一一時過ぎに起床するまでのあいだ、夢を三、四種類見たが、その内実は大方失われているし、無理に頑張って思い出して詳細に綴るのも面倒臭い。いつもの通り、目を覚ましながらも起き上がれないままにいると、母親がやって来て蕎麦を食べに行こうと誘ったが、あまり気は進まないところだった。それからまもなくして身体を起こすと、顔を洗いもしないうちに枕に座って瞑想を始めた。近くの道をバイクが発進して滑って行く音や、空間の奥から伝わってくる川の響き、ただ一匹で僅かに生き残ったツクツクホウシの鳴き声などに耳を寄せながら一七分を座ると、上階に行った。卓に就いて新聞をめくり、記事を確認したあと、蕎麦を食いに出かけることになった。外着に着替えて玄関を抜け、鍵が見つからないとか言ってまごまごしている母親を待つあいだ、日なたに立って視線を上げ、風に吹かれて細かく蠢いている林の緑を眺めた。風は背後からこちらの身にも触れてきたが、あまり涼しさを感じさせないものだった。林の梢に接した視界の隅では、ふわりと膨らんだ雲が青空を流れて、木々の向こうに入って行こうとしているところだった。母親がやって来ると車の助手席に乗り込み、出発した。しばらく走って交差点から下る道に入ると、近間の家屋根がてらてらと純白に照り映えている。橋を渡るあいだに川を見下ろすと、絹糸を束ねて流したように白い筋が撓みながら水の表面に浮かんでいた。道を走りながら、こちらには感知できなかったが、金木犀の匂いがするねと母親は言った。そうして、「お食事処 (……)」の駐車場に入る。入店すると左手に座敷、右手には土間のような床から一段上がった席が窓際に二つ設けられており、我々は右を選んだ。靴を脱いで段を上がり、畳の上に置かれた座布団に尻を据えて、木目のついたテーブルの挟んで母親と向かい合う。店はもう結構年嵩の夫婦で切り盛りしているらしく、席に就くとまもなく、注文を受ける奥さんのほうが緑茶を持ってきた。二人ともすぐに野菜と海老の天ざる蕎麦に決めてそれをおばさんに伝えると、彼女は大きな声で厨房の旦那に向けて復唱してみせる。料理が出てくるのを待つあいだ、初めのうちは向かいの母親が何だかんだと話していたが、彼女が口から吐く言葉はことごとくおよそどうでも良いとしか思えなかった。そのうちに母親は手帳を取り出して予定の確認や書き込みを始め、喋らなくなったので、こちらは絵の具を溶かしたようにはっきりとした緑色の茶を啜って暇を潰す。右手すぐの縦に長い窓の外には幹にテープを巻かれた低木があり、上方の空には雲が多く流れて陽は出てはまた陰り、光の射す時にはテーブルの半分くらいまで日なたを置かれていた。母親の向こう、正面の窓は障子が閉てられており、その前のスペースには申し訳程度といった風に花瓶や壺や招き猫の置き物が並べられている。左端にある花瓶の表面には、おそらくは梅だろうか、深い青の流れる幹に赤い花びらのついた木の絵が描かれているが、挿さっているのは紙か布製の生気を欠いた造花の類で、古びた花弁の表面には埃の色が見えるのだった(右端にあった招き猫の人形の台も薄く埃を帯びているのが視認できた)。左手はカウンターで、その下には空き瓶のたくさん入った黄色いビールケースが置かれ、そのほか雑多な荷物類が並べられている。カウンターの上にある新聞は毎日新聞だった。カウンターの向こうは厨房になっており、換気扇の音が大きく鳴るなかで、白い割烹着姿の主人が火を上げたり湯気を立てたりしながら、調理場の各所を軽快に動き回って品を拵えていた。料理が出来あがって届くまでには一五分か二〇分くらいは掛かったのではないか。蕎麦の量は一見して少なく、こじんまりとした感じで盛られていたが、代わりに天麩羅が盛り沢山で、あとで数えてみると全部で八種類が取り揃えられており(人参・ジャガイモ・キノコ・ミョウガ・南瓜・玉ねぎ・茄子・大振りの海老)、さらに煮豆の小鉢もついていた。蕎麦の味の良し悪しなど仔細に見分ける舌を持ち合わせていないから、麺のほうは大した印象をもたらさなかったが、揚げたての天麩羅のほうは美味しくいただいた。膳が届くと同時にどこからか現れ、周囲を飛び交うようになった小蝿をたびたび手で追い払いながらの食事だった。会計は二人合わせて二三七〇円、母親が大方を卓上に出し、こちらは一〇〇円のみを加えて、緑茶のおかわりを飲み干すと席を立って厨房の夫婦にごちそうさまでしたと声を掛け、奥さんを相手に支払いを済ませた。退店すると時刻は一二時四五分頃だった。それから近間のスーパー「(……)」に移動し、車を降りて籠を載せたカートを押す。入店してすぐ脇にあったバナナを籠に入れると、カートを母親に任せてフロアを渡り、カルシウム入りの飲むヨーグルト二本を取ってきた。さらに三個で一セットの小さめの豆腐を二つ入手して加える。肉のコーナーからは、幅のある牛の肩ロース肉を二パック、今夜のメニューにと選んだ。その他諸々を追加してレジを通り、荷物をまとめると車に戻って移動し、今度はドラッグストア「(……)」に入店した。こちらは最近手指の付け根などが荒れているので「ユースキン」が欲しかったのだが、見たところこの店舗にはユースキンシリーズは置いていないようだった。それで籠を持って店内をうろつき、アイスやヨーグルトなどを入手して会計に行き、ここでは二二〇〇円をこちらが払って端数を母親が埋めた。すぐ傍にもう一店、同じ(……)の(……)店があるので、ユースキンだけ購入するためにそちらにも寄ることになった。入店して壁際に並んだ薬のなかから軟膏の区画を眺めていると、近くにいた女性の店員から何かお探しですかと掛けられたので、ユースキンはあるかと尋ねた。女性が棚から白いやつを探し出してこちらの種類で良かったかと言うのに、黄色いものがあればと返すと、少し移動して該当の箇所まで連れて行ってくれたので、礼を送って品を手に取った。まだ高校生くらいだろうか、唇の赤い若い女性を相手に八六一円を支払って車に戻ると、帰路に就いた。(……)橋を渡って坂を上っている最中、道端の家の庭に色濃い褐色の肌をした老婆の姿を発見したのだが、この人は普段、大きな声で独り言を漏らしながら(あるいは見えない何かと会話をしながら)方々を歩いているのを見かけるものである。彼女はこの時はホースを持って水を撒いていたのだが、母親はあれは人の家ではないのかと言った。ありそうなことではある。それからしばらく走って帰宅すると、荷物を運び込み、買ってきた品々を冷蔵庫に収めた。購入してきたアイスを母親と分け合って早速食べるあいだ、テレビは『パネルクイズ アタック25』の最終盤、地中海クルーズを賭けた最終問題を流しており、ヒントの画像がパネルに隠されて不完全に現れて行くのを見ていると、水墨画らしき画像がなかに一つあったので雪舟かと当てずっぽうで思い浮かべれば、それで正解だった。それから緑茶を用意して下階に帰り、インターネットを閲覧して時間を潰したのち、三時過ぎから瞑想を行った。呼吸を観察するという基本的な姿勢に立ち戻ったところ、そこそこの意識の深まりを得られたような感じがして、時間も気づけば三〇分以上が経っていた。それから便所に行ってからギターにしばし寄り道したあと、日記を記しはじめた。四時五〇分に至ると天井が鳴ったので上って行き、巻繊汁を拵えるために人参や牛蒡、椎茸や大根を切った。小さな板の上で大蒜も刻み、すり下ろした生姜とともに油を引いた鍋に投入したが、これらが鍋底にくっついてしまい、野菜を加える頃には焦げて汚くなっていたので、仕方なしに水を少々加えて難を凌いだ。しばらくしてから水を注いで煮込みに入ると、今度はもやしを笊に空け、またピーマンを三つ細切りにしてフライパンで炒めた。牛肉は食事の時間が近くなってからということで、付け合わせの野菜のみ先に調理しておいたのだ。すると時刻は五時半、汁物の野菜に楊枝を通すとまだ少々固いようだったので、待っているあいだに書き物を進めることにして一旦自室に帰った。そうして一五分だけ打鍵をしてから台所に戻り、醤油と味醂で味付けをするとひとすくい味見をし、醤油をちょっと足して完成とした。台所に立っているあいだも、原因不明の疲労感を身に帯びていた。それから自室に帰ると六時直前からふたたび日記を書き足して、ここまで綴ると一時間が経過して七時直前を迎えている。カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』の書抜きをしてから、食事を取りに行った。いくらか筋張った牛肉をおかずに米を食べ、風呂に入ると時計が指しているのは八時五分、湯のなかで瞑想じみて目を閉じて過ごし、上がると緑茶を拵えて自室に戻った。そこからまた例によって、Ryan Keberle & Catharsisの音楽を流しながらも、怠惰な時間を長々と過ごして、日付の変わる直前に至った。コンピューターをスリープ状態にしてベッドに腰掛け、机の上に溜めておいた何日も前の新聞を読み出し、ゴルフボールをぐりぐりと踏みつけながら、九月一五日と一六日の分から気になる記事を取り上げて目を通すと、一時間が経っていた。そうして洗面所に行き、空きっ腹にN-アセチルチロシンを二錠、流し込む。このアミノ酸のサプリメントを数日前から摂りはじめたのだが、摂取前と摂取後で自分の心身に驚くほどに何の変化も感じられない。多分自分には効かないのだと思うが、せっかく買ってしまったので一か月分は飲まなければなるまい。それからベッドに移動して、瞑想を行う。空の腹にカプセルを送りこんだせいか否か、胸焼けめいた感覚が少々あり、食道の奥から熱い空気の上がって来そうな感じがしたが、座って呼吸を繰り返しているうちに落ち着いた。三〇分を過ごして消灯し、布団を被ったあと、入眠までの記憶は残っていないので、わりあいすぐに寝付いたのではないか。再開した瞑想のおかげなのかどうか、ここ最近は入眠に苦労することはなくなったような気がする。