2017/2/10, Fri.

 前日の雪は地上には積もることはなかったが、朝食中に山を見やると、木の伐られた斜面には白さがまぶされて残っていた。

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 往路。家を出てすぐ、数歩しか歩かないうちに、正面から流れてきて頬に当たる空気の質が、実に冷たいことを感じ取った。ことによると、雪の降った前日よりも冷えこんでいるようにも思われて、今冬一の寒気が来ているという話も本当らしい。街道まで行くと、緩く坂になった道の先から上って来て姿を現す車のヘッドライトが、妙に皓々として、上下に激しく拡大されて映る夕方である。上側は縦線がいくつも連ねられて長方形のような形になり、下方は先の鋭く伸縮性のある触手になって、身体のすぐ近くまで伸びてきた。街道を下って行くと、中学校のほうから部活動の声らしいかすかな響きが渡ってくるなか、道端に、大きなトラック様の車が停まっている。後部に長く伸びた荷台の縁に枠のような骨組みができているが、上に何も乗ってはいない。何をするためにこんなところに停まっているのだろうなと、道の向かい側から眺めていると、あれは確かミニという車種だが、その名の通り小柄が車が、古風な見た目にふさわしく古い排気システムなのか、白濁した煙を尻から勢い良く噴射させつつ、トラックの後部から近づき、一度停まって調子を見たあと、一気にスロープを上って荷台に乗りこんだ。そのあとは見ずに、先を進み、裏に入って職場へと向かった。確かに空気は冷たいが、コートのポケットに両手を突っこんでいればさほど苦しめられることもなく、耳がざらざらと痛むこともなかったので、最寒と言われても、むしろ先月の、耳朶を苦しめた夕刻の方が寒気が酷かったようにも思われる。

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 職場に入って靴を履き替えたところで、何かが何かに当たった物音だったのか、それともコンピューターから発せられた何らかの音だったのかわからないが、一音、ごく短く鳴ったものがあって、それがBill Evans Trioの"My Foolish Heart"(無論、一九六一年六月二五日の、伝説的なライブのそれである)の、最初の一音の高さとまったく同じだったので、意図する間もなく即座に続きが脳内に展開され、流れて行った。

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 帰路、夜気はやはり冷たい。自動販売機の前に二度立ち止まったが、小銭を出して飲み物を買う踏ん切りがつかず、払って先を行った。スナック傍の道端で、撒かれた餌を猫が食べているらしく丸々としゃがんでいるのに、口笛を一つ吹いてやると、猫は振り向くこともなかったが、その音が思いの外強く、裏道の静けさのなかを切り渡った。黙々と、下向きがちに歩いていたが、坂を渡るとふと前方の空に目が行って、その青味に気づいた。ところどころに曇りが付されながらも星が合間にまたたいているなか、視線を上げて行くと、月の光線の差し掛かるその先端が視界に入ってきて、たどって後ろを見上げればその先にあるものは満月であった。高くに浮かんで、表面はのっぺりと模様なく白く、それを目にしてから改めて行く道を見ると、確かに明るい。街頭の掛からぬ民家の側面の表情もよく見えるようであり、屋根と空との境もくっきりと明らかで、夜空自体もその青さはあまり深いというものではなく、奥行きのないような色だった。心中も落着いており、明鏡止水とまでは行かないが、労働のあとの疲れの匂いもなく、気力が保たれているようで、冴える夜気に呼応して意識は明晰で、あくびが洩れるのが場違いなようだった。街道に出てからふたたび空を見ると、裏通りでは道の間が狭く家に迫られているので空の高い位置しかあまり見えなかったためか、先ほど見た時よりも一段と深みを持ったように映るのが不思議であった。