目をつぶって深呼吸をはじめるといくらもしないうちから脳が浮遊しはじめた。昼寝をして一度目覚めてから再び眠りはじめるときによく経験する金縛りの感じにもいくらか似ているようだった。巨大掲示板の片隅でくり広げられている幽体離脱についての議論を読んだことがあるが、そこで言及されていた感覚はこれなのだろうといつのころからか思っていた。ともすれば意識が飛ぶかもしれないという不安があったが意地なのかなんなのかともかく三十回までは呼吸をこなそうと続けていると、自分の周りの空間が極小化して体にぴったりとくっつくような意識と、極大化して無限に広がる空間のなかにぽつんと取り残されているような意識が交錯し、同時に幽霊じみた不定形な塊が喉の奥にわだかまっているような感覚も得た。それはまだ年齢が二桁にもならない時分、熱を出して寝こんだときにいつも見る黒い夢のなかで体験したものと同じだった。
七時四十分に起きてうどんを煮込んで食べた。南窓から直線的に射しこむ光が背中を暖かく濡らすなかでRadiohead『I Might Be Wrong』を流した。続けて『OK Computer』を流しながらHさんの『惑星探査隊』を十頁読んだ。ものすごく久々にRainbow『Difficult Cure』などを流しながら腕振り運動をした。高校二年の合唱祭の時期、毎朝アラームで流している"I Surrender"を聞くと「朝練だ、朝練だ」と言っているように聞こえて憂鬱になりながら起きるとNが語っていたのを思い出した。体をほぐすとガルシア=マルケス『族長の秋』を冒頭から七頁読み、それからVirginia Woolf, Kew Gardensの朗読音源を流しながら原文を読み、わからない単語を調べると同時に手元にあった西崎憲訳『ヴァージニア・ウルフ短篇集』も参照した。このちくま文庫版の訳は日本語としてどうしても気に入らなかった。川本静子訳のみすず書房版を早急に借りるべきだった。Miles Davis『In A Silent Way』を流して『古井由吉自撰作品 二』を一時まで読んだ。
春の訪れがすぐそこまで迫っているような暖かさだった。西陽が影をさらって道の脇の石段や古屋の木の扉の上に映しだした。高校生の下校時間であり、女子高生の群れに囲まれる居心地悪さを避けて表通りを歩いた。新聞屋の向かいの家では隙間のあるシャッターを閉めたなかで男性と犬がボール遊びをしていた。男がボールを投げた途端にいかにも愛玩犬らしいもこもこした毛の犬は走りだし、きゃんきゃんと吠えながら跳ねるボールを体で押さえこみ、口にくわえて忠実に飼い主のもとへと持っていった。
前方の横断歩道を渡ろうとしている男性と女児の二人連れは、一昨日見かけた童謡を歌っていたあの二人にちがいなかった。フードまですっぽりかぶった小さなピンクのジャンパーと男の無造作に伸ばした髪や無頓着な服装に見覚えがあった。手をつないで歩く二人は女児が母親のことを話し聞かせる声の感触からすると親子ではないように思われた。
駅にほど近い場所で裏道に入った。女子高生の四人組が横に並びながら、五・七・五のリズムで友達の名前を織りこんで俳句を詠む遊びをやっていた。一人ずつ順番にくだらない歌をつくっていたが、やがて一人が力強く叫んだのをきっかけに四人で声を合わせてくり返し叫びはじめた。何もないナンセンスなところからでも一瞬で盛り上がることのできる青春の野放図さを見た。
二日ぶりに飲んだ薬のせいか空腹のせいか、労働中妙な疲労があった。肉体的にはだるくても薬のおかげで精神は落ちついており、熱がこもって湯あたりのようになった頭が重くふらりと揺れたときも平静だった。しばし座って休みながらやりすごしたが、その後の仕事にはいまいち身が入らなかった。帰路は震えるほど寒く、昼間の春めいた陽気がかえって夜の冷たさをきわだたせているようだった。Virginia Woolf, Kew Gardensを聞きながら歩いた。オリオン座がよく見えた。
夕食後に茶をおかわりしに上に行くと酒に酔った父が馬鹿笑いをしていた。携帯でなにやら動画を見ているようだった。笑いすぎて、近ごろ慢性化したのではないかと思われる空咳を誘発し、弱りきった馬のいななきのような喘鳴が高く鳴った。Miles Davis『Cookin'』を流しながら古井由吉を書き抜いた。風呂から出たあといくらか読み進め、十一時をむかえたが、PCの前に座って日記を書くには睡眠を経ることが必要らしかったのでノートにメモだけして翌日にまわすことにした。