2016/11/22, Tue.

 出ると、空は、人工的な球体の内側に閉じこめられているかのように、滑らかで澄んだ淡青に乱れなく染まっている。林の樹冠に差し掛かった太陽は露わで、空気は暖かく、風も戯れのような緩さで、快く肌を擦る。タオルやシャツ類を取りこんだあと、二本の傘を畳んで、それを足もとに突いて柄に手を載せながら、眼下の梅の木を眺めた。葉叢はもうだいぶ薄く、合間に枝が覗いて、その上には分かれた細枝の影が引かれて、縞模様を成している。枝葉のあいだにひらいた空間には、蜘蛛が巣を張って、力を失った葉が地に辿り着くことができずにそこに引っ掛かっている。頭頂のほうの枝の先に、乾き切った褐色の葉が、しかし落ちることなく丸まっておのれを保っているのが、虫の蛹のように映った。よほど弱い風にもふるふると、細かく身動ぎするあいだに、むしろ下端のほうから、薄緑を残した葉がいくつか零れる。果ての山に目を転じれば、斑模様は変わらないが、赤味が抑えた調子になって全体に、色が落着いたようである。西のほうは斜めに降る陽が大気を浸した向こうにあって、磨いて均されたようだった。

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 玄関を抜けてすぐは、外気の流れる感触に、ベストだけでは頼りないかと思われたが、歩きはじめればそんなことはない。落ち葉は道の上で、形を崩されて、砂の溜まりのように集まっている。坂に入って木の間に覗いた川沿いの銀杏は、陽を浴びていることもあってか、数日前より、明るくくっきりとした黄金色を強めていた。街道に入ると、新しく開通する道路の敷地の端で、ショベルカーがアスファルトの下の土を、軽く掘ったり均したりしており、機械が細かく横に振れるのに応じて、ところどころに露出した銀色の金属が、白くきらめきを放つ。家々の窓には、西で山に近づこうとしている太陽の、橙色が靄のように映りこみ、渡る陽が側面の壁にも触れて、漂白されたようになっているなかにも、赤味が一滴、溶かされている。裏通りに沿って続く丘も、色を柔らかくしているが、道を進みながらすれ違う小学生などに目をちょっと移して、また戻すと、被っていた陽色がなくなって、冷たいようになっている。いましがた、山の稜線の向こうに太陽が、過ぎていったばかりなのだろうか、落ちた瞬間がいまの僅かな間のなかにあったのだろうかと、信じられないようになった。進んで行って、ひらけた空き地の前から後ろを見やると、しかしそういうわけでもないらしい。妨げられることなく丸く青く広がった天穹の、山際にだけくゆっている乳のような雲が、太陽を受け止めたのだったが、その裏にあってもなお、雲を侵蝕する橙の色は、目に鋭かった。

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 天麩羅屋の前を通ると、甘みの混ざったたれのような香りが鼻孔に流れてきて、すると瞬間、嗅いだことのある匂いだと記憶が高速で巻き戻って、山梨の山の上のほうにある、父方の祖父母の古い家の室内の像がふっと脳裏に現れたのだが、匂いとその家との関連は定かでない――そこで天麩羅を食った覚えもないのだが、しかし、意識に上らせることもできないような記憶の奥で、両者は結びついているらしい。これはまさしくプルースト的な主題だなと、我が身に訪れた現象を反芻しながら、職場へ向かった。

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 夕刊を引き寄せて一面を見ると、福島県沖での地震が伝えられており、発生時刻が午前五時とあって、それで朝方のことを思いだした――たしかに、地震の訪れに、目を覚ましていたのだ。おそらくは早駆けの微動を感知したのだろう、まだ陽の色もなく室内は灰色に沈んでいたと思うが、その早朝の床でふと意識が浮かんで目がひらき、直後に、揺れが渡ってきて床にも伝わり、家が鳴るのに、やや不安になりながらもしかし、そこまで高まりはしないようだと臥位で身体を固めるように停まったまま動かず、やり過ごした。そのことを夕刊を見るその瞬間まで忘れており、既に地震が発生した朝から回って夜の一〇時に到っているというのに、そのあいだにテレビもインターネットのニュースも見ず、他人の口からも聞かなかったものだから、マグニチュード七. 四を伝える紙面を見て、こんなに大きかったのかと、唐突に驚かされるようになり、随分と迂闊なようだなと含羞じみた思いが湧いた。東日本大震災の余震だと言う。五年が過ぎても、余震というものが、それもこれほど大規模のものが、続くものなのかとそこでまた驚き、不気味さの感とともに、まだ疲弊している東北には痛いだろうなと、顔を顰めるようになった。津波は一. 四メートルとある。数字の上だけの認識で、一度はほっとするようになったが、改めて自分の背と比べ考えて、目の前の空間に波の上端の位置を想像してみると、この厚みの水の塊が野生動物のように高速で迫ってくるわけだからと、大したことがないなどとはとても言えないなと思い直した。