2022/8/13, Sat.

 (……)タイプライターの前で好きにさせてもらえたら、わたしは危険極まりない人間なのだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、55; W・L・ガーナーとロイド・アルポー宛、1960年12月後半)




 れいによって寝床で休んでいるうちにいつの間にか意識を落としており、いちど覚めたのが五時一五分ごろだった。エアコンは切ってあったので肌寒さは感じない。扉のほうの天井にある電灯とデスクライトをつけたままだったので、それらを消すために立ち上がるとからだがわずかに重ったが、スイッチを押してもどってくると就寝。そのあと二回目覚め、最終的に七時五〇分ごろに覚醒をさだめた。ニュースをみることをついわすれてしまうので世相にも天候のうごきにも疎いのだが、台風が接近しているとかで昨晩から雨風がつよまっている。おとといの夕方から雲が湧いて風がびゅんびゅん吹いていたのはそういうことだったのだ。鼻から呼吸しながら腹を揉んだり胸や腰や腕や額をさすったりする。床をいちどはなれたのは八時一七分。カーテンをひらいて雨の日の濡れたあかるみを部屋にとりこむが、はやくも電灯をつけなければならないくらいに室内は薄暗い。洗面所に行って顔を洗い、用を足し、水を飲み、蒸しタオルを額と目のうえに乗せる。Gmailをみると零時四〇分ごろに(……)くんからメールがとどいていたので、携帯のほうで返信しておいた。きょうはかれと、またイギリスに行っていた(……)くんと会うことになっている。後者と会うのはたぶん三年ぶりくらいか? かれがロンドンにわたるまえにも三人で会ったおぼえがあるが、それはたしかこちらが鬱的様態で一年間死んだあと復活してまもなくのころだった気がするので。二〇一九年の三月か四月ごろではなかったか。(……)の高架歩廊とちゅうにあるエクセルシオールにはいっていろいろはなしたが、そのとき(……)くんは秦郁彦従軍慰安婦についての本を読んでいると言って持っていたおぼえがある。新潮選書かなにかだった気がする。(……)くんとはたまに通話していたが、じっさいに顔を合わせるのはやはりそのときいらいだろう。きょうの会合のばしょは(……)で、はじめて行くので案内をたのむと送っておいた。
 寝床にもどってChromebookを持ち、しばらくウェブをてきとうにみると日記の読みかえしへ。きのうサボったので一年前の八月一二日から。冒頭、「(……)きょうは天気は曇りもしくは雨。きのうの夕刊を見たところでは、一週間ずっと雨がちな天気がつづくらしい。それで陽の色もないしこの昼は比較的涼しくて、水場に行ってきてから瞑想をやっても暖気は寄せず、汗もあきらかには湧かない。そのわりに窓外のセミの声はきのうまでよりかえって厚くなったような印象で、盛りをこえつつ一時もちなおしたというところなのか、永遠に発泡しつづける炭酸水のように音響がシューシューさわいでいるなかでミンミンゼミが鈍く、低調なような重さをもってあさくうねる」という天気や風物の記述があって、ここを読んだだけでやはりちょっと満足感をえてしまって、じぶんでまいにちおなじようなことばかり書いた描写をまいにちじぶんで読みかえしては飽きもせずたのしみをおぼえたりいいなとおもったりしているわけだから、すさまじい自己完結ぶりだなとおもった。世相については、「きのうのテレビのニュースですでに知っていたが、一面には全国の感染者数が過去最多とかつたえられており、東京も一時二〇〇〇人台まで落ちていたはずだが一日の新規感染者が四〇〇〇人台にまであがっているし、しょうがねえ、念を入れて(……)との会合はとりやめにするかとおもい、あとでその旨おくっておいた」とある。ところがいまはいちにちの東京の新規感染者が三万人を超えているレベルなのに、これから三日間連続で会合に出かけようとしている。ほか、井上究一郎プルースト一巻の感想とか引用とか。一二日からは以下のふたつの引用が目にとまった。

307~308: 「むろん、自然のそんな一角、庭園のそんな片すみは、ささやかなあの通行人、夢みていたあの少年によって――国王が群衆にまぎれこんだ記録作者によってのように――じっと長くながめられていたとき、自分たちがその少年のおかげで、この上もなくはかなく消えさる自分たちの特徴をいつまでもあとに残すようになろうとは、思いもよらなかったであろう、にもかかわらず、生垣に沿ってやがて野ばらにあとをゆずることになるさんざしのあの密集した(end307)花の匂、小道の砂利の上をふんでゆく反響のない足音、水草にあたる川水にむすぶかと見えてただちにくずれさる泡、私の高揚は、それらのものを、こんにちまでもちこたえ、それらのものにあのように多くの年月をつぎつぎに遍歴させることに成功したのであり、一方周辺の道は姿を消し、その道をふんだ人々も、その道をふんだ人々の思出も死んでしまっているのだ」

311: 「この二つの方向は、またそれらの印象に、ある魅力、私だけにしかないある意味をつけくわえている。夏の夕方、調和に満ちた空が、野獣のようにほえ、みんなが口々に雷雨に不平をこぼすとき、私だけが一人、ふりしきる雨の音を通して、目には見えずにいまもなお残っているリラの匂を嗅ぎながら恍惚としていられるのは、メゼグリーズのほうのおかげなのだ」

 前者は文学、もしくは書くことのみが過去をいまに(もしくはのちに)とどめ、永続させることができるのだという、『失われた時を求めて』の話者がもっているもっともおおきな認識をうかがわせる記述であり、「一方周辺の道は姿を消し、その道をふんだ人々も、その道をふんだ人々の思出も死んでしまっているのだ」が印象的だ。もちろん記録はそのものではなく、それどころかものですらないたんなる言語にすぎないが、しかしすべてが消え去っていくいっぽう、ひとつ書くことのみがそこからかろうじてなにがしかのものをすくいあげることができるということ、じぶんはやはりそれに惹きつけられてしまう。後者もおなじ系列の記述で、直接的には記録というよりは記憶の喚起にぞくすることがらだけれど、涙腺をちょっと刺激されるような感傷をかんじてしまった。過去はそれが過去であるというだけでうつくしく、時がながれることとおもいだすことのなかにはすでに感傷がふくまれている。やはり記録こそがじぶんのことだなとおもった。日々と生と世界をできるかぎり記録し、記録しつづけることだけが本質的にはじぶんの望みだと。なぜそうしたいのかはわからない。理由はない。強いていえば、すべてが消えてしまうからということしかおもいあたらない。すべてが消えてしまうにもかかわらずすべてを記録することなどできるわけがないのだから、そういう志向をもった記録は十全なものになることは決してできず、十分なものにいたることすらすくない。記述が生に追いつくことはないし、どれだけ十分に書けたとしてもそれが十全にいたることはないのだから、できるかぎりすべてを書きたいと望むものにとって記録が真に成功することはなく、それはあらかじめ失敗と挫折をさだめられている。実際上もさいきんは、内外のさまざまな事情によって、その全域を満足に記せたという一日はほぼない。主観的な満足にいたれれば御の字だが、そういう日はさいきんますますまれで、数少ない。決して成功することがなくつねに不十分だが、その失敗を失敗として日々につづけなければならないという点で、もしかしたらじぶんは、うまく書けることはほぼありえないし、まずくしか書けないのがほとんどいつものことで、そもそも書くことができないことすら多いが、書かなければならないというカフカとちかいところにいるのかもしれない。とはいえ、カフカは書かなければ生きている価値がない、生きることができないと書簡のなかで言っていたが、じぶんはそうはおもわない。こちらは、じぶんが書くことをやめるのはそうしようとおもえば可能だとおもっているし、書かなくてもふつうに生きていけるとおもっている(なにかべつのいとなみを見つけはするだろうが)。ところがじっさいには、さいきんはますます記録したいという欲求をかんじることが増えたような気がする。そとをあるいていてなにかが身にふれたり迫ったりしてくれば、このことをはやく書きたいというおもいがそこにつねに混ざってくる(時間が経ってわすれてしまい、けっきょく書けないこともおおいが)。昨年はこんなことをしていてもなににもならないし、いつやめたっていいのだとしばしばニヒルを気取っていたが、そんなことはもはやどうでもよい。それを前提として一周まわったような感じで、また記録したいというこころがつよくなってきた。とにかく書き、記したい。二〇一三年に読み書きをはじめてすこし経っていらいずっと、できるだけすべてを書きたいというその欲望に駆られてやってきたようなもので、むかしはそれがもっと排他的なかたちを取っていた。いまはちがい、寛容さをおぼえたり、身のほどを知ったり、べつに書かなくたっていいと言えるくらいになった。数年前のほうが切実で苛烈ではあっただろう。それでも記録をしたいというこころがうしなわれない。八年半ものあいだほぼまいにちずっとそうしてきたにもかかわらず、それでも欲望が尽きないというのは、冷静になってみるとじぶんのことながら、おどろくべきことではないかとおもった。ちょっとおかしいのではないかと。異常ではないとしても、すくなくとも異様ではある気がする。しかも、じぶんはまだぜんぜん行けるところまで行っていないという感覚もある。書けることをまだぜんぜん十分に書いていないと。
 その後二〇一四年と、去年の八月一三日も読んだ。プルーストの感想がながく、そこそこおもしろい。寝床を立ったのは一〇時すぎ。瞑想はサボった。あとでやる気になったらやればいいやと。水をまた一杯飲んで食事へ。床においてある水切りケースのなかからまな板や包丁や皿をとりだし、あいかわらず洗濯機のうえにまな板を置いて野菜を切る。キャベツの葉をちょっとずつ剝がしてまとめ、左手でおさえてザクザク細切りにしていく。しずかである(というフレーズを書くと、というかあたまのなかに浮かべるといつも、岩田宏が「独裁」のさいごのほうの連のはじまりをその一行にしていたことをおもいだす)。さきほどまではっきり聞こえていた雨音がいまはなく、風のうごきもかんじられず天気は一時よわまったようで、おなじ建物に住んでいるひとびとの気配もどこからもつたわってこず、うつむいた首のうしろ、頭上から降る電灯の暖色のなかで白いまな板のうえにちいさな包丁の影がほそく乗り、それがうごいて野菜を刻む音ばかり立つけれど、それでも物干し棒に雨がふれるのかそれとも柵にしずくが落ちるのか、窓のほうからときおりカンとひそやかに鳴るものがないではない。キャベツのつぎに半分に切ってラップにつつんでおいたセロリを出して、軸のほうをザクザク切った。包丁を入れるさいに、ゼンマイを一瞬だけうごかすような切断音が立つ。葉っぱのほうはいいかとまだつつんでおくことにして冷蔵庫にもどすが、このセロリは昨晩スーパーで半額になっていたのをやったぜとよろこんで二袋も買ったもので、つまり四本あり、半額になっていたのだからはやくつかったほうがいいのだろうがまだ二本半のこっている。その他レタスをちぎり、トマトを乗せ、大根をスライスし、チョレギドレッシングをまわしかけ、ハムを二枚さいごに置いて大皿にサラダが完成。それにオールドファッションドーナツを食うことに。米や冷凍の肉類とかはまたのときに。去年の八月一三日のさいごにならべてあるプルーストの引用を読み切っていなかったので、ものを食べながら読んだ。プルーストはやっぱりおもしろいなとおもう。『失われた時を求めて』、また読みたいわ。こんどは岩波文庫で読むか。
 食後ははやばやときょうの記述にはいることができた。とはいえからだがととのいきっておらず方々かたいので、とちゅうで立って屈伸や背伸びをしたり、胸や腹を揉んだりする。皿も洗った。ペットボトルの水が尽きたため。浄水ポットからボトルに水をそそぎうつすのに流しをつかうので、そこがかたづいていないとやりづらいのだ。そうしてここまで記すともう一二時一二分。(……)くんの返信には、(……)には駅直結の(……)店があるのでとりあえずそこにはいろうとあった。よくかんがえたら一時すぎには出る必要があるので、そろそろ時間がない。


     *


 そうして身支度をした。服装はいつもの黒ズボンではなくてガンクラブチェックのものを履くことにして、うえはGLOBAL WORKのオレンジっぽい基調のカラフルなチェックシャツ。POLOのショルダーバッグに財布や携帯、イヤフォンに手帳のみ入れる。一時すぎに出発。台風が来るとかいうことなので傘を持った。道に出ればぱらぱらきていたのでひらいていく。ときおり風が盛って傘にけっこうな圧力をくわえてくる。しかし駅ちかくまで来るといつの間にかほぼ降りはやんでいたので閉ざして提げた。こちらを追い抜かしていくカップルはそろってまださしており、うしろからはからだのした半分ほどしかみえない。(……)駅に着いてはいるといつもとはちがう方向に行くので、通路をわたらずホームを踏むと右に折れ、まだ時間があったのでゆっくりあるいて屋根のないほうに向かった。白い曇天のもとに出るとホーム上には浅い水たまりがいくらかできており、空や電線を灰色にうつしこんだその薄鏡はいましずくに応じて波紋を生むのではなく、あたりをわたっていく風の余波を受けて、見分けづらいがどれもわずかに皺を寄せている。右手は駅前マンションの脇の通路、そのむこうに木陰があって、巨大な手のごとくぐわっとおおきくひろがって網をなしたこずえのした、幹の間近にまたひとつ水たまりがあり、そちらが映す空は白っぽいけれど同時に木の下だから暗色もそそがれ、断片化されて世界に飛び散った沼のひとかけらがそこにたまさかやどったかのようだった。
 来た(……)行きに乗車。いちばん端の扉脇で立ったまま手すりを持ってゆられる。イヤフォンをつけてFISHMANSをきいていた。乗客はすくなく、気はわりと楽である。(……)まで所要時間は三〇分ほどだが、すわらずにずっと立ち、おおかた目を閉じて音楽にこもりながら過ごした。緊張がないわけではないし、むしろある。着くと降車。駅からすぐの(……)ということで、すでにはいっているとメールが来ていたので向かう。家を出るまえにどちらがわだなというのを見てきたので、改札を抜けるとこっちだなとすすみ、高架歩廊に出て右方をみると通路のさきにそれらしき文字がみえたのであるいていき、段をちょっとのぼって入店した。はいってすぐの席だというのでのぞきこんでいると、手をあげてここだとしめすふたりが見つかったのでおお、と受けて入席。ふたりがけのテーブルをあいだにちょっとすきまをあけてならべた一区画で、コロナウイルス対策だろう、いまは三人いじょうを同卓にするのはできないらしい。こちらが座ったのは通路からみて奥、つまり窓側で、ひだりに(……)くん、その向かいに(……)くん、こちらの正面の椅子には(……)くんがバッグを置いていた。(……)などいままで来たことがあったか記憶にないが(こちらの行動範囲には店がなかったはず)、店内はぜんたいてきにまああかるめの木目調で、ひだりを向けば(……)くんのむこう、仕切りを越えてさきの天井には巨大な風鈴のような、ガラスだろうかそれぞれ黄や緑やらいろどられた電灯がいくつかならんで下がっており、そちらのほうにある空調も天井から低い木箱がちょっと突き出したような見た目になっていた。注文はこちらがアイスココア、(……)くんも同様で(……)くんはなんか小豆なんとかみたいなやつ。くわえてふたりはちいさなパンケーキを頼んでおり、こちらもさそわれて三人でわけようといわれたのだけれど、おれはいいとことわり、その後パニック障害が再発してそとでものを食うのが不安だということを説明した。
 なにはともあれ(……)くんと会うのがひさしぶりなのであいさつ。三年ぶりくらいか? と聞き、一九年じゃなかったかというと、たしかに一九年の四月だかわすれたがそのへんから行ったと。ロンドンだとおもっていたのだが、こちらの勘違いでロンドンはそれいぜんに行っており、そこから帰ってきたとおもったらこんどはマレーシアに行かされたのだった。これはまったくおぼえていなかった、かんぜんに勘違いしていた。(……)のエクセルシオールにはいってさ、通路のとちゅうにある、で、そのとき秦郁彦従軍慰安婦の本もってなかった? ときくと、そのときか、という。
 (……)
 (……)
 ほかは安倍晋三暗殺と山上徹也の件や、中国の台湾侵攻についてなどもはなしたが、それについては素人談義や床屋政談の域を出ず(といってぜんぶそうだが)、あまり書こうという気にもならないので省こうかな。四時だかそのくらいあたりからは(……)くんが飼っているカメやレオパードゲッコーについて語りつづける時間がながくつづいた。ただこれもこちらは先日通話したときにだいたい聞いたはなしなので、再筆するほどのことはないか。ひとつ、パシフィコ横浜でおこなわれた大型販売会みたいなイベントのはなしは初耳だった。レプタイルズなんとかみたいななまえらしいが、爬虫類と銘打ってはいてもほかにワシやフクロウも売っていたり、サソリとか毒蜘蛛とかも売っていたという。(……)くんが蜘蛛をみて、いやーこれはさすがにとかおもっていると、店員のひとが、目をギラギラさせながら、どうですか! かわいいでしょう! とかはなしかけてきて、(……)くんが、これって毒とかあるんですかとたずねたところ、もちろんです! とちからづよく返ったというので、そこは前提なんだなと笑った。あれサソリとか、もしなにかでケースがひっくりかえって逃げ出したらやばいよねと(……)くんがいうのに、そうしたらワシを出動させないとと(……)くんが応じたのにも笑った。
 こちらはアイスココアをたのんだわけだけれど、これはソフトクリームがうえに乗っている品で、まあふつうにうまいのだけれど、たぶん腹がかんぜんに空だったところに甘ったるいものを入れたためだろう、だんだん胃の調子がおかしくなってきて、れいの空気があがってくるような感じだけれど、それでけっこう苦しくて喋りづらく、黙っていた時間もあった。本屋と帰路でそれがよりひどくなったのだが、その件はのちほど。ひととおりはなして六時くらいにいたり、(……)くんがトイレに立ったあいだに夕飯はどうするかと出たのだが、こちらはそんな調子だしパニック障害で外食も不安なので、おれはきょうは帰ると言明した。それで(……)くんがもどってくるとそのことを伝え、この三人でまた読書会をはじめることになっていたので(毎月だとみな厳しそうだったので今回は二月に一回、次回あつまるのは一〇月一五日と決まった)、その課題書をどうするかとなった。そこでこちらも、はなしておいてくれと言ってトイレに立った。便所はなかなかきれいな室で、便意があるような気がしていたのでズボンとパンツを下ろして便器に座ったのだが、けっきょく通じず。そとだと緊張してなかなか出ないということもあるのかもしれない。胃の調子についても同様で、やはり人中に出るとそれだけでからだが対外モードになって構え、気が張るということが、じぶんで感じ取れなくてもあるのだろう。もどってくるとはなしをつづけ、(……)くんは仏教とか禅宗についてちょっと知りたいと言った。そいつはいいなと受ける。なんでかときいてみるとなんと言っていたか、やはりしごとで負担や心労もおおいからだろうか、悟りにちょっと興味があるとか言っていたような気がするが、おれもパニック障害でむかしから瞑想をやってて、と言ってそのへんをすこし説明した。瞑想には大別するとおそらく二種類あって、いっぽうは呼吸などに傾注する一点集中式のやりかた、もういっぽうはいわば拡散式のやりかたで、仏陀がやっていたといわれるヴィパッサナー瞑想は後者だとかんがえられ、マインドフルネスというのが流行っているけれどそれはもともと仏教の瞑想をアメリカのにんげんが取り入れて西洋式につくりかえ、大衆化したものなのだ、とか、瞑想っつってもただ座って目をつぶってこうやって(とじっさいに両手を腹のまえでゆるく組んで目を閉じてみせる)じっとしてるだけなんだけど、そうしてるとなんかからだがなめらかになってくるんだよね、とか、瞑想にもいろいろやりかたはあるけど、いまここっていうことをみんなかならずいう、いまこの瞬間に起こっていることを追いつづけるっていうことを、たとえばからだのあちこちに生まれる感覚とか、あとあたまのなかに浮かぶおもいとか、感情とか記憶とか、そういうものを観察しつづけるってことはだいたい共通しているはず、などということだ。(……)くんが、瞑想とか悟りっていうと、やっぱりなにもかんがえないみたいな、無心みたいなふうにおもっちゃうけど、とはさんできたので、それは誤解で、と受け、なにもかんがえないってのは無理だから、どんなかたちにせよ瞑想をちょっとやってみてだれもがまず気づくのは、にんげんはずーっとなんかかんがえてて、それをなくすのは無理ってことよ、と言った。すると(……)くんは、じゃあそれはもう、受け流すっていうか、とかえすのでそうだねと肯定し、ある坊さんが言ってたことらしいんだけど、わかりやすいイメージだなとおもったのがあって、思念とかおもいってのはたんなる分泌物だっていうんだよね、脳(だかこころだかわからないが)の分泌物で、要するに唾が出るのとおなじことだ、っていう、と言った。
 そんな感じで禅仏教が俎上にあがりつつ、こちらは、直近で気になったやつだったら、『資本主義だけ残った』っていうみすず書房の本がちょっと読みたいねと言った。これはこの前日に読んだ中島隆博らの鼎談でふれられていた本だが、みすず書房の人文系ということでとうぜんながらいぜんから書店の棚にその存在は認識して目にとめてもいた。ブランコ・ミラノヴィッチというひとの著作である。ただみすず書房は高いから、六〇〇〇円とかするはずだから、と言い、ともかくもちかくに(……)があるので行ってみようということになった。
 そうして精算して退店。台風が来ているというはなしで、たしかにたしょう雨風がつよまっていた。ふたりの先導にしたがって徒歩で移動。どこをどういうルートでとおったのかまったくわからないのだが、ビルのなかをとおりぬけもし、またたいして遠くはなかった。(……)は四階建て。二階が人文系とか文学とか専門書など。はいってあがるとすぐに文庫の棚があり、まずそのへんを見聞し、鈴木大拙のなまえを喫茶店にいるあいだに挙げていたので、岩波文庫とかちくま文庫とかからかれの著作を見つけてふたりにわたしたり。あと講談社学術文庫に『禅と日本文化』という本もあったはずで、柳田聖山とかいう著者だったかわすれたが、これは所持している。実家の部屋に積んであったかそれとも持ってきた文庫本のなかにふくめていたかわすれたが、それも喫茶店にいるあいだに名をあげていたのでさがしたけれど、棚にはみあたらなかった。かわりに、なんだっけ日本の民衆仏教みたいな、仏教が日本の民衆層においてどのように受容されどういうかたちで信仰されたり展開したりしてきたかみたいなそういう本も学術文庫にあり、さきに言ってしまうとこれとちくま文庫鈴木大拙『禅』が候補としてさいごに二択でのこったのだが、最終的に禅についての(……)くんの関心を優先して後者に決定された。こちらとしても関心はおおきいところだ。おれは『正法眼蔵』をいつか読もうとおもっている。
 文庫を見分しているふたりからはなれて海外文学はどこかなとさがしに行くと、すぐ裏の壁際にあったのだが、このへんをみるとさすがに(……)の(……)や(……)とはくらべるべくもない。そもそも明確な国別の表示すらされていなかったとおもうし。こうしてみると(……)はやはり圧倒的だし、(……)という街は本屋もそんなだし図書館も宝の山で、高架歩廊上でライブやったりもしているし、駅からそう遠くないホールにSam GendelとSam Wilkes呼んだりしているのだから(ceroもおなじイベントに出ていたらしいが)、相当レベルの高い文化都市だといってよいだろう。よい共同体とは本屋と図書館が充実している共同体である。図書館が貧弱かどうかでその土地の教育的・教養的風土が決まる。なにを措いても図書館は充実させなくてはならない。なによりも子どもたちが本を読んで学んだりたのしんだり世界を知ったりする可能性を確保し、高めるためにそうしなければならない。しかし現代の子どもたちはもう本などたいして読まない。
 そういうわけで単行本はそこまで充実していなかったのでたいして見るものもなかったのだが、フロアをわたって哲学のほうとかも行ってみると、ここではまなざしの変え方みたいな、タイトルをわすれたがそんなような河出書房新社の本が新刊として提示されていて、けっこうおもしろそうじゃんと手に取ってひらいてみると、コロナウイルス状況について述べた章もふくまれており、あまり詳しく読んでいないのだけれどこの著者のひとはコロナウイルス騒動のもろもろの点で違和感や不自然なところをおぼえたらしく、仮にだれかが「パンデミック」を人工的につくりだすとしたらどのようにやるか、どんなふうにそれが可能か、なにが必要か、といった思考実験をしているようだった。ともすれば陰謀論にかたむきかねない立場だがほんにんもそれは自覚して明言しており、しかしそれでもやはり疑念を殺すことはできないということで、この本を刊行したばあいのリスクとか評判とかも考慮に入れつつもじぶんの思考や疑問をおおやけに問うことを決断したと。ぜんぜんきちんと読んではいないのだけれど、本文にはたびたび註がつけられて情報の典拠が着実に示されていたようだし、河出書房新社という知名度と信頼度があると言ってよいだろう出版社がこれを出すことをゆるしているわけだし、たんなる陰謀論者の妄言とは一線を画した本として読んでみる価値はあるのかもしれないとおもった。コロナウイルスをはなれても、まなざしを変える、世界の見え方(もしくは見方)を変えるというテーマはおもしろそうだし。批評もふくめて芸術のひとつの効用や機能やばあいによっては目的はそういうことだろう。それは同時に教育の旨とすることだ。
 そしてこのへんから腹の調子がいっそうわるくなっていて、わりと吐きそうになっていた。なんかもう胃のあたりが微妙にうごめいてあがってくるような感じ。とはいえそこまでめちゃくちゃ苦しくもなく、表面上は平静を保っている。胃は空だったはずなので吐くといっても胃液くらいしかなく、だからそのくらいで済んだのかもしれないが、しかし反対に、なにもものを食っておらず空っぽだったのでそのように気持ち悪くなったという気もしないではない。いずれにしてもふたりのところにもどって鈴木大拙『禅』を決定し、(……)くんはここで購入することに。そのまえに吐きそうだしとりあえずトイレに行ってみるかとおもってトイレどこかなと探したところ、男子トイレは一階うえだったがコロナウイルス状況のためか(?)使用不可になっていた。それならしかたがないと払って階段をおり、マジでわりと吐きそうだったのでとにかくそとに出ようと退散して、建物のまえで息をついて(……)くんに、なんか気持ち悪くなってきてわりと吐きそう、と苦笑し、だいじょうぶかと来るのにわからん、とりあえず薬を飲むけどと言って財布から取ったロラゼパムを一錠腹に入れた。そうして購入をすませた(……)くんが来ると駅へ。来たときとぜんぜんちがうほうからもどった気がしてルートがやはりよくわからん。駅につくと(……)くんはひとりべつ路線なので別れ。なかにはいって(……)くんとも別方向なので別れ。(……)くんも、もう海外出向はないだろうって言ってて、まあ日本にいてまたすぐ会えるから、あっさり去っていったね、と笑っていた。こちらはわりと吐きそうというのが支配的で、喋りづらく、ふたりともあまりうまく快活に別れることができず。ともかくホームに降りていちばん端にすすみ、これから三〇分ほど電車に乗らなければならないわけかとおもうとそこそこの負担だが、しかしもうべつにだめだったら吐けばいいやとあきらめにいたっていたので、ヤクを追加したこともあり逡巡せずに来た電車に乗った。車両のいちばん端の角につく。先頭車両だからひとがすくないのが救いではあった。それで立ち、携帯でFISHMANSをながして耳をふさぎ、目を閉じて手すりをつかんだまま軽い呼吸に集中しつづけることでやり過ごしながら到着を待つ。だめだったら吐くつもりだが耐えられるだけは耐えてみようと。しかしパニック障害におちいって嘔吐恐怖がならいとなっていらい、じぶんがじっさいに嘔吐した機会というのはたぶん一回しかないのだよな。それも二〇一八年の一二月、当時北区に住んでいた兄夫婦の家から車で帰ってきたあとの自室でのことで、このときの気持ち悪さはたぶん飲みはじめたSSRIセルトラリンだったか?)の作用によるものだったのだとおもっている。出先でじっさいに吐いたことはたぶんいちどもないはず。酒を飲んだひとなどけっこう容易に道で吐いたりもしているのだろうし、じぶんは吐くことをむやみにおそれすぎているような気もする。吐くことそのものよりも、吐きそうな感じやからだの違和感や緊張が生じてそのなかで耐えつづけなければならないことが負担だ。かんたんに吐くことができればむしろ逆に楽なのかもしれない。それはともかくこのときは、後半でからだもちょっとしびれを生じてきたし、わりとやばいところまで行ったつもりなのだけれど、なんだかんだけっきょく耐えきってしまったのがなんというか生真面目さというか。(……)に到着し、ついに着いたかと安堵して目をあけて、よろけるようにしてそとに出ると階段にむかうひとびとのなかでひとりとどまってベンチについた。そこで息をつき、心身をおちつけながら携帯をみてみるとSMSが来ており、ひらけば兄からで、あした実家に行くけどそのとちゅうに母親も出てきてもらって(……)で飯でも食わないかとあった。ある意味ひじょうにタイムリーだが、きょう出かけてきたらまた帰りの電車内で吐きそうになったからもうあしたあさっては家にいるわと返信し、パニック障害が再発して嘔吐恐怖があるから外食もきびしいということも言っておいた。しかしこのときはもう家でおとなしくしていようとおもったのだけれど、けっきょく今回の吐き気というのは緊張や不安によるものというよりは、おそらく空腹とアイスココアの組み合わせのせいなので、そのあたり気をつければ問題はないわけである。それなのでこの翌日はけっきょく予定通り、(……)や(……)と会いに外出した。帰路やその後のことはわすれたが、帰って横になって身を休めているうちに意識をうしなっていたはずである。むかしからこういう感じの嘔吐感におそわれたあと、帰宅して横になっているとけっこうすぐにおさまって回復し、その後ふつうに飯を食ったりできることがおおい。それもよくわからん。


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  • 日記読み: 2021/8/12, Thu. / 2014/1/29, Wed. / 2021/8/13, Fri.


 2021/8/12, Thu.より。

(……)きょうは天気は曇りもしくは雨。きのうの夕刊を見たところでは、一週間ずっと雨がちな天気がつづくらしい。それで陽の色もないしこの昼は比較的涼しくて、水場に行ってきてから瞑想をやっても暖気は寄せず、汗もあきらかには湧かない。そのわりに窓外のセミの声はきのうまでよりかえって厚くなったような印象で、盛りをこえつつ一時もちなおしたというところなのか、永遠に発泡しつづける炭酸水のように音響がシューシューさわいでいるなかでミンミンゼミが鈍く、低調なような重さをもってあさくうねる。

食事はカレー。きのうのテレビのニュースですでに知っていたが、一面には全国の感染者数が過去最多とかつたえられており、東京も一時二〇〇〇人台まで落ちていたはずだが一日の新規感染者が四〇〇〇人台にまであがっているし、しょうがねえ、念を入れて(……)との会合はとりやめにするかとおもい、あとでその旨おくっておいた。まあ、潜伏期間とかPCR検査の用意とかをかんがえるとその日の感染者数が反映しているのはだいたい一週間くらいまえの人流とか動向ではないかと推測しており、きのう感染者がたくさん確認されたからといってかならずしもきょうそれに見合ってウイルスが爆発的に蔓延しているというわけではないとおもうが。ほか、タリバンが九つの州都を落としたというか制圧したという報。きのうは八つだった。八月六日にはじめて州都をとっていらいもう九つなわけで、じつにすばやい、破竹の快進撃といって良いのではないか。EUの関連高官によれば、タリバンはいまや全土の六五パーセントを支配しているとみられるという。カブールもとうぜん狙っている。首都が落ちたらマジでやばいとおもうが、とはいえ、仮に首都を落としてもタリバン中央政府として統治をおこなうような能力はないという声もあるようで、だから和平交渉で優位に立つために進撃をつづけているという予測がなされているようだ。そういう目論見はとうぜんあるだろう。取れるものを取れるだけ取っておけば、たとえば中央政府内にポストをもうけさせることもできるかもしれないし、イスラーム的政策をみとめさせることもできるかもしれないし、自治区的なかんじで国内に一部領土を掌握することもできるかもしれない。バイデンは米軍撤退をひるがえしはせず、決断を後悔してはいないと表明しつつ、国境外からの空爆や物資支援などはおこなうという当初の方針。カタールタリバンの交渉代表が常駐しているらしく、米国の高官もそこにむかい、またEU周辺諸国からもあつまっているようで、そこでタリバンがどうでるかがポイントだと。


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(……)プルースト。これも四時あたりまでけっこうつづけて、310からはじめていま350くらいまで行ったはず。第一部「コンブレー」を終えて第二部「スワンの恋」にはいったが、第一部を読みとおしてみると、たしかにこのパートってマジでコンブレーの記憶をひたすらかたりつらねただけだな、というかんじ。冒頭、夜中にめざめたときにさまざまな記憶がよみがえってくる、というとりかかりからはじまるわけだが(単にそのことを説明するだけでも一〇ページくらいかけていたはずだが)、第一部のさいごにいたっても、このようにしてわたしは真夜中に起きてしまったときにそれいじょう寝られず、朝がくるまでベッドのなかでコンブレーのあらゆることを回想するのだ、みたいなまとめかたがされていて、だからマジで、大枠のはなしとしては、不眠の夜にたびたび子供時代のことを回想している、というだけのはなしになっている(いちおう菩提樹の茶とマドレーヌの挿話もあって、そこは夜中ではないわけだが)。その記憶の内容がずーっとひたすら三〇〇ページくらい紹介されている、という趣向。「スワンの恋」はヴェルデュラン家のサロンの説明からはじまっていて、そうかここでヴェルデュランからはじまるのだったかとおもった。そこにいたオデットがスワンと知り合って、スワンをサロンにつれてきて、そこでヴァントゥイユのソナタを聞いたスワンがオデットと恋愛してそのソナタはふたりの恋のテーマ曲みたいなものになる、という展開だったと記憶しているが、いまちょうどピアニストがヴァントゥイユの曲を弾いてスワンがそれを聞いているあたりまできている。ヴェルデュラン家というのは貴族階級ではなくて旦那はなんだか知らないが夫人は金持ちのブルジョアの家の出身で、そういう階級の鼻持ちならない人間として上流層にたいするコンプレックスがあるからその反動で本場の一流の社交界のひとびとを「やりきれない連中」として軽蔑しており、通人を気取りながら一握りのえらばれた仲間たち(「信者」)から構成される小規模なグループ(「核」)でもって夜な夜なあつまってたのしくやっているというかんじで、彼らのやりとりの記述にかんじられるその閉鎖的ないかにも内輪ノリのスノッブな虚栄心みたいなものは滑稽でもあるし鼻持ちならないものでもあるのだけれど、しかし同時に、読んでいるとなにかほほえましいようなもの、ある種の罪のなさみたいなものもかんじてしまった。それはわりと偉そうな見方でもあるのだろうが。つまり、超然とした位置から彼らを無邪気な連中だなあと、子どもの遊びでもながめるかのように笑って見ている、というような。とはいえ彼らはむろん実在する人間たちではなく、所詮は単なることばでしかない。所詮は単なることばでしかない人間たちにたいしてどのような印象をいだくかということにおいて、所詮は単なることばでしかないその彼らにたいして、直接的な道徳上の責任はたぶんない。しかし、彼らへの直接的な道徳的責任はないとしても、そのほかの道徳的・倫理的側面がそこに存在しないわけではないはずで、たとえばじぶんじしんにたいする倫理性というものはふつうに存在しうるはず。つまるところ、彼らにたいしてどのような印象を持ち、どのようなことば(とりわけ形容詞)をさしむけるかによって浮き彫りにされるのは、彼らの特徴とか性質ではなくて(それは作品に記されてあることばそのものをひろいあげてつなげることでしか浮き彫りにされない)、読んでいるこちらじしんの立場とかイデオロギーとか性質とか偏見とか感性とかだということ。とくに新鮮なはなしではなく、通有のかんがえかただが。つまり、文学作品とは読むもののすがたを映し出す鏡である、という紋切型に要約されてしまうはなしだが。


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307~308: 「むろん、自然のそんな一角、庭園のそんな片すみは、ささやかなあの通行人、夢みていたあの少年によって――国王が群衆にまぎれこんだ記録作者によってのように――じっと長くながめられていたとき、自分たちがその少年のおかげで、この上もなくはかなく消えさる自分たちの特徴をいつまでもあとに残すようになろうとは、思いもよらなかったであろう、にもかかわらず、生垣に沿ってやがて野ばらにあとをゆずることになるさんざしのあの密集した(end307)花の匂、小道の砂利の上をふんでゆく反響のない足音、水草にあたる川水にむすぶかと見えてただちにくずれさる泡、私の高揚は、それらのものを、こんにちまでもちこたえ、それらのものにあのように多くの年月をつぎつぎに遍歴させることに成功したのであり、一方周辺の道は姿を消し、その道をふんだ人々も、その道をふんだ人々の思出も死んでしまっているのだ」

311: 「この二つの方向は、またそれらの印象に、ある魅力、私だけにしかないある意味をつけくわえている。夏の夕方、調和に満ちた空が、野獣のようにほえ、みんなが口々に雷雨に不平をこぼすとき、私だけが一人、ふりしきる雨の音を通して、目には見えずにいまもなお残っているリラの匂を嗅ぎながら恍惚としていられるのは、メゼグリーズのほうのおかげなのだ」


 2021/8/13, Fri.より。

(……)新聞からはまず、エチオピアの記事。中央政府が攻撃を再開するというはなしだったとおもうが、北部ティグレ人勢力のみならず南の勢力、オロモ人みたいななまえだった気がするが、そちらの武装勢力(野党から分離した組織で、オロモ人はエチオピア内で最大の民族であり、その代表を標榜しているとあった)もティグレ人との共闘を表明し、したがって紛争は全国規模へとひろがるだろうとのこと。もうひとつには中国関連の記事。中国がコロナウイルス関連で米国を批判する論拠としたスイス人学者のFacebook投稿があったらしいのだが、在中国スイス大使館が、この学者はスイスに存在しない人間であると発表したらしい。調べてみるとFacebookのアカウント開設も投稿のわずか三日前だったから、工作というかフェイクの可能性が高く、中国の批判の根拠がうしなわれたと。


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きょうも「読みかえし」ノートを読み、またプルーストを書見。「スワンの恋」のパートにはいっており、『失われた時を求めて』はいままで集英社の鈴木道彦訳でいちおう二回ぜんぶ読んでいるのだけれど、その二回目、前回読んだとき(何年前だったかわからないが、たぶん二〇一六年か一七年くらいではないか)はたしか、この「スワンの恋」の部は恋愛小説としてかなりおもしろいなと感じ、ほとんどエンタメ小説のようにして物語的な面白味をおぼえてガンガンページを繰ってすすんでいったおぼえがある。今回はそこまで物語に引っ張られる感覚というものはおぼえていないが、とはいえ恋愛者の心理や行動(占有欲求としての恋愛の側面からうがった)が、プルースト特有のときどき理路がよくわからなくなる抽象的な考察ならびにかなり具体的にこまかいところまで描かれる比喩イメージをまじえながら詳細に記述されていてたしかにおもしろい。気になるのはやはりスワンがオデットをボッティチェルリの描いたシスティナ礼拝堂にある絵のなかの一女性とかさねて見ているというそのあたりの精神のはたらき、つまり芸術作品と現実の人間を二重化して見ることが恋愛感情におよぼす影響とかそのエゴイズムとかがひとつ。あとはオデットの家が日本趣味もしくは中国趣味にあふれていることも風俗的な側面からすこし気になる。ひとつのクライマックスというか盛り上がりとしてあげられるのはやはり、ヴェルデュラン家のサロンに行ってオデットが先に帰ってしまったことを知らされたスワンが、彼女をもとめて夜のパリを放浪するところからはじまる一連のながれ、とりわけそのあとオデットと行き会うにいたっていっしょに馬車に乗り、そのなかではじめて情事をおこなうその場面だが、ここでスワンが彼女のからだに手をつけるにあたって口実としてえらばれるのが、彼女が胸元につけていたカトレアの花(菊とならんでオデットのお気に入りの花)が馬車の揺れで乱れて取れそうになってしまったのでそれを挿しなおしてもいいか、ということで、いいですか? 挿しなおしても……おいやではないですか? それにしてもこの花はほんとうに匂いがしないんでしょうか、顔をちかづけて嗅いでみてもいいですか? おいやではないですか、ほんとうのことをおっしゃってください、とか言いながらスワンはオデットをはじめて「占有」するにいたるわけだけれど、ここは前回読んだときもそうだったのだが滑稽で、アホだろとおもって笑ってしまう。気取りがすぎるというか、いちおう洗練された教養のある知的文化人としてあからさまにガツガツあいての肉体をもとめるようなことはできずに駆け引きをするということなのだろうが、その洗練された迂遠さがかえって反転的にスワンのおこないや欲求の卑俗さや軽俗さを強調しているようにかんじられる。このさいしょの情事のあともしばらくはおなじ口実がつかわれるのだけれど、そのなごりで、こういう口実が必要でなくなったあとも「愛戯」のおこない、すなわちmake loveもしくはセックスをするときには「カトレアをする」という隠語がもちいられるというその後のくだりもこいつらアホだろと笑ってしまう。ただいっぽうで、そういうふうに造語が生み出されるというそのこと自体、その経緯とかようすそのものはおもしろいが。また、さいしょの情事にいたるまでの経緯の段落(さきほどのセリフがあるところ)と、その後の「カトレアをする」について述べた段落とのあいだには、スワンがオデットの顔に手を添えてオデットは首をかしげながら見つめかえし、スワンはいまからじぶんのものにする女性がじぶんのものとして「占有」されるまえの最後の表情の見納めにとその顔を記憶しようとしているかのようだ、みたいな記述の段落があるのだけれど、その前後が滑稽なわりにここは非常にロマンティックで正直良いなとおもってしまう。この、じぶんがものにするまえの女性の最後の表情の見納め、という男性のエゴイスト的発想には、前回読んだときにかなり驚いてすげえなとおもったのだった。今回読んでみると、発想そのものはべつにそんなにおどろくほどのものではないのかもしれないなといっぽうではおもいつつも、じっさい文章を読むにやはりなかなかすごいなとおもうかんじも他方にあり、比喩も独特で、子どもの晴れ姿を見に急ぐ母親、なんてあたりははまっているのかいないのか、ここにふさわしい比喩なのか否かよくわからないようなかんじでもある。

 彼はあいている一方の手をオデットの頬に沿うようにしてあげていった、彼女は彼を見つめた、彼女との類似を彼が見出したあのフィレンツェ派の巨匠の手になる女たちの、物憂げな、重々しいようすをして。その女たちの瞳のように、彼女の大きな、切れ長のかがやく瞳は、まぶたのふちまでひきよせられていて、さながら二滴の涙のように、いまにもこぼれおちそうに見えた。彼女は首をかしげていた、フィレンツェ派の巨匠の女たちがすべて、宗教画のなかにあっても、異教の場面にあっても、そうしているのが見られるように。そして、おそらく彼女がふだんから慣れている姿勢、こういうときにはうってつけだと知っていて忘れないように心がけている姿勢、そんな姿勢で、彼女は顔をささえるのに全力を要するように見えた、あたかも目に見えない力がスワンのほうにその顔をひきつけてでもいるように。(end391)そして、彼女が心にもなくといった風情で、そんな顔を彼の唇の上に落とそうとする寸前に、その顔をすこし離して、さっと両手でささえたのは、スワンであった。彼が思考のなかであんなに長いあいだはぐくんできた夢を、思考に駆けよらせてはっきりと認めさせ、その夢の実現に立ちあわせる余裕を、彼は自分の思考に残してやりたかったのだ、あたかも非常にかわいがってきた子供の表彰の席に参加させるために、その母親を呼んでやるように。おそらくまたスワンは、自分がまだ占有していないオデット、まだ自分が接吻さえしていないオデットの、これが最後の顔だ、と思って見るその顔に、旅立ちの日に永遠にわかれを告げようとする風景を眼底におさめてゆこうとする人の、あのまなざしをそそいでいたのであろう。
 (マルセル・プルースト井上究一郎訳『失われた時を求めてⅠ 第一篇 スワン家のほうへ』(ちくま文庫、一九九二年)、391~392)

 彼はもう一方の手を、オデットの頬に沿って上げていった。彼女は、物憂く重々しい様子で、じっと彼を見つめたが、それはかねがね彼がよく似ていると思っていたフィレンツェの巨匠の描く婦人たちの目つきだった。彼女らの目のように大きく切れ長で、きらきら光っているオデットの瞳は、飛び出さんばかりに瞼の縁まで引き寄せられて、まるで二粒の涙のように今にもこぼれ(end94)落ちそうに見えた。フィレンツェの巨匠の婦人たちが、宗教画のなかでも異教の情景のなかでもみなそうやっているように、彼女も首をかしげていた。そして、たぶん彼女のいつもの姿勢なのであろうか、このようなときにふさわしいことを心得ていて、忘れずにそうするように気をつけている姿勢をしながら、まるで目に見えない力でスワンの方に引き寄せられているかのように、自分の顔を抑えるのに必死になっている様子だった。そして、まるで心ならずもといったように、スワンの唇の上にその顔を落とすより早く、スワンの方が彼女の顔を両の手にはさんで、少し自分から離してそれを支えた。彼は、自分の思考が大急ぎでそこに駆けつけて、こんなに長いこと温めてきた夢を認め、その夢の実現に立ち会えるように、その余裕を与えてやりたかったのだ――ちょうど親戚の女性に声をかけて、彼女がとても可愛がっていた子供の晴れの舞台に列席させるように。おそらくまたスワンは、まだ肉体を所有していないオデット、まだ接吻すらしていないオデットの、最後の見おさめにと、あたかも出発の日に永久に別れを告げようとしている眼前の風景を目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする人のように、その視線をじっと彼女の顔に注いでいたのだろう。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』(集英社、一九九七年)、94~95)

鈴木道彦訳とあわせて引いたが、ふたりの訳のちがいを読みくらべるのも興のあることだ。一文の組み立て方、各情報の順序のちがいなど、なかなかおもしろい。ニュアンスにはっきりしたちがいが発生するのは、「(……)彼女は顔をささえるのに全力を要するように見えた、あたかも目に見えない力がスワンのほうにその顔をひきつけてでもいるように。そして、彼女が心にもなくといった風情で、そんな顔を彼の唇の上に落とそうとする寸前に(……)」/「(……)まるで目に見えない力でスワンの方に引き寄せられているかのように、自分の顔を抑えるのに必死になっている様子だった。そして、まるで心ならずもといったように、スワンの唇の上にその顔を落とすより早く(……)」の箇所ではないか。井上究一郎のほうだと、「ささえる」ということばがつかわれているので、オデットが苦心しているのは「姿勢」を保つことだという印象になり、スワンのほうに引き寄せる力に抵抗する、というニュアンスが比較的すくないが、鈴木道彦訳だと「抑える」ということばによってそこがよりストレートに表現されている。そして、それによってさらに、恋心もしくは欲望や陶酔によって、無意志的にスワンのくちびるへとじぶんの顔をちかづけてしまう、という含意が生まれうるもので、そのあとの「まるで心ならずもといったように」といういいかたはその理解にもとづいているのだろう。ひるがえって井上究一郎訳だとそのぶぶんは「心にもなくといった風情で」といういいかたになっている。「心にもなく」という表現はおそらく鈴木道彦訳と同様に無意志的であることもふくまれうるのだろうけれど、それよりは、本意ではない、というニュアンスをあらわすことがおおいいいかたではないか。そのように読むならば、鈴木道彦訳にはらまれていたロマンティシズム(「恋心もしくは欲望や陶酔」の介在)はここでむしろくだかれて、井上究一郎訳では対照的に、スワンを恋するふりをよそおって彼をよろこばせようとおうじる冷静で打算的な女オデットという像がたちあらわれるはずである。なかなかおもしろい。

また、例の子どもの晴れ舞台の比喩のなかでは、声をかけて呼んでやるあいてが「母親」と「親戚の女性」でちがっているが、フランス語ができないし原文もわからないのでこれはなぜなのかわからない。さいごの一文のなかでは、鈴木訳の、「眼前の風景を目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする」といういいかたがすばらしい。井上訳のほうにある「眼底」の語も良いが、ここでは「目のなかにしまいこんで持ち去ろうとする」のほうに軍配をあげたい。


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夕刊、米軍がアフガニスタンに三〇〇〇人増派と。アメリカ大使館の人員を退避させるためという名目。その三〇〇〇人は一日二日以内にカブールの空港に到着するといい、ほか、不測の事態にそなえてクウェートに四〇〇〇人を派兵し、また翻訳者など米国への協力者だったひとびとの退避を支援するためにカタールに一〇〇〇人を派遣とも書いてあったはず。国内にはいって、せめてカブールにはいって協力者らをあつめて逃がすことができないかとおもうが、それをするとたぶんタリバンに喧嘩を売るということになってしまうのだろう。タリバンは協力者らを殺そうとしているはずなので。

夜半すぎにBessie Smithを寝転がって聞いた。『Martin Scorsese Presents The Blues: Bessie Smith』の六曲目まで。#1, #4, #5, #6が良かった。とりわけ#4の"Muddy Water (Mississippi Moan)"か。たぶん一九二〇年代か三〇年代くらいの録音だとおもうので音質はむろん良いとはいえず、声の写実性もいまの録音とくらべるととうぜん低いが、じっさいに聞いたらたぶん声めちゃくちゃでかかったんだろうな、という印象。"Muddy Water"というタイトルからはどうしたってMuddy Watersをおもいだすし(それでこの翌日には二枚組の『Muddy "Mississippi" Waters Live』をひさしぶりにながしたのだが)、五曲目は"St. Louis Blues"で、そういうのを聞いていると、こういうところからすべてが(というのはジャズとブルースとロックということだが)はじまったんだなあ、という感慨が生じる。この日はきかなかったけれど九曲目は"Need A Little Sugar In My Bowl"という曲で、この曲をもとにしたかもしくはオマージュみたいなかんじでNina Simoneが"I Want A Little Sugar In My Bowl"という曲をつくっており、『It Is Finished - Nina Simone 1974』というライブ音源の五曲目でやっているバージョンがじぶんはとても好きである。


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 (……)さんのブログより。

 わたしたち人間の「こころ」のことはしばらく措いて、生物一般の話しにかぎってみても、個々の生物個体のどのような知覚、どのような行動に際しても、全身のすべての細胞がなんらかの仕方でそれに参加しています。いってみれば生物が身体として存在しているというそのことが、身体全体のレベルでも器官のレベルでも細胞のレベルでも、そのまま生物と環界との境界を形成しているのです。
 それだけではありません。生物にとって環界といえるのは、外部世界だけではないのです。有機体の内部状況も、いわゆる「内部環境」の形で相即の対象となります。生物が外界から栄養を取り入れるのは、餌が眼に見えたからというよりもむしろ、空腹が感じられるからなのです。主体を維持するための相即は、餌の捕獲に際してだけでなく、それ以前に自分の身体の内部状況に対しても保たれなくてはなりません。
 人間の場合にはさらに、精神分析のいう意識・無意識・前意識をすべて綜合した「心的装置」の全体が、あるいは生活史の意味での個人や共同体の歴史全体が、それとの相即においてのみ主体がその主体性を保ちうる環境として働いています。こういった生活史の全体は、外から入ってくる情報を処理するときの処理機構としてもはたらきますし、感覚情報といっしょに処理しなければならない情報として個体を拘束してもいるのです。
 だから、さっきお話ししたように主体は主体として成立するために世界との境界に向かって出立しなければならないのですが、実はこの「境界」というのは主体それ自身の存在のことなのです。そしてこれとまったく同じことが、複数個体によって構成される集団的な群れについてもいうことができます。群れの全体がその外部環境や内部環境——群れの内部環境としては、なによりもまずその群れを構成している各々の個体を考えなくてはなりません——と接触している境界のありかとは、実はその群れそれ自身の存在に他ならないのです。
 あるものが、そのものそれ自身と、それではないもの(環境)との境界——つまりそれ自身と環境との区別の生じる場所——である、抽象的ないいかたをすると「AはAと非Aの境界あるいは区別である」というのは、わたしたちがふだん慣れ親しんでいる論理形式からいうと非常に奇妙に聞こえます。わたしたちの通常の思考は、AはA自身と等しく(同一律)、Aは非Aではなく(矛盾律)、Aでも非Aでもないようなものは存在しない(排中律)というアリストテレス論理学の三大原則によって支配されています。だから「AはAと非Aの境界あるいは区別である」という「非アリストテレス的」な論理は、大変にわかりにくいのです。しかしこの論理は、実は生命を扱うすべての場面で重要な役割を果たしています。生命現象は熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)を破るということがよくいわれますが、それだけでなく、アリストテレス論理学をも破っているのです。生命の世界では、「主体」とは主体それ自身と主体でないものとの境界あるいは区別のことなのです。主体のこの論理——ヴァイツゼッカーの言葉を借りれば「反論理」——が、生命論の全体を基礎づけています。
 同種複数個体の群れにおいて、環境との境界がその群れの存在それ自体だとすると、群れを構成している各個体は、やはりその個体それ自身であるところの境界で環境との個別的な相即を保つことによって、群れ全体の環境との相即に参加し、群れ全体の集団的主体性を分有していることになります。各個体は、集団の構成員として集団的な主体性を生きるのと同時に、各自の個別的主体性をも生きています。ですから個々の主体は、それ自身がそれ自身と環境——この場合、同じ群れに属している自分以外の個体は、もちろんその個別主体にとっての環境の重要な構成分となるのですが——との境界であることによって、いわば二重の主体性を生きることになります。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.26-28)