ベッドを抜け出すのには一二時一〇分まで掛かった。七時頃から何度も目覚めており、眠気は薄れてほとんどなくなっていたのだが、身体が気怠いようで気力が湧かず、無益に長々と布団のなかに留まってしまうのだった。時間が遅くなったので瞑想はせずに上階に行くと、鮭などをおかずに食事を取った。テレビは『メレンゲの気持ち』を流しており、NHKの青井実アナウンサーなどが出演していたが、興味を持てなかったし目を向けていて楽しいとも面白いとも思えなかった。風呂は湯が多く余っているから今日は洗わなくて良いとのことだったので、食後に食器を片付けるとそのまま下階に下った。ギターを弄ったあと、モニターを前にしながら二時半前までだらだらと過ごした。何も活動を行っていないにもかかわらず、疲労感が生じていた。読書をするかたわら身を休めようとベッドに仰向けになり、手帳を取って「14:25~」と書見の開始時間をメモしたものの、実際には本をひらく前に目を閉じて休息しはじめてしまい、そうしてそのまま意識を落とすことになった。貼りつくようになった寝床から身を離したのは、それから五時間半後の午後八時直前だった。この日は合わせて一五時間もの時間を寝床で過ごすことになったわけだが、大して何も行動していないのに疲労感を身に帯びてこれほどまでに休んでしまうというのは明らかに異常であり、だいぶ回復してきたと思っていたものの、自分はその実、うつ症状の圏域からまだまだ逃れていないということなのかもしれないと思った。とにかく気力というものが心身に湧いてこず、眠気がなくとも起き上がることができずに、目を閉じて臥位のままに時間が流れて行くのだった。床を離れた頃、南の空に清かな光を持った半月が出ており、連なる波のように広がる雲の合間から落とされた月影が暗闇の部屋を通って、こちらの影を僅かに浮かび上がらせていた。上階に行くと、鍋に入った薩摩芋をつまみ食いしながら、茄子の炒め物や大根とワカメの汁物やサラダを食器に盛り、挽き割りの納豆に甘い酢を加えて支度をした。そうして卓に就き、出川哲朗の充電バイクの旅を見ながらものを食ったが、やはりテレビを見ていて興味を惹かれるとか面白いと感じるという心の働きがまったく生じず、心身にあるのは疲労感と空虚感のみだった。食後、三ツ矢サイダーをコップに注いで飲んでから、薬剤とサプリメントを摂取した。クエチアピンはここのところ勝手に一回一錠に減薬していたところ、今日のように疲労感と無気力さに襲われるばかりなので、関係があるのかわからないが二錠ずつに戻してみることにした。そうして自室に戻り、ジャージを脱いでパジャマを持って洗面所に行き、入浴した。風呂を洗わなかったので湯のなかには細かなゴミがたくさん浮遊しており、浴槽の壁もいくらかぬるぬるとしているようだった。時計を見やると、時刻は八時四五分だった。窓を少々ひらいて目を閉じ、一〇分ほど静止してから立ち上がって冷たいシャワーを浴びた。そうしてまた湯のなかに戻り、その後髪を洗って風呂を上がり、緑茶を拵えて自室に戻るとしばらくインターネットに遊んだ。日記を記しはじめたのは一〇時を四分の一過ぎた頃合いだった。記憶を思い返しながら前日の記事をのろのろと綴り、この日の分も記すと、既に九月二二日の終わりも近かった。洗面所から歯ブラシを取ってくると、歯を磨きながら金子薫『双子は驢馬に跨がって』を読みはじめた。口をゆすいできてからしばらくのあいだはベッドのヘッドボードに当てたクッションに凭れていたが、じきに臥位に移って横を向き、虫の音の窓を抜けて染み入ってくるなか、膝を曲げて身体を丸めるようにして読書を進めた。横になっているにもかかわらず、疲労感で身体が重いようで、腹には原因不明の痛みがあった。本を最後まで読み終えたのは一時過ぎだったが、この作品は書抜きをしたいと思う箇所もなく、あまり面白かったとは思えなかった。そのまま消灯して眠りに向かいたいところを、瞑想をしなければとしばらく耐えて、一時二四分から起き上がって枕に腰を下ろした。一四分間座り、そうして明かりを落として布団に潜りこんだ。入眠に苦労した覚えはない。