、同じく上野は東京都美術館の「ポンピドゥー・センター傑作展」も訪れたかったのだが、前者は九月一九日まで、後者は二二日までと会期終了が迫っており、勤務日程なども勘案するともはや行くのは困難である。そもそも生まれ落ちたこの地が、東京都内とはいえ大きな美術館のある都心からはだいぶ外れており、時間を掛けて遠出をするのが億劫で、また美術展に行って書き物が長くなるのも考えると、二日連続で休みの入っている時でないとなかなか出向く気にならないのだ。しかし、そんなことを言っておらずに、金も掛かるけれども月に一度くらいはどこかの展覧会に足を運ぶべきなのだろう――そういう気持ちを強めて、日程表を手もとに保持しておいたのだった。二二日は休みなので、意欲を固めればまだこの日に「ポンピドゥー・センター展」を訪問する余地はある。そのほかリストに載っていたものでは、会期順に、国立新美術館(乃木坂)の「ヴェネツィアルネサンスの巨匠たち」(一〇月一〇日まで)、東京芸術大学大学美術館(上野)の「驚きの明治工藝展」(一〇月三〇日まで)、東京国立近代美術館工芸館(竹橋)の「革新の工芸 "伝統と前衛"、そして現代」(一二月四日まで)がとりわけ興味を惹かれた。それから、給料日を迎えたのでこの一か月分の収支を計算して記録を完成させ、そうして零時半である。歯磨きか何かしたのだろう、ちょっと置いて零時五〇分頃から読書に入って、『族長の秋』を八ページ読んでいる。次にJ. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』に移って、二時前になると読書を中断し、休みの前は大概そうだが、翌日に時間が多く確保されている気楽さに任せてポルノを閲覧し、射精して下腹を軽くした。するともう三時過ぎである。読書量と読書時間の少なさに、既にだいぶ遅いのを押してさらに三〇分ほど本を読んだため、眠るのは久しぶりに四時を越えることになった。