2014/4/13, Sun.

 天井が二回、どん、どん、と踏み鳴らされる音で目が覚めた。見ていた夢は、ぱっ、と泡がはじけるように消えてしまった。つい一瞬前までたしかに見ていたはずなのになんの痕跡ものこっていなかった。カーテンをあけると外の色がまぶしくて目をあけられなかった。細目で時計を見ると十一時で、墓に行くことになっていたのを思い出した。しばらくうんうんうなってから思いきって布団をはいだ。首のうしろや肩のまわりにだるさがあった。いちどリビングにあがって母と顔を合わせてから、部屋にもどって着替えた。下は深緑色のジーンズで、上はジャケットと迷ったけれど黒いパーカーにした。昔、BEAMSのアウトレットショップみたいなところで買ったやつだった。中古だから六千円くらいだった。スパナを十字に合わせたみたいな模様がいろんな色でついていた。またあがると今度は父もいた。ラジオからJUDY AND MARYの"Overdrive"が流れていた。リビングのほうから流れてくる音に合わせて口笛で吹きながら風呂を洗った。
 寺に着いて母と父が挨拶に行っているあいだ、とめた車のうしろにある花を見ていた。桜があった。もう半分くらい葉になっていた。その下の地面に、スイセンみたいな細長い葉で白い花があった。すごく小さくて、うなだれたように下を向いてひらいていて、はかなげだった。墓の入り口のモクレンはもう花を落としていた。その隣の薄桃色の花が満開で、母がカメラを向けた。これなんていうの、というと、カイドウだよ、とすぐに答えた。どういう字を書くの? それは知らないけど、桜の仲間だよ。うそでしょ。
 墓の掃除をして花をあげてから、小さな池のほとりで、買ってきたチェーン店の寿司を食べた。父と母はベンチに座った。そこから少し離れて平らでつるつるした石の上に座った。そこのほうが池のなかのコイがよく見えた。大きいコイから小さいコイまでたくさんコイがいて、ほとんどは池の水と同じような暗い色だったけれど、白い体に赤い斑点の子どもみたいなニシキゴイとか、鱗が少し金色がかったコイもいた。みんな音も立てずに静かに泳いで、たまにばしゃり、と水面に体を出した。母が米粒を投げこむと途端に動きがはやくなって、小さな白い粒を中心にスクランブル交差点みたいにたがいに行き交った。空は真っ白だった。山の向こうまで色は均質で変わらなかった。それなのに陽はあたたかかった。どこかから囃子の音が聞こえて祭りが近いと思った。
 囃子は五月の祭りの練習だと思ったけれど、実際の祭りだった。墓から下の道に出ると、はっぴを着た人がたくさんいた。そこの町内だけの小さな祭りで、表通りでは車がびゅんびゅん走っているからあんまり風情がなかった。クリーニング屋に寄るから裏道に入ると山車も出ていた。車のなかで父を待つあいだ、遠くなっていく笛の音が聞こえていた。前の道を藍色のはっぴを着た三歳くらいの男の子が母親に手を引かれて通った。
 図書館まで乗せてもらった。受付の女の人の声は朗らかで、でも芝居がかった声だと思った。クラシックの棚に人がいて見にくかったから、その向かいのロックやポップスのところを見ていたらThe Beach Boysを見つけて借りたかったことを思い出した。有名な『Pet Sounds』と、『The SMiLe Sessions』もあったから借りた。上に上がって、新着図書には山下澄人コルバトントリ』があったから薄いし借りることにした。ヘンリー・ミラーも借りたかったけれど、このあいだはあったボラーニョがなかったから、とりあえず海外文学の棚を見に行った。そっちにもなかった。『鼻持ちならないガウチョ』だけじゃなくて『売女の人殺し』もなくて、『野生の探偵たち』と『通話』はあった。ゼーバルトの『土星の環』が絶対おもしろいと思ったけれど、借りられるのは二冊だから、あと一冊はプルーストにしなきゃならないと気づいた。学習席はそんなに混んでなかったけれどさっさと帰った。
 図書館とは反対側のロータリーにもはっぴを着た人がいた。居酒屋の車庫みたいなところで売店かなにかを出しているのがホームから見えた。線路の上をしっぽが長くて灰色がまだらな小さい鳥がはねていた。ipodを取りだして、Benito Gonzalez『Circles』を再生した。電車が来てからは座って目を閉じて集中して聞いた。音楽に沈みこんでいるときは言葉を忘れられるかもしれない、と思ったけれど、そう思ったから忘れられていなかった。それでも、もし言葉を忘れられるときがあるとしたら、音楽のなかにいるときだろうと思った。
 電車を降りてホームを歩いていると、女の人とすれ違った。ぶっきらぼうな顔つきに見覚えがあって、あの人だ、と思ったけれど、どの人なのかが出てこなかった。絶対に知っている顔なのに、どこで知ったのか考えてもわからなかった。近所の人、職場、美容室の人、コンビニの店員、図書館の受付、宅配便の宅配員、友だちの母親、どれもちがったからあきらめた。家の前に通じる林にはいると、風が吹いて桜の花びらが舞いはじめた。竹が切りとられてぽっかりとした空間に薄日が射したなかを、白い花びらが小さな蝶みたいにふわふわと飛んでいた。