2019/8/3, Sat.

――クローデルにおける《音声言語[パロール]》の荘厳化には、その対部というか、あるいはアルトーにならって《分身》と呼んでもよいようなもの、それを己れの《外部》として排除していく何物かがあって、それをあなたに倣って《エクリチュール》と呼ぶことは許されると思うのですよ。さっきおっしゃっていた私の論文の礎になるものは幾つかあって、たとえば未発表草稿の文献学的研究とか、神話的想像力の系譜学とかがそれですが、しかしそれらのなかで、《音声言語[パロール]》と《エクリチュール》の問題という、あなたによって拓かれた地平は、測り知れない重要さを持っていたのです。恐らく、それは私が日本人で、しかもフランス語教師であるという二重の言語体験に引き裂かれて生きていたからかも知れない。
――それはそうでしょう。あなたの国では漢字という表意文字を使っている。
――ええ、ですが、中国人とは違うようですね。中国語の専門家は、漢字の視覚性や表意性ばかりを云々するのは素人の俗見だと言いますし、漢字における音声性はそれで重視すべきものでしょう。ただ、日本人は、そのような形で漢字を自分のものにしなかった。一つの漢字に、中国伝来の――しかも変形された――複数の発音が可能な上に、更にそれに日本固有の読み方を貼りつけるなどという、表音文字文化から見たら気違い沙汰としか思えないことを、我々は今でも平気でやっているのですから。
 (渡辺守章フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、138~139; 「幕間狂言 脱構築風狂問答 三日月を戴くヘルマプロディートス」; ここはデリダとの対話)

     *

 ところで、さっきの話の続きですが、『監獄の誕生』で「身体の政治的テクノロジー」と呼ばれているものですね。私はあの命題は他人事ではなく、切実に面白いと思ったと、私の個人的な読み方を説明する。それは自分が演劇に関わっていて、演劇は身体なしでは発動しないし、また、過去十年ぐらい、演劇を中心に日本でも《身体論》は盛んだった。特に日本では、伝統的に《からだ[﹅3]で覚えさせる/覚える》という考えがあって、それは今でも、伝統芸術と言われる部分には一応機能している。六〇年代末の《異議申し立て》の運動のなかで、新劇と呼ばれる西洋型近代劇が批判されたのは、そのイデオロギー上の進歩的な外見や立場にもかかわらず、結局この演劇が日本人の身体とその知を無視してひたすら貧困化の道を辿っていたからだ。そこに、グロトフスキやリヴィング・シアターなどの運動や、それらを介して読み直そうとしていたアルトーの言説などが、ある種の触媒、あるいは場合によっては起爆剤となって《西洋型ロゴスの演劇》を乗り越える《日本型身体の演劇》という見取図ができたのだと思う。その幻想の部分まで含めて、当時の前衛の戦略としては正しかったのだが、しかしそういう形で、日本人の身体というものを一つの文化的本質として顕揚していく美学的操作が、その身体をつうじて作用する権力について再び盲目になったままで、ほとんど一つのイデオロギーにまでなろうとする奇妙なことが起こった。まあ、それと、理窟と現実のずれ[﹅2]ということはこういう場合につきものだから、理論のレベルだけでは論じられないのですが、とにかく、《身体にかかる力》によって成立する演劇の持つ幻惑力の裏側のようなものを感じ始めていたところなのだ、と。
――恐らく私の抱いている感情は両義的なので、一方では、確かにからだ[﹅3]で習得する知というものがあると信じ、他方では、陛下の戦士ではありませんでしたが、国民学校の生徒として、当時の軍国主義教育を狂信した教師から、いわれのない体罰を加えられた経験があるからです。
――というと?
――フランスではなかったのでしょうかね。日本では、日本の旧軍隊では、たとえば一人が過失を犯すと、精神を入れかえてやるとかいって、集団の全員が一列に並ばせられて、往復ビンタというのを食うのです。それを小学校でも十二歳の少年に対してやるのですからね。それは性的なレベルのことではなかったけれど、それが当節の芸術的前衛では、なにもグロトフスキでなくとも、身体にかかり、身体を貫く暴力が主題となり、しかもそこでは、性は最も幻惑的な台本作者=演出家となっている。
――フランスでは、小学生に対するそういう体罰はないと思うな。
――でも、今でも鞭を持っている母親は多いと、郊外の団地に住んでいてフランス人と結婚している女性の友人が言っていましたが。
――いや、だからそれは個人対個人のレベルの話でしょう。学校のような集団的制度の場合には、むしろ《懲戒の仕組み》を精密にしていく。悪い生徒は教師から教務主任に送られ、それから校長に送られ、という風にして、自尊心を傷つけるようになっている。言わば、やすりですりへらす[﹅9]ようなやり口だな。
――そういう心理主義のほうが《文明》だし、《近代化=西洋化》の規範になるわけですね。戦時中の日本の教育は、帝国軍隊の兵士を作る身体と精神の改造術をモデルにしていましたから。
――軍隊はそうでしょうね。
――あなたのお書きになるもののうち、十九世紀に関する部分は、いつでもそう思いますが、日本の近代化つまり十九世紀西洋型社会への変形過程の規範を読まされているようでとても面白いのです。『監獄の誕生』の冒頭にある《死刑の演劇化》が如何に廃せられるかと言う話にしてもそうですし、また、告白が文学の中心を占める、しかも性の真実の克明な告白がそうなるというのは、日本の近代文学のなかで最も重要な系譜をなす自然主義小説のオプセッションでもありましたし。
――禅などでは、精神指導に告白というような手続きは取らないのでしょうね。そうすると、どのようにして主体についての真実が成立していくのか、それを日本へ行ったら調べてみたいとは思っていますが。
――禅のことはよく知りませんが、やはり違うのではないですか。少くとも近代化のイデオロギーの地平では、儒教思想とある種のプロテスタンチズムが短絡して倫理的な規範が出来ましたから。その内部で、確かに「性の科学」というのは、我々の子供の頃までの遠くかつ生々しい記憶でいうと、「衛生博覧会」的なイメージであった。それは「性愛の術[アルス・エロチカ]」とは質の違う性の視角ですね。その意味でも、宗教的禁忌と法律的禁止と社会的禁止との間のずれゆき[﹅4]のようなものは、性に関しては特に顕著なのではないでしょうか。たとえば同性愛は宗教的にも法律的にも禁じられていないのに、近代日本のなかでは、社会的な恥となるのはどうしてか。三島由紀夫が『裸祭り』というアルバムに寄せた文章で書いているように、日本人が裸体を本質的に恥とするようになったのは、西洋近代の目差しに対して[﹅12]だったわけですから……。
 (143~146; 「幕間狂言 脱構築風狂問答 三日月を戴くヘルマプロディートス」)


 一一時一五分まで長く床に留まった。寝床にいるあいだ、背中や脚に汗を搔いていたので途中で扇風機を点けて、微風を浴びて肌を乾かしながらさらに留まっていた。身体を起こすと一旦ベッドの縁に腰掛けて息をついた。昨晩、帰ってきたあと、汗疹が酷くなっており両腕の肘の裏側、腕を折ると内側に畳み込まれるあたりの一帯に赤い発疹が広がっていたのだったが、それはいくらかましになっていた。まだ少々痒みと、皮膚のざらざらとした感覚が残ってはいる。ベッドの縁で背伸びをしたあと、上階に行くと、買い物に出かけていたらしい母親が帰ってきたところだった。食事は前夜の鶏肉のソテーの残りに加えて、厚めのハムを炒めたものがあったので、それらを電子レンジで温め、白米とともに卓に運んだ。肉をおかずにして白米を食していると、何時に出るのかと訊かれたので、二時頃と答えた。それじゃあまた送っていくようだねと言う。この酷暑のなか、汗をだらだら流しながら歩くのはやはり難事なので、送っていってもらえるならばそれに越したことはない。そうして食事を終えると冷蔵庫のなかで冷やされた水を水筒から汲んできて抗鬱剤を服用し、食器を洗って、"頼りない天使"を口ずさみながら風呂場に入った。そうして風呂桶も洗い、戻ってくると下階に下りて、エアコンと扇風機を部屋に点けた。コンピューターも起動させ、昨晩部屋に持ってきてあったペットボトルの水が温くなっていたので、冷蔵庫に入れておこうというわけで上階にそれを持っていくと、新聞を袋に入れてくれと頼まれたので、新聞を収納するための紙袋を卓上に広げ、そこにたくさんの古新聞を収めていった。それから便所に行って糞を垂れてから下階に戻ってきて、インターネットを回ってあいちトリエンナーレの騒動などについて少々眺めたあとに日記を書きはじめたのが一二時一四分だった。音楽は、FISHMANSCorduroy's Mood』を流し、一二時五〇分に至っている今現在は『Oh! Mountain』が始まったところである。
 前日の記事をインターネット上に放流したあと、一時過ぎからMさんのブログを読みはじめた。三日分を読んで一時半が目前になると、FISHMANS『Oh! Mountain』の流れるなか、ベッドに移って僅かなあいだだけ「船のポーズ」を行って、腹筋をいくらか刺激した。それから歯磨きやら着替えやらをしたと思う。いや、歯磨きはMさんのブログを読んでいるあいだに既にしておいたのだった。そんなことはどちらでも良いことではあるが。仕事着に着替えたのち、今度はSさんのブログを読んだ。一〇分間で五日分を読み、二時が近くなったところでクラッチバッグを持って上階に行き、母親にそろそろ出ようと告げた。そうして玄関に行くと、母親がクーラー・ボックスを持ってくれと言うので、大きな箱を片手に持って外に出た。階段を下りると激しい陽射しの眩しさが目を刺し、日蔭に入っても空気全体に熱が籠っているので顔に向かって暑気が群がってくる。クーラー・ボックスを車の後部に積むと、助手席に乗ってシートベルトを締めた。そうして発車。Air Supplyが掛かっているのに合わせて少々口ずさんでいると、母親がこれ知ってるのと言ってきたので肯定した。すると彼女は、この曲がいいんだよねと言っていくらか曲目を送って、"Without You"を流しはじめて音量を上げた。それを歌おうとしたが、高音がこちらの喉の音域を越えていてうまく出すことが出来なかった。そうこうしているうちに市街に至り、駅前に入ると、道の端に「青梅マラソン」と記された赤いカラー・コーンが並べられていた。今日は青梅マラソンではなく、花火大会が予定されている。おそらくそれを見物しようとする人々が道路の端に座り込むことのないようにコーンが設置されているのだろう。八百屋の前付近で車を降りたこちらは、職場に向かった。
 職場に入ると出迎えてくれたのは(……)さんで、今日も室長は不在らしかった。授業開始まではだいぶ余裕があった。高三生の現代文に当たっていたが、おかげでテキストを悠々と読んでおくことが出来た。一コマ目は(……)くん(高一・英語)と(……)さん(高三・国語)。どちらも特段の問題はない。(……)くんは今日は基本時制の章を扱ったが、ミスは一頁につき一、二問と好成績だった。それなのでノートにはほとんど書くこともなかったような感じだが、hereやthereが副詞で、「~へ」という意味まで含んでいるから、その前にtoはいらないという事柄を記してもらった。ノートはやはり、問題を解き、解説をしたらその直後に、その場で書かせてしまうのが良い。(……)さんも国語はあまり知識を習得するという感じではないのでノートを書くのが難しいのだが、漢字と、短い文章――水村美苗のものだった――の要約をしてもらった。塾で扱っている高校生の現代文のテキストは、わりと選ばれている作家が良いと言うか、多分過去の入試問題から選別しているのではないかと思うが、大岡信だったり、桑原武夫だったり、澤地久枝佐多稲子といった名前が取り上げられていて、わりあいに印象は良い。
 二コマ目は(……)くん(高一・英語)と(……)さん(中三・英語)。前者は初顔合わせ。事前に少々問題児であるという情報を得ていた。実際当たってみても、問題を解くように指示しても一向に取り掛かりはじめずに机上に突っ伏して眠っていたりだとか、そこから起きてちょっと問題を解いたと思ったらふたたび眠りはじめたりだとか、そのような調子だったが、こちらは無理に起こしたり叱ったりするのではなく、本人のペースに任せることにした。何しろまだ当たるのは一回目であるから、まずは肩慣らしと言うか、互いにどんな生徒と講師なのか探るような感じだろう。コミュニケーションは取れないわけではない。最終的には大問を二つ解き、ノートにも二文、書いてくれた。しかし、解説をしても全然聞いている様子がないのが気には掛かる。勉強に対する意欲がまったくないと言うか、わからないことをわかるようになりたいという気持ちが全然ないような印象だ。
 (……)さんは無口ではあるが、問題は真面目に取り組んでくれるし――少々スピードは遅いが――ノートもこちらの指示通りに書いてくれるので、問題はないとは思う。理解力もそんなに悪くはないと思うが、今日は、writeやlistenといった基本の単語のスペルが書けなかったのが気になった。一応それらの単語は、一行分練習させたあと、授業ノートの方にメモしてもらったが、果たしてそれで効果があるかどうか。
 二コマ目の少し前から(……)さんが塾に現れていて、こちらが授業をしているあいだ、と言うか二人が問題を解いたり眠ったりしていてこちらは国語のテキストを読んで時間を潰していたあいだなどに、こちらの方にちょこちょことやって来て構ってくるのがとても愛らしく、思わず笑顔になってしまう。彼女は今日は髪を後頭部の上に引っ張って丸くまとめた髪型にしていた。頭をちょっとぽんぽんと撫でてやったりすると、座っていたこちらにも同じように仕返してくるのがとても可愛らしい。いつも口を弓形にひらいてニコニコしている子である。
 授業後は(……)さんに報告。その場で彼女が八月八日付で職場を離れることが明らかにされた。もっと都会の方の教室で教室長をやることになったと言う。報告を終えてロッカーから荷物を取り出し、携帯を見てみると、母親からメールが入っていた。クリーニング店に行くから拾おうかと言うので、もう終わると送っておき、入口近くのデスクにいる(……)さんの元へ行き、月曜日の勤務の相手の生徒を教えてもらったのち、どうやら会うのがこれで最後のようだったので、有難うございましたと礼を交わした。またいつかお会いできたらとこちらは言った。別れ際に彼女は、F先生の優しさにはたびたび救われていました、というような大袈裟なことを言ったので笑いを返し、入口の扉を開けると振り返り、お疲れさまですと言って別れた。
 駅前は花火大会の見物客で賑わっており、ロータリーの縁には「KEEP OUT」と記された黄色いテープが張られ、駅舎のすぐ前の通路などは群衆が犇めき合っているような有様だった。母親からは、先ほど下ろした場所で良いかとメールが返ってきていたので、了承を送り、横断歩道を渡って八百屋の前を過ぎ、そこの路傍に立ち止まって手帳をひらいた。時刻は六時過ぎ、太陽が落ちて空中から光の色は薄れているが、大気には熱がまだまだ籠っており、空は褪色したように淡い青さを広げ、その元で人々がそぞろ歩きをして蠢いていた。立ち尽くして手帳を読んでいるうちに母親の車がやって来たので、乗り込み、シートベルトを締めた。凄い人だねと母親は言う。そうして東へ走り、西分の踏切りを過ぎたところで北へ折れ、さらにコンビニの前で右折した。こちらは喉が渇いていて、何か飲み物が飲みたかった。そう言うと、自販機のある場所で停まろうかと言って、通りの向かいに二つ自販機が並んだ地点で車は路肩に寄せられた。降りたこちらは、通り過ぎる車たちの流れが途切れた隙を見て通りを渡り、自販機に寄って品物を見分した。その結果、一二〇円で三〇〇ミリリットルの三ツ矢メロンを買うことにした。購入して車に戻ると、ハンカチを滑り止めにして蓋を捻って開け、香料の風味の強い炭酸飲料を飲んだ。そうしているあいだに、車はクリーニング屋に到着した。千ヶ瀬のクリーニング店が閉じてしまったので、こちらまで来なくてはならなくなったのだったが、この店は建物の外観は褪色しており、随分と古びたようなちっぽけな店だった。預けていた父親のワイシャツやスラックスを受け取って母親が戻ってくるのを待ち、ふたたび発車すると道を戻って、途中でコンビニに寄った。こちらが籠を持って、飲み物やビールや柿の種やポテトチップスやアイスを入れていき、会計は母親から差し出された一万円札で済ませ、車に戻るとこちらは買ったばかりのチョコレート・ケーキ・アイスバーを食した。そうして帰路に就いた。
 帰宅すると七時を過ぎた頃合いだったと思う。買ってきた飲み物を冷蔵庫に入れ、柿の種とポテトチップスは独占することにして自室に持っていき、服を着替えて食事に向かった。メニューは茄子の炒め物に同じく茄子の味噌汁、それにキャベツメンチなど。ものを食うと入浴した。肘の内側に蔓延した汗疹を熱い湯でひりひりと刺激しながら湯に浸かり、出てくるとひととき居間で扇風機の風を浴びたのち、自室に帰った。柿の種を食いながら、星浩拉致被害者「8人」死亡の情報に沈痛な小泉首相 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(13)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019032800010.html)を読んだ。手帳にも主な事柄をメモし、続けて田中信一郎アベノミクスの果実は下まで来ない。必要なのはボトムアップ社会への転換」(https://hbol.jp/187880)を読むとそれだけでもうほとんど九時半に達していた。音楽はFISHMANS『空中キャンプ』やAlex Sipiagin Quintet『Steppin' Zone』を流していた。九時半からベッドに移って須山静夫訳『フォークナー全集 9 八月の光』を読みだしたのだが、どうも一一時頃には例によって意識を失くしていたようである。気づくと二時半前で、そのまま就寝した。


・作文
 12:14 - 12:50 = 36分

・読書
 13:05 - 13:27 = 22分
 13:42 - 13:53 = 11分
 20:13 - 21:26 = 1時間13分
 21:30 - ? = ?
 計: 1時間46分+?

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-07-25「瞬間を引き延ばす今われわれはほかの誰にも似ていない無名」; 2019-07-26「解読をあきらめたものから順に死んで嘶く愚者の肥溜め」; 2019-07-27「通り雨みたいな軽薄さでかつて奇跡はばらまかれていたかも」
  • 「at-oyr」: 2019-06-22「言葉」; 2019-06-23「圧力鍋」; 2019-06-24「残雪」; 2019-06-25「明るさ」; 2019-06-26「タロウ」
  • 星浩拉致被害者「8人」死亡の情報に沈痛な小泉首相 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(13)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019032800010.html
  • 田中信一郎アベノミクスの果実は下まで来ない。必要なのはボトムアップ社会への転換」(https://hbol.jp/187880
  • 須山静夫訳『フォークナー全集 9 八月の光』: 20 - 40

・睡眠
 ? - 11:15 = ?

・音楽