2014/2/25, Tue.

 今日もまた正午前に起きるという腐りきった目覚めをむかえて、天頂に達した太陽から責めるかのようにそそがれる光が目に痛かった。先日すでに消した去年の今頃の日記には、起きた瞬間からのどの痛みと鼻水に悩まされている記述があったけれど、今年は花粉がまだ舞いはじめていないのか、それとも耐性をつけたのか、今のところそのような症状は見られなかった。米、ハムエッグ、豚汁二杯の昼食をとった。リビングの南側にあるこたつテーブルの隅にショッキングピンクの携帯電話が置き去りにされていた。ついに母の間の抜け具合は携帯電話を携帯させないまでに至ったらしかった。
 Captain Beefheart And The Magic Band『Merseytrout: Live In Liverpool 1980』を流しながら二十四日の日記をつづった。午後一時に書き終わって、ようやく文章にしていない日付のストックがなくなり、日記が現在に追いついた。『Buena Vista Social Club presents Omara Portuondo』を流しながらボルヘス『不死の人』を表題作のみ読んでから上階へあがった。軽めのダウンジャケットを着た母がいた。シャツとエプロンにアイロンをかけてから風呂に入った。風呂桶の蓋をあけると湯気はあっという間に浴室に広がり、天井の隅は薄白く濁った。浴槽の縁に両腕をかけ、背中をもたれて足を伸ばし、右上の窓を眺めた。磨りガラスの外にとりつけられた面格子がぼんやりと浮かび上がり、窓を開ければそのあいだから見える木の薄緑色もガラス表面の微細なおうとつと一体化して、精妙な陰影を刻んだ。
 風呂を出て、タオルを頭にかぶってごしごしとやったあとに体をふき、下半身から下着をはき、アンダーシャツを着て、ドライヤーを手に取り最大出力にして左側頭部から右側に髪を撫でるようにして乾かしはじめ、前髪を左から右に流し、後頭部をばさばさとやったあとに全体をととのえ終わるとドライヤーを所定のフックにぶら下げ、横開きの扉の取っ手は小さなへこみで右手にいくらか力を入れなくてはあかず、リビングの物干し竿にかかっているワイシャツをハンガーの右側から外し、それを右肩にかけたまま階段をおり、洗面台からとった歯ブラシを一瞬濡らしてから歯磨き粉をその上に絞り出し、口に突っこんでしゃかしゃかとやりながら短い廊下を渡って部屋に入り、シャツをベッドに投げ出す、これら一連の行動が見事なまでにパターン化されていることを椅子に座った瞬間に意識した。アイロンをかけている途中からなんとなく適当な鼻歌をもらしていたら、それがいつの間にか"Waltz For Debby"のメロディにかたまり、風呂を出てからも頭を離れなかったので、歯を磨いて着替えるあいだBill Evans Trioの演奏をくり返し流した。
 街道の北側からはいつの間にか雪は消えて名残りとしての水たまりすらなく、乾いた砂っぽい細道に戻っていた。南側は陽が当たりにくいためまだいくらか残っているが、融けだした水がアスファルトを藍色に濡らし、細い水流がわずかな傾斜を下っていった。Bill Evans Trioの音楽を聞きながら歩いたが、揺れる顔の動きに合わせてイヤフォンのコードがコートの襟にこすれ、かすかな振動を生むのがわずらわしかった。コンビニに寄ってマスクを買い、すぐ外で一枚つけてから教室に入った。
 労働はつつがなく終わって、帰りは電車に乗った。駅から坂道をおりて空を見上げると、夜空の色が淡い気がした。水を混ぜて薄く伸ばした墨で塗ったような色で、そのせいか星もあまりはっきりとは見えなかった。駅からわずか十分ほどの道のりだったのでマフラーをつけなかったが、風もなく、寒いとはいえ凍えるほどではなく、体の表面をつたう冷気が内側にまでは入りこまず、むしろ内奥でわだかまる熱を感じられるほどだった。帰宅して食事を済ませ、風呂に入ってくつろいだ。ぼけっとした頭で、毎日飽きもせずに日記をつづっているけれど、せいぜい二千字から三千字くらいにしかならない、最近では多くても五千字いくかどうか、過去もっとも書いた日でも一日で一万五千字というところで、その日一日という時間を過ごしてきてそのあいだに無数の出来事があるはずなのに文章にするとその程度にしかならず、それを読むにはさしたる時間もかからない、これは当たり前のことだが不思議なことで、こうして湯に浸かっているときだって三十分かそのくらいはかかっているはずだが、それが風呂に入った、のわずか一言で済まされてしまう、言葉にするとそんなにも圧縮されてしまう、それはおかしいのではないか、一日という時間を書いたウルフの『ダロウェイ夫人』でさえ三百頁程度で、しかも複数の視点をあつかっている、一日という時間をそのまま入れたような小説、読むのに実際に二十四時間かかる、とある一日の小説、そういうものがあってもいいはずだ、と考えた。一時間五十頁として、二十四時間で千二百頁、千二百頁でわずか一日のことを語る小説。それはおもしろいのかどうかわからなかったし、どのように書けばいいのかもわからなかったし、仮に実現可能だとしてどういうものになるのかもわからなかった。
 風呂を出て、何をきっかけとしたのかThe Style Council "My Ever Changing Moods"のことが思い出されて、十時までくり返し流し、音楽に合わせて歌い、それから『Superbass, Vol.2』とThe Style Council『Cafe Bleu』を聞きながら日記を書いた。