六時前に仕掛けられた目覚ましの音で一度覚醒し、布団の下から抜け出して時計のスイッチを切ったのだが、また即座に寝床に戻ることになった。この時にはまだ夜明けの明るさはカーテンに差していなかったはずだ。決定的な眠りに陥らないよう注意しながらしばらく微睡んで、六時四〇分を迎えたところで意識を定かなものにした。洗面所や便所に行くより先に、瞑想をしたのだと思う。八時過ぎには出なければならず、とすればもはや大した時間も残っていないから一〇分少々で短く済ませ(枕の上に座って目を閉ざしているあいだに、ちょうど太陽が山の稜線を越えてきたようで、瞼の外の空間が数秒のあいだに明るさを増していくその推移が感じられた)、七時を回ったところで食事を取りに上階に行った。前夜にも食ったが、豚肉の角煮と卵やら玉ねぎやら諸々混ぜたものがフライパンに残っていた。それを丼の米の上に掛けて、ほかにも何かしらの副菜があったと思うが覚えてはいない。
新聞を読む間もなく食事を終えると諸々身支度して、八時を過ぎたところで宅を出発した。快晴である。前の日の僅かな雨による水気が、路上に微かに残っていたかもしれない。道に散った落葉の上を煌めきが次々と渡って行き、多く敷かれた場所まで来ると東南の空を背景に、足もとがそのまま一面白く発光するようになって、太陽の光が実に白いな、と思った。大気は冷たかったに決まっているが、その寒気はあまり具体的な瞬間における肌の感知としては記憶されていない。まだしも日なたが差し込まれていようと、この日は裏ではなく表の道を取って行く。太陽はまだ向かいの道の小公園に立った樹の梢にすっぽりと嵌まるほどの高さでしかない。家並みの合間から切れこんで折々に掛かっている光のなかに踏み入ると、口から洩れる呼気が石灰色に濁っていかにもするすると、滑らかな動きで細く容易に空中を流れて行くのが良く目に見える。家を出るのが少々遅くなったので、職場に着く頃には八時四〇分を過ぎるだろうことはわかっていた。それでも構うまいと払っていたが、坂下の横断歩道を渡ったあたりで時計を見て、二、三分程度稼いでやるかという気になり、歩幅を広げ、歩調も速めてその後の道を行った。普段はまだ眠っている時刻に清冽な朝の道を辿っているからと言って特段の感慨もなかったが、駅の近間の八百屋の前に輸送車が停まって、あれは積み込んでいるところだったか荷下ろしをしているものだったか知れないが、林檎が入っているものらしい大量の箱が車の内に置かれているその前で、八百屋の女性と配達員とがやり取りを交わしているのに、何となく朝らしいなと目を留めはした。
ここまで、短い眠りのわりに肉体の重さや眠気を覚えることもなかったが、労働のあいだ立ち尽くしていると、平衡感覚が微かに乱れてふらりと来そうな気配が生じる時間があった。正午を越えた頃合いからだろうか、さすがに欠伸も洩れるようになる。そうした意識の濁りと関係があるのかどうか不明だが、ある種の現実感覚の薄さをも覚えたというか、世界の感じられ方が普段と違っていたようでもあるものの、これについてはうまく説明できないのでそうと記すのみにする。
勤務を終えると二時前、快晴は続いている。排泄の欲求が近づいていた。図書館に行く予定だったので駅に入り、ホームに上がると発車まで五分ほどあったので、ひとまず先に排尿だけしておくことにしてホームの端にあるトイレまで歩いて行った。先に二人便所に入って行くのを見ており、小さな室内が埋まっているのを知っていたので、人が出てくるまで外で待つ。日なたのなかに立っていても大気の肌に冷たい冬の晴れである。一人出てきたあとに室に入って尿を放つと、出てすぐのところの車両に乗った。まもなく発車し、目を閉じながら到着を待って、(……)で降りる。ホームの上には、駅舎の周囲の建物に切り取られた陽射しがところどころ敷かれており、屋根の下に入っても穏和に明るい。そこから覗く南の空に浮かんだ雲は、光をふんだんにはらんでいるのだろう、透き通ったような質感で、青く彩られた内側の色の、背後の空が透けて見えているかのようだった。
階段を上り、改札を抜けて駅舎を出ると、通路を渡って図書館に入る。(……)フロアに入ると、『思想』の新しい号が出ているのではないかと雑誌の区画をちょっと覗いた。すると新号は、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロの特集で、この人類学者については書店で『食人の形而上学』という本を目にしており((……))、檜垣立哉も寄稿していて(いましがた検索してわかったが、彼は『食人の形而上学』の訳者だったのだ)何だか面白そうなのだが、借りる気にはならず、雑誌を棚に戻してCDのほうへ行った。その横に取り揃えられた文芸誌も新号が出ているだろうからと一応目を向け、『群像』の表紙に蓮實重彦の名前があったので、まあ見てみるかと手に取ってページを繰った。「パンダと憲法」と題された短い随筆を立ったまま流し読みすると、背後のCD棚のあいだに入り、Suchmos『THE KIDS』がまだ返却されていないことを確認してから上階に上った。新着図書の棚には最下段の列が新たに生まれており、靴の目の前、ほとんど床に接せんばかりのその並びのなかには、黒沢清の対談などをまとめた本があって、取ってみればここにもやはり蓮實重彦の名が見える。彼と黒沢との対談は二つ収録されていて、しゃがみこんでその場で少々、つまみ食いならぬつまみ読みをした。その後、席を求めて窓際のほうに出たのだが、何となく予想していた通り空きがない。フロアを辿って行き、テラスのほうも見たけれど、こちらも結構埋まっていて窮屈そうである。図書館に来たのは、書き物をしたいということもあったが、返却期限を過ぎたCDを返したいというのが理由の一つで、しかし返却する前に曲目や録音年月などのデータをコンピューターに写しておきたいので、そのためにどこかしら作業のできる机を確保する必要があった。行き場に困ったものの、ひとまず排便して何かものを食おうということでトイレに行くと、個室が塞がっていたので下階の便所に移った。こちらには空きがあって便器に座ることができ、糞を体外に排出すると石鹸を使って手を良く洗い、館を抜けた。
図書館のすぐ下に(……)があるので、久しぶりにそこに入ってハンバーガーでも食おうかと思ったものの、何か忌避されるところがあり、実際に店舗の前まで行ってみても入る気にならない(この時、街路の途中に付けた軽自動車から旗を取り出して何やら準備している人がおり、見れば核兵器廃絶を訴える団体のようだった)。結局のところ、コンビニでおにぎりでも買って外で食うのがこちらの性には合うのだろうと落とし、道を渡るとコンビニに入って、おにぎりを二つ(鶏肉の入ったものと、もう一つは忘れた)、それにチョコレートクロワッサンを購入して、外のベンチに就いた。太陽は先ほどよりも高度を下げたためか雲に引っ掛かったらしく、あたりに確かな日なたが生まれない。手の先端はやや冷えるが、それでも風が寄せるでもなく、さほどの寒さではなかった。すぐ近間の喫煙スペースから、煙草の香りが幽かに漂ってくる。ものを食いながら、周囲を通り過ぎて行く人々や、タクシーの運転手がにこやかに同僚に声を掛けている様子などに目をやる(親に連れられた幼子が二度、こちらの傍を通ったが、二人ともこちらのほうをじろじろと見つめながら引かれて行った)。ロータリーのなかに立った樹は、あれはヤマボウシではなかったかと思うが、キャラメルチョコレートを絡めたような色合いの葉を吊り下げていた。腹にものを補給すると、袋をまとめてコンビニのダストボックスに捨て、階段を上がって(……)ビルに入った。喫茶店が空いていないかと思ったのだが、どうも随分と盛況で、席は埋まっている。結局、やはり自室で作業するのが一番なのだと納得して外に出て、そのまま帰途に就こうかとも考えたが、せっかくここまで来ているのにCDを返せずに翌日また出向いてくるのが億劫に思われた。それで通路の途中に立ち止まってしばらく考え、ともかくも(……)に入るだけは入ってみるかと心を決めた。それで長く滞在する気持ちが起こればそれで良し、そうでなくとも音源の情報の記録だけは済ませて、CDを図書館に返してから帰宅しようというわけである。そうしてまたもや下の道に下りて入店し、ココアのみを注文して、四人くらいは座れるだろうソファ席に一人で陣取った。コンピューターを立ち上げて作業を進めるのだが、横を通る人々の動きだったり、カウンターのほうから聞こえてくる店員と客のやり取りだったり(耳にしていると、日本のファストフード店の店員とは本当に大変なものだと思う)を知覚するに、やはり居心地が良いという感じが湧いて来ず(おそらく、店内の至る所に漂い、ほとんど空間全体に充満している「忙しなさ」の意味素が性に合わないのだろう)、長い滞在はせずに用を済ませたらさっさと帰ることにした(打鍵をするあいだ、外では核兵器反対団体が、道を縁取る柵の支柱にくくりつけられた旗の横で署名運動を始めていた)。そうして記録を終えると退店し、ふたたび図書館に入ってCDを返却すると、音源を借りても借りるだけであまりがつがつと聞けないのだが、棚のほうに心が向いた。それでジャズの欄を眺めると、Robert GlasperがMiles Davisの音源を活用して作ったらしい『Everything's Beautiful』がある。『Black Radio』あたりからのGlasperの仕事というのは、「ジャズ好き」の人々のあいだでは多分毀誉褒貶が様々あるのではないかと思うが、何だかんだでやはり聞いてみたくはあるので、これを借りることにした。一枚借りることに決めると、三枚まで借りられるのだからどうせならあと二枚もと欲が出て、類家心平『UNDA』を二枚目に選んだ。最後の一枚は、順当に行くならば大西順子『Tea Time』か、Bill Frisell『When You Wish Upon A Star』かというところだったが(FrisellはThomas Morganとのデュオである『Small Town』を買ってあるところ、まだ一曲も聞けていない)、ここは敢えて、非常に古典的な形のジャズを守ってこの現代と呼ばれる時代にも演じ続けている音楽家の演奏を聞いてみようではないかと考えて、Harry Allen Quartet『For The King of Swing』に決めた。それで貸出手続きを済ませると退館し、駅へと渡った。
ちょうど四時頃の時刻だった。宙から陽の色は退いて、ホームのベンチに座って電車を待っていると、寄せてくる空気が大層冷たく、僅かでも動きが生まれれば肌がそれを如実に感じ取って震える。乗ってしばらくのちに降りると、ここでも乗り換えを待ってホームに立ちながら、冷気に耐える(横に立った男性も、電車の入線をまだかまだかと待ち望んでいるのが容易に見て取れる動きでうずうずと身体を揺らしていた)。来た電車に乗って運ばれ、最寄りで降りるともうだいぶあたりは暗んでいたと思う。
帰宅すると、(……)居間の明かりを灯してカーテンを閉ざしておくと、自室に帰る。夕食を支度しなければならないところだが、面倒臭く思われたので、(……)カップ蕎麦(「緑のたぬき」)で済ませ(……)。この日のその後の時間は、実にだらだらと怠けて過ごし(辛うじて夜半に八日の日記を仕上げはしたものの、読書をまったくしなかった)、特段記録しておきたい瞬間も思い当たらないので、割愛する。就床は四時四〇分と遅くなった。