正午になってようやく上階に上がった。チャーハンをおにぎりにして冷凍庫に入れてあったものを解凍し、味噌汁とサラダをよそっていると父が帰ってきた。久しぶりに三人でテーブルについて食事をとった。自室にもどってギターをいじり、少々落書きをして二時になるとようやく日記を書く気になった。昨夜のことを書いているとまたイパネマの娘の旋律がよみがえって、Antonio Carlos Jobimをかけた。書き終わってベッドに寝転がってはじめて腹筋が疲れていることに気づいた。昨日、寝そべって読書をしながら足を上げ下げしていたのが多少はきいていたらしかった。腕立て伏せをして、かまわず腹筋も刺激した、腕立て伏せの姿勢のまま尻を心持ち上げると腹筋が硬くなるのだった。それから畑で耕運機を駆っている父のもとへオレンジジュースをとどけにいった。帰りぎわ、斜面から生えた小さな桜の木を見つめた。ほとんど葉桜で、落ちかけた花びらの付け根からも小さな葉が伸びはじめていた。部屋にもどってインターネットを徘徊していると"One Note Samba"のテーマ中盤、フルートの軽やかさと涼やかさが耳に入ってはっとした。Jobimが終わるとEric Harland『Voyager: Live by Night』を流し、ふたたびベッドに寝転がって『失われた時を求めて』第四巻を読みはじめた。トイレに立つと五時で、部屋のなかには薄影が広がり、放尿中に寒気も感じたのでストーブをつけた。起きた母がやって来て豚汁をつくろうというので了承し、また、明日墓に行くかと聞くのでこちらも了承した。
プルーストを最後まで読んでから上階へ上がり、Donny Hathaway『Live』を流し、Willie Weeksの天才的なベースにのりながら料理をした。豚汁をつくるかたわらで菜っ葉をゆでたり、母と一緒にすき焼きらしきものをつくったりもした。食事を終えて部屋にもどり、ブログをひらくと長く使ってきたヘッダ画像がいまいちだと感じたので変えようと思いたった。最初はPaul Kleeの絵あたりにしようと思ったが背景の黒一色と質感や色合いが合わず、これに合うのはやはりモノクロの写真だろうと気づいてHenri Cartier-Bressonで画像検索し、とりあえず雨に煙る背景の上に傘をさした人の姿が真っ黒な影になっている写真を選んだけれど実際のところいまいちしっくり来ておらず、今度はRobert Doisneauで検索し、丸出しになった女性の胸を男が横目で眺めているものとか、子どもたちがみな前の子の服をつかみながら列になって道を渡っているものとか試したあとに最終的にいまのものになった。
入浴をすませてClaudio Abbado & Berliner Philharmoniker『Debussy: Pelleas et Mellisande-Suite』を流しながらプルーストの書きぬきを終えると、磯﨑憲一郎『往古来今』を読みはじめた。音楽はClaude Williamson『Standard Ⅰ』にし、日付が変わる前に読了した。