2017/8/24, Thu.

 続く暑さのせいで眠りの質が落ちでもしたか、身体のこごって頭が鈍く、脚も固い朝の道だった。家を出ると、林から葉が降っている。坂に入っても、まだ薄緑を余したものも茶色く変わったものもそれぞれに降って、風も感じられないのに、と思って上って行ったところが、出口間際の斜面に立った樹々が薄白い空を向こうに枝葉を柔らかくうねらせてさわ立ち、過ぎると身にも吹いてきた。近頃受けた覚えのない、結構な分厚さの、吹きぶりだった。
 街道にいるあいだはさほどでないが、ふたたび裏に入ると、窄まる道幅と壁となる家々に密にされるのだろう、また膨らんで、すれ違う女子高生も、今日は風がある、と困ったように漏らしていた。スカートを履いているから、男子よりも敏感なのではないか。空は曇って、半端なような青灰色が乱れうねって襞を成しているなかに、陽の艶の仄かな白さも小さく見られて、雲を通ってきた熱は身体の前を覆って膝まで温める。しかし明るさとてあまりなく、駅の近間の小社に生えた百日紅の周りも朝から薄く澱むようで、強いピンクの染みた花々が大して鮮やかにも映らなかった。
 正午を回って早めに引けると晴れており、酷暑が奮って、駅で屋根の下に入っても線路の上を漂う熱気が迫ってくる。最寄りで降りるとあたりを舐め尽くす陽射しが、身を包むと言うよりは容赦なく押し当たるように襲ってきて、思わず目つきを険悪に細めながら負けず押し合うようにしてホームを進んだ。帰路を辿りながら、まったくどこにいても蟬の声が降ってくるなと、別に嘆くわけでないが、心中独語される。その声の源となる林の樹々の、底まで色が完全に染み通った、目覚ましいような深緑が青々と目を捕まえた。

2017/8/23, Wed.

 目を覚ましてカーテンをめくると、久しぶりで晴れ晴れとした、濃く締まった青さの空が見られた。三四度まで上がると言われる猛暑が訪れ、早朝、家にいるあいだから肌は汗ばんでいた。行く手に太陽の浮かぶ朝の道は眩しい。しかしそれほどの陽射しの圧でなく、顔を横にちょっと曲げて斜に構えれば道の先を見通すことができ、光に包まれても息苦しさを感じることもない。青い瓦屋根が縁に光をいっぱいに膨らませて純白の筋を作っているのを見やり、シャツの背をぱたぱたとやりながら行った。
 飯は帰ってから食う習いである。七時から何も入れていないまったくの空腹を抱えて昼下がりの酷暑を渡る自信はないから、帰りは電車を利用する。ものは食わなくて平気でも、水は足りない感じがしたので、カルピスを買って飲み、コンラッド『闇の奥』を読みながら立って電車を待った。目の前に停まっていたのが行ってしまうと、蟬の声が丘から届くようになり、熱気もついてきて、頁の表面がやや明るむ。車内では本を読み続けながら、睡気に纏われていつの間にか目が閉じており、降りると覚めたばかりで鈍い身体に熱波が襲いかかった。坂の入り口に生えた紫陽花は茶色く枯れ尽くしているが、それはそれで美しくはなくとも一つの色と見える。通りざま、辛うじて形を留めた小さな花びらの縁に、ピンク色の残滓が点々と見えた。木の下に入ればツクツクボウシが忙しなく、競うように鳴いており、そこを過ぎると今度はミンミンゼミが左右から、線のように鳴き声を降らして、頭の横がじりじりと刺激された。

2017/8/22, Tue.

 朝の道に、久しぶりで薄陽が洩れている。さほど湿気た空気でもなく、閉塞感にも囲まれず、どちらかと言えば開放の感覚が大気中にあったようだ。裏路地の途中で陽射しがやや強まって、眩しさに視線を上げづらくなるが、熱が身体の前面に掛かってもやはり大した暑さでなくて、汗も転がるほどに湧かない。
 帰りは電車を取った。駅には通路にもホームにも、肌の浅黒いアジア系の姿が見られ、大学生が夏休みで山の方にでも遊びに行くのだろうか、正午過ぎの車内は気楽そうな若者たちで混み合っていた。降りると、陽がいくらか残っている。坂に入ると、ツクツクホウシの泡立つ声が初めは聞かれていたが、下りて行くうちに強く拡散するアブラゼミの響きがあたりを制して、ホウシの騒ぎもそれに呑みこまれて行った。

2017/8/21, Mon.

 夜半頃から降り出した雨の名残があって、路面は湿り、やや霧っぽい朝の道だった。街道から見通した先の丘も姿を薄めて、空は鈍く濁った灰青に静まっている。裏路地に入ると、網状の蓋を四角く嵌められて排水口から、増水した流れの響きが吐き出されていた。僅かに暖気は浮いていたようだが汗をかくほどでなく、欠伸を度々漏らしながら行っていると、百日紅の固そうに丸まった蕾に露が残っていた。
 昼がいくらか下って仕事を引けたあとはコンビニに寄り、諸々詰めたビニール袋を片手に、空腹でのろい歩みを進める。稀薄な光が出てきており、陽の下を歩くのも久しぶりと思ったが、すっきりと晴れるわけでなく、まだ大方雲に占められている。とは言え場面によっては、車の縁を白く艶めく球が滑るほどの光量もあった。うつむきながら歩く視界に入ってきたものにはっと見上げると、蝶である。柔らかく宙に切りこむように、体を動かさずにすっと流れて一軒の戸口に降り、静止してからゆっくりと開閉されるその翅の、橙色のグラデーションに斑点が付された模様にしばらく目を寄せてから離れると、表に出たところでふたたび同じ種の一匹が前を飛んだ。坂まで来ると、周囲の樹々の緑や幹の輪郭がくっきりと立って映るような感じがあり、木の間に遠く覗く川の、岸を埋めて蔓延ったその夏緑にまで目が届く。
 帰ってしばらくしてからアイロン掛けをする頃にはもう陽がなくなって、居間の南窓に見えるのは、襞もなく薄膜そのものと化して空にぴたりと溶けこんだ雲の広がりである。怠け心が出てインターネットに長く耽ったために、夜には目の霞みと頭痛にやられて、書き物に十分励むことのできない不甲斐ない半日だった。

2017/8/20, Sun.

 大層な寝坊をして昼近くに覚めると、寝床が薄陽のなかにあった。久方ぶりの暑さと思ったがじきに曇って、図書館に向かう道中、木下坂を抜けると脇に停まった車の黒いガラスに、うっすら白い西の空が映りこんで太陽は稀薄に印される。東は水底に立つ砂煙のような、青灰色に沈んだ雲が広くあたりを占領し、雨を思わせ、湿気の満ちた蒸し暑い大気に服の裏も粘って汗ばむ。路地と線路に沿った林からアブラゼミもミンミンゼミもツクツクホウシも、果ては薄く蜩までも勢揃いに次々混ざって鳴き立って、時計を見れば時刻はちょうど四時を指していた。
 図書館をいくらか回ったあとは新訳文庫のコンラッド『闇の奥』のみ借り、さっさと駅に戻って乗車、乗り換えを待ちながら何をするでもなく立ち尽くすホームに、丘から絶え間なく泡立ち湧いて止まない蟬の声が届く。上空には薄灰色の雲が掛かっているが、風はないらしく、動きは見極められぬほどのろく、熟成したような深緑に染まった梢も僅かにも揺れず、地上の身にも涼しさは触れて来ない。最寄りで降りて家の間近まで来ると、鳴き声の籠った林のなかから蜩の音が一つ際立って、カナカナと残響をはらみながら伸び出してはまたするすると消えて行った。

2017/8/19, Sat.

 分厚い蟬の合唱が坂の全域に降って頭を包み、耳を聾せんばかりの、内に入りこんで侵さんばかりの騒がしさである。低みからは、連日の雨で勢いを増しているらしい沢のざわめきが加わっていた。雨も伝えられる曇り空だが、最寄り駅へと上る合間に肌は汗ばむ。電車に乗ると半分は本を読み、半分は瞑目の内に休んで立川に至った。月に一度の会合の期日だった。
 郵便局に寄ってからすぐ傍の喫茶店に入ったところが、席に空きがない。やってきた友人とも合流して他の店を探り、都会的なポップスの掛かる一店の二階に落着いた。二、三時間、話をしてから出ると、交差点から見上げる広い空に薄暗んだ雲が湧き、通りの空気にも鈍色が忍びこんで、雨を思わされる。歩道橋に上がって見晴らした南西の空に、僅かに白さの明るい一帯が覗いていた。
 書店を回り、次の会合までには葛西善蔵を読むことになった。出てくると雨が降り出しており、結構な勢いで音を立てながら落ちるが、風はあまりないようで、まっすぐ下って吹きこんで来ない。傘を持っていない大方の人々と同様に、歩廊につけられた屋根を辿って渡った駅前広場、屋根の縁から激しくぼたぼたと垂れ落ちる雫の壁を前にして、運動着姿の日に焼けた女児らが手を伸ばし、陽気にはしゃぎながら水に触れていた。時間は早めだったが駅ビルのなかにあるお好み焼き屋に入って、鉄板を前に汗をかきながら八時までゆっくりと食事を取った。
 帰路に就いても雨は続いて、最寄りに戻ってきても残って、しかしもうそれほどの強さでもない。傘はないので濡れるがままに、丸めた鞄を抱えて慌てずに帰った。夜半に至るまで窓外で、鈴をちょっと振り鳴らすような、房なすような虫の音が散らされて、秋に移りつつある風情らしかった。

2017/8/18, Fri.

 玄関を出ると、湿り気の肌を囲んで重いような朝だった。低みに走る川から靄が湧いてわだかまっており、ある高さを境にぴたりと切れてまっすぐな上端を印すその濁りの、電線のあいだに見れば隙間なく緻密に蜘蛛の糸が張られたようだった。数日籠ったあとの外出で、坂を満たす蟬の声のなかに入るのも久しぶりのことだ。空気はあまり流れないが、汗が滲む蒸し暑さでもない。傘を持ったが使う機会はなかった。
 裏通りの一軒を彩る百日紅は、見ない間に花が落ちて、その残骸も地にも塀の上にも少なく、縮れたピンク色の嵩が随分と減って軽い装いになっていた。しかし例年、ここからまた、終わったかと思えば息を吹き返すかのように長く咲き継がれるのが、この花の常である。もう一本、駅の近間の小社に生えたものが目を惹いた。紅色の濃くて緋に近く、それほど膨らみ盛るでないが梢の各所にひらいた花の、その整然とした鮮やかさに、視線をじっと捕らえられながら通り過ぎた。
 働くあいだに雨が通ったらしく、仕舞えて出てくると道に濡れた痕が残っていた。建物の合間に覗く丘に霧の掛かって、何か見馴れぬような知らない場所のそれを見ているような、住む町の風景が風景らしく見える日である。空気はやはり停滞しており、蒸し暑さが生まれていて、欠伸を洩らしながら行く道の曇った白さが、まだ昼下がりなのに五時頃のような感じがした。
 行きにも通った百日紅を反対側から通り掛かって改めて見やれば、あれほど花の重って塀からはみ出た枝の低く垂れていたのに、今はすらりとした立ち姿を保って、まるで枝が短くなったようだと思われた。家の傍まで来ると川の靄は薄まっていたが、山は空から一続きに乳白色の霞みに籠められて、何層にも重なった白さのかえって薄明るいような、見ようによってはかすかに眩しいようなと感じられた。

2017/8/14, Mon.

 どこかの街に出かけて行きたい気持ちがあったが、同時に、起床が遅かったこともあって億劫でもあり、特段の目的地が思いつかずに結局自宅に留まったその代わりに、夕食後には軽い格好で近場を歩いて回った。昼に降っていた雨は大方止んでいたが、いまだぱらぱらと散るものがあって、空は濃く暗んで街灯の裏で家も樹々も一緒くたに澱んでいるなか、山に重なって靄の湧いているのがかすかに見て取れる。どことも知れない闇のなかから蟋蟀の声が響く坂を上って行き、ふたたび山の方を見やると、暗中に仄白い影が混ざっているのがかえって、その裏の夜を密に深めているような感じがした。裏道の緩く曲がった角には、光とともに霧が溜まって煙っている。
 道端の草のなかに生えた紫陽花の、同じ株のほかの花はとうに茶色く枯れ尽きているのに、ただ一つのみ遅れ馳せに、あとから継がれて作られたように、丸く青々と咲き誇っていた。いつか雨がいくらかまさって、黒い肌着に露が散っていたが、傘は閉ざしたままに足の脇を突きながら行くと、通りすがりに見上げた小さな百日紅の花枝の、瞬間白い光を纏って、光沢を施された蠟細工のように艶めいた。坂を下って家のすぐ傍に出る間際、閉じた二枚貝のような電灯が散って侘しい夜の景色に目が惹かれ、視線が果てまで闇の奥に引っ張られてそこから、視覚のみならず五感が宙空に広がって行くような心地を覚えた。夜の独り歩きというのはやはり、感覚を十全にひらいてくれるものらしい。

2017/8/12, Sat.

 朝の九時前には車に乗りこんで、山梨にある父親の実家へと出発した。少ない眠りを補おうと瞼を閉ざしていたのだが、そうするとかえって車の揺れが三半規管に強く響いて、たちまち気分が悪くなった。視覚情報があって空間が定かに固まっていたほうが、まだしも酔わないらしい。それで目をひらいたまま拷問のような吐き気に耐えていると、ある駅前の大通りに連なる百日紅の並木に行き会った。昨年も同じ道を通って山梨へ行く際に、白にピンクにもう少し濃い赤の花がそれぞれ盛りを迎えて続いているのを壮観だと眺めた覚えがあったが、今年のそれは同じく満開ではあっても、雨を受けて花が重ったようで、弧を描いて垂れ下がる枝のいくつか梢からはぐれて突き出しているのが、いささか無造作に崩れているという感じを与えた。
 鬱蒼とした森の左右に迫る峠道を抜けるあいだは、折々に強い悪心に襲われた。左右の揺れは大したものでない。しかし時折走る上下の振動を受けると途端に吐き気が高まって、この分では本当に吐くのではないかと思いながらも、黙ってやり過ごし、山梨に入ってしばらくしてからスーパーに着いて、両親が買物をしているあいだにシートを倒して微睡むと、だいぶ回復して気分が落着いた。ふたたび森の合間をうねる道を上って行き、山間にある祖母の宅に着いた頃には気力を取り戻しており、挨拶もそこそこに庭に出て、敷地の端からあたりを眺めた。道中、雨の駆ける時間もあったが、今は薄陽が漂っており、足もとの下草には露が残って、明快な薄緑のなかで光を弾いている。北側の山を仰ぐと、乳白色の濃い靄を頭に積まれて稜線は未だ定かならず、しかしその霧は谷間に沿って素早く下り流れていた。
 兄夫婦と幼い姪は、特急とタクシーを乗り継いで先に着いていた。赤子と戯れているうちに正午が近づいたので、チェーンの寿司や惣菜を卓に並べて食事となった。たらふく食ったあとは何をするでもなく、また赤ん坊に触れたりして過ごし、消化が進むと別の間に移って座布団を敷き、横になって一眠りした。起きると既に四時頃だったろうか、盆の帰省で通常は墓を参るところだが、こちらが寝ているあいだに、足腰のもうあまり良くない祖母や赤ん坊を連れて歩かねばならない嫁を慮って墓参はなしと決まったらしい。それで寝転がってちょっと読書をし、その後は葡萄を食ったりとまた何でもない無為を楽しんで、六時過ぎには帰路に就いた。

2017/8/10, Thu.

 覚めた時から雨降りの、仄暗い朝だった。早朝から既に、窓の外は石灰水の色を満たされて霞んでいる。盛るでなく、軽く落ちて斜めに流れる雨粒に、道を行きながらスラックスを濡らされた。終盤では足先も少々湿り、雨は風を受けてほとんど水平に流れるような具合だった。百日紅は最盛期だろうか、紅色の花房が豊穣に、塀の外まで重たるそうに膨らんでいた。
 雨のなくなった帰路には森の方から、搔き混ぜるような蟬の音が白霧めいて湧き出して、道に沿って離れず続く。腹は空で、食べ物を欲する胃の臭いが喉元に立ち昇ってくるようだが、足を急がせず、傘をつきながら抑え気味の歩みで帰った。雨後の坂には鳥が盛んに飛び渡っており、その下を抜けて遠目に現れた川を見下ろすと、絵筆をいくつも洗ったあとのような濁った緑色で、その川面からは靄が湧き、乳白色に濁った空気が空から山まで全面に覆っていた。

2017/8/9, Wed.

 前日の疲労が残って身体がこごり、胸のあたりがとりわけ軋んで痛い目覚めだった。曇ってはいるものの、まだ微睡んでいたうちから凄まじい暑気の籠った朝で、起きてからも身の固さもあってだらだらと床に留まり、正午を回ってから部屋を出た。じきに雨が来るだろう、洗濯物を入れなくてはと、食事をしながら先ほどよりも薄暗んだ窓の外を窺っていると、皿を空にしたところで外に出ていた父親がぽつぽつ始まったと知らせに来たので、ベランダのものを取りこんだ。それからしばらくして、本格に降り出した。風はないようで、傾かずまっすぐ落ちて、窓枠が濡らされることはなかった。
 暑さに怠惰を決めこんで床に寝転んで過ごし、それから英語を読みはじめたものの睡気にやられて、なかなか使い物にならない日である。夜にはようやくいくらか涼んで、窓辺に座って外に耳を張ると、翅を擦り合わせる感触を露わに含んで短く鳴き連ねている声に、秋めいてくるようだ。一つの声が収まってもその裏から別のものが現れて、まだ稀薄だが様々な鳴きが常に留まっているなかに、そのうちに何か、黒板を擦るような甲高い声が聞こえた。猫とも鳥とも判別できず聞いていたが、近づいてくると鳴き声のなかに細かな粒立ちがあって、それで鳥だろうと検討をつけた。素早く移動しているらしく、声は遠ざかってはまた近づきながら、夜闇を騒がしく貫く。その後、茶を用意しに上がって行くとしかし、鳥ではなく、狸かハクビシンかと言った。様子を見に行った父親の目の前を、何か獲物を咥えて通ったらしい。

2017/8/8, Tue.

 凄まじい湿気の室内に充満した曇天で、朝の早くから非常に蒸し暑かった。台風は石川の沖あたりに抜けたらしく、道に出るとほとんど降っていない。屋内を出てすぐには多少涼気も感じられたが、歩くうちに暑くもなって、風が止まればやはり蒸し暑さを逃れがたい。森の高みに靄が湧かず、雨気があまりないようにも思われたが、じきにやや繁くなったので傘をひらいた。百日紅がますます紅色の量感を増し、重そうに濡れて塀の外まで垂れ下がっている。
 午後には台風はよほど過ぎたようで雨の気配も失せて、余計な荷物となった黒傘を提げて図書館へ、予想通りに席に空きはなく、取って返して出ると陽が薄く現れており、水の抜けた身体に重い暑気だった。ともかく飯を食おうと近くのレストランに入り、食事を済ませたあとに書き物をしようと思ったところが、睡気にやられてモニターを見る目が揺らぎ、言葉の感触を吟味できない。そこで先に眠りを稼がなくてはと駅に戻って、電車内で意識を短く失い続けた。
 乗り換えのホームから望んだ東の空はまろやかなような稀薄さに青く、雲も平たく淡く乗っている。国分寺に着くと駅ビルのなかの喫茶店でしばらく文を記し、六時を前に待ち合わせの改札前に移った。雑踏の合間を満たして籠る熱気が息苦しいほどで、これでは熱中症にもなろうと頷かれた。相手と合流して駅を出て、再開発中の高層ビルを掠めて遠い空に視線を送ると、雲の原のなかに夕陽の橙が忍んでいる。
 古書店を回ろうという話が目的の店は二軒とも休日、仕方なしとバールの類に早めに入って、著名なポップス曲の気怠いアレンジが掛かるなか、軽食をつまみながら話を交わした。九時を間近に出てもまだまだ熱気の籠って粘つく夜気で、空に満ち満ちた夜が色濃い。駅で別れたあとは頭痛に苦しみながら電車に揺られ、最寄りで降りると空が明るく、南に満月が雲をものともせずに特有の白さに冴えていた。結構な頭痛と疲労のために帰宅するとすぐさま横になり、そのまま起き上がれずに休んで風呂に入るのも零時を回る頃になった。

2017/8/7, Mon.

 血の巡りがまだ鈍く、陽射しの露わなのにも怖気づいて、朝の出勤に電車を選んだ。肌に熱が押しつけられ、さらには貼りつけられるようだが、思いのほかに身体は定かで、それほど重さも感じず揺らがなかった。駅に行くまでは雲が湧きつつもどちらかと言えば青空の印象が強かったものの、電車内から南の町並みを見晴らすと、雲は多く、西の丘から天頂付近まで広く蔓延している。降りて職場に入る直前、東空から雲を貫き注ぐ光が、純白に烈しい眩しさだった。
 帰路も電車を取り、乗りこんで扉に寄ると、外で絶え間なく風の吹いていることが目に見えてわかる。近くの欅は枝葉を振り乱し、丘の濃緑はどこを見ても流動的に蠢いてやまず、線路の周りに生えた低い下草までも左右に靡いて伏している。雲は白く濁って厚く、丘の向こうから押し出しており、景色のなかに雨の予兆が明らかだった。台風が近づきつつあるとは聞いていた。降りて道を行くあいだはまださほど暗くはなかったが、帰って食事を取っているうちに空気が薄暗く沈んできて、そろそろ来るかと窓に視線を上げれば、音もなく既に始まっていた。しばらく静かに流れていたが、じきに盛って窓に打ちつけるようになり、その後不安定に、潮を模すように時折寄せてはすぐに引きながら、夜まで執拗く降り続けた。

2017/8/5, Sat.

 四月二〇日に兄夫婦に生まれた姪の百日祝いで、朝から都心へと出る都合だった。両親から少々遅れてゆったり歩く道の上、空は雲がちではあるが陽が露わに明るく、数日ぶりに肌を照られる感覚がある。暑気に浸けられながら最寄り駅へ行き、電車内では瞼を閉ざして眠りを稼いだ。それほど深く落ちたわけでなく、行き過ぎる駅々の名をアナウンスに聞いていたが、終点に着いてみればそれまでの時間がひどく短く、あっという間の感が立った。乗り換えては席に空きがないので、扉際で谷崎潤一郎を読みながら到着を待ち、新宿で降りるとうねり返る雑踏を抜けて地下鉄に移った。地下鉄を利用するのは久しぶりで、乗っているあいだは頭がびりびりと痺れるような轟音に、こんなにうるさかったかと驚いたものだ。
 駅から繋がった複合施設のなかにあるスタジオに両家で集って写真撮影、撮影者の女性がさすがに慣れたもので、唇を震わせ頓狂な声を発して赤子をうまく笑わせて、写真には満面の笑みが収められることになった。一時も近くなってからふたたび地下鉄に乗ってお食い初めを行う料理店に移ったところ、先ほどはあんなに機嫌良く笑っていたのに、ここでは姪は落着かず、儀式のあいだもまさしく雷のような凄まじさで泣き叫んだ。祈願の終わったあとは会食となり、こちらは例によって大して言葉も発さずに出される品々を黙々と食い、四時を間近におひらきを迎えたあとは、兄夫婦、あちらの両親、こちらの両親と順当に別れて、一人電車に乗りこんだ。前々からその評判を聞いていた荻窪古書店に寄ってみるつもりだった。
 夕刻を前にしても暑気はさして弱らず奮って、液体のようになった光が細胞を溺れさせんばかりに肌に沁み入ってくる。古書店では長く見て回るうちに欲を駆られて、二、三冊にしようと思っていたところが結局九冊を買わされた。出る頃には暮れに入って、雲の広く伸し掛かった下であたりは半端に濁ったように薄暗み、どことなく匂うような風合いを帯びて雨の雰囲気かとも思われたが、西は半分晴れており、そちらまで及んだ雲の縁に夕陽の黄金色が滲んでいた。自販機で買った水を身体に補給しながらそれを眺めたあと、重った紙袋を胸に抱えて駅に戻り、電車に揺られながらまた谷崎を読んだ。
 この日は地元の花火大会に当たっていて、降りると田舎町のホームが珍しく人群れで沸き返っており、警備員が客を誘導する一方、ホームからの花火見物は禁止されていると頻繁なアナウンスがかしましい。こちらは乗り換えを待つ必要があるのでベンチに座り、本を読んでいたところが、突然破裂音が轟き降ってきて、人々のどよめきとともに花火が始まった。すぐ近間の丘陵公園から打ち上げており、大きく花開く炎の輪が空いっぱいに迫って絶好の眺めであり、さすがに書物からも視線を離し、首を後ろにひねって見上げる。炸裂する響きの耳のみならず身体を圧して重く、ホーム全体が振動しているのがわかり、また押さえたページにも震えが伝わっているのを指先で感じ取った。夜空に撒き零されるとりどりの宝石めいた輝きをまっすぐ見上げれば勿論壮観だが、身体を前に戻したそちらでも駅舎のガラスに光が映りこんでおり、窓の大きさに切り取られたために図形の統一を失って細かく立ち交じるようになった彩りの、無愛想な建物を鮮やかに装飾するようでそれはそれでかえって見ものだった。

2017/8/4, Fri.

 早朝、新聞を取りに玄関を出ると、視界の端を擦るものに気が惹かれ、そちらを見れば雀の一団が地面に飛び降りているところだった。滑らかな軌跡で下草に降り立ってしばしののち、同じ流麗さでもって電線に戻り並んだ雀たちの、遠目に造型も定かならず、朝の潮垂れた明るさのなかで枯葉のように茶色く褪せて見えた。前日に変わらぬ曇りの空だが、八時の出勤路には蒸し暑さが始まっていた。街道沿いの公園からは、ミンミンゼミの叫び声が周辺に広く放射されて車の音より騒がしい。この朝も眠りは少なかったはずだが、もとより脚が軽く、睡気もなくて、肉体がぶれることなく非常にまとまって落着いている感じがした。ピンクの百日紅は一日ごとに色濃く充実して嵩を増すかのようで、路上に落ちたものよりも、枝先から近く塀の上に溜まった花の方に目が行く。
 この日も帰路は電車を取って、最寄りを降りて坂に入り際、濁った白さに塗り重ねられた雲の灰色に、瞬間雨の匂いを嗅いだ気がしたが、結局一日、降ることはなかった。家の前まで来ると、白い蝶が二匹、連れ立ってうろうろと宙を舞っているのに行き会って、しばらくその様子を眺めた。まもなく一匹が低木の枝葉のなかに隠れて止まると、もう一匹もその傍につき、相手をしつこく口説くかのようにその場に留まって、動きを休めることなく羽ばたいていた。いつまでもその構図が破れないので、もう家に入ろうと戸口に向かって階段を上りかけたところで、二匹はまた宙に戻って、時々触れ合いながら舞っていたが、じきにふっと離れて左右に別れ、ふたたび合流することなくそれぞれの方向に消えて行った。