2019/12/29, Sun.

 「ガス室」が存在しなかったとか、ホロコーストがなかったとかいうのではない。しかし、なぜ、ホロコーストのような途方もないことが行なわれたのか、そのことを理解するのに、私がかりに単純絶滅史観と名付ける従来の単純な歴史観では必ずしも十分でないのであり、それでは理解できない事実があまりにも多すぎるのである。
 例えば、ユダヤ人の大量虐殺はヒトラーが元来抱いていた反ユダヤ主義思想が着々と実現された結果であるというような、ごく一般にゆきわたった単純な歴史の理解の仕方がある。しかし、このような歴史観は、少し歴史を勉強するとただちにそれでは説明できない事実に行き当たってしまう。例えば、ナチスは政権をとって以来、国内のユダヤ人を積極的にパレスチナに移住させてきたという事実がある。しかも、これはユダヤ人側のシオニスト団体とナチス親衛隊SSとの協力で行なわれたものである。さらに、第二次世界大戦が始まってからも、例えば、マダガスカル計画というのがある。これは、四百万人ものユダヤ人を戦後マダガスカル島へ移住させようという計画であった。これらの事実は、もし、ヒトラーが最初からユダヤ人の絶滅を考えていたとしたら、明らかに理屈に合わないものである。
 これらの事実に対して、単純な歴史観を抱く歴史家たちは、従来これを無視するか、あるいは、ヒトラーの意にそったものではなかったということでこれを糊塗してきた。しかし、これは決してヒトラーの意にそわないことではなく、むしろ、ヒトラーが積極的に推し進めようとした政策であった。これが歴史的事実であることを知った人は当然にも従来の歴史叙述に疑いを抱くし、単純な思考の持ち主は逆にこれこそがヒトラーの意思であったと確信してしまう。すなわち、ヒトラーの政策はユダヤ人の絶滅ではなく、ユダヤ人の国外移住にすぎなかったということになってしまう。ユダヤ人の移送は明らかに東方への移住の名目で行なわれたから、ここに、ユダヤ人東方移住説が定着してしまうのである。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、ⅱ~ⅲ; 「はしがき」)


 九時のアラームで覚醒。ベッドを抜けて携帯を止め、寝床に戻る。墓に行くという話だったが、出かければ何だかんだで時間も掛かり、日記も溜まっている現状だし、今日は家にいた方が良いだろうと判断した。それでクッションに凭れて陽射しを浴びながら少々うとうとしたが、九時四〇分頃に至ってふたたび寝床を抜けることができた。ダウンジャケットを持って上階に行き、両親に挨拶。お墓行くかと父親が聞き、母親は買い物もしないと、と言うが、そうするとやはり結構時間を食ってしまうだろうから、今日は家にいると言った。ジャージに着替えていると、父親が続いて、お前のパソコンはWindows何、と訊いてくる。覚えていないが、最新のものではなかったはずだ。Windows 10が最新なのだが、Windows 7のサポートがじきに切れるので、それだったら買い換えなければならないと言う。動作も遅くなってきているので良いタイミングではあるが、しかし如何せん金はない。
 便所に行って来てから台所に入り、フライパンの炒め物――大根の葉や大根そのものやベーコンを細かく刻んだもの――をよそってレンジへ、ほか、白米も椀に盛り、小鍋の味噌汁を火に掛けた。卓に三品を揃えて食事、新聞を見やるが、大して興味を惹かれる記事はない。Windows 7のサポート終了は一月一四日だと言うので、こちらの誕生日ではないかと答えた。食事を終えると食器を洗い――父親が何かを飲むのに使っていたグラスも合わせて――風呂を洗いに行った。浴槽を擦って出てくると、緑茶を用意して下階へ、両親は出発した。
 コンピューターを点け、柿の種を食いながら前日の記録をつけたりこの日の記事を新規作成したりした。その前にまず、「設定」にアクセスして、コンピューター情報を調べたのだった。するとOSはWindows 8.1だったので、まだ買い換えなくても済む。安心である。もう少し使い倒してやりたい。その後、日記を書こうと思ったのだが、何となくthe pillowsを流しながらTwitterのフォロー解除を始めてしまい、そうするともう今日でこの解除作業を終わらせてしまおうという気になって、歌を歌いながらひたすらぽちぽちとクリックを繰り返し、最終的にフォロー相手を七二人までに減らした。元は三〇〇〇以上いたのだから、随分とすっきりしたものだ。この小規模体制で、余計なことはもう呟かず、日記の文章や音楽の感想や短歌のみを放流し、書き手の私性をほとんど見せない方針で今のところは行きたい。その代わり日記の方では思い切り自分語りをするというわけだ。短歌と言えば、このフォロー解除作業のあいだも短歌をいくつか拵えた。「死にたいと嘆くあなたに贈りたい意味を解放された音楽を」「優しさも痛みも感じず時はただ恩寵のように正しく過ぎて」「戦争が終わった時の太陽を君は忘れず君は忘れず」。
 そうしてこの日の日記を書き出し、現在は一一時四六分。まずは前日のことをメモ/下書きしておかなければならないだろう。そういうわけで二八日のことを綴り出したのだが、これにやたらと時間が掛かって、一時間五〇分も費やしたらしい。マジか? 時刻は一時半を過ぎた。その頃確か帰宅後の母親が部屋の戸口にやって来て、ご飯を食べないのと声を掛けたのではなかったか。食べると答えて上階に行ったと思う。何を食べたのだったか? 思い出せない……米はもうなかったのではなかったか……パンだ。パンを食した。フランスパンと、冷凍庫のなかに保存されていたピザパンと言うか、チーズやトマトソースが乗った食パンをオーブントースターで焼いて食べた。食パンは卓に持ってきて齧ってみるとなかがまだ冷たかったため、電子レンジでさらに加熱したのだった。そのほか確か、即席の味噌汁に葱をこれでもかというほど刻んで入れて飲んだと思う。ほかにもまだ品はあったかもしれないが、覚えていない。両親の動向も覚えていない。食後、部屋へ戻る。
 二時から読み物である。まず、一年前の日記。この日はT家とF家で東京駅付近のわりと高級な和食屋に集まって食事会を催している。気になった描写や記述は以下のもの。
 「端的な快晴。近所の敷地の上に広く敷かれたビニールシートが太陽を受けて金属的に輝き、メタリックな灰色の濃い部分と薄い部分との差の襞がよく見える。それを眺めながら比喩を探るが、良いものが思いつかない」
 「空は一面青く、雲のなく、空気の澄んだ快晴で、東小金井のあたりから、果てに青く貼り付いた山影のさらに向こうに、富士山の真っ白な頂きが見えた。三鷹で乗ってきた者が多くて混み合う。若い女性の二人連れ(英語がどうとか理科がどうとか言っていたので、高校生ではないか)がこちらの目の前に位置取り、そのうちの片方はほとんどこちらに密着するような形になり、狭く、身や手のやり場に困る。そんな状況で読書をするのも意固地だが、空いた空間に文庫本を持った片手をずらして何とか書見を続行する――しかし、時折り女性の払った髪の毛が本の上に掛かったりした」
 「空の果てには薔薇色に縁取られた雲が横に群れて浮かんでいる。中野を越えるともうその薔薇色は雲から離れて水平線に垂れ落ち橙色と混ざり、街並みには宵闇の先駆隊が忍び入りはじめている。一分ごとに着実に暮れていく夕刻である」
 「結局自分には日記を書くことしかできない。保坂和志が、人間には無限の可能性があるなどと言われるが、三〇歳くらいになるとその可能性が一つに狭まって行く、収斂していく、「できない」可能性の選択肢が消えて、捨象されて、「これしかできない」というものが見えてくる、というようなことを言っていたような記憶があるが、自分にとっては日記がそれだろう。ともかくも、毎日一行であれ、どんな文体であれ、どんな内容であれ、戯言であれ、とにかく書き続ければそれで良いのだ。書き続けた者が勝ちである(何の?)。それがこちらの原点だ」
 「陽の色はない空で、雲が上下に分かれて湾のように曲線を作り、そのあいだを満たす空の青さは、ミルクを目一杯混ぜたカフェオレのようにまろやかで、同様に周りの雲の灰色も雨の香りを感じさせない和らぎ様で、二つの接する領域が長閑にまとまって調和していた。窓の左側から鳥が小さく現れ、空の前を通過する時はその姿がかろうじて視認されるのだが、電線の上に降り立って川沿いの林を向こうにすると、もう見えない。右方からは、どこかでものを燃やしているらしく、煙が湧いて、少しずつ形を変化させながらもしかしその中核の灰白色は保って、左へとゆっくり這うように流れていった」――これはこの日読み返した二〇一七年九月七日の記事から引用されていたものだが、なかなかよく書けているという感触がある。
 続いて、二〇一四年四月五日土曜日。
 「しゃがみこんで棚を検分していると中年の男性が横に立ち、アルバムを手にとって試聴機のほうへ歩いていったが、足で床をたたくその音に横柄さが含まれていた」――「足音」のなかに「横柄さ」を見る(聞く)のはちょっと面白いかもしれない。
 「隅までくまなく照らしだした無害そのものみたいな照明と、その明るさを聴覚的に表現したような慇懃この上ないトーンのアナウンス」
 さらに、fuzkueの読書日記から「フヅクエラジオ」。スタッフの人の文章が載っていて、結構面白い。そしてMさんのブログ。例によって冒頭に付された佐々木中からの、と言うか実質フーコーからのということになるのだろうが、引用を以下に。大変面白い。

 個が書き留められる。個々の「事例(ケース)」が書き留められる。とはいっても、「事例の学」である古き法の決疑論や法解釈学はもう問題ではない。「事例とはもはや、決疑論や法解釈学においてそうであるように」、「一つの総体的な状況ではなくなる」。それは、試験され検査され計測され測定され比較され分布され矯正され分類された、つまり規格化された個に関する、些事と変数の端的な記述となる。人々は書き留められる。フーコーは言う、長いあいだ書かれること、書き留められること、エクリチュールの対象となることは特権的な事態であった。伝記、年代記は王と英雄のものであった。特権的な人間のみが書かれる価値があるとされていた。つまり読まれる価値があると。しかし規律権力はこれを転倒する。書かれるのは万人であり、読まれるのは個々の人々である。こうして「この個人性の記述は一つの統制手段、一つの支配の方法となるのだ。もはや未来の記憶のための金字塔ではなく、折にふれて利用される文書である」。一八世紀以降、患者や精神病者や子どもや受刑者の生涯は書き留められていく。調査がはじまる。「きみにはどんな幼児的なところがあるか、きみにはどんな秘密の狂気がとりついているか、きみはどんな重大な犯罪を犯したいと思っているか」と心理学者たち、精神分析家たち、精神科医たちは尋問を始める。それをメモに、カルテに書き留め。ファイルを整理し、症例報告にまとめる。個の生を特定し、追求し、書き留め、蓄積すること。まさにこうした心理の学問たちは、「個人化の手続きの歴史的転回に、自らの場所を持つ」のだ。
佐々木中『定本 夜戦と永遠(下)』p.99)

 また、以下の記述ボロクソな言いように笑う。
 「おれは空気を読むことがあまり上手くないからとMYさんはいった。そこの自覚はいちおうあるらしい。しかし彼の空気の読めなさというのは臨床的なアレではなく、ただ単にバカで、浅はかで、思い込みが激しく、それでいて異様に自己評価という、一言でいえば「愚かさ」というほかないそのような諸性質の帰結でしかないという雑な印象をこちらを常々おぼえるのだが、どうだろうか?」
 以下の、MYさんの発言の再構成もとても面白い。笑う。あくまでMさんの再構成ではあるわけだが、しかしこのスカスカぶり、紋切型の蔓延ぶりは凄い。素晴らしい。こんな文体とこんな内容、この語りで最初から最後まで貫き通した小説を書いたら一周回って面白いと言うか、もしかしたら批評性があるのかもしれない。フローベールが現代に生きていたら格好の対象にしているはずだ。

 (……)そこだよね! そこなんだよね結局女って! ギャップだよ! ギャップ! だってさ、思わないでしょ普通? Mくんとはじめてあったひとがさ、立命だって、英語できるとか思わないよね? マジで! Mくんのギャップはずるい! でもね、でもね、おれもそうなんだよね! 実をいうとおれもそうなの! わかる? どういうところかわかる? 言ってみて! ちょっと言ってみて! おれってさ、社交的に見えるでしょ? でもやっぱりこう、心の? 心の闇? そういうのがあるわけ! わかるかな? わかるでしょ? おれの友達はやっぱりそういうところわかるよね! たとえばおれ週末飲むとしたら絶対に金曜日か土曜日なんだよね! 日曜日はオフにする! それで誰にも会わずにひとりで過ごすんだよ! そういうことでバランス? 精神のバランス? そういうのをとるんだよね! これはね、もう大学時代からずっとそう! 日曜日大騒ぎして月曜日大学、月曜日会社、これは無理! 無理ですよ! おれのそういう繊細さ? そういう闇? そういうのを感じとることのできる女だよね! そういう女はやっぱりおれについてきてくれるよね! なびくよね! なんかこういう社交的で? 明るいひと? そんな印象で終わると別にそれっきりお友達っていう感じになるけどね、おれのそういう繊細さを感じる女? やっぱりそういう女だよねマジで! わかる? わかる? わかる? ギャップですよ、これもギャップ! おれさ、バカな女がダメなんだよね! やっぱり深く話せる相手? そういうのじゃないとダメだよね! 世の中って広く浅くのひとばっかりでしょ? でもおれは狭く深くだからね! 世の中ってさ、バカなやつばっかじゃん! 大学? 大学出て働いてさ、商社とかで働いてさ、洗脳だよね! そういうのは洗脳だよ! 嫉妬じゃないよ、嫉妬もたしかにあるけどやっぱり、敷かれたレールの上を歩いてさ、うすっぺらいよね! ね? ね? Mくんもそう思うでしょ? だからやっぱり女も頭良くないとダメ! 絶対ダメ! 村上春樹ってさ、そういうところすごいよね! 彼はさ、なんていうの? 日本人の暗い心情? この心の暗闇みたいなものをさ、本当によく描けているよね! 村上春樹を読んだらさ、やっぱり日本人っていうのがどういう存在かわかるじゃん? Mくん、村上春樹読んでる? いや、ぜひ読んでほしい! いま読んだらまた印象が違ってくるんじゃない? おれもやっぱりね、いまのMくんくらいの年齢になってからすごくよくわかるようになったから! おすすめですよ、村上春樹! おすすめ! 帰国したときにでもぜひ読んでよ! いや、読んでもらいたい! Mくんにこそ村上春樹は読んでもらいたいわ! やっぱり芥川賞作家? 芥川賞作家は違いますよ!

 それから日記。この日はもう、大方日記だ。日記を書きまくった日だ。まず三時から、六時半まで、多少間断はありつつも書いている。それで二一日から二五日の記事まで仕上げる。もっとも、合間の二二日と二四日は既に書いてあったわけだが。そうして上階に行く。両親は昼食後また出かけたらしく、この時帰ってきたところだった。台所のフライパンには肉やピーマンや大根が炒めてあり、米はないが蕎麦を茹でる用意がされていたので、大きな鍋に水を注いで火に掛ける。沸くまでのあいだ、卓に就いて、高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』を読んでいると、思いの外に早く沸いた。それで生麺の蕎麦を投入。茹で時間は僅か六〇秒で良いとのことだったので、すぐに洗い桶の水のなかに取り出して洗う。それで、大層腹が減っていたのでもう食事。母親もお腹が空いたと繰り返し漏らしていた。麺つゆを用意。葱を投入。卓に就いて、炒め物と蕎麦と、あと何かサラダ的なものがあったような気がするが覚えていない。テレビはニュースだったが、あまり目を向けずにティッシュ箱で頁を押さえた本を読みながら食った。食後、洗い物。緑茶を用意して下階へ。そうしてまた日記! 二六日の記事を一時間半弱で仕上げる。時刻は八時四〇分。
 二六日の記事を書き終え、投稿すると九時までほんの少し時間が残ったので、切りの良いところまでnoteのフォローを解除しようと思った。それでthe pillowsを流し、歌いながら、Twitterの時と同様、ぽちぽちとフォローボタンを押していく。結局それで九時を過ぎてしまったが、入浴へ。風呂に浸かって、頭を背後の縁に預けながら目を閉じていると、自ずと思念が巡りだす。まず最初に念頭に上がったのは古谷利裕の「偽日記」のことだったと思う。古谷氏はあのブログを、何年だったか忘れたが多分もう二〇年以上は書き続けているはずで(今確認してみると、一九九九年からだった)、それに比べると、自分の日記は二〇一三年の一月から始めてまもなく丸七年、鬱病で書けなくなって休止していた期間がおおよそ一年ほどあるわけだから、実質丸六年くらいとして、その程度なのだから全然まだまだだなと思ったのだ。「偽日記」は最近全然読めていないが、古谷氏が面白く魅力的な思考や考察、雑感の類を今現在日々に記せているのは、言うまでもなくその二〇年の積み重ねが下地にあるわけで、自分の仕事をそのように長く継続的なスパンで考えた方が良い。一年、二年、三年、五年ではない。一年や五年で得られる成果など高が知れているし、同様に、その程度の仕事で得られる評価もまた高が知れているだろう。一〇年、二〇年、三〇年のパースペクティヴでものを考えるのだ。確か吉本隆明が言っていたのだったと思うが、一〇年間、毎日必ず机の前に就いて何かしらの文章を書く、書けないとしても机の前に就くだけの時間は取る、毎日必ずそれをやる、そうすれば誰だってプロの作家になれるくらいの実力はつく、とそういう言説があったと思う。しかしこちらがこの時感じたことには、一〇年間程度ではさほど大したことではない。あと三、四年続ければこの自分だって一〇年間継続したことになる。もっと長い視点で物事を考えるべきだ。ゲーテのことを想起しよう。彼は生涯で一四〇〇〇通以上の手紙を書き、本国ドイツでは全集一四三巻のうち、五〇巻が書簡に充てられていると言う。一四〇〇〇通である。読者よ、信じられるか? 毎日一通書いたとしても、一四〇〇〇割る三六五の単純計算で、およそ三八. 三だから四〇年弱が掛かる量なのだ。そういうことだ。量も確かに凄いが、量を本質的な問題にしたいわけではない。また、物量は必ずしも質を保証しないとか、長く続けたからと言ってそれに見合う評価を得られるとは限らないとか、ここにおいてはそんな横槍は無意味であり、そんな言説はまったく問題ではない。そうではなく、主題は、〈書くこと〉と〈生きること〉を可能な限り一致させるということなのだ。言い換えればそれは、自らという主体を芸術作品化すること、いや、もっと正確に言って、自分自身をまさしく〈エクリチュール〉と化すことだ。身体において、〈心身〉においてエクリチュールであること、言語に、エクリチュールに〈貫かれた/刺し抜かれた〉主体であること――常に、絶え間なく、恒常的に、果てしなく。もはや書くことという働きを担う「機械」ではなく、「装置」や「システム」でもなく、「機能」ですらなく、〈書くこと〉という〈動勢/動態〉そのものであること。それが最重要の事柄である。今現在において、自分の文章が読まれているか? 評価を得ているか? 名誉を獲得しているか? 金になっているか? 世の中や人々に〈影響〉を与えているか? 何らかの賞を授与されたか? 出版されているか? 〈人脈〉に繋がるか? そんなことはまったくもって、何一つ、少しも問題ではない。それらはまるでどうでも良い、二次的な、三次的な、四次的な、およそ些末な、ささやかな、トリヴィアルな、意義のない、言わば〈偽〉の問題だ。〈真〉の問い、正しき問いはこうだ。お前は、今日も読み、書いているか? 明日も読み、書いているか? そして、一〇年後、三〇年後、五〇年後、七〇年後も読み、書いているか? お前は一〇年後、三〇年後、五〇年後、七〇年後において、今よりもほんの僅かでも面白く、素晴らしく、〈新しい〉文章を書けているか? 言わばそこにおいてお前は、新たな〈生〉を見出し、開発し、そのなかに入ることができているか?(なぜなら、ロラン・バルトが言った通り、「物を書く人間、書くことを選んだ、すなわち(ほとんど「第一の快楽」として)書くことの悦楽と幸福を感じた[﹅14]者にとって、新生[ヴィタ・ノーヴァ]とはエクリチュールの新たな実践を発見すること以外にありえない」(ロラン・バルト石井洋二郎訳『ロラン・バルト講義集成3 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』筑摩書房、二〇〇六年、8)のだから) これが、これだけが、最も重要な問題である。原点回帰だ。
 風呂から帰ってくると上記の原点回帰宣言を先に書き綴っておき、一〇時四五分。その次に多分歯磨きをしたのだと思う。書見をしながら。一三分。一一時越える。また日記! またもや日記! 二七日の記事を一時間ほどで仕上げる。その頃には零時を越えて日付が変わっていた。二七日まで投稿。
 高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』からメモ。
 ●149: 「彼は八つ折り版ノートに、「『存在する(sein)』という語は、ドイツ語では二つの意味がある。現存在(Dasein 現にいる)と所有存在(Ihmgehören 彼のもの)という意味が」と書いている。この場合の「現存在」とは、自己の生にまといつくすべての付属物を剝ぎ取り、自分自身と厳しく対峙する姿勢で、存在を目的に従属させる時流にまったく逆行する姿勢のことである」
 → 「現存在」と「所有存在」の対立概念による整理はわかりやすいが、切り詰められて抽象度の高いカフカアフォリズムを、上のような「現存在」の意味合いに、言わば〈一息に〉ひらき、拡張してしまって良いものか、一抹の疑念も覚えるものではある。このような解釈が正当なのか。
 ●「所有へと邁進する人間に対して、カフカは「彼は所有(besitzen)しているかもしれないが、存在(sein)はしていない」と警告する」
 → 実際に元々のアフォリズムの文章を完全な形で読んでみないと最終的なところはわからないが、「警告」というパラフレーズのニュアンスがちょっと引っかかる。
 ●「時には自己の内面を見つめ、自分自身の在り方を問うことが必要だと説くのである」
 → やはり、「説く」という教導的なニュアンスの説明が気にかかる。上のアフォリズムにそのようなカフカの姿勢が本当に籠められているのか否か。しかもそこでカフカが「説く」とされている内容――「時には自己の内面を見つめ、自分自身の在り方を問うことが必要だ」――は、かなり一般的なと言うか、要は凡庸な事柄である。その矮小化/縮小が気になる。平易に解釈しすぎではないか。
 ●150: 「カフカは自己の「現存在」追求の姿勢と、「所有、及び所属存在」追求の姿勢との対立に悩む。彼はこの苦悩を、自分の持ち場である文学世界へ持ち込む。つまりカフカは、自己の文学に対する姿勢、即ち彼にとって文学が是であるか(現存在)、あるいは否であるか(所有、及び所属存在)という根本問題そのものを文学の素材にして、自分の在り方を創作過程のなかで考察したのである」
 → 上で表明したこちらの違和感は、あくまで細部のパラフレーズや解釈に対するものであり、大枠においてはこの「現存在/所有存在」の対立による整理は、わかりやすく明快な図式で、一定の魅力を持っていると認めるべきだろう。
 ●153: 「グレーゴルの変身は彼自身が望んだものである。変身は彼にとって解放、もしくは救済であった。抑圧、隠匿され続けた潜在的願望が、毒虫という形態で一気に実現をみたのである」
 → ここで主張されているグレーゴルの「望み」、「潜在的願望」を根拠づける具体的な記述は、多分テクストにないと思う。だからこれは、「現存在」と「所有存在」の対立がカフカの作品の原理であるという構図を先に立てた上での、著者のその主張/理論に合わせた/還元した〈読みこみ〉なのだ。端的に、ここでは、〈書かれていないこと〉が想像されている。
 メモを取ったあと、二時前から一時間のあいだ、新しい頁を読み進めて、三時頃就床。


・作文
 11:26 - 11:46 = 20分(29日)
 11:47 - 13:35 = 1時間48分(28日)
 15:03 - 16:10 = 1時間7分(21日)
 16:18 - 16:50 = 32分(23日)
 17:12 - 18:25 = 1時間13分(25日)
 19:18 - 20:41 = 1時間23分(26日)
 22:02 - 22:45 = 43分(29日)
 23:12 - 24:10 = 58分(27日)
 計: 8時間4分

・読書
 14:05 - 15:02 = 57分(過去の日記、ブログ)
 22:56 - 23:09 = 13分(高橋)
 24:25 - 25:45 = 1時間20分(高橋; メモ)
 25:48 - 26:57 = 1時間9分(高橋)
 計: 3時間39分

  • 2018/12/29, Sat.
  • 2014/4/5, Sat.
  • fuzkue「読書日記(164)」: 「フヅクエラジオ」
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-27「水浴びをするあなたの背筋から翼が生えてくるかもしれない」; 2019-12-28「古着屋で喪服を買ったネクタイはお前が遺したものを借りるぞ」
  • 高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』: 212 - 267; メモ: 149 - 163

・睡眠
 3:10 - 9:40 = 6時間30分

・音楽