2014/2/28, Fri.

 祖父が死にかけている病院に家族や親戚一同でつめていると、階段の脇にこちらもベッドに寝たきりになって死にかけているIさんがあらわれる。苦しげに息を乱している老人は何年か前に亡くなったはずで、自分にしか見えない幻覚ではないかと思ったし、病室の家族たちに話しても信じてもらえない。ところが実際にその場に行ってみると他の人々も見えるといい、どうやら幽霊らしいとみんなで結論を下した。もう死んでいるのに今また死にかけているし、幽霊のくせに実体があって体には触れることができた。
 布団を出る前からやる気のない昼で、今日の腐り具合を予告していたようなものだった。カレーを食べてうだうだし、ギターを弾き、午後二時になると洗濯物を入れにベランダに出て、春の風を浴びた。カレーがあるのにどういうわけかカップラーメンを食べたくなる、そんな日もあり、たいして腹も減っていないのに食べたあとはボルヘス『不死の人』を読了した。暖かいし気分転換でもしようと散歩に出た。ジャージにジーンズで風が吹いてもまったく寒さはなく、薄曇りではあるが西陽の光は強く、まともに目をやってしまって一瞬くらりとなった。隕石のように斜めの軌道を描いた飛行機雲が山の向こうに消えていった。柚子というやつは一体いつまで実をつけているのか、いまだに丸々と生っている。駅には老女が三人、椅子に座って談笑し、笑い声が三時過ぎの静かな空気を揺らした。山の樹々には常緑のものに加えてわずかに赤みがかった茶色に染まったものが目立ち、いつからこのような色をつけたのか覚えていないがこれはこれで趣があった。家そばの敷地にたまった雪はもう融けていて、折れた木が倒れているところへ近づいてみると、細い幹が斜めに割れた断面をさらしているものの、どこかに生えているはずのその片割れがなぜか見つからなかった、ということはあれは元々ここにあったものではなくてどこかから運んできたのだろうか。歩いているときには気づかないが家に入ると鼻がむずむずとしてくしゃみも出て、花粉が飛びはじめたらしかった。
 『Monk Meets Mulligan』を流しながらひたすらうだうだし、携帯もネット環境もいらん、音楽が聞けて本が読めて文章が書ければそれでいい、インターネットは生活に本質的なものではない、などと思ってみるが、根本的な悪因はおのれの怠惰さである。五時ごろからようやくやる気を出して、Thomas Savy『French Suite』をおともに『失われた時を求めて』の一巻目から書き抜きをはじめ、七時過ぎまでつづけた。今日は何をやった日かと問われれば、やったと言えるほどのことはこれしかしていない。『族長の秋』をぼそぼそと暗唱しながら風呂に入り、カレー他の夕食を済ませ、Eric Harland『Voyager: Live By Night』冒頭の"Treachery"をリピート再生しながらまたしてもうだうだした。