2019/1/15, Tue.

 一一時まで床に留まる。起きて上階へ。鮭のホイル焼きをオーブントースターに突っ込み、米をよそったり大根の煮物を温めたりしていると母親が外から入ってくる。今日は仕事は休んだのだと言うのは、首を寝違えたらしい。それでしかし、午後からクリーニング屋に行ってくると。食事を取る。新聞は、中国のインターネット規制についての記事を読む――これはあとで写しておこう(「中国 「短編動画」規制へ ティックトックなど人気 運営側が審査」――「中国最大のインターネット業界団体が今月、若者に人気の短時間の動画「短編動画」の投稿について、新たな規制に乗り出した。不適切な映像や国歌を侮辱する内容が相次いでいるためで、サイト運営側が投稿内容を事前に確認し、違反者の投稿を禁止する措置も取る。中国でのネット規制は、さらに厳しくなる可能性が出ている」「また、1週間に3回以上「不適切な内容」の動画を投稿した者は、ブラックリストに登録されるという。さらに、この団体[「中国インターネット視聴番組サービス協会」]が同時に発表した「100の禁止条項」には、「台湾独立」「チベット独立」などを支持する内容、国家指導者の私生活や家族に関する情報、報道機関以外が伝える重大事故の結果などが含まれた」)。傍ら、向かいの母親と会話。昨日は色々と話せたかと訊くので、「獺祭」の由来についてなど話したと答え、それを改めて繰り返す。ほか、昨日は日記を三時過ぎまで書いていた、しかしまだ終わらないと言うと、そんなに無理して書こうとしなくても良いじゃない、と来る。確かにその通りだ――自分は何故そんなに、夜中まで頑張って生活を綴ろうとするのだろうか。しかし、答えはないことはわかっている。とにかくなるべくすべてを綴りたいという気持ちだけがある。ホイル焼きは熱したはずなのにまだ冷たかったので、母親が改めて皿に取り分け、電子レンジで温めてくれた。ほか、ピザがあると言うのでそれも熱して食し、食後に薬を飲む。皿を洗って風呂も洗い、緑茶を用意して、ポテトチップスを持って自室に帰った。そうしてスナック菓子をつまみながら他人のブログを読む。それから自分の日記も。まず一年前。
 

 車道の果てから黄みがかった白の光を皓々と灯して連なる車の列の、ほとんど隙間なく密着していた明かりが次第に分解しながら近づいてくるさまの、これももう何度も見ては書いたものだから特段の印象も与えられないなと見ながら、しかしその「何度も見ては書いた」という印象のためにまた書くような気になって、反復の事実そのものが一つの新たな差異になるというこの事態はどうもややこしい、よくもわけがわからない(……)

 宙に目をやると、電灯を掛けられた葉が硬いように光っており、ほかにも道の脇から出てきている枝の、葉を落として姿態を露わにしたのが、これも馴染みの比喩だが毛細血管のような、あるいは骨のようなと思われた。そのように物々から即座にイメージを引き出して、そのもの自体から距離を取ってしまうこちらの認識性向も、どうにかならないものかなあと退屈さを覚えた。自分はそもそも、物々の「具体性」をより豊かに捉えたくて、身の周りのものをよく見るように心がけてきたのだが、その結果、その物自体に迫るというよりは、それを即座にイメージに横滑りさせてしまう性向が身についてしまった気がする。しかし、あるものやある瞬間の「具体性」というものも、結局は、そこに生じる「意味」の組み合わせのその形とか、豊かさとかで決まるのだろうか、という気もし、要は、ある一つのものにいくつものイメージが重ね合わせられて感知されるというのも、そのものの「具体性」の一つになるのだろうか、などと、そのようなことをまた考えながら道を行ったのだが、このような抽象的な思弁にはもはや飽き飽きである。自分はもっと、自分の身ぶり、動作、行動とか、そこにただ何かがあった、何かが動いていた、というような単純さを書きたい。要は、自分はもっと「叙事」をやりたいと思うのだが、個人的な性質としてどうしても思弁のほうに流れてしまうのかもしれない。

 自分の性質としてやはりどちらかと言うと、思弁的なことを書いてあるところが目に留まるものだから、そういう性分なのかもしれないが同時に、この頃よりは今のほうが「叙事」も出来ているようには思う。続いて、二〇一六年八月二二日。「車内では例のごとく母親が勝手に取り留めのないことを次々と口にして、こちらはそれにほとんど返事もせずに聞き流しているのだが、しばらくした頃に突然母親が、今日お葬式をやっているところもあるんだろうね、とぽつりと落として、何の脈絡もなく葬式の語が口から洩れたその唐突さが引っ掛かった。あたりには特に葬儀を連想させるようなものもなかったはずである。そのつぶやきからちょっと無言が続いて何か寂しげなような匂いが漂うなかで、何の根拠もないが、祖母のことを思いだしたのだろうかと思った。と言うか、こちらが思いだしたので母親ももしやと思ったというのが正しいのだが、それは、祖母の葬儀の日も、雨ではないが、雪が大層良く降ったその天候の乱れと足もとの悪さからの連想だった」という記述があったのだが、この台風の日に突然「葬式」の語が母親の口から発されたあたりは、何だかちょっと小説のようだなと独特の匂いを感じた。
 そうして日記。前日のもの。しばらく書き足して投稿。それから自分のブログを読み返していたが、クリーニング屋に出かけている母親からメールが入ったので一旦洗濯物を取り込みに行く。そうして戻ってここまで綴って二時。
 読書を始める。蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』。初めのうちはベッドに乗ってクッションに凭れていたのだが、眠くなってしまってあまり読めない。じきにコンピューター前の椅子に移る。三時頃だろうか、母親が帰ってきて、昨日がこちらの誕生日だったのでケーキを買ってきたと。今は良いと言ったが、時間が経って四時台になると上がって行ってショートケーキをいただいた。甘みの控えめでしつこくないケーキだった。それでふたたび自室に戻って五時まで読書。BGMはFreddie Hubbard『Goin' Up』。冒頭の"Asiatic Raes"――Freddie Hubbardは例によって華やか、きらびやかである。また、Hank Mobleyが思いのほか流麗で、モタることもなく足が重くなることもなく気持ちの良いプレイをしていた。そうして食事を作りに上がって行くが、炬燵に入ってしまったのが運の尽き、ごろりと寝転んで目を閉じ、六時前までその場で動けなかった。さすがにそろそろ支度をしなくてはと母親が炬燵から抜けたのを機にこちらも立って、台所で玉ねぎ・人参・ジャガイモ・椎茸を切る。そうして鶏肉も切って(冷えた肉を押さえる左手の指が冷たさでぱちぱちと痛んだ)炒めはじめる。どうしても鍋が焦げついてしまうのだが、どうすれば良いかと母親に訊いても判然たる解決策はない。もう良いやと言って彼女がすぐに水を注いでしまい、そうして鍋をストーブの上に運んで行き、点火した。これで放っておけば自然と煮えるわけだ。その他、大根・玉ねぎ・人参をスライスしたサラダを拵えてこちらの仕事は終了、自室に帰る。Uさんが前日、メールを送ってきてくれていたので、それに対する返信を作成した。一通り書いたあと何度かゆっくり音読しながら句読点や細かな文言を調整し、仕上げて送る。

 こんにちは、Uさん。メールをありがとうございます。また、こちらの翻訳を読んでいただき、かつお褒めいただき光栄です。

 翻訳のプロジェクトを今すぐにでも始めたほうが良いでしょうとのお薦めで、有り難いお言葉ですが、こちらとしてはやはり、もっと英文に触れて基礎的・発展的な英語力のようなものを涵養する期間を取りたいのが実のところです。と言うのも、文学作品の翻訳に乗り出すには、こちらは語彙にしろ英文を読む経験にしろ、まだまだ貧困で明らかに不足していると考えるからです。既に一作、「キュー植物園」を訳しているではないかと言われそうですね? 確かに、あれは二〇一四年の時点で翻訳したもので、当時と言えば日記の文章はまだまだこなれておらず、未熟だった頃ですが、そのわりには今の目で見ても大きな瑕疵の見つからないような整然とまとまった訳文を作り上げています。しかし、それは当時の自分が今よりも確かに若かったということ、若さ故の無鉄砲さを持ち合わせていたということを示しているに過ぎません。つまりはあの頃のこちらは今よりも熱情的であり、自分の実力以上の仕事を行ってしまえる「勢い」があったのです。現在の自分は良くも悪くも、当時よりも成熟しており、もう少し慎重になっています。

 また、それなりに質の良い訳文を作ることができたのは、プロフェッショナルの既訳を二作、参照できたことも大きかったでしょう。自分の力と言うよりは彼らの力を借りた部分が多々あったと思われます。そういうわけで、自分はまだまだ翻訳のプロジェクトを始めるには力不足だと考えています。とは言え、鵜飼さんのお言葉は有り難い提案であり、なるべく早くそれに取り組めるように、ひとまず今は毎日の英語のリーディングを頑張りたいと思います。一〇年後というのはちょっと長く見積もり過ぎかもしれませんね。そのくらい期間が開くと、こちらが生きているかどうかもわからないわけですから。

 ウルフの文章をすべて翻訳して、「F.S版」を作ってしまうという構想についてですが、これは困難だが魅力的な想像であり、本当の理想、まさしく「夢」ですね。仮に実現するとしたら、それこそ一〇年では足りないでしょう。生涯のプロジェクトになると思います。しかし、そのくらいのことがもしできるとしたら、自分もこの国の文化に何がしかの貢献を果たせたということになるのかもしれません。究極的には、その「夢」を追求しながら生きていきたいとは思います。

 Uさんのほうも、ご興味がおありかわかりませんが、翻訳というプロジェクトを試みてみてはいかがでしょうか。Uさんが訳すとしたらやはりデューイでしょうか、それともエマソンやソローあたりでしょうか? デューイなど、翻訳されていない文献が多数あるだろうと想像しますし、エマソンも古いものばかりだったように思います。また、そうしたビッグネームでなくとも、マイナーだが重要な思想家の文章を訳し紹介するというのも一つ、大切な仕事だと考えます。こちらの翻訳を読んでみたいと仰っていただき光栄ですが、こちらも、鵜飼さんの訳したものを読むことができたら面白いと思います。是非考えてみてください。

 それに四〇分ほど掛けて時刻は七時、まだ食事には行かず、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaを読み出した。釣り糸に結ぶ予備の綱が何本あるのかとか、時系列の展開とかが気になり、頁を戻って調べていたのであまり読み進まなかった。釣り糸が全部で何本あるのか、さらにそれに結びつける予備の綱が何本あるのか、老人の装備が全部でどの程度なのかわからない。日本語ならばまだしも調べやすいが、英語だとやはり目当ての箇所を見つけるのが難しい。そうして八時近くになって食事へ。米に納豆、シチュー、サラダ二種、人参とエリンギの和え物。テレビは世界の各地に住む日本人を訪ねる番組。南海キャンディーズしずちゃんがトルコを訪れて、チャナッカレという町を探していたが、この町はトロイヤ戦争の「トロイの木馬」伝説の場所なのだと言う。だから多分、シュリーマンが発掘調査したところだろう(シュリーマンのトロイヤ発見にも捏造説などあるようだが)。時間が前後するが、食事を卓に運んでいる時に父親が帰ってきた。ものを食べ終わっても彼が風呂に入っていたのでこちらは一旦室に戻り、一〇分弱日記を書き足したあと、入浴に行った。湯に浸かり目を閉じて身体の力を抜き、腕や脚をだらりと静止させて休息する。一五分で出ようと思っていたところが、そうしているうちにいつの間にか二〇分が経って九時を過ぎている。その後上がると、緑茶と半分分けてもらった「いちごメロンパン」を持って自室に帰った。そうしてここまで綴って九時四七分、音楽は『Mississippi John Hurt Today (Plus)』。穏和で暖かみのある弾き語りで、いかにもアメリカといった感じ。
 それから「ウォール伝」を読み、また書抜きの読み返しをする。一月八日、五日、一二月三一日、三〇日の四日分。一二月の日記に引いてある情報は、大概一度読み返せば大体は思い起こせるようになってきているようだ。それで一一時を迎えて、蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』へと移行。BGMは『Sonny Stitt/Bud Powell/J.J. Johnson』。随分と古典的な形式のジャズだが、ヘッドフォンをつけて時折り耳を傾けてみると、StittにしろBud Powellにしろ軽快、快調で闊達で、やはり売り払ってしまおうとは思えない。蓮實重彦のほうは、「余白」までをも読解の対象とする厳密さ。顕在的には三部構成になっている『ボヴァリー夫人』が、一行開けの「余白」によって実は潜在的には五部構成に分かれているのではないかと言うのだが、こちらが読んでいる時には「余白」の存在になどまったく注意を払わなかった。確かにそこにあるのに見えないでいるもの、人が気づかないでいるものを指摘し、確かにそこにあると納得せしめること、これが批評の真骨頂かと思う。一時一〇分まで読んだと思うのだが、相当に眠気にやられていたらしく時間を記したメモの文字が、死にかけの人間が書いたかのように覚束ないものになっていて読み取りにくく、実際そのあたりの記憶も残っていない。そういうわけで入眠は容易だったと思う。


・作文
 12:39 - 14:01 = 1時間22分
 18:24 - 19:01 = 37分
 20:25 - 20:33 = 8分
 21:32 - 21:47 = 15分
 計: 2時間22分

・読書
 11:56 - 12:39 = 43分
 14:05 - 16:58 = 2時間53分
 19:04 - 19:48 = 44分
 21:51 - 23:01 = 1時間10分
 23:09 - 25:10 = 2時間1分
 計: 7時間31分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-13「瘡蓋をはがして舐める舌がいまロンギヌスとなる主に口づけを」
  • 「at-oyr」: 「Still Ill」; 「DOVETAIL」; 「未熟な感想」
  • 2018/1/15, Mon.
  • 2016/8/22, Mon.
  • 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』: 200 - 272, 749 - 755
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 37 - 40
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「読書三昧過ぎてそれしか考えられぬという幸せな日々。」
  • 2019/1/8, Tue.
  • 2019/1/5, Sat.
  • 2018/12/31, Mon.
  • 2018/12/30, Sun.
  • 「ワニ狩り連絡帳」: 2019-01-11; 「「建築×写真 ここのみに在る光」@恵比寿・東京都写真美術館」; 2019-01-12

・睡眠
 3:45 - 11:05 = 7時間20分

・音楽