まず初めに、八時台か九時の頃合いに覚めた。その次に覚醒すると、一〇時二〇分くらいだったと思う。感触としてはかなり軽い目覚めで、もう少し意志の力があればそこで起床できたはずだったのだが、結局はいつも通り、いつの間にかまた寝付いていた。正午前から段々と意識を定かなものにしていって、一二時一五分に布団から出た。最後の覚醒の時には、仰向けになって脚を曲げ、深呼吸を繰り返し行った。そうしていると、血圧の具合なのか何なのか知らないが、鈍ったように停滞している身体の感覚が確かに調って、ようやく動けるようになるのだ。初めの覚醒時からこのように深呼吸を行うことができれば、多分そこで速やかに起きられるのだろうが、と思った。ベッドの縁に腰掛けて少々息をついてから便所に行き、戻ってくると瞑想を行った。比較的温暖な晴天の日和で、外の音が聞きたいから瞑想の時は窓をちょっとひらくのだけれど、ダウンジャケットを羽織らなくとも寒さはない。緩やかな気分で一八分を座ると、上階に行った。
(……)新聞は、まず「モスクテロ 「子どもから殺された」 エジプト 生存者が証言」というエジプトの事件の続報から追った。その後、「ワールドビュー: 屈辱が強めた民族意識」(これはカタルーニャ情勢についての記事である)、「メディア 米国のいま 広がる分断 下: コメディー 過激化 反トランプ うっぷん晴らし」と国際面の記事を追い、それから二面に移って、「エルサレム「首都」認定検討 トランプ氏にパレスチナ反発 米報道」、さらに三面の「「露と接触 中枢幹部指示」 フリン氏 偽証認め司法取引 クシュナー氏の関与 焦点」と、相変わらず海外の情報ばかり読んだ。そうして席を立って洗い物をして、風呂も洗うとそのまま玄関を抜けて、竹箒を手に取った。散らばった落葉を掃き集めていくのだが、その合間にも西から風が流れて、これから掃こうというものが流されて行く。まだ二時前で、太陽は林の樹々の頂点にその光輝の広がりが触れるか触れないかというところで、明るさは十分に残っているものの、風が厚くなればやはり肌に冷やりとする。途中で地面から目を上げると、向かいの家の入り口付近に楓の葉がたくさん伏して、貝殻のようになっている。傍らに立った楓の樹の、鮮やかな紅色に染まりきった葉の群れが、陽射しを掛けられて赤の色を明と暗の二種に分けて揺らいでいる。そうした様子を全体として眺めて、なかなか粋ではないかと思った。(……)道の先の楓の樹は、もう随分と色褪せて、不健全なような濁った色合いになっていた。
そうして屋内に入り、手を洗って室に帰ると二時直前、緑茶を用意してから、(……)を読みはじめた。緑茶をおかわりしに行った(……)。それから自室に戻って引き続きブログを読んでいた(……)上階に行った。それでタオルや肌着などを畳んで整理しておき、アイロンを掛けるものにはアイロンを掛けた。(……)室に帰り、ブログ記事の続きを読んだ。その後、三時半から日記を記しはじめて、まず前夜の就床前のことを記述して一二月二日の記事を完成させてしまい、それからこの日のことをここまで記して、現在は四時半である。
そののち、上階に行って、(……)紫玉ねぎと大根をそれぞれスライサーで薄くおろし、笊のなかに入れたまま水に浸けておいた。済ませると室に帰り、五時台後半からふたたび(……)を読みはじめている。そうして六時に至ると、早々と食事を取りに行ったのだが、この時何故か、気分がかなり良く、明るいようになっていた。空腹を抱えて階段を上りながら、これは飯が美味く感じられるだろうなと思われたほどだった。何故そんなに心持ちが上向いていたのか、(……)が面白かったということもあるかもしれないが、確かなところはわからない。実際、食事は普段と特に何か変わっていたわけではないのだが、大変美味く、満足の行くものだった。食べながら新聞の日曜版の冒頭の記事を読む。読売新聞は毎週日曜には通常の新聞に合わせて薄めの日曜版も発行していて、そこの一面と二面の記事はいつも、文学作品などから一節を引いて、それにまつわる事項について少々物したという趣向のものになっている。この日の引用元は道元で、載せられていた永平寺の写真(上空から撮ったもの)が結構なものだった。極彩色ともちょっと言いたくなるような紫や橙や紅が、斑に、ことによると毒々しいかに差し込まれた山の合間に、帯成す霧まで湧いて画面を白く横切っているその向こうに寺の威容が覗くという構図だが、まるで漫画の、これから物語が始まるという冒頭にでも据えられていそうな画だと思った。引かれていたのは、『典座教訓』とやらの文言で、要するに食事を作るというのも、食事を取るというのもまた修行である、一日の生活のうちすべての時間が即ち修行であるというような考えに繋がる部分だったと思うが、こうした観点についてはヴィパッサナー瞑想のことも思い合わせて色々と考えを巡らすところはある。ベルクソンおよびドゥルーズの系列が構築したと思われる差異=ニュアンスの哲学に、東洋の仏教系の思想、さらにはそこにフーコーが晩年に考えていたという「生の芸術作品化」の視点も結び合わせて、何かしらの「生(生命)の哲学」のようなものを樹立することができるのではないかと、そうした予感は前々から抱いているのだが、しかし如何せん予感だけで、文献自体にちっとも当たれないのが現状である。新聞の文を読み終えると、まだ食物が残っていたので、一口を仔細に味わうようにゆったりとした調子で食った(そして実際、一口ごとがどれも美味く、安息するものだった)。食事を終えると自室に帰って、緑茶を飲みながら日記の読み返しをした(二〇一六年一一月二三日水曜日)。それから書き物に入り、一時間半で二七日、二八日の二日分を仕上げたところで切りとした。何か身体がこごるような感じがあったのだろう、そこから、Oasis『(What's The Story)Morning Glory?』をBGMにして運動を行った。二〇分間身体をほぐし、FISHMANSなどをちょっと歌ってから入浴に行ったのだが、この時、先ほどの晴れやかで落着いた気分からは一転して、緊張の感覚が全身を覆っていた(あるいは蝕んでいた)。自室を出て居間に行くだけで、そのような感覚を覚えるのだ。風呂に浸かりながらも、この自分の心身の調子の変動の激しさは妙だなと思いを巡らせた(「変動の激しさ」などと言ったって、それはこの自分が主観的に、その都度計測器のようにして感知しているだけで、外面には表れておらず、誰にも気づかれていないのだが)。湯のなかにいても不安の感覚が抜けず、芥川龍之介ではないけれど、自分が存在しているということそのものに対する茫漠とした不安、などと戯れに思ったりもした。最近の自分は尿意の高潮などもあるし、どうもまた色々な面で不安神経症の兆候が現れはじめているような気がしないでもない、このまま行くと、あるいは何かの機会にふたたび発作を起こすかもしれないぞと危ぶんだが、そうなったらそうなったでまた薬を貰って頭を鎮めれば良いだろうという当てはあった。それにしても、不安や緊張というもののまったく存在しない平静あるいは自足の状態というのは、全然やってこないなと呆れるようになった。結局のところ自分は、不安症状自体は日常生活を問題なく遅れるくらいの水準に収まりはしたけれど、不安神経症的な性向そのものを消し去ることができたわけではない(神経質な人間は、おそらく一生、神経質なままである。ただ、自分が神経質に何かを気にしてしまうということを気にしない、という方向に認識の傾向を誘導することは可能だろう)。多分自分はこの先も、始終微細な不安をおのれの内に検知してはそれにいちいち反応して、精神の安息を求めながらも決定的なものは得られないままに死んでいくのだろうなと先行きが容易に見えるような気がして、しかしそれに失望せず、笑うようになった。ある種、喜劇的な人間類型の一つかもしれない。そうしたことは措いて、突然の気分の変動をもたらした要因を現実的に考えてみると、やはり緑茶ではないかと思われた。カフェインがそうなのか、その他の成分なのか知らないが、自分の身体とは相性があまり良くないのだ。それでも食後は何か一服したくて飲んでしまうわけだが、ともかくまたしばらく緑茶を飲むのはやめてみようと心を定めた(今までもこのように、緑茶を飲んでは体調の変化を感じて止め、しばらくして心身が良好になるとまた飲みはじめるということを繰り返してきたので、またそのうち飲みだすのではないかという気もするが)。こうしたことを思い巡らす一方で、窓の外からは風の音が耳に届いていた。林の葉叢を鳴らしている響きが、初めは小さく渡ってきていたのだが、じきに高まって、結構な流れ方になったので、もしや明日は雨になりはしないだろうなと心配された。
心を落着けるように浴槽のなかで深呼吸を繰り返し、風呂を上がってくると、気分は多少平常の方向に戻っていた。白湯をいっぱい注いで室に帰り、胃を暖めながら何をするかと考えて、ひとまず音楽を聞くことにした。一〇時一〇分から始めて五〇分ほど、最初はいつも通り、一九六一年六月二五日のBill Evans Trioの演奏から、"All of You (take 3)"と"Porgy (I Loves You, Porgy)"を聞き、次にFISHMANS "新しい人"に耳を寄せて(この曲は大変に素晴らしい)、その後はTHE BLANKEY JET CITY『Live!!!』から数曲流した("Bang!", "TEXAS", "2人の旅", "不良少年のうた", "SOON CRAZY"; #4-#8)。"TEXAS"のギターソロなど聞くと、浅井健一のギターの音の運動というのは、ほとんど「動物的な」と言いたくなるようなものだと思った。このようにギターを鳴らすことができ、それがこの上なく様になるというのは、やはり羨ましいことではある。
そのうちに、カフェインだか何だかの効力が抜けてくるだろうと思っていたのだが、音楽を聞き終えるとやはり心身の感覚は結構落着いていた。歯磨きをしながら自分のブログでここのところの日記を読み返し、そののちに、武田宙也『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』をしてからこの日の日記の続きを記しはじめた。ここまで書いて、現在は午前一時八分になっている。
その後は、(……)棚に何列にもして積んである本のなかから蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』を取って、きちんと読むのではなく色々な箇所を無造作にひらいて拾い読みをした。前日に『ダロウェイ夫人』を読み終えて、新しい読書に移ることもできるところ、中断した古井由吉『白髪の唄』の続きを読んでも良いのだが、月末の会合でパク・ミンギュ『カステラ』という小説を読むことになっていたので、一二月は忙しいことでもあるし、やはりそちらを優先したほうが良いだろうと思っていた。件の本はこの時点ではまだ入手しておらず、この翌日に新宿まで出かける用があったので、その時についでに買って読みはじめるつもりだったのだ。それでこの深夜には気楽な拾い読みに遊びつつ、例によってゴルフボールを踏んでいると、先ほどの頭痛が解消されて行く。翌朝は久しぶりに九時には起きようとアラームを設定してあったので、三時には床に就きたい気持ちでいたが、疲労感が抜けていくのが快くて、結局消灯するのは三時半になった。就寝時の瞑想をしなかったが、寝床で仰向けになりながらじっと動かずに深呼吸を繰り返すのもほとんど同じようなものだろう。この頃には不安感というほどのものはほとんどなくなっていたと思う。頭がひどく冴えていたというわけでもないが、眠りはなかなかやって来なかった。深い呼吸を繰り返していると、身体感覚(肌[﹅]の感覚)が鋭敏化されるのだろうか、全身が繭に包まれているような心地になってくるのだが(自律訓練法を実践したことのある人間なら思い当たるはずだ)、感覚が鋭くなったそのために、何かの拍子にかえって奥[﹅]から(一体何の奥[﹅]なのか?)不安を引っ張り出してきてしまいそうな気配が微かにあって、変性意識(と呼ばれる状態だと思うのだが)もだいぶ深みに進んだところで肉体の静止を解いた。それで左右に姿勢を変えてしばらく過ごしたのち、ふたたび仰向けに直って静かにしていると、今度は深まりがある程度進んだところで、感覚がぱっと別のフェイズに転換する瞬間があった。何と言えば良いのか、繭の比喩を使い続けるならば、そのなかに籠められていたところから外皮を脱ぎ捨てる、あるいは脱ぎ捨てるまで行かなくとも、外皮が非常に薄くなって肉体の周囲にぴったり貼り付いてほとんど同化したような状態になったと言うか(しかしこんなものは単なるイメージに過ぎない)、ともかく、外側に出る[﹅5]というような感覚の訪れとともに、頭のなかの濁りが一掃されて晴れ晴れと明晰な意識の状態がもたらされた。と言ってやはり冴え冴えとした固い鋭さがあったわけでなく、その内から、ようやく眠気の寄ってくる兆しがあって、そのうちにうまく眠りに入ることができたらしい。