ところで、[いつ「絶滅命令」が伝えられたか、という点に関して]七月末から八月末という結論を出すにあたってシュトライムが注目するのは「第三特務中隊の領域で一九四一年一二月一日までにおこなわれた死刑執行の一覧」と題する第三特務中隊長イェーガーの報告書である。この報告書において、一九四一年八月一五・一六日までは死刑執行されたユダヤ人が一九四一年七月二日の文書にそった理由を付して記載されているのに、この日を境にして以降はたんに「ユダヤ人男性、ユダヤ人女性、ユダヤ人子供 Juden, Judinnen und Judenkinder」と一般的に記載されるにすぎなくなっているという。ほかにも、第四a特務中隊および特務大隊Dの報告書から同様な事実が導きだされる。現在、この関連で注目されているのは、一九四一年八月一五・一六日にヒムラーが東部戦線を訪問しているという事実である。おそらく、このとき、絶滅命令が伝えられたのではないかというのである。
(栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、59~60)
一二時半まで粘菌の様態に留まる。カーテンを開けると外は一面の白い曇りだが、そこまで暗くはない。ベッドを抜けてダウンジャケットを持ち、上階へ。階段を上りきると父親が仏間から出てきたので挨拶を交わした。何か良い匂いがすると思ったら鹿肉のシチュー――先般、父親が床屋に行った際、鹿と猪の肉を貰ってきたのだ。床屋の主人の知人に猟友会の会長だかがいるらしい――を作ったらしく、深い褐色の液体でなみなみと満たされた大鍋がストーブの上に乗せられてあった。仏間の簞笥からジャージを取って着替え、台所に入っておじやを椀によそり、皿に取り分けられてあった生キャベツも一緒に卓に運ぶ。そうして深めの大皿にシチューを盛り、卓に就いた。新聞を引き寄せて一面の記事を追いながら食事を取る。イランがウクライナ機を誤って撃墜したことを認めたと言う。何ともやるせない、無益な人死にを引き起こしてしまったもので、遺族の悲しみや無力感、絶望感のようなものは計り知れないだろう。そのほか、台湾総統選では現職の民進党・蔡英文が再選したとの報。まあ順当な結果だと言うべきだろう。鹿肉のシチューはなかなか美味かったが、父親はデミグラスソースの味がちょっと濃いけどな、と漏らしていた。
父親が流しを離れるとこちらも席を立って食器を運び、流し台の前に移って皿を洗う。その横で母親は、鹿肉を下拵えするのが大変だった、塩で揉んで血抜きをして、水を何回か取り替えて、などと話していた。皿洗いを終えると風呂場に行き、浴槽を洗うのだが、腰を曲げて前屈みになる時、あるいはむしろその姿勢から戻る時の方が当て嵌まるかもしれないが、まだ腰に微かな痛みが発生する。とは言え、かなり良くなってはいると思う。背を丸めてブラシを持った腕を上下左右に動かすと、その振動が伝わってやはり腰がぴりぴりと刺激される、それを感じながら掃除を済ませた。
緑茶を用意して自室へ。コンピューターを点け、LINEにアクセスしてみると、久しぶりに(……)くんからメッセージが届いていて、何かと思えば修士論文が完成したので読んでくださいとのことだった。おお、と思った。それで労いと礼のメッセージを送っておき、PDFファイルをダウンロードして、中身をちょっと覗いたあと、一年前の日記を読みはじめたのが一時三七分である。新聞記事で知った陸奥宗光の獄中での読書量について言及していた。「記事は橋本五郎の「五郎ワールド」、陸奥宗光の獄中での読書について触れたもので、冒頭に陸奥が投獄されているあいだに取り寄せた本の一覧(すべてかどうかは不明)が挙げられていたのだが、『泰西史論』という著作だったか、それが二四冊とか、法律関係の一作が二〇冊とかその他諸々とともに書かれていて、四年四か月獄中にいたとは言え凄い読書量だなと思った。朝八時から夜の一二時くらいまでずっと本を読むという獄中生活を毎日欠かさず続けていたらしい」。「朝八時から夜の一二時くらいまでずっと本を読むという(……)生活を毎日欠かさず続け」ること。やはりそのくらいの意気がなければいけないなと思う。勿論、陸奥のそうした生活は投獄という特殊な条件下で実現されたものであり、様々な煩事と向き合わざるを得ない平常の暮らしを送る我々に叶うものではないが、少なくとも精神的にはそのくらいの勢いのようなものがなければならないだろうということだ。
ほか、歩行中の以下の思念。「この世界に「動き」がある限り差異=ニュアンスは絶えず生成されているはずだから(つまり世界が「無常」であるが故に差異が生まれる。そしてもしその差異が生命を支えているのだとしたら、「無常」こそが否定的に捉えられる性質なのではなく、生命の根底にあるものだということではないのか?)、差異がなくなるということは定義上/理論上、世界の生成が停まるということであり、そうなると時間の流れもなくなってすべてが固化することになるのだろうか(わかりやすいイメージに過ぎないようにも思われるが)」。「「無常」こそが否定的に捉えられる性質なのではなく、生命の根底にあるものだ」という認識は少々興味深く、ここから何かしら別の思考へと発展していきそうな気配が感じられないでもない。
次に二〇一四年四月一九日の記事を読み、ブログに投稿したあと、二時一分からこの日のことを記述しはじめた。現在は二時二一分。
食事を終えて皿を台所に運ぼうと立った頃合いだったか、母親が父親に、『パラサイト』っていう映画知ってる、と声を掛けて、ちょっと意外に思った。父親の方も、さっき何かテレビでやっていたな、とか答えている。この作品はポン・ジュノという韓国の監督のもので、こちらは映画には全然詳しくないのでこの監督がどのような類の、どのような位置づけの作家なのかわからないのだが、最新作の『パラサイト』についてはTwitter上などでも名前を多少見かけていた。それで、母親が興味を持つほどに人口に膾炙する類の作品なのか、とその点がちょっと意外だったのだが、しかし考えてみれば、読売新聞のテレビ番組欄の下部にもこの作品の広告は出ていたわけで、映画会社としては結構売出しに来ているのかもしれない。
続けて一一日の記事を叙述し、二時五五分に至って完成した。そうして緑茶をおかわりしに行くと、母親は居間のテーブルに座っており、何らかのテレビドラマを見ている。医者の役なのだろうか、天海祐希が白衣姿で出演しているそれは、録画したものらしい。父親はこのあと出かけるようで、準備をしながら母親と一四日がどうとか二一日がどうとか、何についてか話し合っていたが、最終的に洗面所に収まった。こちらは台所にあったミニクロワッサンをつまみ、緑茶を用意する。同時に玄関の方のひらきから柿の種も一袋取って、緑茶とともに自室に持ち替えると一服しながら読み物に触れた。以下は(……)さんのブログからの引用。
のちにドゥルーズは『批評と臨床』(一九九三年)のなかで、神々=父の言葉を肯定的に伝達する(と自称する)プラトン主義的な神的狂気や統合失調症中心主義は、前者は人種主義的・ファシズム的であるという点ゆえに、後者はそれがもつ悲劇的性質(病とひきかえに創造性が獲得されるという考え)ゆえに、否定されなければならない、と考えるようになりました。そして彼は、神々=父にかかわらない文学、狂ってはいるけれども、ある意味で「健康」な文学にこそ高い価値を与えようとします。そのような文学は、もはや正嫡的な神々=父の言葉とかかわることはありません。それは、神々=父の言葉に関して記憶喪失に陥った私生児的=雑種的な文学であり、「さまざまな支配の下にあって絶えず動き回る」ような文学だと彼はいいます。「私生児的」というのはドゥルーズが使っている言葉ですが、正嫡的な垂直の系譜を外れたところにある、ということです。「じっちゃんの名にかけて」と宣言するように、自分の系譜や出自に依拠するのではなく、そのような系譜とは無関係に、あらゆる方向にどんどん動きまわるような狂気こそが健康と結びついた創造を可能にするのだとドゥルーズは主張します。そして、そのような「健康としての狂気」こそが現代における文学的創造を可能にするのだ、とドゥルーズは宣言しているわけです(…)。
(松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』p.60-63)
「狂ってはいるけれども、ある意味で「健康」な文学」。これはこちらの思う〈明晰な狂気〉というテーマと――その〈言語〉と――明らかに響き交わすところがあるわけだが、具体的にそれがどのようなテクストとして実現されるのか。
また、工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」からの引用も孫引きしておく。
精神分析が目指すのは、患者自身が多少なりとも抑圧を追い越してこの深層部と出会い、そこにしまい込まれた患者自身の歴史=物語を受け止め直すことである。症状の背後にある歴史=物語は、患者自身の現在の言葉で語り直されなければならない。分析家の本質的な役割は、そのための触媒となることである。だから、分析の「目的」は症状を軽減したり解消したりすることにあるのではない。それはあくまでも分析の「結果」であって、肝腎なのは、症状をきっかけにして患者が「なぜ自分はこうなったのか」を問い、「これまでの自分」との関係を変えることだ。
もちろんこうした隠蔽は、患者が意図して、意識的に行うのではない。そうではなく、患者の無意識が隠れた主体となっていて、ちょっとした言葉選びや話の綻びのうちに、この隠れた主体がときおり顔をのぞかせるのだ。フロイトはそれを「無意識の思考」と呼んだ。「私」が意識し、考えていることがすべてではない。その背後で、「私」の無意識が考えている。その考えを「私」が直接知ることはない。しかし、「私」が話すことによって、その言葉のなかに、あるいは言葉の隙間に、無意識が痕跡を残す。無意識という「仮説」の有効性、ひいては精神分析という実践の有効性は、だから言語にかかっていると言っても過言ではない。このような意味で、ラカンは「言語は無意識の条件である」と定式化している。
そうして三時三四分からふたたび作文に入って、九日の記事に取り組んだのだが、そのあいだだったか、それとも読み物に触れているあいだに既に投稿されていたのか、LINE上で(……)が、コメダ珈琲で何とかいうケーキの類を食ったとか言って写真を上げていた。(……)に対して良いだろうと呼びかけているのだが、それに応じた(……)の方は別に羨ましそうでもない。来たら奢ってやると(……)が言うのに横から乗っかって、(……)までなら行くから夕飯を奢ってくれと勝手な注文をつけた。二〇〇〇円の寿司奢ってくれと言うと、一〇〇〇円までなら良いと言う。その代わりに、小説を読んでほしいと。二万八〇〇〇字あると言うからなかなかの分量だが、(……)は君の日記二日分だぞと言う。確かにその通りだが、日記とちゃんとした作品とではやはり違うだろう。飯を奢ってもらえるか否かは措いておき、いずれにせよ読んでみたいとは思っていたと告げると、それじゃあ七時に(……)なと来たので、七時半で良いかと調整してもらう。どうせ出かけるのなら、久しぶりに(……)の古本屋に出向こうという気持ちが湧いていたのだ。Yahooの路線案内で調べてみると、五時過ぎの電車に乗れば六時に着くので、そうすれば一時間ほどは見分する時間があるだろうと計算して、待ち合わせ時刻を遅らせてもらったのだった。
話がまとまったので外出の準備に取りかかった。廊下に出ると階段下の室に母親がいた。明かりも点けず、薄墨色の陰のなか、背を丸め、鳥のように首を突き出してコンピューターの大きなモニターを眺めている。(……)と会うことになった、夕食を食べると告げると、これから、と彼女は苦笑した。そうして階段を上がり仏間に入ったこちらは、椅子に座って赤地にアーガイル柄の靴下を履く。さらに洗面所に移って寝癖を直したあと、自室へ戻り、中村佳穂『AINOU』から五曲目の"永い言い訳"を再生して、そのなかで服を脱いで肌着姿になった。そうして青灰色の、United Arrows green label relaxingのズボンを履き、シャツはユニクロの、ワインレッド一色のものを身につけた。その上に濃い青のカーディガンを羽織ったが、このカーディガンももう相当に年季の入ったものなので、いい加減に新しい品が欲しいものだ。しかし金はない。
服を着替えて街着になっても寒く、身が震えるほどだった。洗面所に行って歯ブラシを取り、口に突っこんで動かすその手の動きも自ずと大きくなる。コンピューターの前に立ったまま歯を磨くと、四時三七分頃だったはずだ。口を濯いでくると中村佳穂 "忘れっぽい天使"を流しだして、この日のことをEvernoteの記事にメモ書きした。四時五〇分前までである。
バルカラーコートは既に着込んであった。バッグとストールを持って、まだ階段下でコンピューターを見ている母親の横を通って上階に行き、食卓灯を引いた。母親がもう行くと言うのでカーテンは閉めず、引出しからBrooks Brothersのハンカチを取った。そうして洗面所に移って手を洗う。石鹸を使って両面とも入念に、そして指の側面も擦って洗っていると、泡が跳ねてコートの袷の付近に一粒付着し、深く鮮やかな青のなかに一点、凝縮されたような白が際立った。そうして下階に行くと声を掛けておき、玄関に行って、靴箱の下の隙間、ゴキブリが隠れるような暗黒のなかから自分の靴を引っ張り出した。靴に足を入れ、姿見に向かい合って身仕舞いを確認したあと外へ出たが、ズボンのポケットに右手を突っこんでも鍵に当たらない。ポケットの内側に設けられたさらに小さな穴を探ってもないので、忘れたことに気づき、なかへ戻った。バッグを台に置いておき、下階に下りていくと母親が何、と向けてくるので、鍵、と端的に答えて自室に戻ると、棚の隅にあったのを持って再出発した。
道に出ると向かいの家の垣根の葉が小さく鳴る。虫でも蠢いたかのような微かな音の立ち方で、風だろうか、何だろうかと思うが、すぐにその正体はわかった。雨が散りはじめていたのだ。傘を取りに戻るか否か迷うが、しかしもう歩き出してしまっており、戻ってまた扉の鍵を開けて、とやるのが何となく面倒だったので、ひどいことにはなるまいと払って進んだ。しかし道脇の林や樹々からは、静かだが確かな響きが立って続く。顔にも僅か、触れてくるものがある。公営住宅前まで来ても周囲の音は続いており、物々が、あるいは物質そのものが吐息を漏らし、身じろぎしているような響きだなと思った。坂に入っても同様で、むしろ降りが僅かに強まったようにも思えたのは、道の端に積もった枯葉の厚みが音を増幅させるためだろうか。上っていくと電灯が、目の表面に引っかき傷のような筋を、細く、やや曲がった一閃を、差しこんでくる。さらに進んで出口に至り、街灯の暈のなかに目を凝らしたものの、雨粒は視認されなかった。しかし降りがやや定かになっているのが感じ取られるので、さっさと横断歩道を渡って駅の階段通路の屋根の下に入って、そこで身体の前面を見下ろすと、コートの表面、微細な繊維に引っかかった雨粒が多数煌めいており、冬の、丈の短い枯草のみが残って荒涼とした草原[くさはら]に散らばった霜を思わせた。
ホームに入るとベンチに就いた。頭上から雨音は続いている。手帳を出してメモを取っているうちに電車が来て、周囲の客たちは屋根の外に出ていったが、こちらはその場から動かず、一番(……)寄りの車両に乗った。席に座ってメモを続ける。向かいの席には山帰りらしき若い男性が二人並んで、疲労困憊の様子で一人は眠っていた。(……)に着く間際でもう一人が相棒を起こし、腰が爆発しそうと漏らして笑っていた。(……)で乗り換えるための時間は一分ほどしかなく、(……)寄りの先頭の方へ向かっている時間がなかったので、たまには違う車両に乗るかと、降りた付近の口に乗り換え、そこから一〇両目、すなわちいつもとは反対側の端の車両に移った。そうして、左に仕切りと接した端の席に就いてメモを続けたが、このメモ書きというものが無闇に時間が掛かる。(……)で客が増え、さらに(……)で一気に混み合って、ベビーカーを伴った親子連れが向かいに就き、若い母親がベビーカーの周囲を忙し気に立ち回っていた。
ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ/二階宗人訳『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』を読みはじめたのは五時五〇分のことだった。多分(……)にちょうど着いた頃合いか、その前後だったのではないか。そこから(……)までの道中は概ね視線を頁の上に落としていたはずで、何か興味深いものを見聞きした覚えはない。(……)で降りると電車が行ってしまって露わになった線路沿いの空間に目を凝らし、雨が降っていないかどうか天気を判別しようとした。どうも落ちるものはないようだった。ホームを辿り、階段を上ると、普段と違って一〇両目に乗ったので、そこはもう改札のすぐ近くである。SUICAを機械にタッチさせて細い通路を抜けると右折して階段に掛かり、外から入ってくる人々に傘を差していた様子や濡れた気配があるかどうか、視線を走らせながら下りていく。じきに出口が見えて、その外を行き来している人々が傘を差していないので、降っていないなと判断を確定させて安心した。駅前の空間は綺羅びやかなイルミネーションの明るさが充満していた。駅を出て正面のロータリーの方の電飾にはあまり目を向けなかったが、なかなか豪華で、なかに一種、粘度を持った液体が試験管のなかをゆっくりと落ちていくのにも似たような緩慢な下降の動きを見せる白色光があって、数年前に初めて(……)駅のイルミネーションを目にした頃から、その種の趣向がこちらの気に入りだった。駅から出て右方に向かうと、立ち並んでいる銀杏の裸木の梢を四方八方から囲むように電飾が施されており、天頂と木の下部のあいだを白い光の筋が、中ほどを外側に軽く膨らませながら何本も走っているのが、縦に長細く巨大でいびつな卵を象ったように見えるのだった。そこを過ぎ、松屋の角を折れて進み、通りの途中、横断歩道のない場所から対岸に渡り、さらに進んでちゃんぽん屋や飯屋の前を過ぎ、裏の方へ折れてもう少し歩けば、(……)書店である。店の外の一〇〇円均一の棚をまず見分した。左方の棚の前には人がいたので、まず右方の文庫本の棚の前にしゃがみこみ、下部の列を眺めていると、武満徹と川田順造の往復書簡であるらしい『音・ことば・人間』があったので、これは購入することにした。さらに、福武文庫の柄谷行人『批評とポスト・モダン』も発見した。この著作は(……)図書館に単行本版が所蔵されていたと思うが、どうせなのでこれも手もとに置いておくことにして保持し、それから左方の棚の方を見ると、書架の上に載せられた雑誌類のなかに、「特集=構造主義以後」と題された『現代思想』があった。一九八一年七月号である。見てみると、ロラン・バルトの「テクスト その理論」という論考が収録されているようなので、これも逃すわけには行かないだろう。ほか、柄谷行人が訳したポール=ド・マンの「記号論とレトリック」や、浅田彰訳のJ-J・グー「貨幣の考古学」、サイードの「テキスト、世界、批評家」(もっともこの題の論考は、多分同題の単行本の方に収録されているはずで、それは既に所有済みなのだが)、山口昌男のインタビューなどが収録されており、目次に並んだ名前をさらに挙げておくと、村上陽一郎、青木保、蓮實重彦、木田元、廣松渉、デリダ、ジラール、ヘイドン・ホワイト、ドゥルーズ(「反復と差異」!)、中村元、寺山修司など、錚々たる人々が勢揃いしている。
次に、ボロボロの『パイデイア 8』も見つけた。表紙を見るとジョルジュ・バタイユ特集で、ここにもロラン・バルトの「眼の隠喩」という記事が入っているのでそれだけでも落とすわけには行かない――もっとも、この論考はあとで買うことにした『エッセ・クリティック』の方にも収められていたわけだが。しかしそのほかにもこの『パイデイア』は、ミシェル・レリスやミシェル・フーコー、さらにはジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳も一部載せられていて、凄い雑誌である。そういうわけで、状態はかなり古ぼけていて、裏表紙など剝がれかけていたのだが、これも購入の方に分別した。雑誌欄で最後に目をつけたのは中央公論社『海』の一九八二年三月号で、目次を覗くと、サルトルとボーヴォワールの「最後の対話」なるものが目玉となっている。サルトル周りの事柄にも当然興味はあるものの、それだけではわざわざ買わなくても良かったかもしれないところ、蓮實重彦「『流離譚』を読む」の文字も目に留まって、これも何らかの単行本に収められているのだと思うが――今調べてみると、この『流離譚』とは安岡章太郎の作品で、この批評文は『「私小説」を読む』に入っているようだ――やはり買っておくかという気になった。ほかには、辻邦生、川崎長太郎、田中小実昌、島尾敏雄、後藤明生(『壁の中』の連載)、吉田秀和、金井美恵子、田村隆一、鶴見俊輔・井上ひさし(対談)、ドナルド・キーン、深沢七郎、飯吉光夫などの名前が目次には見られる。あとは一〇〇円均一からは、現代詩文庫の『富岡多恵子詩集』も拾った。これは確か、蓮實重彦が女性作家のなかでは最も評価していた人ではなかったかと思ったのだったが、それは富岡多恵子ではなくて、河野多恵子の方だった。
そういうわけで、入店する前に既に六冊を手もとに持っていた。戸口をくぐってなかに入ると、ひとまず手近の棚の上に購入決定本を置いておき、店主の(……)さんに挨拶しようと思ったのだが、ちょうど今、本を会計に行った人がいたので、海外文学を見分しながらちょっと待ち、それからカウンターの方に少々近寄って挨拶し、今年もよろしくお願いしますと交わし合った。それからまた見させてもらいますので、と言うと、ごゆっくりしていってください、との答えが返ったので会釈し、思想の棚を見分しはじめた。『ミシェル・フーコー思考集成』の三巻と八巻があった。このシリーズ一〇巻は是非とも欲しく、いつかは所有して読まなければならないことは確定しているのだが、片方を取って値段を見てみると三八〇〇円である。金額は大した問題ではないものの、今買ったところですぐには読めず、実際に読むのは一年後か二年後かになるのが確実なので、今日のところはひとまず見逃しておくかと収めた。ほか、色々と興味深いものはあったが、よくも覚えていない。詩歌の棚や漫画の欄はほとんど見ることができなかったが、それを覗いては大方店内を隅々まで回った。七時一〇分くらいまで掛かったはずだ。それでほかには、ロラン・バルトの『エッセ・クリティック』、ナタリー・サロートの『見知らぬ男の肖像』、それにエリザベート・ルディネスコ『ラカン、すべてに抗って』、小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』の四冊を買うことにした。最後のラカン関連の二冊は、(……)さんが帰国したあと会う機会があれば、彼にプレゼントするつもりである。サロートの『見知らぬ男の肖像』は、以前(……)書店で入手済みではなかったかと薄々思っていたのだが、この日の夜か翌日、(……)がまだ自室にいるうちに調べてみると、やはりそうだった。ただ、(……)書店で買った方は一九七〇年発行のもので、この日入手したのは一九七七年に再刊されたもので、装丁はかなり違ってはいる。しかし訳者あとがきの最後にほんの少し記述が足されているのみで内容は変わっておらず、おそらく訳文も変更されていないようだ。以下にこの日買った書籍の一覧を掲げる。
・『富岡多恵子詩集』
・『現代思想 一九八一年七月号 特集=構造主義以後』
・『パイデイア 8』
・『海 一九八二年三月号』
・武満徹・川田順造『音・ことば・人間』
・柄谷行人『批評とポストモダン』
・ナタリー・サロート/三輪秀彦訳『見知らぬ男の肖像』
・エリザベート・ルディネスコ/信友建志訳『ラカン、すべてに抗って』
・小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』
・ロラン・バルト/篠田浩一郎・高坂和彦・渡瀬嘉朗訳『エッセ・クリティック』
一〇冊を持ってカウンターに近寄り、お願いしますと言って会計を頼んだ。五八〇〇円だった。一万円札を出し、紙袋に本を入れてもらっている合間に、一〇〇円の棚に良いものがたくさんあって、助かりましたと(……)さんに笑いかけると、見つけてもらえて良かったです、というような反応があった。それで、礼を言い合い、またお願いしますという言葉も互いに掛け合って、店をあとにした。七時一五分かそこらだったのではないか。暗くなった道を戻り、裏通りを出たところの横断歩道から向かいに渡って、紙袋とクラッチバッグを片手に提げて駅に戻った。
駅舎に入ってエスカレーターではなく階段を一歩一歩上り、改札をくぐると三・四番線のホームに下りたが、三番線の(……)行きはちょうど発車してしまったところだった。次は四番線の(……)行きである。ホームの先、一号車の位置まで行ってバッグから携帯を取り出すと、(……)からメールが入っており、一九時三一分に着くとあったので、一九時二一分(……)発なのですまないが少々遅れると思うと返信しておき、電車の到着を待った。やって来た電車は混み合っていたが、停まると乗客が次々と吐き出されていったのであとの空間には結構余裕が生まれ、扉際を確保することもできた。こちらの向かいには、サングラスを掛けて、がちゃがちゃしたような模様のリュックサックや衣服を身につけた、何と言うか柄がちょっと悪いようでもあるしファンキーなようでもある男性が就いていた。こちらはニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ/二階宗人訳『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』を取り出し、発車とともに読みはじめた。
(……)に着くと降り、階段を上って改札を抜け、待ち合わせ場所である(……)前に向かうと、薄褐色のコートを羽織った(……)らしき人物がいるのが見えた。あれかと思っていると相手が手を挙げたのでそうだなと確定され、近寄って挨拶をした。古本屋に行っていたのだと最初に言ったのではなかったか。それから、腹が減ったなと口にし、どこに行くかとなったが、(……)は昼間も出費をしたので、なるべく安いファミリーレストランが良いと言う。それではガストに行くかと言って合意されたので、南口に向かって歩き出した。駅舎を出ると、印刷が上手く行かなくてコンピューターを持ってきたというようなことを(……)が言ったのだったと思う。こちらはデータを送ってもらって自宅で読むつもりでいたのだが、(……)の意向では今日、この場で読んでもらいたいようだったので、二万八〇〇〇字も読み終わらんぞと言うと、(……)ならそのくらいすぐかと思った、というような返事があった。高架歩廊から下の通りに下りて、マクドナルドを向かいに見て右折し、日高屋の前を進んでいると、対岸に赤ん坊を胸に抱いた母親と、そのあとをついていく幼女の一行が現れたのだが、その母親が娘に掛ける言葉が異常にきつく、声も大きくて当たり散らすような調子だった。自分のものくらい自分で持ちなさい、そんなの当たり前でしょ、何で毎回毎回言われないとできないの、みたいなことを大声で言っており、それに対して幼女は何かしら弁明のような声を上げているのだが、それはまったく聞き入れられないのだった。母親は足早に先を歩き、そのあとからついていく幼女に向けて時折り振り返りながら、激しい声を放ってぶち当てている。家庭内では虐待でもしているのではないかと思われるほどの苛烈さで、実に良くないなと思ったのだが、こちらに何ができるわけでもない。一行は去っていき、我々二人はガストに入店するべく階段を上がった。するとこちらの階段の途中には小さな子供たちがいっぱいに群れて遊んでおり、周りには当然親らしき何人かの姿もあって、これはどうも相当に混んでいるらしいぞと推し量られた。すみません、という親の声を受けつつ子供たちがうろついているなかを上っていってファミリーレストランの戸口をくぐり、なかの待合いリストを見てみると、一三名の待ち客があって、それはこの階段に溜まっている親子連れたちだろう。ほかには待っている客はいないようで、待てば先に入れるのかもしれないが、どうするかと顔を見合わせた結果、(……)が、じゃあほかのところに行こうと言ったので、それに従って階段を下りた。通りに出て、どうするか、この辺だとほかに何があるのかと言いながら見回していると、とりあえず駅の方に行こうと(……)が歩き出したのでついていく。駅に戻る途中、「(……)」があるぞとこちらは口に出して手を差し向けた。先ほど駅の方から来る時に、コンビニの二階にその店が入っているのを目に留めていたのだった。それで一階の入口に近寄り、店の前に設えられたショーケースのなかの品書きを見てみると、ファミリーレストランの類なので当然だが、そこまで値は張らない。それでここで良いかと合意されて自動ドアをくぐり、階段を二階に上って、窓際の席に通された。
こちらはアサリのタンメンうどんという品にネギトロ丼を付属させ、(……)は若布の温玉うどんにやはりネギトロ丼のついたセットの品物を注文した。奢るうんぬんは気にしなくて良いと言ったが、(……)は結局ここの食事代は持ってくれた。それで注文を済ませるとすぐにコンピューターが用意され、(……)の執筆した小説作品が提示された。『Steins; Gate』の二次創作、仮題「(……)」である。そうして読みはじめ、ここはどうだろうなとか気になったところに注文をつけていき、あとで吟味修正が必要だと思われる部分には黄色のマーカーを付していく流れになった。いくらも読まないうちに品が届いたのだったと思う。それで一旦コンピューターを(……)に返し、食事に取りかかった。タンメンうどんは名前そのまま、タンメンの麺がうどんになっているバージョンで、タンメンだから当然だが野菜がふんだんに盛られており、栄養満点といった感じでなかなか美味だった。ネギトロ丼も、鮪はともかくとしても温かな米が柔らかくほぐれてなかなか美味い。賞味しているあいだに何を話したのかはとんと覚えていない。あるいは特段の会話は交わさずにそれぞれものを食べることに集中していたか。
食後、ふたたびコンピューターを借りて小説を読む。全体的に最低限の質はクリアしており、基礎的な文章的体力は確保されているように思われたのだが、力を入れたであろう部分がかえって空回ってしまっているような印象を得た。具体的には、岡部倫太郎が地面に置いたバッグに躓いて転ぶ場面があるのだが、その際の肉体の動きや認識の移行の描写が突然非常に詳細になっており、一人称の語りであるにもかかわらず、まるでスローモーションで自らの動きを外側から緻密に観察しながら書いたかのような調子だったので、これは一人称の文章ではない、突然転んだ瞬間の咄嗟のタイミングで、自分の身体精神の動きをこんなに細密に知覚し認識するような人間はいないと指摘した。もっとも(……)自身も、そこだけ無闇に細かく書いてしまったということは自覚しており、そういう指摘を成されるだろうことは折りこみ済みだったわけだが、それでもやはりその点は大きな違和感として看過することはできなかった。ほかにも、岡部倫太郎と椎名まゆりが恋人らしくいちゃいちゃと睦み合うシーンなども、描写がやはり急激に詳細になって、なおかつ比喩なども唐突に多用され、あまり良くない意味での文学臭が芬々と香ったので、場面によって文体や情報量が大きく変わってしまっている、もっと統一性を持たせないと駄目だと偉そうに助言した。
大きな改善点として引っかかったのはそのような点だった。あとは細かな言葉遣いだとかで気になるところをチェックしていき、一方で風景描写などで悪くない記述も散見されたので、そうした部分はソフトを操作して明るい緑色のマーカーを引いていった。そのうちにコンピューターのバッテリーが切れて画面が暗んで沈黙したので、作品のチェックはそこまでとなった。そのあと少々話していたように思うが、一〇時を前にしてこちらが喫茶店にでも行くか、と口にした。別に取り立てて飲み物を飲みたいわけではなかったのだが、「(……)」に長居し続けていて良いものかちょっと気がかりだったのだ。別に客も増えてきているわけではなさそうだったので、そのまま居座っていても良かったのだろうが、どうせなら電源がある店に行くかということで、(……)も喫茶店に行くことに同意し、それで荷物をまとめてコートを着込み、席を立った。通路を歩きながら手を差し出した(……)に伝票を渡し、レジカウンターの前で会計してもらいながら話を続ける。(……)は今回の作品で一部詳細に練った文章を綴ったわけだが、全篇をあれくらい力の入った文章で通すことができるのかと思うと、小説家っていうのはやっぱり凄まじいなと思ったよというようなことを漏らすので、全篇をあの文体で書く人間はあまりいないぞと受けたのだった。
それで階段を下って退店し、駅に向かった。(……)は(……)のなかの喫茶店に目星を付けていたようだった。ただ、営業時間がわからない。それで駅舎内に入り、コンコースの途中にあった表示板を見たところ、一店は既に営業終了しており、もう一店も一〇時までで、この時点で確か九時五〇分だったと思う。それであと一〇分ではしょうがないとほかに行くことにし、ひとまず北口を出たところのエクセルシオール・カフェに行ってみるかと提案した。日曜日の午後一〇時とあって、コンコース内はピーク時と比べるとかなり人通りが少なくなっていた。北口広場にも、カップルの類はわりあいに残っているものの、人の流れは薄く、空間を密に埋めるほどでないので、この時間だとさすがに結構人が少ないなと口にすると、あれで少ないのかと(……)は答えた。それで階段を下りてエクセルシオール・カフェの入口のガラス戸に近づくと、営業時間は二三時までというわけでまだいくらか猶予がある。従って入店し、電源の使える席を探した。二階のカウンターに確かコンセントがあったのではないかとこちらが言って階段を上ったが、カウンター席は埋まっていた。それで一階に戻り、こちらのカウンターはと見てみると電源もあり、空いてもいたのでそこに陣取ることにした。荷物を席に置いておき、財布を持って注文へ、こちらは例によってホットココアと、(……)の後ろで番を待っている際に目についたチョコチャンククッキーというものを一枚取って購入した。チョコレート同士の甘ったるい組み合わせで、(……)さんだったらまた、お子様、舌がお子様やからな、と馬鹿にしてくることだろう。(……)は多分紅茶の類を頼んでいたと思う。そうして席に戻り、品物をテーブルの上に置くとこちらはすぐに上階のトイレに行った。先客があったのでしばらく待ち、それからなかに入って放尿し、トイレットペーパーを使って便器を拭いてから水を流すと、手を洗ってハンカチで拭きながら退室し、下階に戻った。こちらにコンピューターを渡すと(……)もトイレに行った。彼が戻ってきたあと、またところどころ気になった箇所に言及しながら読んでいったが、後半はそこまで大きな違和感を与える箇所はなかったと思う。細かなところをチェックしながら読み進め、あと数頁で終わるところまで達したところで閉店時間の一一時がやって来た。あとはまあ、データを送ってもらっても良いし、それか今日うちに来ても良いぞと言うと、じゃあ行くかと(……)は軽く受けるので、合点した。先ほど「(……)」にいるあいだに、(……)が、そうか、今日君の家に泊まりに行って夜通し読んでもらえば良いんだ、と口にしたのを踏まえてのことだったが、実際にそのようなことになったわけである。ひとまず退店しようというわけで、(……)が荷物をまとめるのを待っていると男性店員が近寄ってきて、トレイを頂いてよろしいですかと言うので礼を言いながら渡し、身支度が整うと出口へ向かった。カウンターの横を過ぎる際に、女性店員と顔を合わせて有難うございましたと声を掛け合った。
駅舎に入ったところで携帯電話を取り出し、母親の携帯に掛けたが出ないので、自宅の電話番号を打ちこんで発信した。出た母親の声は、予め相手が誰なのかわかっていたような調子だった。(……)を連れて行くから、と言うとええ、と彼女は言ったが、拒否されることはなく、明日仕事だから早めに行っちゃうよと言うのには、勝手にやるからと応じておき、了解を得た。そうして改札をくぐり、一番線の(……)行き最終電車に乗りこんだ。そうして三人掛けに乗ったのだったか? 確かそうだったと思う。
小説のことや芸術形式の歴史についてなど話しながら揺られ、(……)に着くと(……)寄りの車両に移動するべく降車した。乗り直して席に就き、最寄り駅に到着すると降りて、駅舎を抜けた。通りを渡ると正面の坂に入るのではなく、東に歩いて自販機に寄り、コーラでも買っていくかということでコカコーラゼロを購入し、そのままさらに東に向かった。(……)は星が好きである。寂れた田舎町とは言え街道沿いだと街灯がそこそこあるので星が見にくいが、裏通りに入れば多少は露わになるだろうというわけで、肉屋の隣の坂を下りれば直線的で近いところを遠回りすることにした。家々の合間の坂道を下って行きながら(……)は後ろ向きになって空を見上げる。オリオン座があったと言う。見れば確かに、斜めに掛かっているものがある。しかし真円に近い大きな月が出ており、その光のために星は薄れがちだったようだ。坂を下りきると角を曲がり、もう一つの坂に掛かったところで、この辺りが一番空が広くて見やすいと告げると(……)も、街灯も遠くて確かにここはよく見えるなと言っていた。東の方角の高みには月が鎮座し、星は西側に集まっているようだった。
家に着いてなかに入ると両親は既に下がったあとで、居間は無人だった。洗面所で手を洗い、自室へ下りる。(……)はこちらの部屋の内の、積み上げられた本の写真を撮っていた。それをLINE上に上げて我が家に来ていることを報告すると言う。LINEにアクセスしてみると、(……)から、二〇代最後の一日おめでとうとのメッセージが入っていたので、返信をしておいた。それに続いて(……)が積み本たちの写真をアップし、彼は今、我が家に来ているのだとこちらも補足しておいた。
先に(……)に風呂に入ってもらうことにした。ハンカチを持って共に上階に行き、洗面所に入って、タオルはこれを使ってくれと指示をした。(……)はフェイスタオルは使わないと言う。身体は素手で洗うし、頭を洗ったあとなどもその場では拭かず、出たあとにバスタオルで水気を拭うようだ。まあフェイスタオルも使いたかったら使ってくれと一枚用意して洗濯機の上に置いておき、それではごゆっくりと残して洗面所の扉を閉めた。そうして自室に戻り、(……)の小説の残りを読み進める。読み終わるのとほぼ同時に(……)が帰ってきたので、チェックをつけた箇所を見直していてくれと言って、こちらも入浴に行った。風呂に入りはじめたのは確か一時半頃だったように思う。目を瞑りながら湯に浸かり、「朝の来ない夜行列車に囚われて永遠を知る未完の旅路」という短歌を拵えた。いつもより早めに、一五分か二〇分かそこらで上がり、髪を乾かしてコップ二つを持って自室に帰った。コーラを飲もうと言ってそれぞれのコップに液体を注ぎ、それに口をつけながら(……)の小説の推敲を手伝った。一部はこちらもコンピューターを駆り出してさっと短い文章を作り、こんな感じではどうかと例文として提示して助けとした。時間はあっという間に過ぎ去っていき、推敲作業は四時前まで続いた。最後に取り上げられた部分も、こちらが例として文章を練ってみようと思ったのだったが、しかしさすがに四時も近づくともはやそうする気力がないので、今日はここまでにしてそろそろ眠ろうと合意された。それで(……)は隣の兄の部屋に行き、こちらもベッドに入って眠りに向かった。