2020/3/6, Fri.

 (……)ナチの経済再生の目的は、奇跡をもたらすことでも個人の生活水準向上のためにドイツ人に職を与えることでもなかった。ナチの経済政策は、赤字財政によって経済成長と繁栄を促すケインズ主義の需要管理政策のたぐいではない。ナチ政権は消費需要を促すことでドイツ経済を回復に導く方法はとらず、課税率を高いまま維持し、消費財産業と消費者支出を冷遇した。ヒトラーにとって、そもそも経済は富を生み出す領域ではない。軍事征服に必要なハードウェアを供給するための領域であり、政権の全経済政策の根底には再武装への決意があった。平等主義の民族共同体[フォルクスゲマインシャフト]と経済的再分配という目標は真面目に考えられていたが、それは戦争を通じて達成されるものだった。ナチは自由市場経済、グローバル経済への融合、経済的自由主義(一九三〇年代には、これは満足のいく成功をまるで収めてはいなかった)の導入を拒絶し、代わりに、経済への大規模な国家干渉、閉鎖的な経済圏の維持を目指していた。
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、70~71)



  • 午後六時半前から夕食の支度をした。ほうれん草を茹でるとともに、野菜スープと麻婆豆腐を拵えることに。まず大鍋になみなみと水を汲んで焜炉に置き、もう一つの鍋にも同様に水を注いで火に掛けた。前者はほうれん草を茹でるための鍋、後者はスープにするためのものである。沸騰を待つあいだに人参と大根を半月形や扇形に切っておき、それから数束のほうれん草をまとめて大鍋に押しこんで、青菜を茹でているあいだに玉ねぎの皮を剝く。菜っ葉はまもなく茹で上がったので洗い桶に取り出して水に晒しておき、玉ねぎを薄く切断した頃には汁物のための鍋も沸いていたので野菜をまとめて投入すると、ほとんど溢れんばかりの嵩になった。続いて、麻婆豆腐の用意である。とろみづけ用の粉を椀に投下して水と一緒に搔き混ぜておき、フライパンの方にはひき肉の混ざった赤い麻婆豆腐の素と水を注いで加熱する。合間に葱を一本薄切りにして、泡を吐いて沸騰するフライパンにそれを投入すると、続けて絹ごし豆腐も二パック分、手のひらの上で細かく分割して赤い液体のなかに落とした。汁物の鍋からは灰汁を取って粉の出汁や小さく刻んだ乾燥昆布を加えておき、麻婆豆腐の方はまもなく沸いたので一度火を消してとろみ粉液を注ぎ、もう一度煮立たせれば完成である。どこかの合間のタイミングでほうれん草も少しずつ桶から取り出し、両手で握り絞って水分を吐き出させ、小さいまとまりに切断して容器に収めておいた。その後、スープの鍋から大根の小片を一つ箸で取って食べてみたところ、あともう少しだけ煮込んで柔らかくした方が良いような気がしたものの、それでももう味つけをしてしまうかというわけでコンソメを一つ入れて塩を少量振り、醤油をお玉に注いで混ぜた。
  • 食事を作り終えると時刻は七時頃だったと思う。部屋に戻ると、(……)で借りているCD三枚の曲目や録音情報などをEvernoteに打ちこんで記録した。明日、(……)、(……)、(……)くんの三人と(……)で『SHIROBAKO』の映画を観ることになっているので、その前に図書館に出向いて返却しなければならないのだ。返却期限日は二月二九日で、既に一週間ほど過ぎてしまっているからである。そしてできればその後、書店にも行って次回の読書会の課題書の一冊である星新一『マイ国家』を入手したいが、これはどうしても明日でなければいけないわけではなく、まあどちらでも良いと言えば良い。各々食事は取ってきて正午ちょうどに(……)駅で待ち合わせということになっているので、喫茶店でも行って昼食を取る時間を考慮しても、最寄り駅で一〇時ぴったりの電車に乗れば猶予は充分ではないか。
  • CD情報を記録したのち、部屋の床に夥しく溜まり広がっていた埃なのか何なのか知れない粉状の汚れが目に余ったので、掃除機を持ってきて手早く除去した。
  • 一〇時半から合間に休憩を挟みながら零時四〇分まで日記を作成した。箇条書き方式は今のところ悪くない具合である。一日のことを細かく記録しなければならないというプレッシャーのようなものがなくなったのが大きい。
  • 就寝前に瞑想。