日曜日の夜、寝るまえ、一〇時ごろに、ギターを二回やった。
 33(https://note.com/diary20210704/n/n94eb7fce5986
 34(https://note.com/diary20210704/n/nff6bf98b01bd
 "After You've Gone"という曲がある。Bessie Smithがうたっている。ねんまつに機会があって、「Black Women Singing in America」という五一曲のプレイリストをAmazon Musicでつくった。とりあげたのは七人。Bessie Smith, Billie Holiday, Aretha Franklin, Nina Simone, Samara Joy, Esperanza Spalding, Cecile McLorin Salvant。Amazon MusicにはBessie Smithのコンプリート音源が四つにわかれてある。"After You've Gone"をさきに聞いたのは、Sarah Lenkaというひとの『I Don't Dress Fine』というアルバムだった。Bessie Smithトリビュートだ。ジャケットをみるとずいぶんキュートなかんじで、可憐といってもいいような映りだが、うたは苦み走った声もおりおり出しながら、アレンジが泥臭くなりすぎず洒落っ気に寄っているのでなかなかいい。このアルバムでいちばん気に入ったのが一〇曲目の"After You've Gone"で、Bessie Smithのバージョンとあわせてプレイリストにいれてある。Smithの版はうたと声があまりにも朗々とちからづよいので、恋人にさられた悲哀というかんじではあまりないが、そちらもいい。わすれないで、いつか後悔するときがくるよ、さびしさがつのったときにはあんたのこころもあたしみたいに引き裂かれてあたしだけをおもうでしょうよ、というようなこともサビの終盤でうたっているので、一種の恨み節だ。それをおもえば相応する。
 二週間か三週間まえ、実家の部屋で、スピーカーからプレイリストをながしだしつつ、左右のスワイショウで腰をまわしているあいだ、この曲にさしかかって、"After You've Gone"っていうのは、「ゴドーを待ちながら」の逆なんだよな、とふとおもった。ベケットの戯曲を読んだことはない。ゴドーが来るのを待っているふたりのやりとりを書いたもので、ゴドーはけっきょく来ないということは知っている。いわばBefore You've Comeの時間がそこにある。After You've Goneの時間を小説として発想できないだろうか。曲の歌詞のような、未来にひろがる内容だとそれはふつうの物語になってしまう。さられたあとの生活を書くという。なら、去られた直後の時間をみじかくとらえるのがいいのだろうか。勇者の旅立ちを見送ったあとの父母のようすをえがくというような? あるいは小説ではなく、ベケットとおなじように戯曲的対話篇にするのがよいのか。この発想はまだかたちを得ていない。