玉箒[たまははき]はまた魂箒、魂を寄せる道具でもあったという。それでもって胸のあたりを撫でて、散りかけた魂を集めて留める。鎮魂である。鎮魂と言えば今では死者の魂を鎮めることになるが、古くは生者の、遊離した魂を静めて、沈めて、身体に落着かせることであったらしい。心神喪失というほどでなくても、放心や周章や、大事を前にした緊張やら、心ここにない時にもほどこされた呪いであったようだ。
しかし玉箒がうわのそらの魂を身にしっかりと添わせるためのものだとしたら、手に執るからにゆらぐ玉の緒では、逆にはたらきになりはしないか。いや、手に執れば、緒を飾る玉がおのずとゆれる。それだけで初春の初子の今日の、時めきは伝わる。玉の緒を命と重ねても、その緒がゆるんでゆらいで、魂も宙に浮くばかりとは、めでたい。陰暦正月の、わが衣手に雪は降りつつとも詠まれた時節ながら、野に春の日が渡り、陽炎も立つ光景も見えてくる。魂をつなぎとめる用のものを手に執るや魂の緒がゆらぐとは、晴れの儀の華やぎという本来の意味で、面白のことではないか。魂[たま]つなぎの呪いは危急の場ばかりでなく、晴れの場へ趣く前にもほどこされたという。どちらの場にしても、魂が一身からほぐれないようでは、恍惚感がないようでは、しっかりと臨めない。現し心とは、つながれてはほどかれ、ほどかれてはつながれ、心ここにあるのと、ここにないのとの、その往還の間にこそ生じるものか。
(古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、149~150; 「ゆらぐ魂の緒」)
- 筍を採ったと言うので、天麩羅にする。その他、アスパラガスに椎茸、玉ねぎも揚げた。筍がやたらとたくさんあったので、すべて揚げ切るのに一時間以上も掛かってしまった。
- 夕刊。新型コロナウイルスによる死者の数が全世界で一〇万人を越えたと言う。感染者も一七〇万人とあったか。
- 夕食時、一体何の番組だったか知らないが、内田康夫の人気ミステリー「浅見光彦シリーズ」のテレビドラマ版の映像がちょっと映って、それがこちらもよく見知っている中村俊介のバージョンではなく、水谷豊が主人公を演じている古い時代のものだった。水谷豊が浅見光彦役を務めていたとはまったく知らなかったものだが、父親も同様だったらしくて驚きの声を漏らしたあと、でも水谷豊じゃあなんか合わねえな、と続けたところに母親が何でと訊いたので、にやけ顔のこちらがそこで、坊やだからさ、と口を挟んだ(もっともこちらは、『機動戦士ガンダム』を見たことはまったくない)。確かに水谷豊では、「いいとこのお坊っちゃん」という雰囲気がいくらか薄いようにも思われる。良家の次男坊でぶらぶらしながらフリーライターをやっているのだと母親に設定を説明すると、じゃあ自分もそうしたいのか、と何故かこちらの身に引き寄せて飛躍的に解釈するので、何でやねんと思った。謂れのない誤解である。フリーライターなる職業を担って生きていきたいなどと考えたことは一度もない。母親はいつまで経っても、こちらという存在のうちに組みこまれている欲望の実質を正しく理解しない。とは言え、こちら自身もそれについて詳しく話して説明したことはないし、誤解を解くためにわざわざ説明する気もないのだが。
- その後、『出没!アド街ック天国』。浅草。人力車について。浅草の街には人力車専用の乗降レーンがあるらしい。人力車そのものだけで八〇キロくらいの重さがあると言うから、客が二人乗れば大方二〇〇キロだろう。
- 強力な頭痛のために日記を記す意欲が起こらない。文を書くには、気力体力がふんだんに必要なのだ。
- それなので、Nitai Hershkovits『New Place Always』を聞きながら適当に怠けたのだったと思う。このソロピアノアルバムは二〇一七年九月二一日及び二二日録音。ところはポーランド、LubrzaのRecpublica Studios。
- 床に就いてからも頭痛が重く痼って脳が不快に軋み、入眠するのになかなか苦労したようだ。