家を出て傍の道の上から見晴らす南の山に、金色の西陽が掛けられている。もっと近間の樹々からまとめて覆い尽くした夕方の色の、温かみのあるという形容を付すべきだろうが、身に寄ってくる空気が冷え冷えとするそのせいで穏和さもあまり感じられず、目で見るものと肌に感じるものとの落差ばかりが不調和に際立つ午後四時だった。表の道に向かう途中で丁字路に掛かると、西にひらいた坂道を包んで光の走る目映さのなかに、ひときわ締まった光点と化して羽虫が何匹か浮いている。過ぎて脇の宅の前で知り合いとちょっと立ち話をして別れると、身体の傍に、正式な名前は知らないが例の「雪ん子」と呼ばれる白い虫、綿の端切れのように漂い冬の先触れめいたあの虫が寄ってきて、先ほど輝きのなかに点々と浮かんでいたのもこれだったかと思われた。
円いような青さの空に月が早くも出ていたが、稀薄な雲の近くにあってその破片とも見紛うような同じ淡さである。太陽はちょうど丘と接しはじめるくらいで、西を見返れば空の際で大きく眩しく広がったそれの、表の街道を進むあいだはまだ落ちず、家壁に濃い西陽色の浸透してゆかしいようで、その奥に覗く林の樹々も下のほうまで彩られ、向かいから来た人の顔を見れば半面が血色良く染まっているのに、自分の顔もあのようになっているのだろうと思った。
駅のホームから眺めた小学校の裏山は、もうだいぶ斑になって渋いような紅色もなかに混ざっている。まさしく炎のような形で毎年黄色く燃え上がる銀杏の樹はしかし、まだ絵筆のように先端に僅かに黄色を付されたのみである。校庭で遊び回っている子供らの声が響いて昇るその上で、校舎の窓ガラスに暮れの空の仄かな朱色の写し取られているのが、色のついた水を張ったかのように澄んでいた。