2014/2/26, Wed.

 八時に覚めて目をひらいていたのもつかの間、頭の重さに勝てず、覚醒しては意識を失い、ようやくベッドを出たころにはすでに十一時もまわっていた。腐れ寝坊のくびきから脱さねばならぬと午前一時前に寝て一度は目覚めたにもかかわらず機会を活かすことのできない不甲斐ない朝だった。高校の同級生のOさんと手をつないで草深い林のあいだを歩く夢を見た。振り向くと壮麗な神社があった。Oさんは高校のころのマドンナ的な生徒で彼女に思いを寄せていた男子は当時知っていたかぎりでも数人はいて、きれいな女性であるから夢に出てくると気分はいいが、この後の人生で彼女とふたたび会う機会は万が一あるとしても一、二度だろう。布団のなかでうんうんうなっているときから、上階を行き交ったりベランダに出たり、階段を昇り降りするばたばたという足音が聞こえていて、母親のものというには重みがあるとぼんやりした頭で考えていたけれど、部屋を出ると案の定ウインドブレーカーを着込んだ父親がいて、休みなのだろうかと思ったもののいちいちそんなことを聞かないのが父子の関係である。あまりうまくない納豆を米にかけて食べていると父は自治会館に行くと言って出ていった。食後、冷蔵庫にあった半球のメロンを半分に切りその二つとも食べた。かなり熟したメロンで皮のすぐ内側の身が濃く青く濡れていた。
 一度部屋に戻っているあいだに父は帰宅して、茶をつぎに上がるとあとで洗おうと放置してあった皿が片づけられていたので申し訳なく思った。部屋で『東山魁夷ArtAlbum 第一巻 美しい日本への旅』を読み終わった。なんといっても色づかいがすばらしく、「夕紅」の朱色や、「花明り」の夜桜の淡い桃色やその背景で暗く沈黙した林の墨色、またさらに視線の先に見える夜空のかすかに紫がかった薄い藍色、あるいは「夏深む」の空と池の金色など、色の美しさには事欠かないけれど、なかでも個人的に惹かれるのが青から緑系統の色で、「郷愁」の雨のなかにかすんでいるような淡い青の色調であったり、「月宵」の本人いわく「澄み渡った水の中にいるような月夜」の驚くほど明るい色であったり、「黎明」の沼や霧に煙る山並みの薄めの紺色であったり、「青響」の木々の翡翠色の表現であったり、「夕涼」の松と池に映りこんだその像の深緑であったり、「月篁」の月の下に光る竹藪の緑とも青とも言えないようなほとんど完璧な色の表出であったり、「夕静寂」「夏山白雲」の幽玄さをもたたえた神秘的な深い青であったりが非常にすばらしかった。暖色系統の絵では、前述の「夕紅」もすばらしいけれど、「秋翳」という絵がもっとも印象的で、画面の下半分に三角形の紅葉山が描かれていて上半分には空以外に何もないが、気のせいではないかと思われるほどかすかに薄紅を帯びた空の色合いと、盛りをむかえた秋山の鮮やかな朱色との対比が絶妙で、東山本人の言葉を引けば「凋落の冬を前にしての、秋山の豊かさと静けさ」が完璧に同居している。160.0✕167.6cmという大きさもあって、これは実際に見たらものすごいのだろうと思われるが、巻末のリストを見ると、東京国立近代美術館に東山の作品が多く所蔵されているようで、この「秋翳」もそのなかにあるらしく、常設されているのかは知らないけれど見る機会があったら絶対に見たいし可能性があると思うとどきどきしてしかたがない。
 それからTheo Bleckmann『Hello Earth! The Music of Kate Bush』を流しながらボルヘス『不死の人』を読み、きりのいいところで上階へ上がって風呂を洗い、洗濯物を取りこんで父がこたつテーブルで書類を散らかして作業をやっているうしろでタオルをたたんだ。外の空気は春の息吹を含んでいて、風はあるものの陽射しの暖かさが冬の冷たさを相殺していた。近所の屋根の雪はもうほとんど残っていなかった。部屋に戻って歯を磨きつつボルヘスをふたたび読んでから入浴し、ほてりがいくらか残ったままワイシャツを着てスーツに着替えて午後三時に家を出た。
 コートなんて着なくてもいいくらいの陽気で、空は澄み渡っているし、今のところ花粉の症状も出ていないし、最高に心地よい昼下がりで、そんなときにDonny Hathawayなんて聞いてしまったら気分が浮遊しないわけがなかった。道の脇にまだ残った雪はしかし形が崩れてきており、砂ぼこりによる汚れも日ごとに増して自然の結晶というよりは奇怪なオブジェのように見えた。新調したイヤフォンは前のものよりすっぽりと耳にはまり外界の音を確実に閉めだして、ほとんど原色みたいな緑のスコップで雪のかたまりを突き崩す女性の動きに音がまったくともなわないのでどこか不思議な感触がした。波立ったまま凍りついた海面のような雪原が広がっていた空き地ではところどころに土が露出しつつあり、ひとつの景色が今消えようとしていることにわずかばかりの寂しさも覚えた。"You've Got A Friend"の冒頭の観客の叫び声が聞こえはじめた直後に坂の途中の横断歩道で信号が青を灯して、自転車に乗った小学生がわけもなく嬉しそうな顔でペダルを踏み、ハンドルを撫でるように両手首を動かしながら走っていった。
 おもしろくもない労働をこなして帰りは電車に乗った。昨日と同じように駅からの坂道をおりて空を見上げると、昨日と同じように星が見えにくいと思ったが、星の位置が移動しているのだと気づいた。きらめきは西の黒々とした闇に集まって控えめに光を放ち、南や東では淡い夜空がのっぺりと広がっていた。季節が移ろうとしているのだった。吐く息にも白さはなかった。