2019/4/5, Fri.

 色々と夢を見たが詳細は失われている。少々淫夢めいたものもあったはずだ。カーテンをひらき、太陽の光の通りをよくして、それを浴びながら一〇時一〇分になると起床した。コンピューターを立ち上げてTwitterを確認するとともにgmailにアクセスすると、Uさんからメールの返信が届いていた。ひとまず内容をところどころ覗いてから上階に行き、「K」の仕事に出ている母親の書き置きを確認すると――なかに、「ポップコーン食べちゃった」とあった――冷蔵庫に寄り、野菜室からケンタッキー・フライドチキンの箱を取り出す。箸を使ってなかから鶏肉の塊を一つ取り出し、皿に移して電子レンジに突っ込んだ。それとともに、やはり冷蔵庫から汁物の小鍋を出して焜炉に掛け、白米をよそる。三品を卓に運んで、食事を取りはじめた。新聞からは、イスラエルにおけるユダヤ教超正統派についての話題を読む。頭のなかに、何故だかQueenの"I Was Born To Love You"が流れて、折に触れて回帰してきた。箸を両手に一本ずつ持って使い、鶏肉を骨から剝がしながら米とともに咀嚼し、食べ終えると台所に行って水を汲んできて、抗鬱剤ほかを服用すると食器を洗った。そうして食器乾燥機を駆動させておき、下階に下りてくると、前日の記録をつけるとともにUさんのメールを改めて読んだ。二回繰り返して読んだあと、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめて、日記に取り掛かった。ここまで綴って一一時一五分。
 前日の記事をブログに投稿したあと、何をすれば良いのか少々立ち迷って、そのあいだはTwitterを眺めて余計な時間を費やしてしまった。結局いつも通り、過去の日記の読み返しを始めたのが正午前だった。二〇一六年六月一九日の生活について、特別に言及しておくことはない。それから「わたしたちが塩の柱になるとき」の最新記事を読んだ。東日本大震災について、「これは当然のことであるのだが日本各地、世界各地での揺れはあのときバラバラであったはずであるし、その揺れを受けとめた個人の受け止め方もそれぞれバラバラだったはずで、揺れというものを一種のリズムであると見立てた場合、あのときひとはそれぞれじぶんの位置(震源との外的な距離)とその受け止め方(震災との内的な距離)に応じる固有のダンスを踊ったはずだった」とあって、あの地震に対する各人それぞれの受け止め方を「ダンスを踊る」という身体的な比喩でもって喩えるのが興味深い。直接は関係がないのだが、小林康夫が「週刊読書人」上の西山雄二との対談で、cultureというのはagricultureのなかにも含まれている言葉だから大地と関係している、そのように知や文化というものは具体的な大地に根付いた身体的なものでなければならない、そうして内在化されたものこそ知のモラルというもので、それが現段階では自分のなかではダンスという形を取っている、だから最終講義の時にダンスしたのだ、と語っていたのが思い出される。もう一つ思い出されるのは、菅野よう子作曲の東日本大震災復興チャリティー・テーマソング "花は咲く"のことで、この曲がテレビで頻繁に流されていた当時、端的に言って自分はこれが嫌いだった。いかにも最大公約数的に希薄化された至極曖昧な感情的「物語」の臭気に耐えられなかったのだ。過去の日記にそれに対する批評も書きつけていたはずだと思って今しがた検索してみたところ、二〇一七年三月二〇日の記事が引っ掛かった。

 夜、白湯をつぎに上へ行くと、父親がテレビを見て、うなずきながら感動したような声を上げており、涙もいくらか催していたらしい。映っているのは、例の、「花は、花は、花は咲く」と歌う東日本大震災のチャリティソングを、おそらく各界のアスリートたちだろうか、運動着姿の人々が歌っているのがかわるがわる現れるもので、酒を飲んで感情の箍が緩くなっていたこともあろうが、こうしたいかにも最大公約数的な物語に批判のひとかけらもなく浸り、感極まって涙するような感性は(自分にもそうした傾向がまったくないとは言わないが)、何というかやはり多少は憚るべきものだと思うし、物語の毒というものを思わされた。勿論慈善・支援活動を否定することはないということを明確に断言しておいた上で、まず端的に述べさせてもらえれば、自分はあの曲が好きではない――と言うか、正確には、あの曲に孕まれている同調圧力――圧力とまで言うのは言い過ぎだろうから、暗黙裡に同調と共感を求める要請とでも改めておくが――の香り=意図に馴染むことができないのだ。歌詞にしろ旋律にしろアレンジにしろ、いかにも「癒やし」というもののありきたりなイメージを音楽化したような、甘ったるいものになっており――その点まさしく人々のあいだに共有されるための「最大公約数」を見事に狙い、かつおそらく成功したものであり、この点にはさすがにプロの手腕が現れているわけだが――、その音の色合いだけでこちらは少々気分が萎えてしまうようなところがあるものだ。あのように希薄化された「同情」「共感」「癒やし」の曖昧な連帯によって本当に被災者が救われる(これは何とも大きな、強い言葉だ)ことになるのか、あるいはもう少し抑えて言うならば、癒されるのか、こちらには疑わしい。無論、世の中とはそういうもので、多くの人を多少なりとも支援の輪に取りこむためには、あのような方法が有効なのだろうから、それはそれで別に良いのだが、ああした希薄な感情の共同体には巻きこまれたくないと明瞭に感じる(言うまでもないがこれは、被災者に対する支援をしたくないということではまったくない)。

 Mさんの言う、「ファシズムにほかならない」「ヒステリックな一致団結」の一環を担うものとしてこのテーマソングはあったと言うべきだろう。そうした画一性――「全体」――に唯々諾々と回収されるのではなく、当事者の――と言うかおそらく、当事者のみならずすべての他者の――受けた衝撃のその固有性に思いを致しつつも、各人がやはり固有のあり方でもって「みずからの踊りを踊る」べきであるという彼の趣旨にこちらは賛同するものである。要は、画一的な連帯=動員の声が叫ばれる事態にあってこそ――一個の存在論的主体としても、他者と関わる社会的な主体としても――複数性あるいは断片化の哲学を確保していくべきだということだと思うのだが、ロラン・バルトが『彼自身によるロラン・バルト』において、まさしくそうした「複数性」について、シャルル・フーリエの名を引き合いに出しながら語っていたのではなかったか?
 Mさんのブログを読むと一二時半前で、散歩に出ることにした。鍵をポケットに入れて、上階に上がり、仏間から灰色の短い靴下――もうだいぶくたびれて緩くなっているもの――を取って履き、玄関を抜けた。最高気温二二度に相応しく、ひとかけらの冷たさもない初夏の陽気だった。坂に入ると風が分厚く駆けてくるが、その感触は滑らかで柔らかく、飄々としている。前方では眼鏡を掛けた高年の男性が右手に飲み物のペットボトルを持ちながら、道脇に伸びるガードレールに寄っていくらかよたよたとしたような調子で歩き、ガードレールの向こうの草木のあいだに頻りに目を向けていた。その横を通り過ぎて上って行くと、出口付近の左方の斜面の草が刈り取られて短くなっており、その上に乗っている家――小中の同級生であるS.Tの実家――の姿形が見通せるようになっていた。
 街道に出ると左方――西の方向――に折れて、陽に照らされながら歩いて行く。途中で車の隙をついて対岸に渡る頃には、ダウンジャケットを羽織った身体に熱が籠っていたので、ジャケットとジャージの前をひらいた。美容室の前を通り過ぎ、さらに進むと工事現場で、褐色の顔の高年の交通整理員が、車を止めながら大きな声でトランシーバーか何かに話しかけている。工事は舗道を整備するもののようで、真新しく陽に光るアスファルトの上を騒音を上げながら行き来して均す機械が見られた。そちらに目を向けながら歩を進めていると、マンション脇の桜が現れ、その下を通って駅前まで来るともう一本の桜花の、楚々とした白さが背景の青さに映えて鮮やかだった。もう少し先の居酒屋「P」の前にも桜の木が一本あり、先端に小蜂が寄っている花叢の網を透かして見るその向こうで、一軒の瓦屋根が油を塗りたくられたようにてらてらと青く光っていた。
 消防署の向かいから裏通りに入った。その頃には首筋に汗が滲み、肌着の裏の背は湿っていて、坂を下って行きながら前方から舞い上がってくる涼風が快いようだった。
 帰宅すると自室に戻り、今度はfuzkueの「読書日記(129)」を読みはじめた。途中、「今日の一冊」という、毎日一冊その本との出会いを綴りながら書籍を紹介するコーナーの小文が引かれていて、それが読点のまったくない文章だったのだがそのわりにするすると読みやすく、僅かにうねりながら軽々と流れていく柔らかい感触を持つもので、A氏はこういうこともできるのだなと物珍しく思った。また、吉田健一の文章もふたたび引かれてあったのだが、やはり何となくA氏と吉田健一の記述の質感というものは似ているような気がする。それは上にも述べた「うねり」の感触のようなものなのだが、それには指示語の使い方や、(名詞をその前に置いた)「~で」、および「~して」のエ段の音を使って文を連ねていくところなどが関係しているのではないか――曖昧な印象なので定かではないが。また、微睡みに安らいでいる様子を「シリコンのヘラでゆっくり底から焦げ付かないようにかき混ぜられているような心地になってきて」と表す比喩がなかなか良かった。
 「読書日記」のあとは、「記憶」記事を音読した。一二番から二〇番まで、沖縄関連の情報である。一度あるいは二度音読しながら、読み上げたあとに目を閉じて何が書いてあったかを心のなかで――時には実際に口にも出して――ぶつぶつと思い出すようにした。そうして二時を越えると、洗濯物を取り込むために部屋を抜けて上階に行った。先に風呂を洗おうと思って浴室に行ったのだが、残り湯が思いの外に多かったし、昨晩はこちらと母親の二人しか入っておらずさほど汚れてもいないだろうから、今日は洗わずに追い焚きすれば良いだろうと判断して、洗濯機に繋がったポンプをバケツに上げておくに留めた。それからベランダに行き、タオルや肌着などを吊るしたハンガーを室内に収め、洗濯挟みから取ったものを畳んで行く。すべて畳み終えるとアイロンを用意して、エプロンにハンカチの皺を伸ばしてひとまず家事は終了、下階に戻った。そうして二時半頃からベッドに移って、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』を読みはじめた。三〇分強読んだところで加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』に移ろうとしたのだが、ちょっと休もうと目を閉ざしていると次第に瞼を開けられなくなって、そのうちに姿勢も崩れていって頭を枕の上に乗せてしまい、そのまま五時過ぎまで断続的に意識を休めることになった。今日は朝、一〇時間も床に留まったのにそれでもこのような怠惰な有様である。五時を越えると意識が段々はっきりしてきたが、布団のなかの安穏とした温かさに安らいで食事の支度をしに行かずに留まり続けた。そうして五時半前に母親が帰ってきた音が聞こえた。それからちょっとすると台所で水を使いはじめた音も伝わってきたので、そろそろ起きるかと布団を抜け出し、上階に行った。チキンが残っており、サラダもあってあとは鮭を焼くので、大したものは作らずとも良い。それでこちらが便所に行っているあいだに母親が切った人参にピーマン、エノキダケをフライパンで炒め、「創味」のすき焼きのたれで味をつけて簡単に仕事は終わった。部屋に戻ると時刻は六時前、「記憶」記事音読のあいだも流していた Antonio Sanchez『Three Times Three』をふたたび流しはじめ、日記に取り掛かった。音楽が終わると次はFred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』に移行して打鍵を続け、一時間と二〇分ほど掛けて記述を現在時刻に追いつかせることができた。
 食事を取りに上階へ。炬燵テーブルに就いた母親のお先にという声を受けて台所に入る。細長い形のフライドチキンを箱から小皿に取り出し、電子レンジで温める。その他、エノキダケの炒め物に鮭などを持ち、米をよそって卓へ。テレビは何を流していたか、覚えていない。こちらは夕刊一面から、塚田一郎国土交通副大臣が辞任との報を眺めながらものを食った。食べている途中、母親が、父親のために通販で買ったジャケットを着てみるかとこちらを誘って来るので、取り出されたものを受け取って広げ、ジャージとダウンジャケットの上から羽織った。生地の非常に薄くて柔らかい、紺色のサマー・ジャケットのようなものだった。七〇〇〇円程度だったらしい。脱いで母親に返し、食事を終えると薬を飲み、皿を洗って入浴に行った。熱い湯のなかに身を落とし、一五分ほど浸かって八時に達したあたりで頭と身体を洗って上がった。そうして下階に戻ると、八時一五分から、「【文字起こし】小川淳也議員:根本厚生労働大臣不信任決議案趣旨弁明(2019年3月1日衆議院本会議)」(https://note.mu/mu0283/n/na2db95c34403)を読みはじめた。

 政権交代後、2013年から具体的な検討に入ったGDP の推計手法の見直しにより、2015年の GDPは、それまでの500兆円から532兆円と、一夜にして31兆円ものかさ上げが行われ、名目6%以上もの成長が成し遂げられました。
 この点、政府は金科玉条のごとく、国際基準に合わせたものだと言い張ります。
 しかし、実際に中身をよく見ると、国際基準への適合は、全部で29項目。そのほとんどすべてが、GDP の押し上げ要因である。少なくとも減少要因にはならないものばかりです。
 一方、1つだけ政策判断により、国際基準への適合を見送ったものがあります。私立学校法人の位置づけです。もし私立学校の位置づけを国際基準に従って見直していれば、GDP は最大約2兆円、0.4%押し下げられることが既に推計されていました。

 さらに、政府統計の見直しは、GDP推計の基礎となる一次統計にも及んでいます。
 統計委員会が承認した見直しは、第2次安倍政権になって、実に74項目。民主党政権時代からは、はるかに激増しています。
 見直しの対象となった家計調査、木材調査、作物統計、個人企業統計、鉄道車両生産統計、その多くに、統計委員会は、調査手法変更の影響を注視すべきである、出てくる数値の段差に留意が必要、との注書きを付しています。異様なものです。
 総理はよく 、GDP が過去最高になったと、おっしゃいます。しかし、旧基準と比較できる最も新しい数値、2015年の数値は、実はかつて史上13番目でしかありませんでした。これが計算方法の変更により、一気に過去最高水準にかさ上げされたのです。
 その後の2016年、17年に至っては、旧基準で算出していないため、比較をすることすらできません。
 方法をいくら変えても、それで GDPがいくら増えても、たとえ過去最高になろうとも、国民が豊かになるわけでは、決してありません。

 ここで語られていることが確かならば、政権は、自分たちに都合の良い項目に関しては国際基準への適合を進め、そうでない項目に関しては無視を貫いた。一次統計も含めて、調査方法の変更によって数値上の成長率は押し上げられ、GDPが過去最高になったようなのだが、それが以前の調査手法に比べて実態を本当に正確に反映しているかどうかは自ずから別の問題である。
 一時間ほど掛けて上記の記事を読んだのち、九時半前からベッドに移って、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。しかし、午前中と日中にあれほど眠ったにもかかわらず、またもや中途から疲労や眠気が湧いてきたらしく、あまり記憶に残っていないが散漫な読書になったようで、一一時台のあいだには力尽きていたのではなかろうか。気づくと、日付替わりを既に済ませていたと思う。零時半頃になって、曖昧な意識のまま読んでいても仕方がないと本を置き、明かりを消して就床した。


・作文
 10:59 - 11:14 = 15分
 17:52 - 19:14 = 1時間22分
 計: 1時間37分

・読書
 11:52 - 12:26 = 34分
 12:57 - 14:05 = 1時間8分
 14:27 - 15:05 = 38分
 20:15 - 21:12 = 57分
 21:28 - 24:30 = (睡眠を一時間と考えて)2時間2分
 計: 5時間19分

・睡眠
 0:00 - 10:10 = 10時間10分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』
  • Fred Hersch『Open Book』