2016/11/21, Mon.

 外は濃い灰色の曇りであり、雨がいつ降ってもおかしくない気配である。これは最後の覚醒の時だったか、それよりも前のことだったかはっきりしないが、その静まった灰の一色に押し固められた窓外に目を向けながら、もう朝が来たのか、と思った瞬間があった。こんな具合に、するすると、一日また一日が滑り消えて行って、歳を取るのだなと続いて、年嵩になった自分の姿が眼裏に垣間見えるような気がして、そののち思考は当然の成り行きで、瞬間、死の方に跳躍する。おのれの死というものを思ったわけだが、それがしかし、そこで改めて、そうか、自分は死ぬのか、と気付くような風で、さらには、自分は本当に死ぬのだろうかと、まるで信じられないかのような気分が滲んだ。可能性や概念の上では、いつ死が訪れてもおかしくないと理解しており、頭ではそのつもりで普段生きてはいても、現実の訪れを遥かな果てに遠ざける若い身の実感が、それを裏切ったらしい。

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 いつからか、雨が降りはじめていた。それが、座って瞑目しているうちに、俄かに高まって、空間を埋め尽くすように広がって、窓に迫ってくる。その音に耳を傾けていると、波の寄せる時は猛烈だったが、引く時はじわじわと、変化の境が耳で分けられないくらいに、いつの間にやらといった調子で離れて行った。

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 玄関を抜けると、空からは既に青味が剝ぎ取られて、街灯の白さが黒々とした路面の、細かな窪みに嵌っている様子が、五時だと言うのに夕刻も黄昏れも過ぎてもはや夜のものである。路上には、雨に降られて次々と落ちたのだろう、葉が豊かに散っており、向かいからやってきた車のライトが、空を割って流れた瞬間のみ、薄闇の澱みから僅か浮かびあがって鈍く、毒気のあるような色を放つが、すぐにまた沈んで、量感のみの存在と化す。道端の楓は、光の掛からない暗がりのなかでも、空気に長く触れて酸化した血液のような暗赤色の塊と、まだ鮮緑を保ったままの葉々とが、別の種を無理やりに接ぎ木されたかのように境を区切って勢力を争っているのが見て取れる。坂に入っても落ち葉はやはり道を斑に埋めているが、歩を進めながら、その隙間に覗くアスファルトの、微小な凹凸に純白の細胞が作られて、一歩ごとにちらちらと、万華鏡を覗いて回転させる時のように、蠢き推移していくのに、目を奪われるようになった。気温はそれほど低くはなく、マフラーで首を固めていれば十分である。街道では連なる自動車たちが、ライトの帯でそれぞれのあいだを繋いで、夏草のように旺盛に、柔らかく形を変えて地から跳ねる水飛沫を浮かびあがらせる。それが流れてきたのでもあろう、ある時に上着に触れると、まださほども歩いていないのに、だいぶ濡れた感触が手に残った。緩い坂の上から先を見通した途端に、早くも訪れた宵にもかかわらず明るさの印象が強く付き纏うのは、鏡と化した路面が車の二つ目を映し返し、光源を倍増させているからで、丸く膨らんだ発光体が四つ揃って次々と滑ってくるさまは、激しい。表を進めば、歩道にいるこちらの脇を過ぎ去って行くそれらの放つ、音も水の感触が混ざって増幅されて、耳に重く当たってくるのに、怯むようになるほどだった。

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 駅が近くなった頃に、後ろから女子高生たちの陽気な話し声が迫ってきて、横に伸びたこちらの影の上にも、もう一つの傘が象られて宿る。それがこちらのものを越えて行って、三人それぞれにリュックサック型の鞄を背負って、小さな傘を差しながら横に並んだ本体のほうも、先に行く。数歩分離れたところで、まだ一〇代も半ばというわけだろう、あどけないような、赤ん坊を連想させるかのような匂いが、漂って鼻に触れたが、中空に残ったその薄い甘さがどういうわけか、かすかな不快を生じさせた。

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 雨はほとんどやんでいた。歩くのを厭うて、また時間を少しでも節約したくて、電車で帰ろうと駅に入ったが、ICカードを持ってきていない。それで券売機の前に立って小銭を探ったところが、ちょうど接続の電車が入線してきて、すると乗り換えの発車はまもなく、一、二分のうちだから余裕がない。途端にやはり歩こうと気が変わって、駅舎を離れた。僅か一分間、気を急かせるのを嫌ったために、一〇分そこらで帰れるところを、倍以上の余計な時間を費やすほうに瞬間意思を翻した、妙な天邪鬼の選択である。

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 家近くで裏に入って進むと、坂の上から、いつもは川向こうの町並みの後ろに山が覗くところが、明らかに空が広くて、これまで雨の日にはたびたび見た光景ではあるが、不思議な感じがした。霧の湧いた木の間の坂を下って、ふたたびひらけた視座から眺めても、黒々と貼り付けられているのは川沿いの林の影のみで、その裏にもう一枚重なるはずの山影が跡形もなく消えている。粘土色の空が下端を伸ばして宙を塗りつぶし、そこに見えるべきものが見えず、視線を預ける先がなくて果ての見えない空漠のなかに吸いこまれるのが、どこか落ち着かないようだった。