2014/6/30, Mon.

 目ざめるとからだがかたくて、深く息を吸うと心臓が痛かった。血がとどこおっているようだった。起きるときはいつも苦しいけれど、この日はスムーズに目がひらいて、しばらくすると布団から抜けだした。階段をあがって、冷蔵庫から鍋を取りだして豚汁をあたためた。焼き鮭がひとつあったからそれもレンジであたためた。食事をすませながら日記を四月五日まで読みかえした。
 Aretha FranklinのFilmore Westでのライブ盤を流したけれど、千円の再発盤だから曲数が少ない。前日の日記はまったく記録していなかったからこまかいところまで思いだせなかった。書き終わって投稿して、この日の日記の記事もつくって、四月五日の日記から二箇所引用した。空は一見真っ白だけれど、山ぎわの透ける白さを見ると実はわずかに青いと気づいた。雨は今日は降っていなかった。ゴーヤのつるが伸びてきて窓の下から顔を出していた。Benny Wallace『In Berlin』のはじけるようなサックスを聞きながら日記を下書きした。
 十時過ぎから十二時過ぎまでJ・J・アルマス・マルセロ『連邦区マドリード』を読んだ。読み終わるころ、音楽はリピートして三回目に入っていた。頭痛と吐き気がきざして横になったまま目を閉じた時間があった。本物にはならなかった。読了して、ジャクソン・ポロックウィキペディア記事などを眺めてから上へあがった。食べてから前かがみになりたくないから、風呂を先に洗った。豚汁をあたためていたら食欲がわいてきたから卵をふたつ焼いて米にのせた。外はそこはかとなく明るくなってきていて、白さが強くなっているのがレースのカーテンを通してわかった。豚汁は二杯食べるとなくなった。ヨーグルトを食べて体重をはかると五十三キロぴったりだった。下におりて日記を下書きした。メモノートといっしょに買ったすこし高いボールペンの黒はこのあいだ出なくなった。青に変えたけれどインクはまだたっぷりあるのに書いているとすぐにかすれてとまって、赤に変えても同じだからコンビニで売っている安物の三色ボールペンに変えたらすらすら書けた。空はもうまた雲に閉ざされていた。
 プルーストを一時半過ぎまで読んだ。ノイズのような頭痛のかけらがあったから、本を閉じたあと、ベッドボードに寄りかかって三十回深呼吸した。それから上へあがった。下半身がひきずられるようなだるさがあった。ベランダに出ると、白く湿って雨が降ってもおかしくないくもりだった。湿度計を見ると、六十五パーセントだった。たたんだバスタオルはまだかすかに湿っていた。川の音がよく聞こえるのに気づいた。昨日の雨で増水したからだった。南の窓からも東の窓からも鳥の声が入ってきて、そこらじゅうに散らばっていた。
 アイロンをすませて風呂に入った。熱にやられて出ぎわに胸が苦しくなった。鼓動がはやくなって心臓が引っぱられるようで、立っていられないかと予感したけれど意外と大丈夫だった。下着一枚で部屋にもどって座るとまだ熱がこもっていた。歯をみがいていると汗はとまった。みがきながらミシェル・レリス『幻のアフリカ』を読んだ。ワイシャツとスラックスに着替えて、からだがだるいからやっぱり薬を飲まなくてはならなかった。もう四年だからそれほど効果はないようでもやっぱりあった。いつになったらやめられるのかわからないけれど、一日一回飲むだけで落ちついて生きていければ楽ではある。ただ二か月ごとに医者に行くのは面倒だった。薬を飲みに洗面所に行ったついでにネクタイが長かったから鏡の前で直した。ネクタイピンはなんとなくつけなくなった。
 わずか二十分でも本を読みたいから歩かず電車で行くことにした。石鹸のにおいのするシャツに水をふりかけて洗面所から出ると電話が鳴った。新しくできたリサイクルショップで、なにかないかといった。どういうものかと聞くと、食品以外ならなんでもといった。どこにある店かと聞くと、三鷹中央通りだといった。このあいだ歩いたけれど、ここからは遠いからなんでうちに電話が来たのかわからなかった。二十分が十五分になった。ソファに座って『幻のアフリカ』を読んだ。スラックスのしわが目についたけれど、いつも履いてから思いだすからアイロンをかける気にならない。三時半になって家を出た。
 家の目の前の林をのぼった。草が繁茂していて通りづらかった。そもそもきちんとした道ではなかった。たれさがる葉っぱをさけてからだを低くしたり、道の外側によけたりして通った。雀などの小鳥がこっちの足音に反応して草むらのなかから飛びたった。湿った落ち葉のなかに茶色いたけのこの皮が散らばっていた。目の前の空間に焦点を合わせると、網膜の汚れみたいにこまかい虫がいたるところにいた。木の段の上をアリやダンゴムシが歩いていた。伸びる竹のなかの草に覆われた斜面を見て、シカを見たのを思いだした。土曜日の立川からの帰りだった。電車のなかから森のほうを眺めていたら、木がなくなってすこしひらけた草地に茶色い生き物がいた。一瞬で過ぎてしまったからよくわからなかったけれどたぶんシカだった。さすがにはじめて見たから本当に見たのか疑わしかった。林を抜けて通りへ出ると、ウグイスの声が響いた。もう夏になるのに鳴いていた。いつまで鳴くのか知らない。セミが土から出てくればとってかわられるのかもしれない。アジサイがそこかしこに咲いていた。色の濃いものよりも淡く白っぽいもののほうがよかった。高級な紙花みたいだった。駅のホームに立つと汗がにじんでいた。Miles Davis『Four & More』を聞いた。空は起伏がなくて静かに白と灰色にうねっていた。
 四時間くらい働いた。つかれた。
 電車から降りてもイヤフォンを外さなかった。音楽を聞いたまま暗い坂道をくだった。保坂和志が描写は感覚の運動を生みだすものだといっていたけれど、それと同じような意味で、ジャズがいちばん感覚を刺激して運動させるかもしれない。音楽に集中していたから夜空の色を見るのを忘れた。
 コンビニのチキンと豆腐と卵のスープと焼きナスを食べた。食べ終わってソファで休んでいると帰宅した父が風呂に入れというので入った。出て部屋へ行って、入浴前にテレビで"Yellow Submarine"のカバーがかかっていたからThe Beatlesを流した。『連邦区マドリード』を書きぬいて、『幻のアフリカ』も書きぬいた。BGMはBenny GreenのVillage Vanguardでのライブ盤に移った。柴崎友香『わたしがいなかった街で』を一瞬読んだ。一九四五年六月祖父広島うんぬんとか書いてあったから、前にMさんと話したときに柴崎が歴史と結びついた話をやっているらしいとかいっていたのはたぶんこれだった。閉じて、『連邦区マドリード』の感想を適当に書いていると十一時半を過ぎた。怠惰に夜ふかししてから眠った。