2021/6/26, Sat.

 友人や恋人、一般に愛する者の存在には、「関係」という一語には尽きないなにかがあるのではないだろうか。愛する者は「もうひとりの」「他の」私というよりも、私の存在の一部である。私の存在は、愛する者と切りはなすことができない。だれかを愛するとき私は、じぶんの存在を、むしろ、自身の外部に有している。すくなくともじぶんが存在することの意味を、自己の外部にもっているように思われる。だから、愛する者が死んでしまったとき、私の一部もまた死んでしまうのだ。存在するものは、いずれ失われる。愛する者であるならば、別離によって離れさり、決定的な離別、死によって遠ざかる。そうであるとするなら、愛することはいつでも喪失の経験となるほかはないのだろうか。(end167)
 アウグスティヌスがのちに考えるところによれば、ある意味ではそのとおりである。喪われるもの、過ぎ去るものを愛するかぎりでは、そのとおりなのである。「あなたを愛し、あなたにおいて友を愛し、あなたのために敵をも愛するひとは幸いである。けっして失われないものにおいていっさいを愛する者だけが、じぶんの愛するものをすこしも失わないからである」。「あなた」と呼びかけられたもの、「けっして失われないもの」とは「神」である。天と地とを創造し、天に地に満ちている者である。神とはまた、真に在るもの、「真理」である( [『告白』] 第九章)。真理である神を愛する者だけが、喪われることのないものを愛することになるだろう。
 存在する個々のものを愛する者は、かえってそのものを失ってしまう。存在者への愛の経験は、つねに喪失の経験となる。それが真理であるもの、たんに存在するのではなく、存在そのものであるところのもの、「私は在りて在る者である Ego sum qui sum」と、みずから名のったもの(「出エジプト記」第三章十四節)を愛するものだけが、過ぎ去り、遠ざかることのないものを愛することになるはずである。
 アウグスティヌスはかつて、いまは失われて存在しないキケロの『ホルテンシウス』を読み、知への愛、真理への渇望に、その「こころを燃えたたせた」(『告白』第三巻第四章)。「回心」ののちのアウグスティヌスにとっては、真理への愛は神への愛とひとつのものとなる。哲学は、だから神を探しもとめる探究(神学)とべつのものではない。ひとつであるのは「知をもとめる(end168)信 fides quaerens intellectum」にみちびかれた、じぶんの存在の根拠である「存在それ自体」に向けられた探究である。アウグスティヌスはたましいと神を知ることを熱望していた。知りたいものは、「ほかになにもない」(『ソリロキア』第一巻第二章七節)。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、167~169; 第11章「神という真理 きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る ――アウグスティヌス」)



  • 一二時四五分と、なぜかずいぶん遅い起床になってしまった。ひさしぶりに、八時間以上の滞在。それなので瞑想もせずに、下階の水場に行ってからそのまま上階へ。うがいをするために顔を上向けて首を曲げても、からだがいつもよりこごっているのがわかる。食事はうどんなど。新聞はあまり見なかった。国際面に、インドがアフガニスタンの米軍撤退のうごきを受けてタリバン接触しはじめているという報があったが、中身はまだ読んでいない。テレビに有吉弘行が街歩きをする『正直さんぽ』とかいう番組が映っていて、なんとなくそちらを見てしまった。カンニング竹山などと巣鴨をあるいているのだが、婦人服店にはいって竹山に似合う服をみつくろってもらうというながれになって、真っ赤なトップスとこまかなラメ入りの真っ黒なロングスカートをからだにあてがわれた竹山の表情が、諦念というほかない超然とした無表情になっていて、その悟りの表情はおもしろかった。着替えたその格好のまま街をあるき、シルバー世代の遺影を撮る写真館を見つけて撮影することになったのだが、そのときにもおなじ表情が何度か見られた。ほか、この番組は再放送というか過去の編集版だったのか、渋谷だかにあるらしい完全会員制のモンブラン屋など。寿司屋のように、カウンターの向こうで調理人がその場で栗をつぶしてクリームをつくり、こしらえてくれるらしい。
  • 食事を取っているとちゅうに父親が帰宅して、母親は、もうかえってきたのともらしていた。山梨の祖母を病院に連れていったようだ。(……)さんや(……)さんもたぶんいっしょだったはず。祖母はいちおう元気ではあり、多少ぼけてはいるがはなしもするとのこと。しかしたぶん、こちらのことはもうわすれてしまったのではないか。いぜん見舞いに行ったときも、顔はわかるがなまえが出てこないというかんじだったし。
  • 風呂洗いの際、蓋がぬめりはじめていたので、それも擦っておいた。あと、洗濯機に水を汲み込むためのポンプの先のほうも。帰室すると茶を飲みつつウェブを見て、三時ごろからベッドで書見。きょうは曇りで陽がないわりに、空気が蒸してクソ暑いので、エアコンをつけた。二七度で充分すずしい。蓮實重彦夏目漱石論』(講談社文芸文庫、二〇一二年)は、きのう気になったところをなんども読みかえして、どういうことを言っているのかかんがえつづけたのだが、まあそこそこわかった気はする。それをつづるのは面倒臭いが。余裕があって気が向いたら。
  • あいま、窓のそとから母親が呼んで、ベランダに干されてあるマットを入れてくれと言ったので、いちど部屋を抜けて上階のベランダにいき、家の各所に配置する用のマットや、いつもは炬燵テーブルにとりつけられている布団を取りこんだ。マットはいくつか、移動するついでに設置しておく。洗面所やトイレなど。そうして書見にもどり、Keith Jarrett Trioのながれるなかで五時まで。さいごのほうはちょっとやすんでいたが。Keith Jarrett Trioは『Standards Live』をながしたのだが、そのまま勝手に『Standards, Vol. 1』、『Vol. 2』へも移行した。
  • 上階へ。麻婆豆腐をつくることに。中村屋のもの。豆腐は塩をちょっと入れた湯で下ゆですると良いとあったので、そのように用意する。賞味期限が二一日までのものがふたつあったので、それを処理することにした。においを嗅いでみたところ、多少のにおいがあるはあるが、饐えくさいまでは行かず、ふつうに食べられそうだったので、問題なかろうと判断。それをゆでるあいだに、こまかく切ったナスとピーマンをフライパンで炒め、そこに豆腐を混ぜて素もくわえた。それでいくらか煮て、小ネギをきざんで混ぜれば完成。付属の四川山椒ももう全体に振ってしまった。そういえば麻婆豆腐をつくるまえにまず米を磨いだのだ。それで、料理ができるともう炊飯のスイッチも押しておいた。
  • その後アイロン掛け。やりはじめようとすると、階段下でやすんでいた母親があがってきて、音楽をながしだしたのだが、それがたぶんなにかの男性アイドルの曲で、毒にも薬にもならない無害ぶったパッケージ的あかるさで声をあわせて愛をうたうかんじのものだったので、しかも音量がけっこうおおきくてうるさかったので、ちょっと精神をみだされながらうるせえなとおもったのだけれど、わりとすぐに慣れた。そのあとMr. Childrenの"HANABI"のライブ音源がつづき、"HANABI"のころになるとミスチルにはとくになんのおもしろみもないが、いちおうまだこちらのほうが聞けるというか、ともかく不快さは生じない。ミスチルも九〇年代のアルバムはそんなにわるくないんだけどなあ、とおもいながらシャツなどを処理した。『深海』(九六年)、『DISCOVERY』(九九年)、『Q』(二〇〇〇年)、『IT'S A WONDERFUL WORLD』(〇二年)まではいける。『BOLERO』(九七年)もわるくないし、『深海』いぜんの作も、時代をかんじさせるところはあるが、そんなにわるくはない。ファーストの『EVERYTHING』はまったく聞いたことがないが。『シフクノオト』(〇四年)まではまだゆるせるし、『I LOVE U』(〇五年)もギリギリゆるせないことはないが、たぶん『HOME』(〇七年)あたりから、完全に明確にただのJ-POPになってしまったのではないか。きちんと聞いていないのでわからないが、このへんから、完全にメジャーの作法に埋没した毒にも薬にもならないおなじ音をただ再生産するだけになったという印象がある。近年の諸作はまったく聞いていないのでいまどうなっているのかわからないが、たぶんとりたてて変わってはいないだろう。
  • アイロンかけを終えると部屋にもどってきて、ここまで記した。六時二五分。作品の年を確認するために、ミスチルWikipediaを見ていたのだけれど、二〇一八年の『重力と呼吸』というやつが、ミスチルのなかでいちばんハードロック寄りとか言われているらしく、多少気にならないでもないが、しかしべつに聞いてみようという気にもならない。
  • 夕食時、インドがタリバン接触しているという報のなかみを読んだ。インドはカシミールをめぐってパキスタンと対立しており、パキスタンタリバンに影響力を持っているから、それを牽制したり、隣国パキスタンの向こうにあるアフガニスタンにおいてもプレゼンスを確保しておきたいというもくろみがあるようだ。タリバン内の、パキスタンと関係が深くない勢力と接触を持っているらしい。たしか、ナンバー2のひとを中心とした派閥、とあった気がする。もともと米国などもまじえたアフガニスタン和平のはなしあいの場にインドもおり、カタールはドーハで昨年九月にひらかれた会合の際にインドとタリバンの代表が会見を持っていて、それいらいつづいてきたという。米国もいちおう民主主義的価値観を共有する地域大国としてのインドの役割を重要視していて、米軍撤退後のアフガニスタンにも影響するわけだし、インドはタリバンと直接はなしあいを持つべきだとうながしてきた経緯があるようだ。
  • そのあとのことはとりたてた印象もなし。一年前の日記のよみかえしと書抜きができた。深夜、ベッドに寝転がりながらウェブをまわってだらだらしていたのだけれど、上階の父親が、スポーツかなにか見ているらしく、興奮して絶え間なく大声で叫んだり、わめきたてたり、手を打ち鳴らしたりしていて、きわめてうるさかった。こちらは夜ふかしの族だからまだしも良いが、母親はすでに寝ていたはずで、あれでは起きてしまったのではないか。殺意をおぼえるくらいのうるささで、うるせえと怒鳴りに行こうかとおもったが、酩酊した人間になにを言っても無駄というか、怒鳴りに行ってもたぶん逆上させるだけでまたそこで面倒なことになる。父親が飲んでいる酒の瓶であたまを殴打してやりたいくらいの不快さで、それを実行することは、可能か可能でないかで言ったらもちろんいつだって可能なわけだが、いつだって可能な暴力行為をしかしやらないというところに、ひとがそなえる道徳性と倫理性が存在するのだ。しかたなくひとまずトイレに行き、部屋のそとをあるくそのあいだも父親は階段のうえでぎゃあぎゃあ騒いでいるわけだが、尿を捨ててもどると、音楽で耳をふさぐことにした。そのためにはデスクにコンピューターをもどさねばならず、そうするとそのまえに立った姿勢にならざるをえないのだが(あるいはスツール椅子に腰掛けてもよいのだが、さいきんはあまりそうしない)、そのようにして、ヘッドフォンをつけた立位でウェブを放浪した。BGMはKeith Jarrett Trioだったが、ピアノトリオでも意外とそとの物音が聞こえなくなって、その後父親の狂乱になやまされることはなく、不快さに動揺していた心身もおちつき、三時まえくらいだったか、ヘッドフォンをはずしたときには家中にうごきはなくなっていた。それから歯を磨き、書見をすこしかさねたのち、三時四六分に消灯。
  • 27: 「もとよりその困難 [「いわゆる「作品」なるものが、物語ることにくらべていかに困難であるか」] は、夏目漱石という一人の作家的資質を超えた「文学」の問題、言葉の問題に帰着する。帰着する [﹅4] というより、たえず更新される不断の現在としてある言葉の戯れが背負いこむ、誇り高い不自由としてそれがあるとすべきかもしれない」
  • 160: 「「遠さ」を凌駕し、その機能を統御し、さらには「遠さ」と「近さ」との不断の調節に時を過していたはずの那美さんは、最後の瞬間に至って「遠さ」への至上権を放棄する。それはあたかも「文学」と呼ばれる言葉の磁場で、「作者」が言葉や思想への至上権を放棄した瞬間に、「作品」が成就するといっているかのようだ」
  • 160~161: 「あるいは「作者」と「作品」が入れ違ったとでもいうか、さもなくばその境界線を曖昧にしてしまうといってもよかろうが、それはほかでもない、残酷な聡明さによって距離を思いのままに操作しながら、「現実」を「虚構」にすりかえうると信じきっていた「作者」が、その特権的な「遠さ」への優位を放棄し、「作品」の生きる瞬時の逸脱、畸型化を許容しつつ、「生」でも「言葉」でもない曖昧な世界に、自分を宙吊りにすることだ(end160)ろう。漱石を読む [﹅5] とは、この宙吊りの漱石を不意撃ちすることにほかならない」
  • 163: 「与次郎に、はしからはしまで引っぱり廻され、そのつど「どうだ」、「どうだ」と念を押されながらも何か物足らぬ思いが残った東京の街が、今日こそその表情を変え自分に親しく微笑みかけてきはしまいか。三四郎の心は、おおむねそんな思いにはずんでいたに違いない。だが、ここでわざわざ菊人形見物の挿話について語りはじめるのは、なにも、漱石の筆が直接分析しているわけではない田舎者の青年の心理を推察するためではない」
  • 166: 「(……)『三四郎』にとどまらず、あらゆる漱石的「作品」は、儀式の試練を遂にくぐりぬけることなく年老いてゆく、明暗 [﹅2] 二界の中間に宙吊りにされた存在たちの、凍結された疲労の物語である」
  • 180: 「小説と呼ばれる言葉の磁場にあっては、虚構の人物のこれまた虚構の心理などよりも、言葉として露呈しているこの種の「主題」論的統一のほうが遥かに実質的な必然としての重みを持っているのだ」
  • 187: 「そこにあるのは、世界に向ってその存在をありったけおし拡げ、その明るさと透明さとに無媒介的に合一せんとする意志である」
  • 187: 「実際、この第三の明るさは、比較の概念を [「超えた」とか「無効化する」とかいうことばがここに抜けているとおもわれる] ある絶対的な明るさというか、それを現実に目にした者から明るさと判断する根拠をも奪ってしまうほとんど危険なまでの透明さにほかならない。それは、存在を垂直に貫き、生誕と死の条件を一瞬のうちに開示するまばゆい閃光のようなものだ」
  • 188: 「いずれにせよ、主体と対象とがともに消滅しつくすことではじめて可能となる未知の澄みきった体験がそこに実現される。(……)実際、この透明さを前にすると、誰もが「自己抹殺」とか「死」とかの語彙をふと想起してしまう」
  • 192: 「そして、誰もが思い描くであろう炎と水といった二元論がここでなおも有効に機能しているとしたら、それはここでの赤 [﹅] と青 [﹅] との対極性が、明るさ [﹅3] と暗さ [﹅2] 、戸外 [﹅2] と室内 [﹅2] 、光 [﹅] と影 [﹅] といった漱石的空間の構造の一つの変奏として姿を見せているからにほかならない」
  • 196: 「明るさと暗さとを同時に捉えうる瞳を鍛えあげること。それは未決断の逃避でも、達観からくる余裕でもない。また、中庸の道を選ぶことでもない。それはむしろ、赤さの氾濫に頭脳が焦げる思いのする代助にもまして、狂気の淵の近くへと自分を送りこみ、そして「八番坑」の湿った暗がりで意識の零地帯への接近を実感する坑夫の青年以上に、親しく死と戯れることを意味しているのだ」
  • 197:

 (……)実際、文字通り『明暗』と題された一篇を宙吊りにしたまま消滅するといった芸当は、漱石のみに可能な狂気の身振りというほかはないものだろう。しかし、漱石のみに可能な狂気、という語句の意味をすぐさま例の発狂事件だの神経症だのといった、作家自身の伝記的事実や精神分析的な主題に還元するのはつつしまねばならない。たしかに『明暗』は作家漱石の死という動かしがたい事件によって中断され、終りを欠いてはいる。しかし漱石を読む [﹅5] ものにとって、この宙に吊られた終りは、決して作者の死に起因する避けがたい宿命ではない。そうではなく、「作品」と呼ばれる言葉の磁場に一つの力学圏を形成している明るさと暗さとの対極構造が、その物語は終りえても、「作品」としての『明暗』は終りえないというまぎれもない真実を、作者に語り続けてきたことからくる必然として、この狂気の身振りが可能となっているのだ。つまり、漱石こそが、漱石的「作品」の磁力に忠実たろうとして、終りを宙に吊りつつ死ななければならなかったのだ。言葉が作者にではなく、作者が言葉に従属するというこの厳粛なる現実。そこには、いかなる神秘もなく、裸の言語体験が生なましく露呈している。この体験こそが漱石のみに可能な狂気にほかならない。漱石は彼が創造したいかなる作中人物にもまして漱石的「作品」に忠実な存在なのである。(……)

  • 204: 「揺れ動く黒と白の濃淡模様を前にした漱石的「存在」を捉えるものは、季節につれて表情を変える自然の相貌ではなく、自分自身の生の条件にまつわる何かしら貴重な体験なのである。無数の水滴に犯されつつある存在は、そこで一つの始まりであると同時に一つの終りでもあるような瞬間の接近を感じとっている」
  • 205: 「まといつく無数の水滴は、漱石的「存在」に一つの変化をもたらす符牒、それも内面や裏側を欠いた生なましい符牒である」
  • 210: 「暗く不幸な過去を現在へと投影する不意の遭遇 [『道草』] と、まがりなりにも満ちたりた幸福な日常を暗く染めあげる原因不明の死 [『彼岸過迄』「雨の降る日」] 。そこにはただ雨が降っていたからとしか説明しえない不条理な生の変容が語られている」
  • 213: 「雨の光景を描くというより、雨の一語を口にすること。それが物語に変化を導入する符牒であることはここに至って否定しがたい恒常性を獲得するに至る」