長々と一二時半まで寝過ごす。夜更かしのため、起床後数時間は身体が固く、久しぶりに頭痛もあった(風呂洗いをしている最中、浴槽をブラシで擦るために屈むと、頭の内にこごるものの存在感が良く感じられた)。起床してすぐの瞑想は、二三分になった(窓を少々ひらいたはずだが、寒さの感覚がまったくなかったので、前日よりも気温が高い日だったのではないか)。非能動/不動方式から深呼吸方式に変えてしばらく経つが、長い時間を掛けて呼気を吐ききる今のやり方(一度の呼吸に、おそらく二〇秒から二五秒くらいは費やしているのではないか)はうまく行っているようで、座っているうちに肉体が全体としてほぐれて温まってくるのが明らかに感じ取られて、心地が良いので苦労を感じずに二〇分以上をじっと座れるようになってきたらしい。
上階に行くと台所で卵を焼く。炊飯器には米がもう乏しく、固まって貼り付くようになったなかからまだ食べられそうな部分をこそげ取るようにして丼に取り、その上に焼いた卵を乗せる。そうして卓に運ぶと、固めずに液体を保った黄身を崩して、醤油と混ぜながら食べる。この時は何故だか新聞をうまく読めず、あとで自室でゆっくり読もうと考えた。ものを食って風呂を洗うともう二時も間近である。洗濯物を取りこんでタオルを畳んでおき、白湯を持って室に帰った。
インターネットを回ってのち、三時から日記の読み返しをする。二〇一六年一一月二五日から二八日まで、久しぶりに一日分だけでなく数日分をまとめて読む(それでもちょうど一年前からだいぶ遅れているわけだが)。二八日の日記になかなか良いと思われる描写があったので、三箇所をTwitterに投稿した。ブログに以前と同じく長々とした日記を投稿するように戻して以来、Twitterに発信することなど何一つとしてなくなってしまい、過去のツイートもすべて削除して他人の発言をちょっと覗くのみになっていたところ、やはり日記の一部を抜粋して発信し、多少なりとも人々に読んでもらうかと思ったのだったが、しかし投稿して直後には、こんなことをしても面白くもないなともう気持ちが萎えていた。Twitterという場は結局のところ、こちらの性に合わない。言いたいこと/伝えたいこと/主張したいことの類など何もないし、あったところで、一四〇字を一単位とするシステムの場にこちらのそれが適さないことはこの日記を見れば明らかだろう。Twitterを再開したのも一応、「雨のよく降るこの星で」に多少の人々を呼び込みたいという目論見があってのことだったが、そうしたことも今となってはもはやどうでも良いとしか思われない。毎日黙々と日記を書いて投稿し、それが何年ものあいだに積もり積もって、膨大な集積を成してインターネット上に存在すればそれでもう良いと思う。自分の文章が金に変わる必要はなく、「人脈」に繋がる必要もない。そうしたことはすべて面倒臭く、退屈で、こちらの興味を惹かないことである。「雨のよく降るこの星で」にはそぐわない主題の事柄をいくらかまとまった文章に拵えた際に投稿する場として、「(……)」というブログを作り、ライブの感想だったり過去のパニック障害の体験談だったりを投稿したりもしたが、あれも別段作る必要がなかったものだと思う。そもそも自分は、批評や感想の類を一つのものとしてまとまったそれだけの形で拵えたいとは思わない。「論」の類を作りたいわけでもない。そうしたものを書きたければ、この日記のなかにすべて書き入れればそれで良いのだ。何か一つの主題のもとに整理された文章に一つの明確な題名を付して、太字のタイトルを掲げた一つの記事として発表するというのは、自分としては端的に気恥ずかしいことである。その点、日記というのは日付をそのまま記事の題にすることができるわけで、日付とは実に素っ気なく、意味が薄くて落着くものだ。自分の文筆的欲望としては、この日記を毎日書き続けるということと、いずれ小説作品を作るということ、大方その二種類しか存在しない(ほかには一応、翻訳したいと思うものがいくらかあるくらいである)。そして、何かしらの小説作品を拵えた暁には、それもいま日記を投稿しているのと同じブログに発表すればそれで良いと考える。文学賞だとか出版だとか、そのようなことには興味を惹かれない。(……)
このような世迷い言を記している場合ではない。この日、日記の読み返しをしたあとは(……)を読んだ。それから隣室に入ってギターを弄り、四時半から少々日記を記した。一二月九日の分である。五時に至る直前で一旦止まり、上階に行ってカレーを作りはじめた。音楽を掛けることもせず、黙々と野菜を切り分け、肉も裂き、鍋で炒める。炒めあがって水を注いでおくと、流し台に溜まった洗い物を始末する。するとちょうど鍋に灰汁が湧いているところなので、それを取っておくと、台所を離れてアイロン掛けをした。シャツを何枚か処理し、下階に運ぶとそのまま室に戻り、身体がこごっていたようで、ベッドに寝転んで読書を始めている。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を七三頁から九七頁まで読む。この小説はこちらの感触としては今のところ、特段に悪くはないが明確に際立って良くもない。読書は、「そうですか? キリンです」という三つ目の篇に入っていた。この篇のうち、七〇頁の満員電車が乗客を出し入れするところの描写と、その次の頁の、ピラミッドを建造した奴隷たちの「算数」も「悔しさ」だったかもしれないという想像は少々良く思われた。またこの日は、八〇頁から、「おやじ」の瞳の色の描写として、「電池が切れた電卓の液晶のような、そんな灰色」という表現がやはりほんの少々良く思われて、ノートにメモをしたのだが、直後に、「もう、計算が立たない」と続くのを読むと、この比喩のニュアンスが一挙に失われるように感じた。ここは、「おふくろ」が倒れて病院に運ばれたあと、病室に入った話者が母親の手を握る父親の「ぼんやりとした暗い表情」を見て、「おやじの瞳がこんな灰色だったこと」に「初めて気づいた」ところである。収入の少ない一家の先行きの不透明さと言うか、それを思って途方に暮れるような話者の「心情」(この文脈においては何とも使いたくない言葉だ)が「計算が立たない」の一言に表されているという風に読まれるところだと思うが、先の比喩は、それ単体で具体的な「灰色」のニュアンスをイメージさせる喚起力を多少なりとも持ち合わせているとこちらには感じられたところ、次の文で「電卓」と類同的である「計算」の主題が付け足されることによって、先の比喩が一気に一般性の圏域、ある既存の主題的体系のなかに回収される感じがするのだ。もう少し平たく言い換えれば、(書き手の「意図」がどうであれ)「もう、計算が立たない」という表現を導き出したいがために、「電卓」の比喩を使ったようにも感じられてしまうということで、色合いのニュアンスとの関係で(電池が切れた電卓の液晶の色というのは、なるほど良くわかる灰色の言い方だなあ、というような素朴さでもって)この比喩に注目していたこちらとしては、「計算不能」→「先行き不明」→「(大袈裟に言えば)絶望」というような意味の連環/連想をここに接続/導入されることで、イメージされた「灰色」のニュアンスのうちに夾雑的な情報が差し込まれたように感じられたというようなことだろうと思う(うまく明晰に説明できたかどうか自信がないし、そもそもこのような考察をわざわざ展開してみるほどに大した表現でもないのだが)。
本は七時まで読む。瞑想をしてから、食事に行く。先ほど作ったカレーを食べる。食べながら、エルサレム関連の新聞記事を読んだと思う(「エルサレム 首都認定 米と民意 アラブ板挟み」というものだった)。食後、入浴する。その後は長く、だらだらとしたようだ。零時過ぎから日記を書きはじめる。前日の分を仕上げ、この日の分もちょっと書き、Twitterについてうだうだと記すのが面倒臭く思われたのでその前で一旦切って、放置していた一二月一日の記事を片付けた。これで、一二月三日までブログに投稿することができたわけである。その後はまただらだらとして、瞑想をせず、五時直前に床に就いた。