2019/3/22, Fri.

 一〇時四〇分起床。睡眠時間九時間三五分では、敗北だと言わざるを得ないだろう。いつもながらのことではあるが、八時のアラームで目覚めてはいるのだがそこで正式に起床することがどうしても出来ない。九時台のあたりからは太陽もやや昇ってガラス窓のなかに入ってきて、そこから放たれる熱烈な光線を顔に受けながら微睡んだ。そうしてようやく起床すると上階に行き――母親は郵便局や銀行に行くとのことで不在だった――、便所に行ったあと洗面所で顔を洗う。おかずは冷蔵庫のなかに前夜の肉じゃがの残りがあったが、それでは足りないのでベーコンと卵を焼くことにして、フライパンに油を垂らし、ハーフベーコンを五枚、重ね合わせながらふんだんに敷いて、その上から卵を二つ割り落とした。そうして肉じゃがを電子レンジに入れて一分加熱し、そのあいだに丼に米をよそり、ベーコンエッグがある程度固まるとその上に搔き出す。そうして卓に移って、丼の上に醤油を垂らして潰した黄身とぐちゃぐちゃに混ぜながら食べた。新聞は一応ひらいたものの、あまり興味を惹かれる記事もなく、本式に読んだものではない。ものを食べているあいだじゅう、ceroの"Orphans"が頭に流れて仕方がなかった。そうして食事を終えるとセルトラリンとアリピプラゾールを服用し、食器を洗って食器乾燥機に片付けておき、それから服をジャージに着替えて自室に戻った。コンピューターを起動させ、前日の日課の記録を完成させ、作文に取り掛かったのが一一時半前だが、便所に行って排便してきたのを機に途中でインターネットに繰り出して娯楽的な動画を閲覧するなどしてしまい、余計な時間を費やして、ようやく日記に戻ったのが一二時二〇分頃だった。音楽はCecile McLorin Salvant『Womanchild』を流してそこから打鍵を進め、現在一二時五〇分に至っている。図書館か、立川か、ともかく出かけようかと漠然と思っているが、どうするか。
 上階へ行った。帰宅していた母親に挨拶し、浴室へ行って風呂の栓を抜く。僅かに残った水が排水口に吸い込まれていくあいだに蓋を除き、洗濯機に繋がったポンプも浴槽から上げてバケツのなかに入れておき、ブラシと洗剤を取ると風呂桶のなかに入って、上下左右に四囲の壁を擦った。四面とも隅々まで泡を付着させながら磨くと、今度は床を擦り、そうして浴槽から出てシャワーで洗剤を流す。浴室から出てくると、バヤリースのオレンジジュースのペットボトルを持って自室に帰り、甘ったるい液体を飲みながら「記憶」記事の音読を始めた。冒頭、一番から読んでいく。岩田宏神田神保町」の一節はもうほとんど覚えているようだ。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』からの情報も、もう何度も読んできて結構頭に入っているようなので、音読は二度ではなく一回だけにして、一度読むと目を閉じてぶつぶつと文言を呟き、頭のなかに入っている情報を確認した。そうして三〇分をそれに費やすと、cero "Yellow Magus (Obscure)"を流し出し、服を着替える。立川に出るのではなくて河辺の図書館に行くことにした。誰と会うわけでもないし街に出るわけでもないので、そんなに洒落た服を着なくても良かろうと、上は白シャツ、下はベージュのズボンで、上着は濃紺のジャケットである。歌いながら服を着替え、cero "Summer Soul"も歌うとコンピューターをシャットダウンしてリュックサックに収めた。そのほか財布や携帯など手荷物を整理して上階に行くと、洗濯物を畳んでいた母親が、送って行こうかと言う。自分も西友に行きたいらしい――と言うのは父親の下着類などを買うためだと言う。こちらは歩いていくと言うのだが、妙に何度も乗って行きなよと言うので、まあどちらでも良かろうとそれに従うことにして、ハンカチをポケットに詰めたあと、出支度の済んだこちらはもう先にリュックサックを片方の肩に掛けて玄関を抜けてしまった。道の向かいの木造家屋の垣根に寄って、そこに立っている松の木の鋭い葉先や、あたりの草木から細かな虫が飛び立って動き回るさまを眺めていると母親が出てきた。車の助手席に乗り、シートベルトを閉めると、持ってきたcero『Obscure Ride』のCDを流しはじめて出発である。車内の温度は生温く、少々暑く感じるくらいだった。坂を上って行き街道に出て、東に一路進んでいると、途中で例の、いつも独り言を言いながら荷物を引いている老婆の姿があったので、あのおばさんだと母親に知らせる。以前は黄緑色のコートを着ていたのを、ピンク色に変わったねと母親は言い、何をしているんだろう、家がないのかなと漏らすのだが、そういうわけでもあるまいとこちらは思う。先日は立川で見かけたと言うと母親はちょっと驚いていた。新たな文化施設を建造中の市民会館跡地まで来ると彼女は、もうだいぶ出来てきたねと言う。我々の車はその前で少しのあいだ停車した。敷地の縁では、ちょうど歩道にタイルを敷いているところで、男の人足が一人、バケツから、あれは何と言えば良いのだろうかセメントと言うのかそれともモルタルというものなのか、漆喰に似たような粘着剤の類を篦で地面に伸ばしていた。その上からタイルを貼っていくようで、赤褐色の道が途中まで既に作られている。その人足の後ろに同じようにしゃがんで作業を行っていたのは女性のようで、母親は、見てあれ、女の人だよ、などとこちらに向けて注意を促してきた。凄いね、と言う。
 西分のあたりまで来ると母親が、あの人、脚が長いねと路肩の一人に言及して、脚を随分と露出させているのに、男かな、女かな、などと言っている。こちらは目が悪いこともあって遠くから見ると、脚を出しているのではなくて肌色に近い履き物を履いているようにも見えたのだが、近づいてみると確かにデニムのショートパンツから何にも覆われていないらしい脚がすらりと伸びていて、髪の長さからしても若い女性のようだ。ドキドキする、などと母親が訊いてくるのに、いや、別に、と答えながら思わず苦笑した。それからちょっと行って西分の踏切りに掛かった頃、父親の手術の話になって、わざわざ足を直さなくとも、特例としてスニーカーで拍子木役を務めさせてもらえば良いとこちらなどは思うし母親などもそう思っているだろうが、拍子木役と務めてそののちも何かと役目について出張らないといけない、そうするとやはり草履を履けないといけないらしい。癒着している二本の指を分離させて、捩れたようになっているらしい神経を正常に直し、尻の皮か何か取ってきて移植するとのことで、思いの外に大掛かりなことになりそうで、どれだけ掛かるのかと訊くとだから一週間、と母親が言うのに、そうではなくて金のほうだと尋ね直せば、母親もそれは分からないとのことだった。一〇〇万円くらい掛かるのかと訊けば、そのくらいはするかもねと言う。保険が利くと言うからもういくらか安いのではとは思うが、命に関わるのでもないたかが足の癒着を取り除くくらいのことに一〇〇万をぽんと出せるなどまったくこちらには信じられないような話だ。
 そうして河辺に着くと、西友の駐車場へと昇って行く入口のところで下ろしてもらい、礼を言って母親と別れた。図書館に向かって歩いているあいだ、風が吹きつけるが、空が曇っていてもそのなかに冷たさはもはやなく、春の陽気である。図書館へと階段を上りながら、出る前に済ませてきたはずなのに妙に尿意が嵩んでいることに気づき、理由は知れないが緊張しているのだろうかと疑った。それで館に入るとまず真っ先に便所に行く。鏡を前にして歯を磨いている男性の横を過ぎ、小便器の前に立って出してみると、先ほど出したばかりなのに思いの外によく出るのはジュースを一本飲んだからかもしれない。そうして手を洗い、ハンカチで拭きながら室を出て、CDの新着棚に行くと、ジャズの新作がたくさん入っていた。桑原あいがあったり、キャンディス・スプリングだったか、ブルーノート・レーベルの、プリンスが生前に絶賛していたという歌姫のアルバムがあってそれにはChris Daveが参加していたり、そのほかにも新しめの、コンテンポラリー・ジャズの名前があって、Loius Coleの名前が見られるのには田舎町の図書館のくせになかなか攻めてくるなと思った。さらに視線を移せば、P-VINEから出ているNOW VS NOWというバンドの作品があって、見ればこれはJason Lindnerのプロジェクトなのだ。それを発見した時点で、元々CDを借りる気はあまりなかったのだが、これは今日もう借りておいたほうが良いなと判断して、三枚を選び出すことにした。NOW VS NOW『The Buffering Cocoon』のほかには先のLouis Cole『Time』、それにキリンジの二〇周年アルバムとなる『愛をあるだけ、すべて』も見られたのでこれを選んだ。ところでキリンジのこの作のレーベルというのは、Verveなのだ。Louis ColeはBrainfeeder、NOW VS NOWはP-VINEとどれも有名なレーベルなので、おそらく入荷する新しめのジャズ作品というのはレーベルで選ばれているのだろう。何にしても有り難いことではある。あと借りなければならない目当てとしては先般見かけた狭間美帆の作品があるのだが、これは他日として、三枚を持って貸出機に寄り、カードを読み込ませて手続きをした。そうして上階に上がって新着図書を見ると、こちらも目新しい著作がいくつもあって、第一次世界大戦に関するみすず書房の厚い本があったり、ニーアル・ファーガソンヘンリー・キッシンジャーに関する大部の著作があったり、本屋で見かけていた小泉義之の真っ赤な新刊があったり、ほかにも思い出せないがいくつか目ぼしいものはあって、なかなかに良さそうな本ばかり取り揃えてくれてこちらも有り難い。新着図書をチェックし終えると書架のあいだを抜けて大窓際に出た。席はないかと思いきや端のほうが空いていたのでそこに入り、コンピューターを取り出してジャケットを脱いで椅子の背に掛け、Evernoteを起動させて日記を書きはじめたのが三時直前だった。ここまで三〇分で書き足すことができた。
 それから借りたCD三枚の情報をEvernoteに打鍵して写しておくと、三時五〇分から書抜きを始めた。メモをしておいた読書ノートに従って、そのメモを読み返しつつ、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』の記述をコンピューターに写していく。雲が広く空を覆っていたが、途中、西南の空に太陽がちょっと顔を出して大窓から斜めに陽が射し込み、格子状になった席の仕切りに切り取られた明るみがノートの上に複数の筋となって掛かった時間もあった。黙々と打鍵を続けて二時間弱、六時も近くなるとバッテリー残量が五パーセントだとモニターに表示されたので、作業を切り上げて帰ることにした。

 (……)先にも見たように無と存在は表裏一体の関係にあるのだから、実は存在に関しても(無に関してと同様)「存在とは何か」と問うことはできないのではないか。世界のすべては存在している、世界の究極の根拠は存在である、とは言えても、その存在に関してあらためて、では「存在とは何か」と問うことはできないのではないか。存在に関しては、無と違ってそれがまさしく存在であるがゆえに、それに対して「何か」と問うことの矛盾が見えにくいが、つまり一見問いが立つように見えるのだが、実はこれもまたほとんど不可能な問いなのだ。「存在とは何か」と問うことは、ちょうど「無とは何か」という問いが無を何らかの存在するものとしてしまうのと同様、存在を存在するものとすることによってはじめて可能になるのだが、実は存在は存在するものではないのだ。存在するもの(存在者)の「根拠」が存在なのだから、存在は存在者ではないのだ。別の言い方をすれば、存在(とその裏側に貼りついている無)は究極の述語であって、もはや決して主語となることがないのである。「存在とは……である」と述べることができないのだ。究極の述語であるとは、それが理解という営みの最終的な到達点であることにほかならず、あらゆる理解がこの究極の述語の上に成り立っていることを示している。そしてそれだからこそ、この究極の述語自体はもはや理解の対象、すなわち問いが向けられる宛て先ではないのである。
 (斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』ちくま新書(651)、二〇〇七年、82~83)

 アナクシマンドロスに戻ろう。彼は現代科学の最先端で戦わされているこうした議論をとうの昔に見通していたかのように、こう考えたのだ。万物を構成する根源物質を求める問いは、それが特定の、すなわち限定された物質を以て答えるかぎり、どこまでも遡行してやむことがない。もしこの問いに答えることができるとすれば、それは、<それによってあらゆる「もの」が特定の限定された「もの=物質」として構成されているところの、それ自身はもはや何ら限定されないもの>、すなわち「無限定なもの」を以てして以外ではない、と。(……)
 「無限定なもの」と言われてつい私たちは、何か曖昧模糊とした、もやもやした「もの」を思い浮かべてしまうが、それはちょうど「雲」がどんなに輪郭が定かでなくても立派な(?)一個の「もの」であるのと同じく、すでに「もの=物質」である。アナクシマンドロスがその議論の果てに到達した「無限定なもの」は、そうした「もの=物質」では決してない。彼が「無限定なもの」と言ったときのそのような「もの」など、私たちは見たことも聞いたこともないのだ。したがって、それを何らかの仕方で「想像する」、つまり「思い浮かべる」こともできない。それは、強いて言えば、すべての「もの=物質」を、万物を、それぞれの規定性・限定性のもとで存在するにいたらしめるある動向、すべてを何らかの「もの」として存在せしめんとするある趨勢のごときものなのだ。もはやそれ自身は「もの」ではなく、すべてが「もの」へといたり、存在するにいたるある種の「力」と言った方がよいかもしれない。
 現に、先のハイゼンベルクは、みずからが素粒子に与えた解釈、すなわち量子の存在論上の身分を、このアナクシマンドロスの「無限定なもの」をわざわざ引き合いに出し、それになぞらえてもいたのだ。それは決して単なる確率上の可能性なのではなく、「ある奇妙な実在性」だと、彼は言うのである。そして、もしそれがすべてを特定の・限定された「もの」として存在せしめる動向、「力」なのだとすれば、それを<「存在者(存在するもの)」を「存在者」たらしめているところの「存在」>と呼ぶことも、決して牽強付会ということにはならないだろう。(……)
 (106~108)

 バッテリーの乏しさを示すランプが点灯するなか、切りの良いところまで写しておき、コンピューターをシャットダウンして荷物をまとめ、ジャケットを羽織って席をあとにした。通路をフロアの端のほうまで辿って、哲学の書架の著作を端からチェックしていく。哲学概論、各論、日本思想と見分していき、西洋思想の初めのあたりまで確認したところで、こうして見てばかりいても読むことはできないのだしと考えて、そろそろ行くかと時計を見れば六時をもう過ぎていて、奥多摩行きに接続する電車は逃してしまった。それから新着図書をもう一度チェックし(気になったのはロージ・ブライドッティ『ポストヒューマン 新しい人文学に向けて』や、ジョン・ロバートソン『啓蒙とはなにか 忘却された<光>の哲学』など)、退館に向かって階段口に入ると、大窓の向こう、西空のほとんど果てまで青く暗い雲が垂れ込めているが、雨に籠められているかのように青く薄っぺらな山影を写した空の果てには残照の幽かな揺蕩いが覗いてもいた。退館し、歩廊の上から頭上を見上げると雲は西寄りで、東のほうには空の地の青さも覗くが、もう六時だからだいぶ暗くて雲の色味とほとんど変わりがない。空の高さに少々くらくらとなりそうだった。歩廊を渡って行くと、駅舎の周囲に鳥が群れて旋回しながら鳴き声を降らしている。その下をくぐって駅に入り、改札を抜けると電車は六時九分、エスカレーターを昇ってくる人の多さからしてもう着いているようで、急いでエスカレーターを下り、発車のベルが鳴らされるなか、飛び乗った。そうして扉際に就き、車内の様子が窓ガラスに反射しているのを通して暗んだ外気を眺めながら二駅、青梅で降りると奥多摩行きまで三〇分もの時間があるので、歩いて帰ることにした。階段を下りて通路を辿り、階段を上がって改札を抜ける。ズボンのポケットに両手を突っ込みながらロータリーを回り、裏通りに入ればもう深く黄昏れて、対向者の顔も定かならない。裏路地を行くあいだ、自分の頭で考えるというのはどういうことなのだろうなどと考えていたが、勿論明快な答えは出ない。そのほか日記のことも考えて、自分の生の主目的というのはやはり日記を書くこと、なるべく長くこの文章を書き続けることなのだが、書くからにはそれをなるべく豊かなものにしていきたい。現在、叙事的な記述に関しては、以前よりも細かく、より緻密に出来ているように思うのだが、これにもっと違った種類のこと、例えば思弁的な事柄なども主題として組み込んで行ければさらに良いと思う。最近哲学に興味が出ているのは、そうした日記を豊かにしていくための「考える」という営みに関する何らかのヒントがないかという目論見も半ばはあるようだ。ともかくも今の自分は全然ものを考えるということが出来ていないという感じがしていて、もっと深く、もっと広範に思考というものを練り上げて行きたいのだが、そのためにはやはりものをたくさん読むしかないのだろうか――読んでばかりいても、ショーペンハウアーが言ったように、自分の頭で考えることが出来なくなりそうな気がするのだが。しかし、自分の頭で考えるとはそもそもどういうことなのか、とここで先の疑問に戻るわけである。人間は本当に、自分の頭でものを考えるなどということが出来るのだろうか? 自分で考えているつもりでいて、周囲の環境や、過去に蓄積された経験や、逃れがたい傾向性などによってある事柄を考えるように追い詰められているのではないのだろうか? まあそんなややこしい話は措いておいても、単純なところ、もう少しばかり賢い人間になりたいなあと思うものなのだが、そのためにはどうすれば良いのだろうか。知識があるということと、思考力があること、ものを深く考えられるということは完全に分離してはいないにしても、やはり別の事柄だろう。
 そうした話は措いて、裏通りの途中から高い足音が背後から聞こえてきて、こちらの横を抜かしていく姿を見れば、買い物をして帰ってきた主婦というところだろうか、袋を二つ左腕に掛けた女性の歩調が、ある種雄々しいように威勢が良く、素早い。それを見ながら、そんなに急がなくても良いのに、と余計なことを思った。道中、風はあまり吹かなかったようで、肌寒さに苦しめられた記憶はない。道はもうだいぶ暗がりで、道端の花の色もよく見なかった。
 そうして帰宅して(六時四五分頃だった)居間に入ると、肉を焼いたような良い香りが漂っている。良い匂いがする、と母親が訊くので肉かと訊き返せば、唐揚げを揚げたのだと言う。それでこちらは下階に戻り、コンピューターをテーブルに据えて、服をジャージに着替えると、早くも食事に行った。米・唐揚げ・牛蒡の天麩羅・薄味の汁物・大根などの生サラダである。テーブルの上には新聞のほかに、日本共産党のチラシがある。市議会選が近いのでそれの広報活動だろう。夕刊にはイチローの引退が大きく取り上げられており、その下に、ドナルド・トランプゴラン高原におけるイスラエルの主権を認めると表明したとの記事。来年に迫った大統領選に向けて、ユダヤ系の支持者へのアピールというわけだろう。国連安保理は今まで、イスラエルによる高原併合を無効とする決議を採択しているらしく、トランプ氏は、エルサレムイスラエルの首都と独自に認定した二〇一七年末に続いてここでも、アメリカ・ファーストの姿勢を貫いている。テレビのニュースもイチローの引退会見を取り上げていた。こちらは野球ファンではないので特段の感慨はないが、イチローと同僚だったオリックスのコーチが「虚無感」と言っていた通り、ファンからしてみるときっと、まさしく一時代の終焉という感じがするのだろう。ものを食い終わると薬を飲み、皿を洗って、まだ風呂には入らず一旦下階に戻った。そうして八時前からfuzkue「読書日記(127)」を読みはじめた。BGMにしたのはWynton Kelly Trio/Wes Montgomery『Smokin' In Seattle: Live At The Penthouse』。借りてきたCDをインポートさせながら二日分読み、さらに二〇一六年六月二七日の記事を読み、大した記述ではないがそこから一部、「過去のこと」としてTwitterに投稿しておいた。そうして時刻は八時一五分、入浴に行った。湯のなかではUさんにメールを送りたいということをまた考えたのだが、何を書けば――と言うかむしろ、どのように書けば良いのか見通しが出来ていない。こちらが最近考えていることと言えば、上にも書いたように、考えるとはどういうことなのか、人間は考えるためにはどうすれば良いのか、というようなことで、このあたりUさんの考えも聞いてみたいのだが、メールをどのようにまとめられるかまだわからないし、ショーペンハウアーなどもう一度読み返してからのほうが良いのではないかという気もする。そう長く浸からずに出てくると、下階に戻って日記を書きはじめた。BGMはWynton Kelly Trioの次に、借りてきたKIRINJI『愛をあるだけ、すべて』。ここまで書き足して九時半過ぎ。
 斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』の、残っていた最後の一箇所を書き写して一〇時を越えると、ベッドに移って、木田元『哲学散歩』を読み出した。二〇六頁にエルンスト・カッシーラーの逸話が紹介されているが、彼はいわゆる写真記憶の持ち主で、「ほとんどの古典をテキストなしに引用できたし、ノートなどけっしてとらないのに、読んだばかりのものをいくらでも正確に引用できた」らしい。まったくもって羨ましい、超人的な能力だ。そうして一一時過ぎまで読んでこの本は読了。この著作は先にも書いたように、思想そのものに焦点を当てた記述というものはあまり含まれておらず、哲学者たちの伝記的なエピソードを中心に組まれているので、思想入門的なものを想像していたこちらとしては少々肩透かしの感はあったが、それでも結構面白かった。そんななかにも、例えばプラトンイデア論は元々ユダヤ思想との結びつきがあったのではないかなど、木田元特有の知見が時折り盛り込まれて光る構成になっている。紙幅の都合もあって一回一回にそれほど深く掘り下げて記述は出来なかったのだろう、概略的な説明に留まっている向きもあるが、それでもそう長くはない一回の文章を書くために、参考文献を数冊以上当たっているのが示されていて、木田自身はほとんど他者の「受け売り」であると謙遜しているが、やはり学者というものは豊かに本を読むものだ。
 『哲学散歩』を読み終えたあとは、小林康夫『君自身の哲学へ』を読みはじめた。冒頭、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の一場面を引いて、「井戸」的な実存の在り方というものが現代という時代における人々の一つの存在の仕方なのではないかと考察されている。「井戸」は近代的な――あるいはもっと根源からの――人間の欲求の象徴である「塔」と対照的な方向への退却であり、言わばその陰画であるとの見取り図には頷かされる。こちらの実存は、「井戸」か「塔」かで言ったら、やはり「井戸」志向だろう。こちらという人間は言ってみれば、この日記という文章のなかに引き籠っているような存在であるわけだが、そこから何に/どこに繋がっていくのか、あるいはどこにも繋がっていかないのか?
 小林は、この「井戸的実存」において、そこにおける状況を創造的に変容させていくための一つのヒントとして「ブリコラージュ」という概念を持ち出してきている。これはもともとはレヴィ=ストロースの用語で、「器用仕事」などと訳されるらしいのだが、要するに有り合わせのガラクタを組み合わせて、何か別のものを作り上げてしまうということを指す。これはこちらのような断片的な思考形態、断片を志向する性向と相性が良いのではないかと思った。ブリコラージュとは、全体という体系に回収されずにそれぞれ個別的に独立している断片的なものを繋ぎ合わせることだと考えられるからだ。
 途中、コンピューターに寄って、小林康夫の動画を検索し、その講演などをちょっと眺めたのち(さらに、関連動画から飛んで高山宏の講演などもしばらく視聴してしまった)ベッドに戻り、一時過ぎまで本を読み進めて就寝。


・作文
 11:26 - 12:50 = 1時間24分
 14:53 - 15:25 = 32分
 20:43 - 21:37 = 54分
 計: 2時間50分

・読書
 13:11 - 13:41 = 30分
 15:50 - 17:44 = 1時間54分
 19:53 - 20:15 = 22分
 21:55 - 22:02 = 7分
 22:03 - 23:09 - 25:17 = 3時間14分
 計: 6時間7分

  • 「記憶」: 1 - 14
  • 斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』ちくま新書(651)、二〇〇七年、書抜き
  • fuzkue「読書日記(127)」; 3月5日(火)まで。
  • 2016/6/27, Mon.
  • 木田元『哲学散歩』: 176 - 217(読了)
  • 小林康夫『君自身の哲学へ』: 1 - 53

・睡眠
 1:05 - 10:40 = 9時間35分

・音楽

  • Cecile McLorin Salvant『Womanchild』
  • Wynton Kelly Trio/Wes Montgomery『Smokin' In Seattle: Live At The Penthouse』
  • KIRINJI『愛をあるだけ、すべて』




斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』ちくま新書(651)、二〇〇七年

 (……)それが石や植物といった自然物であれ、数や図形のような数学的対象であれ、私たちは何かが存在するとき、そこにはまずその当の「何」かがあって、それがさまざまな性質をもつと、ごく自然に捉えてはいないだろうか。まずここに「机」そのものがあって、それが脚を四本もっていたり、広くて平らな天板をもっていたり、その天板が硬くてすべすべしていたり、褐色をしていたり……するのではないか。このときの「机」そのものが「基体」ないし「実体」と呼ばれ、この「基体」が四本の脚や広くて平らな天板やその「硬さ」や「すべすべさ」といった「属性」(end75)(……)をもつのである。(……)すなわち「存在」とは、基体とそれが担うさまざまの属性という在り方をその基本とするもの、そのような構造をもつものなのである(「実体-属性論」とも呼ばれる。(……))。
 もう一つは、存在するものが存在するとき、それはどのような原因によって惹き起こされたかを考察することで答える答え方である。何かが存在するためには、その素材・材料が必要である。これを「質料因」と呼ぶ。ここに机が存在するのであれば、その材料としての木板や鉄パイプやラッカーが必要である。だが、そうした材料がただ転がっているだけでは、いまだ机は存在しない。机が存在するためには、それが「何」であるかを規定するものに従って先の材料が特定の仕方で配置され・組み合わされなければならない。机とはその上に紙や本やパソコンをひろげて作業するための道具なのだとすれば、それらの作(end76)業が円滑に進行するように木板や鉄パイプを配置してはじめて、机は机たりうる。このとき机の「何」であるかを規定しているもの(机の「本質」)は、「形相因」と呼ばれる。そうすると、何かが存在するとき、それは少なくとも質料因と形相因という二つの「原因」ないし「要因」を必要としていることになる(「質料-形相論」と呼ばれる考え方である)。机のような道具には、さらに他の原因・要因を考慮する余地がある。机が机として存在するためには、誰かがそれを作らなければならない。すなわち、その「作動因」ないし「起動因」が不可欠である。また、机の本質規定には、「その上に本をひろげるためのもの」、「その上で原稿などの書きものをするためのもの」といったその「目的」が不可分に関わっている。すなわち「目的因」である。ここで存在者が存在するために不可欠の「原因」は、当の存在者が存在することの「根拠」の一形態であると言ってよい。
 この「根拠」への問いは、次々に根拠の根拠へと遡及する性格をもっている。机の例でいえば、机が存在することの「根拠」は、まずは私たちがその上で本を読んだり原稿を書いたりするためのものという「目的」である。では私たちが本を読んだり原稿を書いたりするのはいったい何のためか、とここでさらにその「根拠」を問うことができる。それは何かの知識を身につけるためかもしれないし、業績を上げるためかもしれない。では知識を身につけるのは何のためか、業績を上げるのは何のためか。何らかの分野の専門家にな(end77)るためか、名声を得るためか、より多くのお金を手に入れるためか。では、それらは何のためか。以下、同様につづく。こうして根拠から根拠へと進んでゆく思考は、世界のすべてが存在することの最終的な原因、究極の根拠は何かという問題に突き当たらざるをえない。世界の第一原因についての思考、これをアリストテレスは「神学(theologikē)」とも呼ぶ。「神」とは、世界の最終的な根拠の別の名なのだ。
 (75~78)

     *

 (……)先にも見たように無と存在は表裏一体の関係にあるのだから、実(end82)は存在に関しても(無に関してと同様)「存在とは何か」と問うことはできないのではないか。世界のすべては存在している、世界の究極の根拠は存在である、とは言えても、その存在に関してあらためて、では「存在とは何か」と問うことはできないのではないか。存在に関しては、無と違ってそれがまさしく存在であるがゆえに、それに対して「何か」と問うことの矛盾が見えにくいが、つまり一見問いが立つように見えるのだが、実はこれもまたほとんど不可能な問いなのだ。「存在とは何か」と問うことは、ちょうど「無とは何か」という問いが無を何らかの存在するものとしてしまうのと同様、存在を存在するものとすることによってはじめて可能になるのだが、実は存在は存在するものではないのだ。存在するもの(存在者)の「根拠」が存在なのだから、存在は存在者ではないのだ。別の言い方をすれば、存在(とその裏側に貼りついている無)は究極の述語であって、もはや決して主語となることがないのである。「存在とは……である」と述べることができないのだ。究極の述語であるとは、それが理解という営みの最終的な到達点であることにほかならず、あらゆる理解がこの究極の述語の上に成り立っていることを示している。そしてそれだからこそ、この究極の述語自体はもはや理解の対象、すなわち問いが向けられる宛て先ではないのである。
 (82~83)

     *

 しかし、「存在とは何か」という問いに答えることができないという点では形而上学の試みは失敗であり、挫折を運命づけられているという意味では無駄な試みである。(……)けれども、<「存在とは何か」という問いに思考は答えることができない>というこのことを洞察しうるのが、思考以外にないこともまた確かだろう。(……)
 (85)

     *

 (……)哲学の歴史を振り返ってみると、何度も形而上学排斥運動が起こっている。
 たとえば古代末期には、まさしくアリストテレス派の形而上学は無駄な思弁として斥けられ、私たちに心の平和と安らかさを与えてくれる(役に立つ!)倫理思想へと人々の関心は移ってしまった。禁欲を説くストア派や、逆に快楽を徹底することを説くエピクロスが人々の関心を集めたのである。中世に入ってキリスト教理論武装に使えそうだということでふたたび陽の目を見るにいたったプラトンアリストテレスはスコラ哲学(教会に付属する学校[スコラ]で研究され・教えられた哲学)として壮大な理論体系を構築するが、それは本当に知りたいことを何一つ教えてくれない砂上の楼閣だとしてベーコン(Francis Bacon, 1561-1626)やデカルト(René Descartes, 1596-1650)から非難された。そのデカルトによって基礎を置かれた大陸合理論の哲学は、ヒューム(David Hume, 1711-1776)の懐疑によって目を覚まされたカント(Immanuel Kant, 1724-1804)によって独断的形而上学として弾劾された(もっともカントの最終的なねらいは、あくまで新たな形而上学の構築にあっ(end87)たのだが)。現代の入り口にいたると、哲学の貧困は哲学者たちがああだこうだと世界の解釈に明け暮れるばかりであることに起因する、だが大切なことは世界を変革することだ、とマルクス(Karl Heinrich Marx, 1818-1883)に叱咤され、二十世紀初頭の論理実証主義者たちからは形而上学の大言壮語こそ哲学がいつまでも科学になれない元凶だとして切って捨てられた。
 (87~88)

     *

 古代ギリシャに端を発する狭義のそれ、いわゆる西欧哲学(「フィロソフィー」)は、このときの「根拠」を本来誰の眼にも明らかな・明々白々たるものと捉え、それに到達する(end91)ために公共の討議の場を「根拠」と不可分のものとして形成してきた。この点でそれは、「根拠」を深く秘匿されたものと捉える他の思考伝統、すなわち「根拠」への到達を思考力に優れた者がその能力を厳しく鍛えられることを以てはじめて可能とする他の思考伝統と鋭い対比をなす。だが、そのいずれもが「根拠」への問いとしての思考、すなわち(広義の)哲学なのだ。
 「なぜ?」という根拠へのこの問いは、一方で問いを可能なかぎり限定することで明確な答えを得ようとする個別学へ(近代科学もそうした個別学の一つである)向かうと同時に、他方でおよそ考えうるかぎりの世界のすべてに・全体へと問いを差し向けることで(これを先に「普遍化」と呼んだ)形而上学へと向かう。(……)
 (91~92)

     *

 (……)素粒子ほどの超ミクロな次元になると、観測のために必要な光(これもまた微小な粒子――光子――の集合体とされる)を当てることが当の観測すべき素粒子のいわば立ち居ふるまいに影響を与えてしまうため、その場合には「もの」であるかぎりでの当の素粒子がそれ自体において何であるかを一義的に確定したものとして示すことが原理的に不可能となってしまうからだ。そこで量子力学は、観測以前の素粒子の状態(その「何であるか」)を、かくかくである可能性、然々である可能性、等々、いくつかの可能な状態の確率を重ね合わせたかたちで呈示するのだが、これはもはや「もの」というよりはある動向・趨勢・傾向性である。「確率の雲」と形容されるこの傾向性の束である素粒子が観測可能な光のもとに踊り出たとき、一挙にこの「雲」は雲散霧消し、当の素粒子は晴れて特定の(確定した一つの)状態に固定される。「波束の収束」ないし「崩壊(collapse)」と呼ばれる事態であり、確率の雲ないし波動の束としての素粒子(いわば「それ自体における」素粒子)と観測され・現(end105)象したそれとの間には、一個の飛躍ないし非連続の断線が走っているのだ。この場合の傾向性が単なる可能性にすぎないのか、つまり、素粒子のそれ自体における状態についての私たちの知識・情報が不足しているために確率的な表現をとらざるをえないのか、それとも現に素粒子の立ち居ふるまいとして何らかの実在性に属するのかをめぐっては、激しい論争が展開された。後者の立場を取るボーアやハイゼンベルクらのいわゆる「コペンハーゲン解釈」が一応認められているとはいえ、この解釈には発表当初からたとえばアインシュタインらによる強い反対があったし(「神はサイコロをふらない」、「自然は飛躍しない」)、この解釈が「もの(物質)」や「実在」についての私たちの考え方にどの程度根本的な変革を迫るものなのかについては、なお係争中であると言ってよい。
 (105~106)

     *

 アナクシマンドロスに戻ろう。彼は現代科学の最先端で戦わされているこうした議論をとうの昔に見通していたかのように、こう考えたのだ。万物を構成する根源物質を求める問いは、それが特定の、すなわち限定された物質を以て答えるかぎり、どこまでも遡行してやむことがない。もしこの問いに答えることができるとすれば、それは、<それによっ(end106)てあらゆる「もの」が特定の限定された「もの=物質」として構成されているところの、それ自身はもはや何ら限定されないもの>、すなわち「無限定なもの」を以てして以外ではない、と。(……)
 「無限定なもの」と言われてつい私たちは、何か曖昧模糊とした、もやもやした「もの」を思い浮かべてしまうが、それはちょうど「雲」がどんなに輪郭が定かでなくても立派な(?)一個の「もの」であるのと同じく、すでに「もの=物質」である。アナクシマンドロスがその議論の果てに到達した「無限定なもの」は、そうした「もの=物質」では決してない。彼が「無限定なもの」と言ったときのそのような「もの」など、私たちは見たことも聞いたこともないのだ。したがって、それを何らかの仕方で「想像する」、つまり「思い浮かべる」こともできない。それは、強いて言えば、すべての「もの=物質」を、万物を、それぞれの規定性・限定性のもとで存在するにいたらしめるある動向、すべてを何らかの「もの」として存在せしめんとするある趨勢のごときものなのだ。もはやそれ自(end107)身は「もの」ではなく、すべてが「もの」へといたり、存在するにいたるある種の「力」と言った方がよいかもしれない。
 現に、先のハイゼンベルクは、みずからが素粒子に与えた解釈、すなわち量子の存在論上の身分を、このアナクシマンドロスの「無限定なもの」をわざわざ引き合いに出し、それになぞらえてもいたのだ。それは決して単なる確率上の可能性なのではなく、「ある奇妙な実在性」だと、彼は言うのである。そして、もしそれがすべてを特定の・限定された「もの」として存在せしめる動向、「力」なのだとすれば、それを<「存在者(存在するもの)」を「存在者」たらしめているところの「存在」>と呼ぶことも、決して牽強付会ということにはならないだろう。(……)
 (106~108)

     *

 (……)しばしば「原理」と訳される英語の「プリンシプル(principle)」は「先なるもの」、「端緒」という意味のラテン語「プリンキピウム(principium)」に由来し、もとはと言えばこの語はギリシャ語「アルケー」のラテン語訳である。(……)
 (110)

     *

 なぜ、世界の内に「何」かが存在すること自体が虚妄なのか。それは、「何」かが「何」かとして存在するためには、そこに当の「何」ではない「何」かがすでに介入していなければならないからなのだ。何かが何かとして規定されるためには、その規定のもとで当の「何」でない一切が排除されなければならない。たとえば、路ばたのその石ころが石ころ(end117)といて規定され・存在するためには、それは土でも空気でも植物でもないものとして、またその右側のちょっと大きくて黒ずんだ石でもなければ左側の灰色の砂利でもないものとして、さらには昨日のその石ころでもなければ明日のそれでもないものとして、そうした否定の一切とともに当の石ころとしての規定が遂行されねばならず、このことを以てそれはいまそこにそのようなものとして存在するのである。これは、「何」かが存在するときには、その「何」かのもとに当の「何」かでない一切がともに居合わせていることを示している。後にスピノザ(Baruch de Spinoza, 1632-1677)が明確に述べるように、「あらゆる規定は否定」なのである。
 だがそうだとすれば、あらゆる規定のもとには、すなわち「何」かが「何」かとして存在するところには、否定が、すなわち「ない」が「ある」ことになる。これはすでに「存在」の根本命題「あるはあり、ないはない」に違反している。したがって、世界の内に「何」かがそのようなものとして存在しているように見えること自体がありえないこと、あってはならないこと、すなわち虚妄なのである。(……)
 (117~118)

     *

 「何」ものかの出現にとって決定的に重要なのは、それが時間的か空間的かということよりも、のっぺらぼうでべったりと無差別な「ある」の闇の中にある「隙間・亀裂・断絶」が「距離化」という仕方で開かれることなのだ。この「距離化」ないし「疎隔化(隔たらせること・隔たること)」によって、「ある」にすみずみまで埋め尽くされた闇の中に、相対的であるにせよ「ない」の空隙が差し込み、そこに「何」かが姿を現わす余地が、「場所」が、開かれるのである。距離化とはこの「開け」という事態にほかならず、時間・空間の根本で生じているのはこうした距離化による「開け」なのだ。日本語の「時間」と「空間」という言葉のどちらにも含まれている「間[ま]」こそ、両者の根底にあって両者をつないでいるより基礎的な事態なのである。この基礎的な事態を表現するには、「時=空=間」とでも表記した方がよいかもしれない。「間」が「開ける」ことによって、「間」が「開く」ことによって、世界の内に「何」ものかが姿を現わす。すべてを呑み込む「存在」の闇に、「無」の亀裂が走ったかのようなのだ。(end130)
 もちろん、いま「かのような」と言ったのには理由がある。「ないはない」の「無」が直に「存在」の中に侵入したのではなく(そんなことは不可能なのだった)、「存在」が「ありえない」「無」を徹底して拒絶することで当の「ありえない無」に曝し出され、いわばその残照を浴びるようにして「無」の影が、相対的で局所的な「無」として、つまり「何」かの「ない」こととして、そしてそのことと相即して「何」かが「ある」こととして、徹頭徹尾「存在」で充満したこの世界の上に投げかけられたのである。妙な言い方だが、存在に走った亀裂は、存在の「中に」走ったのではなく、その「外部に」走ったのだ。(……)
 (130~131)

     *

 しかし、この距離化はさらに別の位相をも孕んでいる。それは、「いま・ここ」を中心に時間・空間的に広がる位相そのものからの距離化、「時=空=間」的次元それ自体からの「隔たり」である。というのも、概念は時=空=間内に存在する「何」を規定するものであるとはいえ、それ自身は時間・空間的に存在するものからは独立しているからである。「机」という概念は、「いま・ここ」に、あるいは「さっき・そこ」に机があろうがなか(end134)ろうが、そのことで概念として存立したり・しなくなったりするわけではないのだ。概念によって「何」と規定される当のものが、いまだかつて時間・空間内に一度も存在したことがなくても、概念は概念として固有の存在を有している(たとえば「火星人」という概念)。私たちのもとで世界は、時=空=間的な開けに、それとは別の固有の開けの位相である概念的な開けの次元が折り重なるようにして、種々多様な「何」を存在せしめているのである。(……)
 (134~135)

     *

 (……)「何」ものかが姿を現わし、かくして世界が存在するためには、時間的・空間的な分裂すなわち距離化が不可欠なのである。
 しかしこのことは、時間・空間それ自体はいかなる「何」でもないことを同時に示している。「何」かがどこかに姿を現わすとき、それは必ずや「いつか」「どこかで」なのであ(end140)って、時間と空間はこのような仕方で「何」が成り立つためになくてはならない条件を構成している。それはちょうど、「何」かが見えるためには光が不可欠であるが、そのようにして何かが見えるための条件をなしている光そのもののほうは決して見えるところの「何」かではないのに似ている。(……)
 (140~141)

     *

 したがって、空間や時間は無限だという言い方にも注意が必要だ。すでに明らかなように、それらはそもそも測る対象ではないのだから、測ってみたらどこまでいっても先があるという意味ではないのである。私たちがこの言い方で言わんとしているのは、この宇宙に関して、時間的にはどこまでも遡れ・どこまでいっても先があるということだろうし、空間的にも(マクロの方向にもミクロの方向にも)果てがない、ということにすぎない。それはあくまで、(私たちの太陽系や他の銀河たちを含む)「宇宙」という「何」かの時間的・空間的規定に関して「無限」だとか、いやそうではないと言っているのであって、決して時間そのものや空間そのものに関して「無限」だと言っているのではないのだ。そんなことは、そもそも言えないのである。時間・空間は世界の内実をなすものではない、すなわち世界内の対象(「何」)ではなく、世界の枠組みをなすもの、そのもとではじめて世界が世界として成り立つ「形式」なのである。
 (143)

     *

 このように世界の時=空=間的変動はとどまるところを知らないが、このことは必ずしも世界の時=空=間的変動が連続的であることを意味しない。先にこの変動を記述する際、「はっと気づいたときには」とか「いつの間にか」と述べたように、私たちの経験の実際は時=空=間的変動を示す位相差(いま/たったいま、ここ/そこ、など)の切断線が時と場合に応じてさまざまな仕方で引かれることで成り立っているのであって、世界は時=空=間的連続体というよりはむしろ時=空=間的断続体とでも呼んだほうが実態に近い。世界にはそれこそ無限に多様な仕方で無数の亀裂が縦横に走っているのであって、それを時=空=間的連続体と見るのは、「もの」(「何」)の時間(持続)や空間(大きさ)を測定す(end145)る「秤」から持ち込まれた一種の想定にすぎないのだ。(……)
 (145~146)

     *

 こうした、「何」かと「何」かを「同じ」とし、「何」かと「何」かを「別(異なる)」とする識別の能力に、私たちは本書のこれまでの議論の中ですでに出会っている。それは、「いま・ここ」から「さっき・そこ」へ、「いずれ・かなた」へとおのれを超え出てゆく距離化の能力が、そうした時・空間的な拡がりを開くにとどまらずにさらにそれを超えて(その次元からもみずからを隔たらせ)、いまや時=空=間的なものとは別の次元を画するにいたったとき、そこに根を下ろす能力、すなわちプラトンが「理念(イデア)」と呼んだ概念の能力である。概念とは、世界の内に存在するものとして姿を現わした「何」かのそ(end154)の「何」を、すなわちその内実ないし本質を規定するものだった。それぞれに異なった時・空間的規定を与えられたさまざまな「何」の内で、どれとどれが「同じ」であり、どれとどれが「異なる」かを識別することは、そのそれぞれが「何」であるかによって可能となる。次々に「かつて・ここ」になかった新たなものが到来し、次々に「いま・ここ」がもはやないものとしてどこかに姿を消してゆく中で、想像力によってそれらの「なさ」において「あら」しめられたものたちを一つの「同じ」「何」かのもとへと束ねることでその「何」かが時・空間的変転の只中で存立してゆくことを可能にしているのは、概念の能力なのである。時=空=間を開く距離化の能力である想像力と、時=空=間からさらにおのれを超出させる距離化である概念の能力がこのように結びつくことではじめて、<世界の内に「何」かが存在する>という事態が成立したのだ。
 (154~155)

     *

 (……)先にも触れたように、世界の内に「何」かがそれ自体で存在しうると考えるのは錯覚にすぎない。そのような想定がなされること自体が、すでにそのような想定をする「私」がこの想定に居合わせていることを示してしまうのである。世界が<そこに「何」かが「何」かとして存在する時・空間的開け>として開かれることにとって、いわばそこから世界が開かれることになる「私」という想像力の座が不可欠なのだ。(……)
 (162)

     *

 (……)あなたの足元の地面を這いまわる蟻たちにとって、1が1として、「1+1=2」として、まして三角形の内角の和が二直角として、姿を現わすことはないだろう。それはちょうど、コウモリのようにいわば耳でものの配置や形状を「見る」存在にとって世界が「何」ものかとして姿を現わしているそのさまに、耳では「聴く」ことしかできない私たちが立ち会うことができないのと同じではないのか。そうであれば、世界の「数」としての立ち現われに居合わせることができるのは、通常「理性」と呼ばれている能力(より正確には、記号を用いた理念的=概念的思考能力)をもった者にかぎられるのではないか。理性と相関的に、すなわち理性に相対的に現われるものを、世界のそれ自体における在り方だとする根拠はどこにあるのか。かりにその根拠が提出されたとしても、そのようにして提出された根拠自体が、すでに理性に相対的でしかありえないのではないか。(……)
 (181)

     *

 (……)この机はさっきも「いま・ここ」にあったし、いまも「いま・ここ」にあり、きっと明日も「いま・ここ」にあるだろう(ここでいう「いま・ここ」はいつ・どこにおいても不変のあの「絶対的いま・ここ」のっことではなく、そのつどの時・空間的規定におけるそれである)。だがそれは、「さっき」や「いま」や「明日」のそのつどにそのような思いが存立し、それがたまたま何回も繰り返されているからにすぎない。そのつど存立しているその思いに注目してみれば、それは原理的に先の<「ない」(もの)が「ある」>という構造をしているのだ。つまり、ひとたびその「思い」が成り立てば、次の瞬間に何らかの事情で机が「いま・ここ」に存在しなくなってしまったとしても、そのこととは無関係にその思いは存続しつづけるのである。このような仕方で「何」かが「ない」ことによって「ある」こと、「失われる」という仕方で「所有される」こと、あるいは「失われる」こと(end190)を以て「所有される」こと、このことが<世界の内に「何」かが存在する>という事態の成立なのだ。
 (190~191)

     *

 それ[「無限定なもの」]を、世界の原素材として、それに概念(形相ないし理念)が明確な輪郭を与えるはずの混沌のようなものとイメージしてはならない。それが「混沌」として姿を現わしているのであれば、それはすでに「何」として規定されて存在するものであって、「無限定=無規定なもの」ではないからだ。したがって、この「無限定なもの」という名称も、それを一種の規定として受けとってはならない。それはあらゆる規定の手を逃れてしまうのであって、単に規定の無能力のみを、規定の不可能性のみを、つまりは規定の挫折のみを告げているのである。それは「何」かを指示する名称ではないのだ。「無限定なもの」は、何も指示していないのである。(……)
 (215)