2020/5/17, Sun.

 (……)エミーリオには、うれしいことも、そして予期せぬことすらまったく起こらなかった。不幸もまた、遠くのほうから到来を予告し、接近しながら形をととのえていった。彼はじっくりとその顔を観察するだけの時間があり、両親の死や貧困といった不幸に遭遇するときには、すでに心の準備ができていた。したがって、苦しむ時間は長くても、苦痛の度合いは弱まり、多くの不幸に見まわれても、救いがたいほど平凡で単調なあの運命に起因すると思われた悲しむべき無力感から彼が脱することはなかった。愛にしろ憎しみにしろ、彼は強い感銘を受けたことが一度もなかった。(……)
 (イタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』白水社、二〇〇二年、72)



  • 一二時二〇分頃、意識を明るくした。夢見。一体どういう種類の人体改造なのかわからないが、性器を取り外しできるようになるという処理を施されたらしく、外していたペニス及び睾丸を風呂場でつけなおそうとしたところがうまくもとに戻らなくて困る、という展開があった。と言うか正確にはたしか、もともとの竿と睾丸は股間に、完全な形ではなかったかもしれないが残っていて、そのほかに別の男性器が二揃いあり、そのうちの一つを取りつけようとしたのだけれど、オリジナルの性器と位置関係的にうまく調和せずに金玉が二股に分かれるみたいな、何かそんな風なことになっていたような気がする。あと、(……)が閉店した跡地に行ったら、資本主義に身も心も売り渡した奴隷のごとき真新しくて広い書店、と言うか本を売っている区画はごく一部だったので書店ですらない何か総合的な商店になっており、何だこれは、よりによって(……)のあとにこんなものができるなんて、糞だな、と思ったという夢もあった。
  • テレビは最初『のど自慢』を映していたのだが、そのうちにサグラダ・ファミリアについての番組に変わって、外尾悦郎が紹介されていた。サグラダ・ファミリア建設スタッフのうち、たぶん唯一だと思うが日本人の石工である。この人は、タイトルは忘れたけれど光文社新書から本を出していて、凄まじいほどの昔にそれを読んだ記憶があるが、内容は何一つ覚えていない。
  • 次に番組は『開運!なんでも鑑定団』に移る。正岡子規の書簡が取り上げられていたので音量を上げてもらった。やたらと長い帯状の紙で、依頼人は一〇〇万円を予想していたところ、跳ね上がって二五〇万と鑑定された。明治二八年と言っていたから一八九五年のことだが、記者としての日清戦争への従軍を終えて帰国する途中で正岡子規は喀血し、それで須磨と言っていたと思うけれど療養に入ったその地から、何とか良三なる名前だったか俳句の弟子に宛てて書いたものだと言う。子規自身の俳句も一八句かそこら付されており、高浜虚子河東碧梧桐の名も出して当時の新俳句運動について触れていたり、夏目金之助が松山で教師になったことにも言及していたりするらしい。また一番最初には中村不折が根岸の子規庵を描いた線画が添えられてあると言い、そうした諸々合わせると、これはかなり貴重なものではないのか? と思われた。
  • それから出張編。徳島県美馬市安楽寺という寺があって大きな山門の朱塗りがなかなか鮮やかだったのだが、この寺はもともと天台宗だったところを東国の何とかいう豪族が浄土真宗に変えたとかいう話で、わざわざ関東から阿波までやってきたの? とちょっと不思議に思った。県内で唯一の本格的な能舞台を備えている施設なのだと言う。ほか、いわゆる四国三郎すなわち吉野川が市内には流れており、この暴れ川の治水のために川のそばには真竹がたくさん植えられている。一方で藍の生産も盛んであり、たしかに高校日本史で、江戸時代の商品作物に関して藍は阿波とかやったような気がしないでもないが、脇町という地区がそれで栄えたらしく昔の町並みが残されているところ、その家々には大概「うだつ」が設けられていて、これは漆喰塗りの防火壁だと言う。「うだつが上がらない」という表現はここから来たのか、と思った。
  • で、台所で洗い物をしていると出張鑑定が始まって、距離がありなおかつ目が悪いのであまりよく見えなかったのだが、最初は何かマグリットを思わせるような雰囲気の絵が出てきて、それが三〇〇万だったかそのくらいの値がついたので、あれ誰のだってと母親に尋ねると、東郷青児だと言う。なるほど、と思った。新宿の損保ジャパンビルの上に美術館があって昔行ったことあるよと話す。
  • その次には伊東深水という画家の掛け軸と称した品が出てきたものの、これは当人の作ではなくて三〇〇〇円。鑑定人の安河内氏は、伊東深水という人の女性は、もっと現代的な、女性の内面がにじみ出るような感じがあるが、この絵はそうではなくてまるでお人形さんのようだ、というようなことを言っていた。そしてもう一つ、疑問として、着物が肩上げされているのだけれど、それに対して髪の方は島田髷になっている、肩上げに対して大人の女性の髪型を合わせるというのはちょっとよくわからない、という風に述べており、「肩上げ」って何やねんとこちらは思ったのだが、これは「デジタル大辞泉」曰く、 「子供の着物を大きめに仕立て、肩山の所で縫い上げて、成長に合わせて裄丈(ゆきたけ)を短くすること」だと言う。島田髷というのは、古井由吉の『野川』のなかに「ノーエ節」という歌が出てくるのだけれど、作中にも記されていたはずのその歌詞のなかに、娘島田は何とかかんとかノーエ、という一行があって、それでこちらはそういう言葉を知った。たしかもともとは遊女だか芸者だかがやっていた髪の結い方だったのではなかったか。「ノーエ節」の最初の一節はたしか、「富士の白雪ャァ、溶けて流れてノーエ」だったような気がするが、娘島田のくだりでもこの「溶けて流れて」が繰り返されていたかもしれない。要するに、着物の帯がほどけて溶けて流れて男のものになる、すなわち抱かれる、みたいな含意が歌にあったような記憶がないでもない。
  • 今日のことを記録したのち、Sarah Vaughan『After Hours』を掛けてベッドへ。Sarah Vaughan、普通に考えて歌うますぎだろと思った。音程がほんのわずかにもぶれるということが聞いた限り一瞬もないし、質感のコントロールも完璧で、"My Favorite Things"の最後の"When I'm feeling sad..."のうち、"feeling"の部分の声のなめらかな移行ぶりはほとんどなまめかしいまでの柔らかさに整っており、そのあとの"And then I don't feel... so bad"の部分でも、長音である"feel"と"bad"に施されたビブラートも繊細美妙と言うに尽きる。この人のビブラートはすごくて、まるで鈴虫などの昆虫の翅の震動を思わせるような様相に収まっており、さまざまな場面で活用されているのだが、それが最大の激しさに至っているのがたぶん最終曲の"Through The Years"ではないか。
  • 日課記録を見ると、この日は大方怠けたようだ。文章は二時間強しか書いていないし、読書は少しもしていない。あとメモを取ってあるのは就寝時のことのみ。特に目新しい考えではないのだが、眠りを待ちながら、結局自分が何かに触れて面白いと感じる瞬間というのはやはり差異を感知しているのだろうなと思ったのだ。差異とはあるものが具えているほかのものとの違いのことである(いわゆる「あいだの差異」と「内的差異」の厳密な区別はここではひとまず措く)。したがってそれは、そのもの特有の質すなわちニュアンスという概念に置き換えたとしてもそれほど外れたことにはならないと思うのだが、「あるもの」と「ほかのもの」との「違い」を思考するためには、その二者を並べ置き比較するという認識上の操作が必要になるはずで、そして複数のものを比較するためにはそれらのあいだに何らかの共通性がなければならない。ということは、差異は「同」もしくは共有要素を基盤として成り立ちあるいは認知される、とひとまず考えることができるはずであり、何かに触れて差異を感知したとき、おそらくそれは多くの場合、共通平面からの逸脱、具体的な細部の突出という形で感じ取られるだろう。これはまあありふれた話だ。その次に、それでは何の共通性も持たないものたちの関係というのはあるのだろうかと考えてみるに、突き詰めていけばこれはないということになるんじゃないの? という気がしたのだった。例えば一人の人間をもう一人の人間と比較するとき、それは「人間」という共通基盤の上に立って実行されるわけだが、人間を犬と比較するときには、おそらく「動物」という共通基盤(種に対する類)が新たに見出されることになる。犬と植物だったらそれが今度は「生物」になるだろうし、植物とパソコンだったら端的に「もの」になるのではないか。これはたぶんカテゴリー論あるいは範疇論の主題なのだろうし、数学など何一つ知らんけれど集合論のテーマでもあるのかもしれない。で、上のように還元していくと結局最後に残るのはおそらく存在性という要素だと考えられ、この世のものはそれがこの世にあるからには、いわゆる現実のものであれ架空のものであれ仮構のものであれ、すべて何らかの形で「ある」という性質(述語)を分け持っているはずではないか? ということは、この世界には根本的な点で比較不可能な関係は存在せず、この世界にある限りすべてのものは、原理的にはすべてのものと比較可能であるという話になる気がするのだが、これは始原の思考、すなわち、標準的な哲学史において哲学なる営みがそこから始まったとされているいわゆるアルケーの思考へと導かれる発想だろう。それはさらに、言うまでもなく存在論にも連なっていくわけで、存在の問題が哲学と呼ばれる営為の根本問題の一つであることは間違いないのだろうけれど、ところでそれでは、存在するものではないもの、非 - 存在と言って良いのかわからないが(そもそも「存在」と「存在者」の術語的区別もよく知らないのだが)、そのようなものは一体何なのかと考えるに、この世界内にあるものがすべて存在するものだとすると、非 - 存在は存在するものの〈外〉であり、つまりはこの世界の〈外〉に当たるもののはずで、ところが当然、人間はこの世界の〈外〉を見聞きし、認識することは定義上、すなわち存在条件的にできない。とは言え、何だっけ? 例のカンタン・メイヤスーをはじめとしたいわゆる思弁的実在論とか、あとはマルクス・ガブリエルなんかの立場もそうなのかもしれないが、彼らはこの世界の〈外〉について、感覚は当然できないとしても、思考によってその認識に至ることはできるみたいなことを述べているのだっけ? とすると「認識」の語の意味を厳密に考えなければならないはずだが、まったく知らんのでそのあたり措いて適当に話を続けるけれど、この世界の〈外〉を何らかの形で認識できたとして、するとその〈外〉はその瞬間に〈内〉に入ってしまうと言うか、「この世界」の領域が拡張されるような形でそのなかに包含されてしまわないのだろうか? という疑問は普通にありうる。非 - 存在だったはずのものが存在するものになってしまうのではないか。人間が何らかの意味で〈外〉に触れた瞬間に、その〈外〉だったものは世界内存在である人間が触れられたのだからもはや世界の〈外〉ではなくなってしまうという、パラドックスと言うかアポリアと言うかそういったものがある気がするのだけれど、この〈外〉を哲学的思考は古来から、イデアだとか神だとか物自体だとか無意識だとか、さまざまに呼びならわしてきたはずだ。しかしこれは言わば大いなるフィクションと言うか、世界の根本にまつわる壮大な仮構であるとも考えられ、誰も見ることも聞くこともできないこの世界の〈外〉があるなどとどうして言えるのか、という問いが差し向けられることがあっても少しも不思議ではない。要するに、イデアとか何とか言うけど、そんなもん誰も見たことがないしこの世のどこにもそれとしてないわけだし、本当にそんなものがあるのかどうかわかんねえじゃん、という話で、まあこれは経験論的な思考の路線ということになるのだと思うが、実際プラトンイデアというのは感覚的には捉えられず、理性でもって観照するしかない、みたいなことをたしか書いていたはずだ。ところがプラトン的にはむしろそれが真の存在であり、この世界の万物はその究極原理たるイデアをおのおの分有する不確かな模像、まさしく影のようなものだという話になっており、カントにあってもいわゆる物自体の領域が根底に据えられ、現象世界は人間の感覚器官に規定されたその表象だという話にたしかなっていたはずで、ということは、経験論的にはいやいやそんなもんありませんわ、と言って端的に非 - 存在として退けられている領域が、プラトン以来のおそらく哲学史の本線――というのが本当にそうなのかわからんが――のほうではむしろ真実在として見出されているという図式がここに観察されるだろう。で、こういう話は、これもよく知らんけれど西欧中世のいわゆる普遍論争と軌を一にしていると思われ、そう考えると本当に西洋の哲学って昔からいままで同じことを変奏しながらずっと繰り返しているんだなあと思うし、いつの時代も人間がものを考えれば結局行き着くところはだいたい同じということなのかもしれない。