2014/1/30, Thu.

 くり返す呼吸の奥から耳鳴りめいて長くのびる金属音が聞こえてきた。幻聴だった。瞑想時には色々な音が聞こえ、時には画像や映像が見えることもある。老若男女さまざまな人の声が頭のまわりを行ったり来たりすることはよくある。この夜はごつごつと海から生えて立ち並ぶ岩に波が高く打ちつける情景が一瞬浮かんだ。金属音は生まれては消え、重なりあい、それに応じて赤や青や緑の色が閉じた瞼の下でかわるがわる目に映った気がした。
 五時ごろに一度目覚めたことを覚えている。二度寝につくと十時過ぎまで眠りつづけた。起きようという意思を強く持たなければそのままいくらでも眠れそうだった。十時半に布団から出ると床におろした足の裏から木の冷たさが上がってきて身体が震えた。米、納豆、昨夜の残りのうどん、豚汁を食べた。食事中、宅配便が来た。あと三十分起きるのが遅かったら時間指定をしたにもかかわらず荷物を受け取れないという間の抜けた事態になるところだった。Virginia Woolf, To The Lighthouseの朗読CDが届いた。実に六枚組で、すべて聞き終わるには七時間四十分かかる代物だった。
 もうひとつの宅配を待ちながら『古井由吉自撰作品 二』を読んだ。十二時に母が帰宅した。米やなにやら色々なものを買ってきたなかにあった安いチョコレートケーキを食べた。宅配は母が帰宅したあとすぐに来た。彼女は昨日か一昨日に隣のTさんからもらったチョコパイを宅配員にあげているようだった。玄関から聞こえてくるお礼の声に、何度か見たことのある宅配員のいつも困ったような表情が目に浮かんだ。
 Racer X『Superheroes』などという正統派メタルを久々に聞く気になったことに特に理由はなかった。馬鹿みたいにうるさい音楽を聞きながら日記を書くのも一興かと思われた。つづけてRadiohead『OK Computer』を流し、届いたばかりの朗読CDをインポートしながら昨日の日記を書いたが、途中で絶望的に書けていないことに気づいた。書きたいことをまったく書けていなかった。言葉は一向に生まれ出てこず、ようやく出てきたものもはまるべきところにはまらず空転しつづけた。どうしようもないと思いながら午後二時まで書いた。午前中は晴れ空だったが正午には曇り、今や雨が降りはじめていた。
 Moutin Reunion Quartet『Someting Like Now』が終わるとほぼ同時に『古井由吉自撰作品 二』の「弟」という篇を読み終わった。つづけて『Soul Dancers』を流しながら書き抜き、終えると音楽の向こうから午後四時の鐘がかすかに聞こえてきた。机に積まれた本の隙間にたまった埃を息で吹き飛ばした。箱を三つ買おうと考えた。ひとつに未読本を入れ、残りの二つには読了した本のうち、手元に残すべきものとそうでないものを分けて入れるのだ。
 雨が去ったあとの穏やかな午後五時の空を眺めていると明確に日が伸びたように思われた。雨降りのあとだというのにマフラーをつけなくても冷えず、ただやけに白く濁る息が追い風にあおられて一瞬で広がり消えていった。それと同じような色の蒸気が車がしばしとまって立ち去ったあとのアスファルトからのぼっていた。乾ききらず残って散乱した水のかけらに太陽の最後の光を分けもった雲が映りこみ、路上が黄昏の色に染まった。濡れたアスファルトにトラックのヘッドライトが吸いつき、湿り気を帯びた光がその上を撫でるように渡っていった。
 昨日と同種の疲労感が家を出たその瞬間からあった。今すぐに部屋に戻ってベッドに倒れて眠りこみたかった。身体は動き精神も表面上は平静だが、内側からじわりじわりとにじみ出る不安が体内を侵食し、やがて筋肉の凝ったような身体の緊張と息苦しさに変わった。西天で残光に染まった雲の色や外気の涼やかさに一時は陶酔めいた感覚を覚えもしたけれど、波のように間欠的に高まる不安に薬を追加した。特有の重い安定感に浸りながらの労働となったが、わけもなく苛立ちや焦燥を感じもした。それは帰宅してからもいくぶんかはつづいた。苛立ちと焦燥が逆方向に転じて無気力に変わり、夕食後は本を読む気にもならず茶を飲みながら父が風呂から出るのを待った。日付が変わる前から日記を書き出して一時間半もかかった。