2019/2/7, Thu.

 たびたび覚めつつ、一一時まで寝床。空には太陽が収縮しており、顔のあたりにも薄陽が射していたが、空は雲混じりで屈託のない快晴とは行かないようである。今日は昭和記念公園を散歩することになっているので、その点少々残念だ。ダウンジャケットを羽織って上階に行くと、母親は墓参りで不在である(今日は母方の祖母の命日なのだ――もう五年になる)。台所には、くたくたになった幅広の煮込みうどんと、鮭のホイル焼きが用意されてあったので、それぞれを温める。そうして卓に行き、食べながら、新聞は何故か上手く読めず、ドナルド・トランプの一般教書演説についての記事の冒頭を瞥見したのみである。食べ終えると皿を洗い、薬を服用し、洗面所に入って整髪ウォーターと水道水をともに頭に掛け、寝癖を直したそのあとに風呂も洗った。そうして自室に戻って日記。
 一時間半綴って、一時過ぎを迎えた。そこでそろそろ支度をしなくてはと中断し、FISHMANSを流しながら着替えるのだが、収納に適当なシャツがない。それで、グレーのイージー・スリム・パンツを穿いて上は黒の肌着のまま上階へ。居間の片隅に置かれたいくつかのシャツのなかから、もう時間がないので一つだけアイロンを掛けることに。赤・青・白のチェック模様のやつである。その一枚だけアイロンで処理して皺を消去し、着ると部屋に戻って荷物を調えた。出発である。玄関を開けると柵に傘が干されてあったのでそれを仕舞ってから道に出た。途端に柔らかな陽射しが精霊のように背から触れてくる。坂に入るとガードレールの、湾曲部に溜まってずっと長く帯のように引かれた土汚れが初めて目につき、その彼方から届いてくるざわめきに引かれて視線を上げれば、深緑色の川がところどころに白波を生んでいる。FISHMANS "ひこうき"を脳内再生しながら坂を上って行き、平らな道を行きつつ前日も目にした蠟梅に視線を向けると、昨日は気づかなかったがその脇に椿が一本、小さく生えており、蠟梅の枝と黄色の花の隙間から樹上に灯った一つの花が見えて、作句の回路が働いた――「蠟梅に椿隠れて一つ紅」。立ち止まって即座に手帳にメモを取っていると、首すじにかなり暖かな温みが乗ってくる。歩き出しながら目を上げれば、街道の向こう、白い、事務所のような家の二階に布団が干されており、それがひらひらと風に乗って軽く持ち上がっており、こちらのいる道に流れてくる風も緩くほどける。紅梅の、枝と花の作る網状組織に目を向けながら表に出ると、まもなく北側に渡った。そのまましばらく歩いていき、途中で裏路地に入ると老人たちが立って談笑している。四人いるなかの、一人を除いて皆杖をついていた。その向こうから緑色のゴミ収集車がやって来て、その脇を過ぎ、それが背後に遠く離れていくにしたがって穏和な静けさが道に忍び入り、軽い風も流れ入ってきて、林のほうからは鳥のいたいけな囀りが届いてきた。
 青梅駅着。掲示板を見ると一時五四分発東京行きがある。改札を抜ける前に、いや通る前に、券売機でSUICAに五〇〇〇円をチャージ。すると電車の発車時刻まで残りは一分、改札をくぐると小走りになって階段を下り、上りは一段飛ばしで上がっていく。三号車あたりから乗って先頭車両へ移動して、席に就いてメモを取りはじめるとまもなく発車した。字の乱れを気にせず、揺れに乗せるようにして赤いボールペンを紙上に滑らせ、福生を過ぎたあたりで記録を取り終えた。道行きの残りも少ないが、斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を読み出した。『生前の遺稿』中の、「無愛想な考察」に入っている。「形象」はほとんど表面的に観察されることの描写のみだったと思うが、「無愛想な考察」はその名の通り一種の考察であると言うか、「ドアと門」や「記念碑」などほかの人があまり注目しないようなものを取り上げてムージル独特の批評眼のようなものを垣間見せている気がする。「ドア」に関する色々な種類の慣用句がちょっと面白かったので以下に引いておく。

 ドアはかつて全体の一部として家を代表した。そのことは入居した家や建てた家が、所有者の地位を示すことになったのと同じ理屈なのだ。ドアは特権階級の社会へはいりこむ入り口で、それは新参者が誰であるかによって開いたり閉じたりした。通常ドアの開閉しだいではやくも新参者の運命が決まってしまった。しかしドアはまたそれと同様に、無能な男の役にも立った。そうした男は外に出るとうだつがあがらなかったが、自宅のドアの内側ではすぐに父なる神のひげをはやすことができた。そんなわけでドアは一般に好まれ、一般的な思考のなかで活発な任務をはたして慣用表現になった。高貴な人びとは自宅の「ドアをあけたりしめたり」して、歓迎の意をあらわしたり拒絶したりした。そして一般の市民はそのほかに、掛金からはずした「ドアをいきなり家のなかへ持ちこん」で、やぶから棒に不愉快な用件を切りだすことができた。また市民は「ドアが開いているのに走ってつきあけ」、無駄な力を費やすこともあった。さらに「ドアと蝶つがいのあいだ」で、そそくさと自分の用件をかたずけたり、「自分の家のドアの前や、あるいは他人の家のドアの前を掃い」て、自分のことに責任をもったり、あるいは他人におせっかいをやくことができた。さらには門前払いをするために「ひとの鼻先でドアをバタンとしめ」たり、出ていけと命じるために「ひとにドアを指さす」ことができた。いやそのうえ市民は腹をたてて「ひとをドアから放りだす」ことがあった。これらの表現は人生との豊かな関係をあらわした。それにこれらの関係は写実性と象徴性のみごとな融合を示している。言葉がこれほどみごとな融合を生みだすのは、私たちにとってなにかがとても重要な場合に限られる。
 (49; 『生前の遺稿』; 「Ⅱ 無愛想な考察」; 「ドアと門」)

 立川着。降車して改札を抜け、北口の広場に出て植え込みの縁に腰掛けた。そうしてMさんにメールを送っておき、ムージルをしばらく読んでいると、じきに彼が、左方からつまり街のほうからやってきた。昨日の日記はまだ書いてないよなと訊く。さすがにまだだった。しかし七割くらいはもう書いたと答えると、Mさんはまだ淳久堂に行ったあたりだと言う。いや、淳久堂で本を見ているあたりだと言う。「四天王」について記述するのに手こずったらしい。Hさんは三時頃になるという話だった。それでは待ちがてらまた喫茶店に行きましょうか。PRONTOには一昨日行ったので、じゃあ今日はあちらに行きましょうかとエクセルシオール・カフェのほうを指し示す。それで歩き出し、階段を下り、すぐそこのカフェへ近寄るとMさんが、ここ来たことあると言う。こっちがカプセルホテル、と角の向こうを指しながら言うので、そうですそうですと答えると、あの最悪のカプセルホテルに泊まった際に、朝、このエクセルシオールで食事を取ったらしかった。入店すると、平日の二時半過ぎのわりに思いの外に混んでいた。それでもフロアの奥に向かい合う小さな丸テーブルに銀色のパイプのついた椅子の席を確保する。注文へ行き、こちらはホットココア(四一〇円)を頼む。対応に当たった若年の男性店員は声が小さく、覇気がないような様子で、それでオーダーが通っているのだろうかと余計な心配をしてしまうくらいだった。品物を受け取って席へ戻ると、Hさんはもう来ると。まもなく確かにその姿が店の入口に見えたので、隣の席に座っていた女性に、すみませんと声を掛け、一人ですかと尋ねる。それで椅子を一つ貸してもらい、小さな丸テーブルの周りに三人集って談笑した。
 何を話したのか、あまり思い出せないのだが――Mさんはこの朝、新宿のルノアールで日記をかたかたと書いていたのだが、そこでマルチの現場ではないかというものに遭遇したと言う。中年男性と、水商売上がりにも見える若い女性とが向かい合っており、男性のほうが、株って言うのは――、投資って言うのは――、などと意気揚々とした様子で語るのに対して、女性は太鼓持ちのように媚びる様子を見せていたと。それでマルチではないのか? と思ったらしい。それを受けてHさんが、これは昨日も言っていたことだけれど、フィクションのような、あるいは自分からは遠い事柄だと思っていたようなことが、東京や横浜にいると現実に身の周りに起きているのだと気付かされて驚くと。Hさんの場合は、働いていた店で議員の誰がどうのこうのとかいう話や、横浜の政治的な事情、抗争のような状況についても聞かされたのだと言う。
 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』の話も少々なされた。やはり程遠く離れたところをこともなげに結びつけてしまうその手付きが凄いと。テクストに対するもともとの感知力が蓮實重彦という人はおそらくとんでもなく高く、出てきた主題など、意識せずとも自然と、あれが何度書かれていたな、などと数えられてしまう人なのだと思う。立教大学東京大学での映画論講義でも、例えば窓が五回出てきたとか、扉が三回映されていたとか、そういう主題的な見方に焦点を絞った講義を行っていたと聞いたこともある。もともとのそうした能力の高さに加えて、それでもさらに『ボヴァリー夫人』を途方もない労力を掛けて読み込んでいることが如実にわかる著作だった。昨年の一月三日にMさんと電話で、フローベール文学史的位置づけについて、彼はリアリズムの創始者だと一般には考えられているけれど、実はそうではないのではないか、大きな物語的構造に対する過剰として働いてしまう表象に逆らう細部を描写によって取り入れた最初の人間なのではないかという話をしたのだが、それに類することも書いてあったと報告する。その部分は今ここに引いてみよう。

 おそらく、人は、ここで「表象」の限界ともいうべきものと対峙しなければなるまい。とはいえ、「何も書かれていない本」として構想された『ボヴァリー夫人』が、あからさまに「反=表象」的な作品だと主張したいわけではない。「表象」に背を向けた文学作品など、少なくとも十九世紀においては、想像しがたいものだからである。実際、それが誰にも読める文章からなっているかぎり、表象はいたるところで有効に機能している。問題は、ある時期から――いまや、フローベールからといってもよかろうと思う――、散文のフィクションとしての長編小説に、それを言語的に「表象」されたテクストでしかないと作品をみなす感性にはたやすく馴致しえない細部が繁茂し始めていたという事実にほかならず、シャルルの「帽子」はまぎれもなくそれにあたっている。それを言語の表象作用にふさわしく読めば、チボーデのように、「この縁なし帽は、すでにヨンヴィル=ラベイの生活をことごとく包含している」ということになるだろうが、この帽子は、とうていその一行にはおさまりのつかぬ多様な色彩と形態と素材からなっており、その記述の過剰さをそれにふさわしくたどるには、あらためて「描写」の問題と対峙せねばなるまい。
 (蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』筑摩書房、二〇一四年、516~517)

 それを受けて、セルバンテスなんか、構造しかないもんなとMさん。フローベールの場合は、例えば上の文章でも触れられているが、冒頭で描かれるシャルルの帽子の描写など、不気味に克明に、無闇に詳細に記述されているが故に、かえって総体としての帽子の姿形をイメージできないようになっている。また、農業共進会の場面で勤続五〇年を表彰される老婆にしても、そこにしか出てこない人物なのに、その手の質感などがやはり執拗に描かれるのだと紹介する。描写のバランスが不均等なのだが、Hさんによるとそれは『感情教育』でもそうした部分がやはりあるらしい。エンマの出産などは、本当に一行で終わっていますもんねとこちら。
 二人の眼鏡を掛けさせてもらう場面もあった。Mさんのものを掛けると、随分と似合う、自然だと言われて写真を撮られる。見てみると、ふてくされたような表情をしている自分である。こちらはもう結構、少なくともMさんと同じくらいには目が悪くなっているようで、彼の眼鏡を掛けると視界が実にクリアになり、遠くのカウンターに立っている店員の姿がぼやけていたのが、その顔つきまでもはっきりと見分けることができた。そろそろ眼鏡を作ったほうが良いのかもしれない。Hさんのものも掛けさせてもらったが、こちらは度がさらにきつかった。
 Fくんそれさ、とMさんがこちらの飲んでいたココアを指して、生クリーム全部飲んでるやん、甘ったるくないのと。大丈夫、胃もたれなどはない。まあお子ちゃまやからな、お子ちゃまの鹿蔵やからなと揶揄される(こちらは青梅に住んでいるのだが、青梅は熊が出没したり奥多摩のほうには多分猿もいたりと東京のなかでは自然が豊かな田舎町で、我が家のすぐ傍にも鹿が出たのを取り上げてそうした渾名をつけられたのだ)。この渾名は元ネタがあって、それはMさんの高校時代からの友人であるFさんという人の祖父が鹿蔵という名前だったらしい。彼は不器用な人で、精神的にも身体的にもそうであるらしく、大学時代など、自転車にただ乗っていて、信号待ちで停まった時に両足を地面についていたのにそのまま横に倒れたという挿話が紹介された。ブラックユーモアを言わせたら天才的だというその彼は今地元の図書館で司書をやっているらしく、そこから、司書の待遇も非常に悪いのだよな、そう言えばこのあいだ、東京の、板橋だったか練馬だったか、どこかの図書館でストライキの計画があったよななどという話も交わされる。
 覚えていてメモできた話はそのくらいである。三時過ぎになるとこちらが、そろそろ行ったほうが良いのではと提案した。昭和記念公園は閉館時間が四時半だかで結構早いのだ。それでトレイを片付けて退店。こっちから行きましょうかと右方を指し、ロータリーに沿って回り、横断歩道を渡って、伊勢丹だか何だかの脇を折れる。途中Mさんが空を見上げて、秋の空みたいだと言う。薄雲混じりだが陽射しが透けてきていた。昭和記念公園入り口の向かいにあるセブンイレブンに寄った。こちらは何も買わず、Hさんはジャスミン茶。最近はジャスミン茶ばかり飲んでいるのは、労働のストレスを軽減させるためだと言う。Mさんが何の飲み物を買っていたのかは忘れた。退店し、横断歩道に並ぶと、近くに身を寄せ合って手を背に回していちゃついているカップルがいる。渡る。門から入る。押し広がる陽射しが眩しい。歩きながら、Hさんは元野球少年だったので、こういうだだっ広いところに来るとどこまで遠投できるかとそういう思考になってしまうと。野球は子供の頃熱心にやっていたようで、兄弟のTさんにノックをして、何で取れないんだとスパルタに怒っていたなどと言うから、星一徹じゃないですかと笑った。パワプロパワプロに乗るって思ってましたもんねと当時の夢を語るHさん。その時何故かこちらは前日に、彼が『源氏物語』の和歌のやり取りをラップのフリースタイルに喩えていたのを思い出して、これは忘れていた、あとで書けるようにメモしておかなければと手帳を出して歩きながらそこに情報を書きつけた(パワプロのこともついでにメモしておいた)。その間、空にはヘリコプターが通っていて、こちらは見逃してしまったが随分低く、近くを飛んでいたらしい。横田ですかねと言う。在日米軍横田基地福生にあって、オスプレイが配備されるとかで反対運動が起こったりしてましたよ。伊勢でも何とか言う自衛隊基地に、先日オスプレイがやって来たのだと言った。
 平日の、それにもう閉館時間が近いとあって人出はさほどではなかった。周囲の人々があまり犬を連れていないのがMさんには不思議と言うか、新鮮だったようだ。田舎だとこんな大きな公園があったら、犬の散歩ばかりだと。彼の宅の周辺では三軒に二軒は犬を飼っているらしかった。券売機へ。なぜか五つ機械があるうちの四つは使用不可となっていて、残った一つに並ぶ。Hさんがこちらの分も合わせて買ってくれた。代金は良いと言うのでありがたく甘えることに。ゲートをくぐって入ると、まず水路と銀杏並木と噴水のある区画である。ここでMさんによって、京都にいた変人、ジョーという人のことが語られた。Hさんが大学時代だかに乗っていた自転車を盗まれて終わったという話から想起されたもので、Mさんがポストカードを作って路上で売っていた時代のことである。鴨川の河川敷で販売していたのだが、そこにジョーと名乗る変な老人がいた。風体が少々異様で、靴に鈴をつけており、黒いパンツにサングラスを掛けていた。やたらと気さくに話しかけて来るのだったが、昔、ジャズをやっていたらしく、ドラムスティックを何故か持ち歩いていて、停まっている自転車のサドルを叩いてそのテクニックを披露する――靴の鈴もしゃんしゃんしゃん、と鳴らしつつ(爆笑)。そのような異様な老人がいるとやはりほかの客は逃げていってしまうのだが、ある時、彼がタロット占いをやったことがあった。蠟燭とダンボールか何かを借りて即席で店を作ってやっていたらしく、やはり風体が異様なので占いとなるとかえって雰囲気があるような感じになって、外国人観光客などが寄ってくる。しかもジョーという人はイギリスにいた経験があって英語も話すことができた。それで一回千円のタロット占いを行い、千円稼ぐと道具を借りていた周りの販売の人に返して、煙草を買いに去っていくとそのような人物だったらしく、サバイバル術が凄いと三人で言い合った。そのジョーさんが、ある時早朝に、Mさんが下宿の外に出ていった際、何故かいて、ばったりと遭遇して、どうも自転車を盗もうとしているところだったらしく手を掛けていたのをMさんに発見されると、おはようございま~す、などと漏らして去っていったと言う。それもまたコンクリート・ジャングルを生き抜いていくためのサバイバル術の一つだったのだろう。
 歩きながら、制服姿の若い女子が多いなという話にもなる。それを見て、年を取ったなと思うのは、彼女らが中学生か高校生かわからないことだとMさん。確かにそうで、今しがたすれ違った女子の集団など、非常に微妙な外見だった。池を過ぎるとまたそうした集団とすれ違って、でも東京もあんなにスカート短いんやね。京都が一番短かったのだと言う。大阪が一番長いんですよねとHさん。そんな話をしながらまた、セグウェイに乗った一団ともすれ違った。中国の大学でもセグウェイが活躍していると言う――と言うか、あちらの大学は広く、移動手段も雑多で、スケボーが通ったかと思えば電動のキックボードのようなものも通り、ローラースケートがいたかと思えば、普通のそれとは違う、何か蟹歩きのような形で、二人で組んで移動するようなものもあるのだと(Mさんはかさかさと足を動かして蟹歩きの様子を実演してくれた)。まさにカオスですねと話しながら「みんなの原っぱ」へ。モンゴルの草原のような広さである(それは言いすぎである)。ついた時点で四時一〇分を迎えており、閉館まで残り二〇分、「みんなの原っぱ」から各出口まで二〇分以上掛かるので、そろそろ移動を開始してくださいとのアナウンスが掛かっていた。それを無視してだだっ広い敷地の真ん中あたりにある大欅へ。巨大な樹の足元、地面に埋め込まれた太い根と根のあいだには、前日の雨が残ったものか、水が溜まっていた。Mさんは『バキ』の話をする。バキが富士の樹海に行って、そこにある巨木に、「お久しぶりです、長老」などと話しかける(笑う)。そこで樹の根元で瞑想を始め、そこから過去編が始まるのだが、それが終わって現在に戻ってくると物凄い時間が流れていて、バキの身に樹の蔓が幾重にも巻き付いてほとんど樹と一体化したようになっているのだとそんな話を思い出したらしい。しばらく大人が手を広げて三、四人分はあろうかという太い幹に触れたり、根の上を歩いたり、周りを回ったりしてから、引き返そうと場を離れた。広場の外縁に向かって歩いていると、男女からなる高校生の一団のなかの男子一人が、うがあー!! と言うか、わぎゃー!! と言うか、そのような咆哮を、身を前に突き出して、あたりを我が物顔に闊歩していた鴉の集団に向けて放って威嚇しており、我々一同、高校生の残りのメンバーとともに爆笑する。『ワギャンランド』思い出したわ、とMさんが言ってこちらも笑う。『ワギャンランド』というファミコンのゲームがあって、確か鰐であるところのワギャンが、咆哮で持って敵を倒していく横スクロール系アクションゲームだったと思う。高校生はその後も何度も咆哮を発しており、Hさんが言うには面白いのは、周りが笑っているのに、叫んでいる当の本人はまったく笑っていないことだと。そう言えば、この時ではなくて「みんなの原っぱ」に着いてあたりを人間に怖じることもなく堂々とうろつき回っている鴉の集団を目にした時だったが、鳥の鳴き声に文法があるということが発見されたらしいという情報もMさんからもたらされた。どこかの研究者がひたすら鳥の鳴き声の音源を聞き込んでそれを解明したらしいのだが、その試みに掛けられた労力を思うと、笑ってしまうようでもあり、敬意を払いたくなるようでもある。
 立川口まで引き返した。門を出る手前に、中年カップルがおり、いちゃいちゃしとるとMさん。そこからHさんのご両親の話に。父君が風俗のサイトを見たりしているのに、母君が嫉妬するのだと言う。Mさんはそれを聞いて母やん若いなと言うのだが、父君の感覚としては細君はもう友人のようなものだと言うか、仮に相手に好きな人が出来たとしてもそれを喜んで祝福できるとそんなようなことを言っているのに対して、母君のほうはそんなことは出来ないと嫉妬するタイプなのだと。門を出て横断歩道の向こう、セブンイレブンバーミヤンが入っている建物の横の、モノレール線路下の広場に繋がる通路のところで、ラクロスクリケットか何かラケットとボールを使って練習している若い男性があった。壁打ちをしていたのだが、何であんなところで、と笑う。バーミヤンの従業員ではないか。休憩中なのか? 笑い。それで横断歩道を渡り、その通路を歩きながら(練習をしていた男性がちょうど我々が近づくと壁打ちをやめて撤収しはじめた――まさか、こちらの会話が聞こえていたのだろうか?)Hさんのご両親の話が続く。父君は自信家であるらしい。仕事は三菱自動車の、結構お偉いさんなのではないか(akari cafeが何か改修中なのか、撤去中なのか、なかが雑多にごみごみとしていた)。ナルシストだとHさんは言う。母君が絶対に自分を裏切らないとそれがわかっているらしく、先の祝福発言もその絶対的な自信から出てきたものだと。それはしかし、万が一浮気されたら弱そうやな、一気に崩れそうやなとMさん。
 高架通路への階段に掛かる頃には、母君の乳癌の話もなされた。癌を患って両胸がなく、それで余計に女性的魅力に自信がないのだと。癌は一応根治したらしくて良かったが、病気の当時、Hさんには気を遣って軽いものだと母君は言っていたけれど、あとで聞いたところでは実際は結構なものだったと。兄弟のTさんはしかし、当時は「菓子パン買ってこい事件」の頃だとMさんHさんは爆笑する。Tさんは、当時好きだった人の好みか何かで、肉をつけたい時期で、菓子パンとクッキーばかり食べて太ろうとしていた、それでお気に入りの菓子パンが切れていることに憤慨して、何で買ってこないんだよ! と母君に叫んだ、そういう事件があったのだと言う。
 そんな話をしながら駅まで戻り、駅ビルへ。衣服を見分することになっていた。まず二階のUnited Arrowsへ。価格帯はなかなか高いほうだが、セールで安くなっているものがあるかもとのことだったのだ。それで店内を見分すると、やはり結構格好良い品が色々あって、ファッション欲をそそられる。黒に近い紺色のスラックスのようなパンツを見ていると、もじゃもじゃとした海藻のような髪の、しかし顔は綺麗な男性店員に、試着してみますかと声を掛けられる。折り畳まれていたパンツをひらいてみると裾の長いやつで、お直しを前提として作られているものでしてと店員。それはそんなに気にならなかったのだが、ほかにちょっと気になったものがあったので試着をすることにした。綿とアクリルと毛の素材の褐色のパンツ、それにLeeの覚めるような青のデニムパンツである。どちらも安くなっているもので、褐色のほうはSサイズとLサイズしかなく、LeeのほうはMサイズがあった。それらを取ってもらって試着室へ。褐色のパンツは、思いの外に、Lサイズでぴったりだった。Sサイズはさすがにきつい。Leeのほうもウエストなどぴったりだったが、これは少々履いていて窮屈なように感じられたので、こちらは購入しないことに。それで店員とも話して、褐色のパンツのほうを頂くことにして試着室から出ると、三宅さんが、やりよったなと。やりよったな無職のくせに、と罵倒されるのでこちらも笑って受ける。二万円ほどの品が五〇パーセント割引になって、一〇二六〇円である。まあ悪くない買い物だったと思う。残りの二人は何も買わないようだった。それで、六階にもう少し価格帯の低い店がいくつかありますから、そちらに行きましょうと。それでエスカレーターを上って行き、六階へ。tk TAKEO KIKUCHIなど見て回ってから、ABCマートへ。Mさんお目当ての白いスニーカーのためである。ナイキのエア・フォースというやつと、Stan Smithのもので彼は迷う。ハイカットのごついやつが欲しかったのだと。両方試着するよう薦めてこちらも脇で見ていたのだが、確かに前者のごつさも魅力的だし、後者の洗練されたデザイン――前部にはStan Smithの顔が描かれ入り、後部の上端には色が顔と同色差し込まれている――Mさんはちなみに緑色の差し込まれたものを選んでいたが、こちらがもし買うとしたら赤にするなと思った――も魅力的だった。顔の綺麗な、やや長髪の、黒髪を真ん中から分けた男性店員と話しつつMさんは、最終的に、やはり前者のエア・フォースのほうに決定した――直感やなと言って。一万四〇〇〇円ほどだったと思う。会計して退店してまもなくMさんは、あの男の子、顔めっちゃ綺麗じゃなかったと言う。確かにと同意。最初は、Mさんの脇に、客に無闇に話しかけずに突っ立っているその佇まいなど見て、新人なのだろうか、まだ客との距離感が掴めていないのだろうかなどと思ったのだが、そんなことはまったくなく、Mさんが質問をすれば的確に答えているようだったし、その話しぶりも落ち着いていて静かな声音で、押し付けがましいところが微塵もなくて、容貌が相当に好感の持てると言うか、希少なタイプの店員だと思われた。
 Mさんが買いたいものも買ったし(とは言え、これで本当に良かったんかなあと、彼は購入後も迷いを見せていたが――エア・フォースは靴の前部に放射状にひらいた細かな穴あるいは破線の模様がついており、そこが少々彼は気に入らなかったようだし、こちらもそれをシャワーヘッドみたいだなどと言って揶揄していたのだ)、飯を食いましょうということで上階に上がった。八階、飲食店のフロアを回って、黒豚の店、お好み焼き、寿司、パスタを売りにしているらしいカフェめいた店などが立ち並んでいるなかで、最後に巡り合った「地鶏や」が良いのではないかと決まって、入店。席に通されてメニューを見、こちらはカキフライと混ざった親子丼、Hさんはチキンカツ煮定食のようなもの、Mさんは、迷いながら、賭けに出るわと言って鶏塩ラーメンと親子丼のセットを選んだ。ラーメン屋でない店のラーメンを頼むということで不味いものに当たる可能性があったわけだが、結果、そこそこの味だったようで、それなりに満足していたのだと思う。
 ここで話されたことも――実に色々と話がなされたのだったが――やはりあまりよく思い出せない。一つ覚えているのは、トマトの良いものの見分け方をHさんが教えてくれたことで、お尻のほうから見て薄白いような筋が放射状に入っているのが、そこに糖分が集まっていて良いのだと言う。普通ならば、赤一色に鮮やかに染まりきっているほうが良さそうだなだとこちらは考えてしまうのだが、そうではないのだと。それを受けてMさんが、秋刀魚は口の先が黄色くなっているものが良いのだと披露すると、Hさんは受け返して、青魚は全般そうで、口のみならず、鯵などは良いものは全体がうっすらと黄色味がかってくる、それを黄金アジ(おうごんアジあるいはこがねアジ)と言うのだとさらに教えてくれた。
 パニック障害の話もされた。Mさんも不安障害を経験しているのだが、「理由のない不安」というのが、知識としては知ってはいても、実際に自分で経験して初めてこういうことなのかと理解されたと。それはまったくその通りで、まあ何の病気でもそうかもしれないが、おそらくパニック障害患者の不安感覚というものを理解できる人間というのは――不安障害を実際に経験したこちらの実感としては――ほとんど存在しない。以前にも書いたことがあるが、何もせずにただその場でじっと佇んでいるということ、その極々普通の事柄が、瞬間ごとに不断の、ほとんど英雄的な闘いとなるような、そんな病気である。そのあたりの神経症への理解というのはやはり世の中おそらくまだまだで、同情を籠めた想像という程度のことすら出来る人は結構少ないと思われる。それで言えばこちらが一昨年、塾で働いていた際にも、トイレにやたらと行きたくなってしまって授業に出られなくなるという生徒が一人いた。彼はさらには、トイレのことを意識するとおならがたくさん出てしまい、それがまた恥ずかしいので悪循環を生んでしまうのだが、おそらくは過敏性腸症候群の一種か何かだったのだろう。そうしたことを教えてくれた同僚はしかし、やはり彼の苦しみが理解できない、想像できないようで、本人が感じているだろうことをその実態より遥かに軽く捉えていたと言うか、同じような症状を経験したこちらからすると、端的に、思春期で自意識過剰なところにそんな病状が出たらほとんど地獄ではないかと思うのだが、同僚たちはやはりちょっと、一種の笑い話のように捉えていたと、そんなことを話す。不安障害が絶頂にある時には、本を読むのも厳しかったという話もなされた。頭が回らないということではない、ある意味で頭が回りすぎてしまう方向の厳しさであり、どういうことかと言うと、ある特定の語や主題や文字列があるだけで不安を惹起してしまうということだ。例えばMさんの場合は、「死」に対する恐怖が強かったので、「死」という文字が書かれているとそれだけでもう駄目だった。こちらの場合は嘔吐恐怖があったので、「吐く」などの嘔吐を連想させる語句が厳しかった、それも嘔吐の意味で使われていなくても――「言葉を吐く」などの用法でも――自動的に自分で嘔吐の方向へと連想回路を一瞬で作り上げてしまうので駄目なのだ。そうした不安障害あるあるも語られた。
 その他の話題は今現在のところ、よく思い出せないし、この三日間、どの日もだいぶ長文の記事を綴ってきたので、Mさんの言葉を借りればライティング・ポイントがだいぶ消費された感じもあって、完全を目指さず多少省略しても良いだろう。店は二時間制だった。それで入店から二時間後の八時に近づいて、九時頃に立川を出ればMさんは夜行バスの時間に悠々間に合うから、それまでまた喫茶店に行こうかということになった。それで会計をして退店し、トイレに寄ってからエスカレーターで下階へ。またPRONTOにでも行きましょうかと提案した。今はバータイムになっているので、ジンジャーエールが飲めますよと自分が飲みたかったのでそう言ったのだが、Mさんもそれはちょうど良いと受け、コーヒーではなくてほかのものが飲みたい気分だったのだと。それで広場を抜け、高架歩廊からエスカレーターで下の道に下り、居酒屋の客引きをいなしながら通り抜けて入店。二階のテーブル席に就く。入店した時から掛かっていたBGMに覚えがあるなと考えると、Jose Jamesの"Live Your Fantasy"(『Love In A Time Of Madness』)だった。それでMさんに、これJose Jamesですよと言ったが、彼はJamesの名前を知らなかったようで、Robert Glasperなどと一緒にやっているボーカルですよと紹介する。こういうソウルっぽいのもやってるんですけど、Billie Holidayをトリビュートしたストレートなジャズなんかもやっていて、結構アルバムごとにコンセプトが違いますね。それを受けてHさんからは、アルファ・ミスト(と言っていたと思うが)というアーティストの名前が提出され、Mさんは両者ともメモを取っていた。ジンジャーエール二つと瀬戸内レモンサワーが注文されたあと、Mさんが初めてRobert Glasperに遭遇したのは、Nirvanaの"Smells Like Teen Spirit"のカバーのライブ映像を見たのがきっかけだったと語られる。それで前回東京に来た時、Fくんに聞いたら、『Double Booked』がいいって言うてたやん、それですぐ聞いたもんな。こちらはどちらかと言えばヒップホップ方面よりは、ストレート・アヘッドなジャズをやったアルバムのほうが好きなのだが、Hさんもやはり、『Double Booked』の方向性のほうが好きらしかった。
 このPRONTOでは、結構音楽に関する話が交わされたようだ。Bill Evansについても話す。昨日の記事に書いたようなことだ。すなわち、一九六一年Village VanguardでのBill Evans Trioというのは、三者がそれぞれの顔を見合わせて「せーの」で合わせているというような感じが全然しない、そうではなくてそれぞれが自分の思う音楽の理想形の方向を向いて自分勝手に演じているそれがしかし何故か、奇跡的に高度な地点で合致してしまっている、そのような印象を抱かせるのだと。この点に関しては、帰宅後に閲覧したSさんのブログで、彼もこちらの印象とぴたりと同じことを書いていたので、やはり彼もそのように感じるのだなと思ったものだが、それをここに引かせていただく。

ビル・エヴァンスの「All of You」を何度でも聴くというのは、あの夕陽のような、明るさと寂しさの混ざったような旋律の下にある複雑な様相に何度でも入り込むということ。ヴィレッジ・バンガードビル・エヴァンススコット・ラファロとポール・モティアンは、まるで相手を意に介さずそれぞれてんでばらばらに勝手に自分のやりたいことだけをやっているような感じで、たまに聴くと、やはりこのトリオはちょっと狂ってるなと思う。とくにスコット・ラファロは、ありえない。右チャンネルと左チャンネルに分かれて二人のフロントマンがそれぞれ別の演奏を同時に吹き込むようなフリー系の演奏というのがあるけど、このトリオはちょっとそれに近い感じもある。逆にこういうベーシストでこういうスタイルのピアノトリオというのが、以降の歴史には存在しないように思われる(勿論僕が知らないだけかも、だが)。あまりにも個性的過ぎて、真似してももはや意味がないのかもしれない。
 (「All of You」(「at-oyr」; 2019-02-06; https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/02/06/000000))

 こちらが昨日の記事に記した評言も並べて掲げておく。

 (……)Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を久しぶりに流しているが(前夜の日記作成時も流していた)、本当に良い。この世で最高の音楽のうちの一つだ。Scott LaFaroがとにかく馬鹿である。この三者のトリオパフォーマンスを超えているピアノトリオは未だに存在しないと、思わず口を滑らせてそんなことを言ってしまいたくなるほどである。何というか、普通のピアノトリオとは三人の見ている方向が違うように感じられる。尋常のピアノトリオは、三者が互いに顔を見合わせて、互いの呼吸を窺いながらアンサンブルを合わせている、それに対して一九六一年六月二五日のBill Evans Trioは、曖昧な印象批評になってしまうが、顔を見合わせていないように感じられるのだ。三人が同じ一つの方向に向けて視線を送りだしている――いや、三者の視線が交わる一点というようなものが仮構されるのではなく、ただ方角として同じほうを見ている、つまりは三人が横に並んで、皆各々の「前」を見据えているような印象で、だから互いの呼吸を窺って演奏を合わせるのではなく(勿論実際には三者とも敏感に他者の動向を感知しているに違いないのだがそれを感じさせないような仕方で)、三人が三人とも「音楽」、それぞれ「曲」に対して自分の思うところを自由気ままに、ほかの二人のことなど気にせずに演奏しており、しかしそれが何故か偶然にも高度な地点で合致している、そんな印象を感じさせる。

 それでそうしたことを改めて語ると、Mさんが最近読んだ木村敏が音楽の理想形として同じようなことを述べていたと。さらにはMさんはこちらの話を受けて、それはある意味、三者がそれぞれフリージャズをやっているってことだよねと。その通りである(Mさんは自分のその評言を、今の表現どう、良かったやろとHさんに聞き、Hさんはまるで酔っ払いをあしらうかのように御座なりにぱちぱちぱちと拍手をして皆笑うという一幕)。実際、Sさんも上に引いた文章のなかで似たようなことを書かれているけれど、Scott LaFaroはフリー方面の音楽もやっていた人間だし、Paul Motianものちのちアヴァンギャルド方面の演奏家ともコラボレーションするし、Keith Jarrettとの活動などもある。だから六一年のBill Evans Trioのなかには、確実にフリースタイルへの萌芽が見受けられると思う。
 そこからクラシックの話にもちょっとなったのではなかったか。出てきた名前は、エリック・サティモーツァルトドビュッシーである。Mさんはモーツァルトが大好きで、特にそのメロディが、言ってみればJ-POPにも繋がるようなある意味で非常に「ベタ」なキャッチーさを持ち合わせているのに、しかし何度聞いても飽きない、そこが不思議なのだと。それで言えばエリック・サティも似たような、非常にわかりやすい旋律を書く人間だが、モーツァルトと比べるとMさん的には一歩落ちると言うか、やはり多少飽きてしまうような部分もあると。Hさんはしかし、サティが結構好きだったのではないか。「家具のような音楽」という彼の言葉を出してもいたし、Hさん自身も以前、それを援用して「家具のような小説」を書きたいと言っていた時期もあったと思う。彼はほか、ラヴェルの名前も出していて、オーケストラがやはり凄いと言う――そうした話を聞いていると、こちらもクラシックも探求してみたくなるものだ。あとはMさんはドビュッシーの、点描的なメロディが好きだとも言っていた。
 そんな話をしながらMさんがさらに、Brad Mehldauというのは、自分はソロピアノしか聞いたことがないけれど(『Live In Tokyo』など聞いたことあると言うので、あれは僕も好きですと返す)、トリオもやっているのと訊くので、やっていますと。しかしやはり、六一年のEvans Trioとは違いますねと言うと、そうなのと返すので、そのあたり多少説明する。一九六一年のBill Evans TrioはScott LaFaroも相当におかしいし、Motianだってかなりのものだが、一番頭がおかしいように思われるのは一見非常に美しく、わかりやすいようなピアノを演じていて一見一番尋常なBill Evansかもしれず、何がおかしいのかと言うと、あそこでの彼の演奏には一片の迷いも躊躇も窺われないのだ。例えばBrad Mehldauは、彼も確実にとんでもないピアニストである、おそらくは一〇年に一度、三〇年に一度といったレベルの逸材だろう、しかしライブ盤など聞くとやはり、今ここで考えているな、次のフレーズ、展開を探っているなというような間を感じ取ることができる、しかし六一年のBill Evansにはそのような間隙、空白、そうしたものが微塵も感じ取れない(と言うか、あいだに差し挟まれる休符も含めてすべてが完全にコントロールされているという印象をもたらす)。アドリブであるにもかかわらず、まるで自分が次に弾く音を予めすべて知り尽くしているかのような必然性、ほとんど「天上的な明晰さ」とでも呼びたいようなものが六一年のEvansの演奏には満ち満ちており、それが最も異常なところなのだと説明した。
 あとはMさんに、Twitterに呟いているような事柄を、ブログに投稿したほうが良いと思いますよと薦める場面もあった。やはりなんだかんだ言っても強いのはブログの、長文のほうだとこちらは思うし、最近はこちらもTwitterで呟くのはほとんど日記からの抜粋になっている。泡沫のようにすぐに発言が流れて過ぎ去ってしまうTwitterよりも、長文であってもブログに蓄積を積み重ねていったほうがおそらくは届く人間に届く可能性は上がるのではないかと思う(こちらも実際そのようにしてMさんのブログに遭遇し、その試みを真似ていまこうした文章を綴るに至っているわけだ)。こちらも『亜人』や『囀りとつまずき』の感想を書いたり、それをTwitterに流したりして宣伝・布教を図っているが、それがどれだけ効果的かは不明であり、やはり著者本人が本が読まれるような、さらには売れるような文脈づくりをしていくことが肝要だろう。Mさんの日記というのは明らかに面白いし(Sさんなど本当に好きなようで、大ファンである)、本やほかに触れたものの感想など読んでも楽しめる人は、少ないかも知れないが確実にいると思うし、よく書けたと思うところだけでも抜粋して一般公開してみたらと、そうしたことを提案したのだった。
 今のところ思い出せるのはそのあたりで尽きている。九時頃になって、そろそろ帰るかということになった。それで会計をして(Mさんが全額払ってくれた! ありがとうございます)退店し、駅へ向かう。高架歩廊に上がるエスカレーターを見て、これは雨が降ってもこのままなの、それで壊れないんかなとMさんは気にしていた。駅舎に入り、群衆のなかを通っていって改札を抜け、正式に別れの挨拶をしようと思っていたところが、Mさんはじゃあまた、と軽く言ってさっさと東京行きのホームに下りて行ってしまい、こちらは例によって握手をして別れようかと思っていたところが、しかしまあ彼にはそのような大仰な挨拶は似合わず、あのくらいあっさりしていたほうが良いのかも知れない。Hさんとも、仕事の休みが決まったらまた連絡するので読書会をやりましょうと言い合って別れ、こちらは便所に寄ってから一番線のホームに下りた。立ったまま早速、手帳にメモを取る。やって来た電車に乗って席に就き、発車してからはメモを携帯電話に切り替え、青梅までそうして過ごし、降りるとホームを渡って自販機でスナック菓子を二つ買い(一八〇円)、それをクラッチバッグとともにUnited Arrowsの袋に収めると待合室の壁にもたれて引き続きメモを取った。奥多摩行きのなかでも同じくメモを続け、最寄りで降りると帰路を辿る。坂を下りていき平らな道に出て、小さな手を無数に重ね合ったような桜の裸木の枝ぶりを眺めながらそこを過ぎる。夜空は全体に雲が混ざって煙っていた。帰宅すると母親が、このくらいの時間なら良かったじゃないと言う。父親は寝間着姿で左腕を機械に差し入れて血圧を測っていたところからみて、帰ってきたところらしい。自室に下り、コンピューターを起動させ、コートを脱いで吊るしておき、風呂に入ろうかと思ったら父親が先に入っていたので室に帰り、日記を早速書き出した。そうして一一時頃、入浴へ。この日は携帯電話は持たなかった。出るとクッキーを三枚ほど頂いて戻り、買ってきたスナック菓子とともに食いながら、Mさんのブログの更新分を読む。途中で自分のブログ記事も読み返してしまい時間が掛かって、日記に再度取り掛かったのは零時直前である。そうして一時間半打鍵を続け、一時半を迎えるところで眠気と疲労が差していたので就床した。入眠は容易で、寝床でのことが記憶に残っていないくらいである。


・作文
 11:39 - 13:08 = 1時間29分
 22:35 - 22:53 = 18分
 23:57 - 25:26 = 1時間29分
 計: 3時間16分

・読書
 14:08 - 14:24 = 16分
 23:13 - 23:57 = 44分
 計: 1時間

  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 48 - 52
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-04「合鍵がどこにもないまま夏になる秋にもなるし冬にもなる」

・睡眠
 1:30 - 11:00 = 9時間30分

・音楽