2019/12/23, Mon.

 2 ドイツ人は知らなかったのでしょうか? 連合国側は? どのようにして、ヨーロッパの真ん中で、だれにも知られずに、大虐殺が、何百万人もの人を殺戮することが、できたのでしょうか?

 現在私たちヨーロッパ人が生きている世界は、重大な欠陥を数多くさらけ出し、危機に陥っている。だがそれでも、かつての世界に比べれば、大きな利点がある。全員がすべてを、即座に知ることができる、という点だ。今日ではジャーナリズムは「第四の権力」になっている。少なくとも理論上は、新聞記者やジャーナリストはどこへでも自由に出かけられる。彼らを止めたり、遠ざけたり、黙らせたりするものはいない。それに情報を得る方法も簡単になった。自国のであろうと、外国のであろうと、ラジオ放送は自由に聞ける。売店に行けば、自国の特定の傾向の新聞から、アメリカ、ソ連の新聞まで、広い選択範囲の中から、好きなものを自由に買える。また好きな本を買って読んでも、「反イタリア活動」の科を受けたり、政治警察が家宅捜索にやって来ることもない。もちろんあらゆる条件から自由になれるわけではないが、少なくとも好きな条件は選べる。
 だが独裁国家ではこうはいかない。「真実」はただ一つ、権力の高みから宣せられる。新聞はこの唯一の真実を、右へならえをして、繰り返すだけだ。ラジオ放送も同じだ。そして外国の放送は聞けない。まず第一に犯罪行為として監獄行きになる危険があるし、さらには適当な波長の電波を元の放送にかぶせて、聴取ができないようにされているからだ。本は、といえば、国家に都合のいい本しか、翻訳、出版されない。そうでない本は外国に探しに行き、危険を冒して国内に持ちこむしかない。だがこうした本は麻薬や爆弾よりも危険とみなされるから、もし国境で見つかったら、差し押さえをくい、罰せられる。以前に出版された「好ましからざる本」や新たに指定を受けた「有害な本」は、広場で公開の焚刑にあう。これが一九二四年から一九四五年までのイタリアの状況だった。ナチ体制下のドイツも同じだった。そしてこんな状態の国がいまだにたくさんある。ファシズムと英雄的な闘いを繰り広げたソ連を、その中に数えあげねばならないのは残念なことだ。独裁国家では、事実を曲げ、過去に遡って歴史を書き変え、情報をゆがめ、正しい部分を削り、作りごとを付け加えるのは、すべて正当なことと考えられている。情報と宣伝が入れ替わっているのだ。だからそうした国では国民はさまざまな権利を持つ市民ではなく、奴隷になり、奴隷として国家に(そしてそれを具現化している独裁者に)、狂信的な忠誠と盲目の服従を捧げなければならない。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、234~235; 「若い読者に答える」)


 九時のアラームで一度覚醒。何かの夢を見たのだったが、何だったか……思い出せない。思い出したらまた書こう。ベッドを抜けてアラームを止めたのだが、まだ寝足りない感じがあったので、あと一時間だけ眠ろうと決め、一〇時にアラームを再設定して寝床に戻った。そうしてふたたび寝つき、一〇時のアラームで再度目覚めることに成功した。携帯の作動を止めてからまたベッドに戻ったものの、枕とクッションに凭れるのみで眠りに落ちるのは防げて、ロラン・バルトミシュレ』の適当な頁をひらいてほんの少し読みながら意識が安定するのを待った。窓からは陽射しが入りこんでいたが、雲も流れているようで、光は陰るのと露出するのとを繰り返した。水滴が流れて地に落ちる音が立っていた。
 ダウンジャケットを持って上階へ。母親はそろそろ出かけると言う。仕事だが、クリスマス会の買い物をしなければならないとかでいつもより早いらしい。雪が降ったんだよと言う。どうも水の音がしていると思っていたが、それは屋根から雪解け水が落ちる響きだったわけだ。もう大方溶けたようだったが、南窓に寄って外を眺めてみると、近間の一つの屋根の上にうっすらと白さが残っていた。ジャージに着替えて、冷蔵庫から前日の肉炒めを取り出してレンジへ、一方で大鍋になみなみと作られたシチューを温めてよそる。米もよそって卓へ、新聞を寄せてものを食べはじめた頃には、母親はもう出発していた。旧朝鮮半島からの徴用工関連の基本情報をまとめた記事を読みつつ、食事を取る。食べ終わると皿を洗い、洗面所に入ってまず髪をちょっと整えた。それから髭剃り。口の周りと顎を当たり、終えるとローションを塗布しておいて、そうして風呂場に入った。浴槽をブラシで擦る。擦り終えてシャワーで流そうかという頃合いで、家の前に大きな車が停まる気配がしたので、どうやら荷物が来たらしいなと感知して、音が聞こえやすいようにシャワーを使わず待っていると、果たしてインターフォンが鳴ったので、ブラシを置いて室を抜け、受話器を取った。ヤマト運輸ですと言うので、有難うございますと受け、玄関に出ていくと、今までにも何度か顔を合わせたことのあるわりと年嵩の男性が、車から段ボール箱二つを取り出すところだった。父親の炭酸水である。運んできてくれたのを、こちらへ、と言って玄関内の脇の台の上に置くよう促し、伝票二枚に簡易印鑑を押して、礼を言って別れた。丁重な態度の人だった。それから段ボール箱は元祖父母の部屋に運び入れておき、風呂場に戻って泡をシャワーで流すと、下階に帰って急須と湯呑みを取ってきて、緑茶を用意した。そうして自室に戻ってコンピューターの前に就く。茶を啜りながら「アルフォート」二枚と柿の種を食い、読み物を始めた。まず、一年前の日記である。この頃からまたそれなりの分量を書きはじめていて、復活の兆しが見える。この日は眠れずに一時間半休んだのみで読書を始めて早朝を過ごしており、さらに九時過ぎから早々と図書館に外出しているが、ほとんど眠れなかったのに眠気や身体の不調がないと言う。当時は確かにそんな感じで、疲労感というものもあまりなく、不思議な体質だった。一年後の現在はきちんと眠れるようになったと言うか、場合によっては眠りすぎてしまうくらいになって、すっかり健康体である。
 次に二〇一四年三月三〇日の記事、fuzkue「読書日記」、Mさんのブログと読んで一一時四五分に達し、この日の日記を書きはじめて正午を越えた。
 (……)一二時半を過ぎてから前日の記事を綴った。一五分で完成させて、間髪入れず、一五日の記事に移行する。そのまま一時間を打鍵に邁進し、気負わず軽く、一筆書きめいてさらさらと書き綴り、と言ってそう簡単に終わるものでもなくまだ喫茶店での会話を半分くらいしか書けていないのだが、二時前に至って中断した。上階へ。ベランダの洗濯物を取りこむ。西の空に浮かんだ太陽は季節も進んで段々高くなっているようで、二時だとまだ林の樹冠とのあいだに結構隙間が空いている。吊るされたものを室内に入れておくと、畳む前にストーブの石油を補充することにした。上階のものに加えて、下階の、両親の寝室のものも入れておいてほしいと言いつかっていた。それで階段の下に出されてあった小型のタンクを持ち、居間のストーブに収められたタンクももう一方の手に持って、玄関を抜け、戻ってくる時のために扉は開けっ放しにしておいて勝手口の方に回った。タンクを置き、箱をひらいて、まず大きい方のタンクにポンプの口を突っこんでスイッチを入れる。液体が溜まるのを待つあいだは首を回したりしていたが、そうすると雲一つなく薄水色に澄んだ空が視界を占めた。大型タンクの方が終わると同様に小型のタンクにも灯油を補充して、箱を閉めておき、重くなったタンクを両手にそれぞれ持ちながら室内に戻った。居間のストーブの方にまずタンクを戻しておき、小型タンクはその辺りに置いておいて、玄関の扉を閉めてきてから下階に下って、寝室のストーブにもタンクを収めた。そうしてふたたび階を上がると、ベランダの方から照射されてくる陽に背中を温められながら、タオル類を畳んだ。食事はもう少し先にしようということで一旦自室に帰り、二時半までと定めてふたたび一五日の記事を書き進めた。二時半に掛かると、運動である。例によってthe pillowsのベスト盤を流し、歌いながら身体を和らげる。腹筋運動もゆっくりだらだらと、休みを入れつつ五〇回行って、それから爪を切った。切ったあと指先に鑢を掛けるのも結構時間が掛かるもので、その時間だけで三曲か四曲くらいは歌ったのではないか。時刻は三時に達していた。
 食事へ。食べながら読もうと石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を持っていく。シチューを火に掛ける。米をよそる。前夜の大根やシーチキンのサラダの少量余ったのを卓へ。あと、コンビニの冷凍の手羽中を食べることに。それぞれ卓に運び、本を置いてひらき、見開きの中央上部にティッシュ箱を、頁上端の線に対して比較的垂直になるように乗せて頁をひらいたままに固定し、それに目を向けながらものを食った。まずは冷たいサラダ。それから手羽中と米。そうして最後にシチュー。食後、食器を片づけ、茶を用意して下階へ。
 三時半。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読む。当然のことだが、やはりものを食べながらとか、電車のなかでとか、外出時に駅でとかよりも、自室で一人で動きもなく読んでいた方が集中できる。文の質をより精密に感知できるような気がする。茶を干すと歯磨きもしながら読み続ける。そうして四時を過ぎ、口を濯ぎに行ったあと、上階へ行って靴下を履いてきて、着替え。薄青いシャツに紺色のスーツ。音楽は流さなかった。スラックスの前の留め具が結構きつい。一応留まるのだが、留めたあと腰周りを前に引っ張ってみると、指二本分くらいしか入らない。わりとそんなものか? ぴったりと言えばそうではあるのだが。着替えたあと、四時一五分からものを書き出してここまで。四時半。先ほど職場からメールがあって、元々二コマだったところ、一コマにできますが、と言うのでそうしてほしいと返信をしておいた。それに対する再返信がないのだが、多分計らってくれていると思う。そういうわけで、今日は遅めに出ようかどうしようか迷っている。
 石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のメモを取った。四時五〇分まで一七分間。そうして出発へ。バッグとストールとコートを腕に持って上へ行き、食卓灯を点けてカーテンを閉ざした。そうして引出しからハンカチを取る。便所へ。排便しようと思ったが、出るものが出ず、小用のみ。室を出てコートを着て、ストールを巻いて玄関へ。外に出ると葉っぱがたくさん散らばっている。ポストに寄って夕刊を取り、階段を戻ると、玄関の扉の取っ手に回覧板が掛かっているのに気がついた。夕刊とともに玄関内の台の上に置いておき、出発。
 空、冷たく澄みながら広々とひらいている。やや暗んだ青さのなかに雲は一滴もなく、裸木の枝ぶりが刻まれている。坂に入ると川の流れはまだ辛うじて見えるものの、しかし色味はもうほとんどわからず黄昏に沈んでいる。空気、きんと冴えている。しかし耳が痛くなるほどではなく、身が震えるほどでもない。坂道、樹の下の日蔭の路面には濡れた跡が残り、そのなかに葉っぱが水気を含んでくっついて/貼りついている。細かく、ことによると汚らしく、あるいは無惨に。
 辻で八百屋と会う。客はおらず、トラックの横に一人立っているところに、どうも、こんばんはと掛ける。おう、久しぶりじゃんと。最近は時間がずれてんの、と訊くので、最近は早く出てるんですよ、冬期講習で、色々と準備することがあるので、と。大変じゃんか。行ってきますと残して別れたが、何だかあまり上手く話せなかったような、リズムが滑らかに行かなかったような感触が残った。
 街道。車、二つ目を大きくひらいて/膨らませている――皓々と、どの一台も。そうして過ぎ去っていく、次々と。髭を剃ったばかりなので、口の周りが冷たい。対岸にキックボードに乗った少年が現れ、信号のない横断歩道で手を挙げて止まったが、どの車も停まることなく少年を無視して過ぎていく。歩いて先に行ったあと振り返ってみるとしかし、一台停まったものがあって、無事に渡れていた。
 北側に渡った頃には黄昏と言うよりもほとんど宵のような空気の深さ――まだ五時過ぎだが。裏へ折れると、老人ホームの前に、「湯梅の郷」の送迎車が停まっている。ホームの老人たちを湯に連れていくのだろう。裏通りに入る。一軒の木の電飾を瞥見しながら行く。女子高生二人、横道から現れて、すぐにこちらを追い抜かしていく。沖縄の方言がマジで一番おじさん臭い、とか何とか言っている――方言におじさん臭いとかあるのか。
 明鏡的な落着き、あるいは鋭くしなやかな不動性のようなものを求め、それを生み出すようにしてゆっくりと、意識を現在に集中させながら歩く。青梅坂を渡ると後ろから車がやってきてライトがこちらの身を貫き、影が拡大されて巨人となり、駐車場いっぱいに広がりながら流れていく。それからまた進むと、一軒の塀の窪み、門口のところに老婆がいて、よほど間近に来るまでそれに気づかず、突然目に入ってきたのでちょっとびっくりし、次いで横を通っていったバイクの音も意識にやや強く引っかかってくる感じがして、それでどうも何だか、緊張していると言っては言い過ぎだが、精神が綻んでいるような感触を得た。久しぶりの労働だからか、あるいは一気に寒くなったためだろうか。
 職場。座席表を見ながら室長に礼。一コマにしてくれたので。(……)先生が二コマ担当してくれることになったらしく、それで彼にもあとで礼を言っておいた。今日の相手は、(……)くん(中三・英語)、(……)くん(中三・英語)、(……)さん(中三・社会)。準備中は神奈川県トレーニングのテキストを確認。
 それで授業なのだが、どうもあまり上手く行かなかったと言うか、三人ともあまり進められず、充実させることができなかった感触。記録ノートももっと書かせることができたのではないか。(……)くんは文型の単元だったので、五つの文型について書いてくれたけれど。(……)さんは工業地帯・地域を主に確認し、一応その五つを頭にひとまず入れさせただけでも、まあよくやったとは言えるのかもしれないが、しかしもう少し進めたかった。確認テストの両面を終わらせた時点で既に残り時間二〇分くらいになっていたのだ。それで前回の確認テストの裏面をやらせてみて終了となった。(……)くんは英作文の単元。記録ノートにメモしたのは、look forward toの文のみ。記録はともかくとしても、理解を増進したり記憶を定着させたりするために、もう少し上手くやることができたのではないか。間違えた文に関しては二回ずつ練習してもらったけれど、さらに日本語をこちらが言って英語を口述してもらうなどの形で、確認することができたのではないか。(……)くんに対しても文型について口頭でさらに確認するべきだったかもしれない。とにかく、口頭での質問・確認の時間を授業内にもっと頻繁に、あるいは豊富に確保するべきだろう。
 退勤、徒歩。やはりわりあいに空気冷たく、冴えている。顎のあたりがとりわけひりつくようだった。飛行機の響きが空から轟々とくぐもって降ってくる。それが聞こえたということは道は静かだったのだろう。夜なので当然だが。バッグを小脇に抱えて、両手ともコートのポケットに突っこんで歩く。太腿の内側が冷たく、まるで小便を漏らしたかのようである。
 街道に出ると渡る。対岸をランナーが、鈍重そうな駆け方で走り過ぎていく。裏通りに入って坂の上に至ると星々が空に輝き、オリオン座が薄く刻まれている。坂を抜けて自宅が見えると、風呂場に明かりが点いているので父親かと思いきや、背後から車がやって来て、それが父親のものだったので、風呂に入っているのは母親ということになる。珍しく早い。
 帰宅。無人の居間を通って即座に下階へ。着替え。コンピューターに寄ってインターネットをちょっと眺めたあと、食事へ。シチューに、ケンタッキーフライドチキン。箱のイラストがクリスマスと言うか冬仕様で、カーネル・サンダースの顔の周りに雪の結晶が煌めいている、という趣向のものだったと思う。チキンを温めて、米とともに卓へ。サラダもサニーレタスのものを少量。汁物は大根の味噌汁が残っていたが、シチューがあるので飲まなかったはずだ。
 夕刊、瞥見した気がするがまるで覚えていない。テレビは何だったか……『深イイ話』というやつだったか。城田優という俳優の家族について。五人きょうだいだったか。母親はスペイン出身のペピーという婦人で、三回結婚して離婚しており、きょうだいたちは違う父親三人の子供らということになる。美男美女揃いと紹介されていた。母親は、結構エキセントリックと言うか、やかましそうな人で、日本語はぺらぺらと話せるようだった。
 食後、入浴はあとにして緑茶を用意し、自室で一服したはず。他人のブログを読む。SさんのものとUさんのものである。
 「思索」: 「思索と教師(6)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/16/042334
 「ともすると、宗教というのは、人間が捨て去ることのできない、モノや論理以上の時空をたしかに育て上げるための重要なリマインダーなのかもしれない。だとすれば、私は宗教は必要だと考える。むしろ、宗教性を育てる試みを捨て去るからこそ、浅薄で歴史の皆無な英雄に流されるのではないか」
 「歴史を学ぶ効用は、自らの知性に過去が還元できない重みを感じ取ることであり、「あれ」をしても「これ」をしても、そこからその躍動の中に参加させられていることを自覚することである」
 「すでに薄く曖昧に肯定されている現在を正当化するための過去は、歴史ではない」
 「「国民」や「国語」や「政治・社会問題」から読み解く限り、歴史に関する思索は始まってすらいないのではないか」
 「思索は、さまざまな人の試みを包括し、言い得てしまう結実物である。言い得てしまうものだから、私たちは、その結実物だけを読むようになり、そこに至るまでの過程を包摂し、忘れる」
 「思索は、徹底的に、左翼的で右翼的に、物質主義的で観念論的で、アジア主義で西洋中心主義的でなければいけない。自らの中の帝国主義者を、男性中心主義者を、ファシストを、差別主義者を、呼び覚まし、それらのどれかに自らを標語化することによって自らを同一化し、標語を繰り返すだけの主義者よりも、思索者はそれらを強く体得し、乗り越えなければならない」
 そうして入浴へ、湯のなかで身を水平に近くして縁に頭を預けていると、いつの間にか意識がほどけており、うとうとしていた。それで確か、一〇時一〇分頃から入ったはずが、気づくと一一時前だったと思う。随分と時間を使ってしまった。出て自室へ戻ると英語。
 Lawrence Berger, "Being There: Heidegger on Why Our Presence Matters"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/03/30/heideggers-philosophy-why-our-presence-matters/

meadow: 牧草地
・ingrained: 染み付いた; 根深い
・holistic: 全体論的な、総体的な

 英文記事を読んだあと、Alan Hampton『Origami For The Fire』をヘッドフォンで聞きつつ、記憶ノートに手帳から情報を移す。プリーモ・レーヴィの『これが人間か』から引いた記述などである。それから、やはり一日一〇分だけであっても記憶に残したい事柄に触れ、覚えた方が良いと思って、記憶ノートの一頁目を復習した。すると、思ったよりも時間が掛からず、一三分間で一頁目に記された事柄は復習できた。そうして零時を越えてから日記。今日のことを簡易的に記録していくが、現在時には追いつけないまま、零時半で切った。
 それから書抜きである。ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』(みすず書房、二〇一八年)。
 「心理学や社会学や美学や道徳を参照せずに文学を語るのは不可能です。批評は必ずより広いイデオロギー寄生虫なのです」
 「わたしに言わせれば、伝わるのは「思想」ではありません、伝わるのは「言語活動」です、つまり人によってまちまちに満たされる形式なのです。ですから〈影響〉という観念よりは〈流通〉という観念のほうがより正当に思えます。本は「力」であるよりは「貨幣」なのです」
 「記号学は根本的に言語活動に依存するものであり、あらゆる記号言語のなかに言語活動がある、という確信(……)。要するに、モードなるものは、それだけがわれわれの関心を惹くような複合体において、モードについてのディスクールを介してしか存在しない、と主張してもよいでしょう」
 「エクリチュールの革命的な使命は、排除することではなく、侵犯することです。ところで、侵犯するとは、認知すると同時に逆転することです。破壊の対象を提示しながら、同時にそれを否定しなくてはなりません」
 「反対することと裏返すこととは別です。反対行為は破壊するだけですが、裏返すことは対話しながら否定するのです。わたしの考えでは、「裏返された」エクリチュールだけが、正当な言語活動とその対立物(早い話が、そのパロディ)とを同時に提示することにより、革命的になりうるのです」
 書抜きを終えると歯磨きをしつつ石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読み進める。その後、頁を戻って読書ノートに引用。二時二〇分頃まで作業を続け、すると頭や意識や肉体が疲れてきたようだったので、普段より早いが床に移った。寝つくのには多少時間が掛かったような記憶がある。今日の事柄を思い返そうと思ったのだが、たびたび思念が逸れて上手く行かなかった。


・作文
 11:47 - 12:03 = 16分(23日)
 12:34 - 12:49 = 15分(22日)
 12:49 - 13:51 = 1時間2分(15日)
 14:10 - 14:29 = 19分(15日)
 16:15 - 16:32 = 17分(23日)
 24:07 - 24:30 = 23分(23日)
 計: 2時間32分

・読書
 11:11 - 11:45 = 34分(日記類)
 15:31 - 16:02 = 31分(バルト)
 16:33 - 16:50 = 17分(バルト; メモ)
 21:26 - 21:58 = 32分(ブログ)
 23:02 - 23:18 = 16分(Berger)
 23:22 - 23:51 = 29分(記憶ノート; メモ)
 23:51 - 24:04 = 13分(記憶ノート)
 24:42 - 25:09 = 27分(バルト; 書抜き)
 25:10 - 26:20 = 1時間10分(バルト; メモ)
 計: 4時間29分

・睡眠
 3:00 - 10:00 = 7時間

・音楽

  • Alan Hampton『Origami For The Fire』(BGM)