2017/6/22, Thu.

 モニターに向かい合っていると身体が温みを帯びて蒸し暑い曇天で、夕方に到っても雲は晴れず、出ると前日の水気がまだ残っているところに、気温が上がって染み出したものか、湿った植物の匂いが大気に混ざっていた。木の間の坂を上るあいだは正面から風が走って続くが、平ら道に出ればその恩恵もない。太陽は洩れて来ず、北西の空の表面に光を留められ、円く小さく溜まっていた。身体がいくらか淀んでおり、歩調は自ずと鈍くなり、出るのが若干遅かったので腕時計を見ながら間に合うかと危ぶまれたが、急ぐのも億劫で、構うまいと払って気怠い歩を続けた。
 遅刻は免れた。夜、大した勤めでないけれど身体はさらに疲労し、腰から下がこごって、踏み出しが硬かったが、欠伸を洩らしながら行くうちに脚はほぐれて、肉と節の推移が滑らかになるようだった。雲はいくらか薄くなったようだが、星は一つ、空の中央に明っているのみ、あとはほとんど沈みきっている。自宅への分岐点まで来ると、西空がひどく黒いのに目を瞠らされ、落ちていくような、と自ずと浮かんだ。地上との境など消滅し、樹々もなかに溶けて見えない濃密な闇の、その真ん中にしかし、先の一つ星が変わらず、針で突いたように点っているのが遠かった。
 家のすぐ傍まで来たところで、林の方の暗がりに何か浮かんで滑るものがあって、目の錯覚かとも思えたが直後、また浮かんだのに、蛍ではないかと脚を停めた。幼い頃にはよく目にしたものだが、その後消えて、ふたたび見るのに十数年は隔てている。折角だからと眺めていると、樹々の奥の方にももう一匹現れ、はっきりと光りはしないが沢のなかにもいるらしい。光を柔らかに、ゆっくりと灯しては落としながら漂い滑る姿のいかにも霊体めいて、なるほど、魂というものがもし目に見えて現れるならば、確かにこんな風かもしれないなどと、ありがちなことを思った。歌でも詠めれば風流なものを。

2017/6/21, Wed.

 目覚めると、雨の響きのなかにいた。枕に腰を乗せ、瞑目して耳を寄せるうちに宙を走る雨音の拍車を掛けて迫るのに、耐えるようにしていたが、じきに音がほぐれたようになって空間に沁み、耳にも馴れたなかから、救急車の音が薄く伝わってきた。雨はなかなかに厚く降り続いたが、三時頃に外を見ると山の姿が霞まずにあって、その頃にはもうそれほど密に詰まってもいなかった。
 疎らになった雨のなか、坂を行くと風が走って、煽られた木の葉が裏返って薄色を覗かせる曇天に、大気は蒸すともなくて馴染みやすい。街道に来ると雨はさらに衰えてほとんど消えかかっているところ、しかしその衰退の急調子に不規則を感じてまたすぐに来るのではと、傘も持たずに髪を濡らした女児の、何かを待つようにして道端に佇んでいる傍を過ぎて見ていれば、果たしてまもなくふたたび始まって駆けるのに、あの子はさらに濡れそぼっただろうなと背後を思った。雨はそれから、道中幾度か不安定に満引きを繰り返した。裏路地の初めにはもう弱まっていたが、中途、電柱に乗った鴉が背を伸ばし、羽を後ろにちょっと広げながら飛ばず、間の抜けた声で鳴いているのを見た直後、また盛って、前から傾いて流れるものにスラックスを濡らされているうちに、空き地に掛かる頃には早くも落着いて、耳も空いたなかに届いてくる虫の音の、蟬のそれに似て撓み波打つのを聞けば、アスファルトから陽炎の立つ炎天の景色が眼裏に映り、夏が香った。その後、降りながらも影が薄く浮かぶ間もあり、職場に着けばほとんど止んでいて、傘をばさばさやりながら見た空に雲は素早く滑って、なかに入ってしばらくすると陽の気配も見えた。
 夕方は雨中に涼しさが馴染んでいたが、帰路に雨はなくなって、いくらか蒸した感覚が出てきていた。裏路地を抜けてきて表を行きながら、蟋蟀らしき虫の音の間遠く渡ってくるのに秋めいて、稀薄に拡散するようによく鳴いているのはやはり、三〇度まで上がった気候に活発化するものかと思ったところに、直後、いや今日の昼は雨だったのだと気づいて打ち消した。前日の暑気を引きずっていたらしい。緩い上りを定かに踏みしめて萼紫陽花を過ぎ、街道が僅かな下りとなっても変わらず丹念なような足取りに、道が長いなと浮かんできた。それは苦しさではない。またどうせすぐ、気づかぬうちに流れ過ぎるようになるのだろうが、いまこの時ばかりは長いなと、充実のようなものが幽かあるなかに、自足とは結局、存在の感覚ではないか、現在を見つめ続けることとは、世界のそこにあることを通して己のそこにあることを絶えず確認し、感得し続けることに等しいのではと、分岐路を入りながら思念がどこからか飛躍してきたが、それからいくらも経たないうちにその存在の感覚も、流され忘れられたのだろう。

2017/6/20, Tue.

 昼下がりに到ると淡い雲が出てきて、陽の色味がやや抑えられ、粉っぽいような明るさの南窓だった。久しぶりに三〇度まで上がるらしく、シャツを着るとそれだけで、肌に触れる布地の感覚が煩わしいような夏日である。木の下の坂を行くあいだから既に汗が滲み、抜ければ肌はさらに粘る。街道は、前日は道路いっぱいを覆われていたものだが、この日は時間が早くて北側の家々から湧く蔭の丈がまだ短く、辛うじて歩道を隠す程度であまり恩恵にもならないそのなかを行きながら、これから二時間ののちには、蔭が対岸に届くほどに伸びるわけだと、その成長を思った。
 まさしく身を包みこむ種類の暑気のなかにあっては湯を浴びているのとさして変わりもないかのようで、路地を行くうちに気怠さが湧き、熱の厚さ重さに、不安はないが、このまま知らぬうちに意識をふっと落としたりはしないかなどと、ちょっと頭に過る。風は道の端々にあって、盛ると背は強く熱されたまま身体の前だけが涼んで汗が冷えるのに、思わずくしゃみが飛んだ。小学校では水泳が始まっているらしい。通った女子の小脇に抱えた色鮮やかなプールバッグがきらきら光るのに、まるでブランド物の鞄を抱いて毅然と街を行く婦人のようではないかと、大人びて映った。
 夜気も涼しいというほどでなく、温さが残って、襟に囲まれた首もとがとりわけ湿る。往路の終盤でも陽が少々減じてはいたが、それから本式に雲が湧いたらしく、いまはなべて均質に空は曇って星など一片も現れず、西では山影さえ霞んでほとんど吸収されかかっている。道には虫の音が、オーディオノイズめいてまっすぐじりじり伸びるもののほかに、同じノイズでもいくらか音が高くて撓むものなり、それらとは異なって空気をはらんで震える翅の軽い響きの明瞭なものなり、種類が増えて夏めいていた。

2017/6/19, Mon.

 覚めた窓は白く満たされていたが、じきに晴れに移行し、久しぶりに気温も高くなった日で、温めた豆腐を食えば肌着の下の肩が熱を溜める。それなのでシャツを脱いでアイロンを扱ったあと、仕事着になって出た夕刻、木蔭の坂を行くあいだは空気の軽さ柔らかさに仄かな恍惚が滲むようでもあり、梢も鳴って横枝が煽られ涼しいが、街道まで来ると西陽の照射が強い。通りを渡って逃れた先の家蔭は広く、向かいまで掛かって輪郭はしっかりしているが、まだなかに青さは見えず、かと言って黒と言うべき強さもない、乾いた夕影の色である。脚の下端まで背後を照らされて路地を行くあいだ、前方を帰る高校生らの背負ったリュックサックが揺れる拍子に、金具が光を跳ね返して、あるものはシャッターを切るように間を置いて、またあるものは道の果てから信号灯を送るように素早く明滅するのだった。
 帰路も夜気に温みが残って、肌に水気が浮かんで袖を捲らせる。月は下弦も過ぎて出はよほど遅く、夜半過ぎらしく、空は暗みながら澄んで、星の灯しが太い。勤務後の渇きに誘われて久しぶりにと自販機で缶を買い、右手に持つと掴んだ指から冷たさが伝わって、身体の方まで涼しくなるようだった。下り坂を行くうちに何か聞こえてきたのは、鳥の声かと思っていれば木の間の先、下の道の家から叫ばれる女性の声で、言葉は定かに聞き取れないが、よほど耐えかねることがあったのか、近所に憚りもなく、まさしくヒステリックなと形容するべき激しさで喚き散らしているのを、どこも大変だなと静けさのなかに聞いて過ぎた。
 風呂のあとにまた涼みに出ると、先ほどは晴れていたはずの夜空がもう曇ったようで星が一つもなくなっていた。葉擦れもなく、細かな気配が点々と立つのみの林を抜けて、電車や車の音が伝わって来るのを耳に受けながら、肌を冷ました。

2017/6/18, Sun.

 玄関を出ると、夕刻に、雨がぱらぱらと落ちはじめていた。身一つならば気に掛けるものでないが、紙袋に詰めた本を見れば、繁くなった場合にそれらを守る術がないのは難儀で、傘を持つか少々迷ったが、持てば持ったで荷の多さが煩わしく、募るまいと根拠なく振り払って踏み出した。最寄りの駅までは降り増さず、蒸した電車に乗って乗り換えで席に就くと、西行の歌を読みながら移動を待った。『山家集』の春歌に触れる折々に窓の外を見やると、空気は仄暗いものの傘を差している姿も見えず、停まった際に線路を確認してもさして濡れたさまでなく、粒も目に映らない。これなら、と思っていたところが裏切られ、三鷹は雨、ホームのあいだの宙に白糸が間断なく垂れていた。
 駅舎内の商店でちゃちなビニール傘を買い、袋を身に引き寄せながら、小さなそれで何とか雨を防いで歩き、古書店に到った。覚えず長居となって迎えた九時にも降りは続いており、二つに増えた袋をまた身に寄せて駅に戻ると、電車はやはり蒸していた。帽子の縁に触れられて頭の周りが一周、湿る。
 最寄りに降りると、止んでいたのがちょうどいましがた、また降り出したところらしく、足もとに黒い点模様が次々と付されていく。帰って食事と風呂を済ませると涼みに出た玄関先、続くのはしとしとと、盛らぬ雨で、風も呼ばず葉鳴りも生まず、断片的な、揉むような音だけが林から立つ夜半前、薄布をふわりと広げたように涼気が漂い掛かってくるのを、風呂上がりの温んだ肌に受けていた。

2017/6/17, Sat.

 風が吹いている。道には降りて来ず、林の高く、梢のあたりを流れて揺らすそのさざめきのなかに、雨の予兆をかすかに感じ取るような気もする暮れ方である。とは言えすぐには、おそらくは今日中には降らないだろうと思われた。街道に出ても、道端の旗は絶えず揺らめいてはいるが、身になかなか空気の流れの定かに触れてこなくて、膜のなかにいるような停滞感に包まれる。裏路地に入るとようやく、森に沿った東風が道にも通って、方々で葉鳴りを呼んでいるそれは時に速まって耳を覆うが、途切れれば温む肌に、服の内に湿り気の溜まっているのが感じられた。
 職場で会議を済ませて帰り際に飲み会に誘われ、一、二時間だけいるつもりでたまにはと出たところが思いのほかに安らいで、帰りは結局、未明三時の遅きに到った。街道では燕が既に、細かい声を散らしはじめていた。明けの気配はまだ見えず淀んだ空のもと、暗さに紛れるようにして、ともすればこちらにぶつかって来ないかと思われるものの、支障なく宙を渡っているのは燕は夜目が利くのか、それとも表道の街灯の白い光に誘われて起きたものか。途中、一軒の横に細く設けられた車庫の簡易な屋根の上から、猫がこちらを見下ろしているのを見つけた。まさしく深夜の象徴であるかのごとき真っ黒な体のなかに唯一刻んでひらかれたその目と向かい合ってしばらく凝視を交わしたが、こちらが多少の動きを見せても意に介さず、あちらは堂々たる佇まいを微塵も崩さずにまっすぐな眼差しを返してくるだけだった。
 飲み会のあとにはままあることで、歩きながらしゃっくりが出た。酒は呑んではいない。摂っている薬の作用があるのだと思うが、ジュースを多く飲むとどうも、おそらくは胃酸が増えるらしい。軋みが頭にまで及んだ身体を運んで帰り着くと四時も間近、服を替えてなおざりな歯磨きをし、風呂も浴びずにそのまま床に就いた。遅くまで外にいたせいか、布団の下で身体が熱を籠めていた。腹から胸のあたりもまた軋んでなかなか寝付かれないなかに、ひらいた窓の先から、普段は渡ってくる川の響きが耳に触れないのに気づき、空も白みかけているのに囀りも生まれず、ただ静寂が平板に沁みているのを訝しむようにしていると突然、何の鳥のものか、悲鳴のように潰れた叫びが激しく立ち、それが遠のいたあとから時鳥も鳴いた。

2017/6/16, Fri.

 起きた時から窓辺の空気が柔らかくほぐれており、午前はそのまま晴れていたはずだが、二時頃、ヘッドフォンを頭につけてモニターに向かい合っていると、いつか葉を打つような響きが耳に混ざりだし、背後で急な雨が始まっていた。ざっと一挙に盛り、雷も遠くから頻々と鳴って、時刻はやや早いが夏の夕立のようだった。引きも早く、家を出る頃にはもう、粒は確かな形を保って傘を鳴らすものの、ぱらぱらというほどに弱まっている。街道に出て望んだ空は薄白く濁りながらも明るく、北側は既に青さが現れているような具合で、雷の唸っていた南の方は一面霞み、雨はそちらに逸れたらしい。裏路地を行くあいだには、落ちるものが止みきらないままに陽射しが出てきて、頭部に楕円を描いたこちらの影が道に宿るとともに車のガラスに白さが収束して震えると、傘の下が熱っぽくなり、並んで既に傘を下げた小児らも暑さを零していた。
 図書館で過ごして七時前に帰路に就いたところ、宵どころか黄昏にもまだ到っていない明るさで、時刻から受ける感覚と実際の空の色との差に混乱を来たすような夏至前の日永に、西に浮かぶ雲が残照をはらんで、目から入って触覚を刺激するかのごとく滑らかに艶を帯びていた。乗り換えに一度電車を降りて、もう反映もないかと見回せば背後に、薔薇色の残骸が緩くくゆっている。最寄りに着く頃にはさすがに黄昏に入ったが、そこまで深くもなく、空にはまだ青さが明らかな下、道の空気は肌に涼しさが強かった。

2017/6/15, Thu.

 窓辺にいると、川の気を思わせる涼しさがカーテンの隙間から薄く入ってくる夕べだった。外に出ても空気は軽く、そのなかを抜けて行くのに、何らの抵抗もなく肌に添う。昼を過ぎるあたりまで曇っていたようだが、いまは晴れ間があり陽射しが通って、街道の二車線上に生まれた家々の蔭が、日なたに縁取られて巨大な切り絵のように浮かぶそのなかに、しかし夕刻の青さは稀薄で、空はまだ雲混じりで日なたも淡く、見通せば全体に混ざった明るさの穏和で、仄かな色調の夕景色だった。裏道へと角を曲がれば、淡青に接しながら丘の上に浮かんだ雲は太陽を隠して上端のみ明るんでいる。紫陽花がそこここで、花をひらきはじめている時節である。それぞれまだ小粒な花の周縁のみに色を塗って白緑を底に残したひらきかけのものは、集合して露出した吸盤めいて見えるが、裏路地にはもうだいぶ丸々と形を整えているものもあって、とは言えまだ色の統一が完成せずに、青のなかに赤味がかった紫が闖入して点じられたその混淆が目に触れて、過ぎざま、ミラーボールを思わされた。淡く長閑な夕方の気に誘われてか、幼児連れなり犬の散歩なり、道に人も、鳥も多い。
 月の遠くなった夜である。空は暗んで、地上でも線路の向こうの林の方に目をやれば、朧な家明かりと街灯の光がかえってそれを包む闇を濃くしているかのようだが、しかし雲は大方去ったようで、星が明瞭に現れてもいた。夕方よりも気温はやや下って、風もいくらかあったのだろう、二の腕を囲むシャツの布に、強い涼しさの貼り付いた感触が、覚えに残っている。家の近間まで来て眺めた近所の集落は、街灯と窓明かりをなかに挟みながらもいかにも暗く静かで、その先の川に沿った林も闇と同化し遠くの山影とひと繋がりに重なって黒々と満ちているそれらの上に見る星は、いくらか太く、膨らみを増したかのようだった。
 入浴中のこと、湯のなかにあった手をふと抜いた拍子に、水面に垂れて当たった滴の音のなかに、偶然生まれた明確な音程を聞き取ったのに惹かれて、それからしばらく、子どもの遊びのように繰り返し手を出し入れしては、ほとんどはうまく行かないが、稀に木琴を叩いたような軽く円い音色で、旋律の極々みじかな断片が現われるのを楽しんだ。夜半は文を書いたり読んだりで過ぎ、三時半の遅きに到って床に就いた窓の先に、遅れ馳せの月が浮かんでいた。まだ下弦まで減ってはいない膨らみがちの月で、正面に高く、ちょうど南中の頃合いかと思われた。

2017/6/14, Wed.

 午前には窓の外に陽の色も見え、空気に爽やぎが込められてもいたが、正午を越えて昼が下りはじめたあたりから曇りだし、外出の頃には窓が褪せていた。坂を抜けると暖気が雲を通ってくるようで、天を閉ざされた大気が温むなかに、それでも時折り風が走って軽やかに滑る。あまり周りを見ずに、ものをいくらか思いつつ路地を行くうちに、気づくと雲はさらに増えたようで、空の地の青さはほとんど覗かず、厚く詰まったものではなさそうだが青灰色に濃く沈んだ箇所も散見された。それでも雨はないと読んでいると、道の終盤に掛かって風が多くなったなかに、涼気が募って雨の気配が一滴点らないでもなかったが、大方降りはするまいとやはり払った。
 宵に到っても実際降るものはなく、むしろ空は、雲がいくらか減じて星が合間に覗いていた。何の虫なのか知れないがこの時期そこらで声を立てているのが林から鳴くのを聞くと、独り時季を外れた気早な蟬のようでもある。前日にもそれを聞いた空き地まで行くと今度はすぐ傍からじりじり発されていて、おそらく敷地の端の電柱からかと思われたが、至近に受けるといかにも押し付けがましいような声だった。家が近くなって入った下り坂で背後に突然、鳥の声が立ち、ちょっと蠢いて消えた。暗くなってから聞くのは珍しいが、画眉鳥のものかと思う。と言うより、あれほど闊達に滑らかにうねる声の持ち主をほかに知らないのだが、鳥の鳴き声というものにもある程度、本線のようなものがあるとするならば、それを敢えて回避し外れた道を行くその開拓精神の、フリージャズのサックス奏者の即興演奏を思わせもして、この時も、一瞬ではあったが、くねる煙の軌跡めいて流動し細く立ち昇って途切れた声の、木の間の静けさのなかに膨らむ無定形が眼裏に映って、一種、美しいようでもあった。

2017/6/13, Tue.

 薄い雨が淡々とした調子で、室内に音も伝わって来ず、降り続き、鼠色に霞んだ空気の薄暗い日だった。午後三時半、外に出れば、シャツの上にベストをつけていても、いくらか肌寒いような様子だった。鶯の声が林から膨らんで、濡れた大気のなかによく響いて抜ける。雨は弱く、傘を打つ音も立たないほどだが、その分、風と言うほどのものもなくとも空気の揺動に流されて東から西へと傾き、傘をくぐって腹のあたりを湿らせる。小学生たちはその程度の雨は意に介さず、畳んだ傘を振って裏路地を走り回っていた。路程の終盤にはさらに弱まって、降るでも流れるでもなく、羽虫のような粒がただ横に浮かぶほどに衰えたので、こちらも傘を閉じた。
 帰りにはもうかすかな粒も消えていたが、道は水気を含み残しており、交差点の信号機の赤がかき氷に掛けるシロップのように路面に滲む。世の一般に比べれば大した長さの労働でないのに、無闇な疲労感が身に乗っており、身体を動かす勤めでもないはずがとりわけ脚が固くなっていて、後ろ足の伸びて蹴り出す動きのなかにこごるものがあり、頭も重って頭痛の兆しが見え、欠伸がやたらと湧いた。路地の途中に暗くひらいた空き地に掛かると、薄闇の底に敷かれた草の間に鳴く虫の音に、甚だ散文的で詰まった声だが梅雨の肌寒もあってのことだろう秋を思ったようで、いまは表の車の音にも紛れてしまうような僅かな鳴きだけれど、九月にもなればこの広場もあの澄んだ蟋蟀の声でいっぱいに満たされるのだろうと、硝子色の響きを頭の内で先取りして聞くような思いがした。

2017/6/12, Mon.

 風がなくとも、涼しく、軽い空気だった。夕刻に到り、曇天が割れて晴れ間と陽射しが現れていた。影の定かに浮かびあがる暖かな西陽のなか、街道を渡り、背後に目をやって雲の裾に光る太陽を眩しがってから前に向き直ると、先ほどから鳴きを落としていた燕の姿が路上に現れ、まだ新しい一軒の方へ飛んで行ったのを、巣があるのだろうが、軒下に隠れきらずに宙を上下しているなと見ているうちに、もう一匹、誘いを受けたように出てきて、円弧を描いて家々の周りを回るその軌跡の、空中を切り取るような滑らかさが目に残った。
 裏通りを行っても、相変わらず、風は走らず、しかし空気は絶え間なく動いて肌をかすかに擦るのが、温もりのなかで心地良い。いつか、気怠さが湧いていた。肉体よりも精神のもの、二日間を家に籠ったあと、またこの道をあの場所へ行っているかと、生活の反復に倦み疲れたようなところがあるらしかったが、生とはその大方が、所詮は前の日の反復に過ぎない。陽に照らされてそのまま眠ってしまいたいような、鈍い倦怠だった。
 それでも勤めのあいだは人と話すので、段々と、望まなくとも気分が持ち上げられる。職場を出て一人に戻り、踏み出した途端に意識が切り替わって、いまの時間が如実に感じ取られ、そこまで一挙に飛んできたような気もして、背後に置き残してきた時間が、そこに入る前はいつも煩わしがってはいるが、また実に事もなく過ぎてもうなくなったようだと、不思議な感じがした。道には、風が生まれていた。満月を過ぎて出がだいぶ遅くなったのだろう、空に月の姿はなく、雲がまた湧いて埋めてもいるようで、その下に流れる風は湿り気をはらんでいるようだった。たまには表を歩くかと中途で曲がって街道を行くと、車の途切れ目に挟まる静寂が、日中、動きに満たされている空間であるだけに貴重で、裏道よりも深く、広い感じがする。街灯の距離が離れた一郭に入ると、前後の光が遠くて影も半ば混じりこむその暗がりに安らぐようなところがあって、普段の分岐路よりも前に折れてわざわざ暗い道を行った。中学校の脇の道で、片側の電灯は乏しく、もう片側に並ぶ家も古いものが多くて、人は住んでいるのだろうが窓明かりがなく、足もとの影の輪郭が崩れて頭が捻れたようになる。川沿いから立ち上がる林の横を行き、木の暗さに埋もれたようになっている家の前を抜け、分岐点に近くなると、風が通って、並ぶ梢が、夜空に溶けそうで目には定かに見えないが、さわさわと鳴りを立てていた。
 夜も相当に更けた頃、就床前に目を閉じて心身を落着けていると、沈みかかっていた意識が何かを感知して浮上した時間がある。カーテンを通して奥に小さいが、窓外の川の響きが、定かなようになっていた。耳を張っていると、遠くの方から気配が寄せてきて、風だろうかと窺っているとしかし早々と渡って来ず、葉鳴りもなくて、雨らしいと聞くうちに風を伴わないらしい降りの響きが近づき、膨らんだ。急に来たが窓を閉ざすほどの強さもなく、ごく短いもので、数分のうちに盛りを越して萎み、また静けさが戻った。

2017/6/9, Fri.

 道に出た夕刻、薄緑に染まった楓の横で、正面を走ってきた風の内に植物の匂いを嗅いだ。坂にはまだ多少距離があったが、その入口を通ってすぐ脇の、伐採された斜面の樹々の香りが乗ってきたものと見えた。傍まで来ると、かえって香りは立たずに消える。鵯が一匹、電線に乗って随分と切ないように、ざらついた声でしゃくり上げているその下を抜けて街道を行くあいだも、風に混じってさまざまな匂いが、数秒ごとに替わるがわる嗅がれる時間があった。風のなかの涼しさが肌にいくらか固まる刹那もあったが、曇天はやはり蒸して、歩くうちに汗も滲んで来る。
 夜になると空気の湿った感触も心地良く、捲った袖を肘の上まで引っ張ればさらに快く、肌に水気がはらまれているのがよく感じられる。満月の夜だが姿はなく、空にその在り処を指し示すほどの偏差も窺えず、雲はなかなかに厚いようだがその裏に光が渡っているのはわかると空の明るさに見ていたところ、徐々に現れはじめた。初めは繭の奥に籠った趣で朧だったが、家の程近くに来る頃には、やはり霞みが挟まってはいるものの、前日よりも黄に橙に明って燃えるように盛った円月が、暈もあまり広げずにぽっかりと露わになっていた。それから坂を下って、出口に掛かると伐られた樹の先の見晴らしが良くて、川音が立ち昇るなかのこちら側には近所の屋根の合間に街灯が忍び入り、対岸の灯も黒い壁と化した林に見え隠れして呼吸めくのを眺めるうちに、こうした夜があってそのうちに死んで行くのだろうと、思うともなく思われて、自分が既に晩年にいるかのような覚えが心安く点った。

2017/6/8, Thu.

 午前から正午付近までは曇りがちな空だったが、昼下がりから陽の色が出はじめて、四時頃には山の近くに低く浮かんだ雲が青さのなかで、溶けかけの氷のように稀薄に貼り付いていた。自宅の傍の坂を縁取る林では、しばらく前から伐採を行っていて、出かけて通るたびに作業員が樹に高く取り付いているのを見上げていた。もう大方終わったようで、この日の夕刻には人の姿はなく、ガードレールのすぐ向こうに、断面がやや歪んだ切り株が並び、そのあいだに嵌めこむように丸太が何本も寝かされて、頭上を覆っていたものがなくなりひらいた空間に広がる初夏の空の、五時を過ぎてもまだまだ失われない明朗さが、アスファルトに薄青く降り宿っていた。
 坂を抜けると走った風に、何か嗅いだような気がして鼻を鳴らしても、嗅覚に判別される定かな匂いはないがしかし、風の柔らかさそのものが香るかのようで、なるほど薫風とはこのことかと得心が行く。先刻よりもさらに晴れて、街道に出れば陽が射しており、影が斜めに伸びて先を行く。ポケットに手を入れて、肩肘張らずに身をすっと伸ばし、苦労のなさそうな、軽いような影だった。陽は思いのほか強くて、裏道の角で丘の傍から放たれるのをまともに浴びればなかなかに暑い。波の上の揺蕩いを思わせるような、ゆったりと進む吹奏楽の合奏が、中学校から渡ってきて林に跳ね返っていた。
 夜は蒸し暑いほどではないが夜気の肌に馴れたようなのに、暗んだ林の方に目をやればいつかどこかの夏の記憶らしきものが兆すようでもある。雲がまた出ており、しかし大陸めいて広く渡ったその量感も露わに明るく、ところどころにひらかれた穴に空の深い色が覗いているなかで一箇所、裾の方のみ白さが仄かに重ねられてほつれたようになっていて、あそこに月があるらしいと見ていると、じきに現れたのが満月だった。光暈を広げて近くは黄に、円周は仄赤く染めて、確かに雲の内に嵌まっているはずだが明るさは突き抜けて陰りなく、泳いで行く。下り坂の入り口まで来て再度正面に見上げても、まっさらに照って表面の模様も窺われず、光そのものが集合して円く固まり、形を成したかのようだった。

2017/6/7, Wed.

 起きた窓の外に風が多く、川の響きに混じって遠くから近くからさやぎが立ち、カーテンが円みを描く。梅雨入りと言う。出かける頃になっても風は続いており、坂の入り口に掛かると林が厚い響きを籠らせてよく騒ぐ。出口近くに立った木も、風にやられて葉を振り乱し、遠く市街の上にひらいた曇天を背景に黒緑の影が入り混じって形を変容させるそのざわめきに、目を惹かれて少々眺めた。街道に出て振り仰いでも、太陽の姿はない。
 風はしきりに走って道のあちらこちらで木立がよく音を立て、丘の樹々が枝葉をうねらせて流動化するが、肌寒さはなかった。白木蓮の大振りな葉を見ていると、その色濃い緑の前を流れて一粒、落ちるものがあった。雨の予報は聞いていたが、道行きのあいだ、降ることはなかった。下校する高校生らに抜かされながらとろとろと歩いているうちに、身体がほぐれてきたようで、恍惚でもないがいくらか心地が良いようになり、緩慢に駅に入ると、ホームに立って風を受けた。右から頬に当たってくるかと思えば、もう左に変わっている。帽子のつばを持ち上げては下げ、胸にも凭れかかってきて、ちょっと後ろに押されるくらいの強さがあったが、しかし、湿り気が弱いのだろうか、雨が降るようには思えなかった。
 図書館で窓際の席に就いているあいだに風はさらに強まり、厚いガラスの向こうから唸りが頻繁に鳴って、眼下では街路樹が頭をばさばさと回して狂っているのが見られた。六時に到り、腹にものを入れるとともに空気の質感を肌に確認しておくかと、外に向かうと、自動扉の境に掛かった途端に、円く突き出したような形の風が立ち向かってきて身を浸し、目を細めさせる。コンビニでおにぎりを買って、ベンチに座って食うあいだ、腹の軽さに加えて確かに気温も下がったようで、肌着にシャツ一枚の身体が震え、温かい飲み物が欲しくなるくらいだった。しかし、ともすれば強い吹き降りになりそうな風の募りではあっても、肌触りが軽いのだろうか、やはり雨の気のようなものが感じられず、降ってもさほど強くはなるまいと見えた。
 実際、降り出すには夜になるまで掛かって、館を出た頃にようやくいくらか散るものがある。最寄り駅に着くとそれでも強まっていて、短く繋がって枝分かれする雨の線が電灯に白く照らされるが、尋常の降りではあった。傘は持っていないが急ぐほどでもないと、シャツを湿っぽく濡らされながら帰った。

2017/6/6, Tue.

 窓から流れこんでくる涼気が、起き抜けの肌にやや寒い曇天だったが、日中には、アイロンを手に持ちながら上半身を晒した格好になっていた。三時半を迎えて出た道は、さほど蒸すでもなく、ベスト姿の身体に馴染みの良い大気の質感である。雲は場所によって青さを透かしながら薄く一枚敷かれた程度で、太陽は西の、まだだいぶの高さに、雲よりも白く刻印された姿があった。その温もりがやはり触れてくるようだが、折りに風があって、耳を包むくらいには速くなる。
 夜は南の空に、真月に近づきつつある月が、赤く籠った光暈を纏って浮かんでいた。道を行く途中、ふと、午後一〇時の涼しい夜気のなかにいる自分に気づく瞬間があり、この日は普段よりもいくらか長い勤務だったのだが、そのわりにいつの間にかのように、事もなく過ぎたなと、後ろに去って行った時間へと視線を振り返すようにすると、始まりの夕刻がもうずっと遠くに、見えないくらいに思われて、忘れてしまうようだった。しかし事もなく、とそう思うなかに、時の過ぎざまに触れられた時の、やるせない空疎さのようなものもない。煩わしい労働の時間だったから、気づかぬうちのように過ぎてくれて良かったと、そういう話でもない。消えてしまうものは消えながら、至ったこのいまの夜道に、自足らしきものがあった。
 左に月を見上げると、欠伸が出た。隠れがちの月白だが明るくて、雲のうねりに煙いような空の、それでも四方に浸潤しているのが確かに見て取れる青みを露わに映し出す。月が沈めば雲の姿形も紛れて、青さの深まりが水底めく。最後の坂に入るところで、正面に高く、ふたたび掛かったのは、南中を少し越えたほどらしかった。