2014/7/1, Tue.

 夜更かしのわりには重さのない目覚めだった。ここ数日は水中で息が続かずやむなく浮かびあがるような苦しげな覚醒が続いていたが、この日はうまく眠りのなかを泳いできたようだった。とはいえ二度寝の誘いを受けて再び枕に顔を寄せていると、そのうちにアラームから一時間が経っていた。
 母は休みでいたが、そろそろ出かけるという。昼過ぎに雨が降るらしいから洗濯物だけ気をつけてほしいと言った。ハムを炒めたものと、昨夜の夕食と同じコンビニの鶏肉を前にした。起き抜けの腹はそう脂に喜ぶものでもなかったが、苦しげもなく食べ終わって下におりれば九時をなかば回ったところで、十一時までに日記が済ませればよいと定めた。茶を飲めば汗が出たので上は裸になった。窓はあいているが風がそうあるわけでもない。わずかな空気の揺れと鳥の声のなかで日記を綴ると十時四十分だった。窓際に移れば外を光が射しまわり、見える木々の葉群れも厚みを増し、下草も背を伸ばしたなかに紫陽花の水っぽい赤青が灯る。川音は昨日と変わらずさざめきつづけていた。
 十一時過ぎから本を読みはじめたのはまずまず思い定めたとおりのペースである。プルーストにミシェル・レリス『幻のアフリカ』を読みすすめるあいだ、Art Blakey『A Night In Tunisia』が鳴っていた。冒頭、同名曲の旺盛なシンバルとベースラインの繰りかえしに、偏見とは知りつつも異国の夜のエキゾチックな香りを感じるようでもあった。途中、帰宅した母から通帳を受け取りに行った。郵便局に行くと聞いて、残り頁の少なくなった通帳を渡し、新しいものをもらってくれるよう頼んであった。受け取ると、印鑑をPCに登録するのでそのうちに持ってきてほしいとのことだという。いまや印鑑でさえコンピューターで管理できる時代と知った。
 バナナをチョコクリームとスポンジで包んだ甘味を昼食でもなしに食べて再び読書に取りかかった。柴崎友香『わたしがいなかった街で』を五十頁ほど読んだが、これまで三作読んだこの作家の作とはいくらか毛色が違うようである。その後はミシェル・レリス『オランピアの頸のリボン』をめくった。合間に腕立て伏せをそれなりに、腕が重力に苦しむくらいにおこない、腹筋と背筋も軽く刺激して汗くさい身体を風呂で流したのは二時だった。
 忘れないうちにスラックスにアイロンをかけた。空は形の定まらない雲が薄く広がりくもりがちだが、時に薄陽が射せば緑葉がやわらかく黄味がかって空気もぼんやりと色づくようだった。七月の初日とはいえ夏の色もまだ濃くならず、窓辺で風を浴びればその一時は春から初夏への移り目を思いだしもする。梅雨を抜ければぬるい夕暮れにいよいよ蝉の合唱が聞かれもする。
 陽は射すでもなく射さぬでもなく色をなくして中空に漂っているなか、歩く身体に汗のにじまないのは昨日よりも湿り気の少ないためかと思いながらも、しかし坂をのぼればやはり服のうちは濡れた。坂の入り口にぽつんと咲くガクアジサイはすべて青に染まった。細かな粒を見ながら、来る日も来る日も変わり映えのない毎日を見ては書いているものだと嘆かれた。書くことによって見るものがひらけていくというよりはむしろかたまっていくような気もした。坂の出口に立ちあがる斜面には鮮やかな赤紫の紫陽花が花弁を織りなし、並び咲くその前を通るころから西陽は雲のきわと重なった。駅の階段をあがりながらそちらに目を向けてみても、白いまばゆさの意想外に激しくて視線は払われる。ホームの先で音楽を耳に招いて直後、太陽がきわを越えれば明確に照る暖色にそこにいるだけで身体が粘ついた。赤茶けたレールに白が混ざって束の間、光が薄れると一抹の風と涼やかさが残る。電車のうちから空に送る視線の動きとその先にとらえた西山の薄青さが昨日と変わらず、まったく同じ時間を繰りかえしているような錯覚を覚えもした。駅に着いて階段をおりる足取りや、改札にカードを当てる身ぶりもいちいち習慣に従って定まっているようで苛立たしい。
 四時間の労働をこなしては昨日と同じ帰路をたどった。耳をふさいだままだったのも同じだが、坂を抜けて見た青い夜空は昨日にはなかった。澄むというほどでもなく雲のうすくたなびく影が見えたが、そこから逃れて星のいくつかは灯り、飛行機の点滅灯が虫のように流れていった。
 部屋で服を着替えると、外で笛の音が祭り囃子を奏しており、あがった居間のテレビを消した。近所の子どもか、いくらかおぼつかなくはあるが、調子は外れず、夏めいた夜にただ一本が響くのも趣深く思われた。しばらく輪郭明瞭に渡ってきたが、飯をよそるあいだに母がつけたテレビにまぎれ、そのうちに消えてしまった。
 椅子に腰かけたまま身体の傾く母の正面でわずかばかり読書を進めてから湯を浴び、出てはまた茶をついで部屋へおりた。書けないという思いばかりが心中にわだかまり、そうすればその場にとまって進めなくなる。苦さを苦さとして静かに受けとめるほかはないし、続けることのほかにできることもない。こういうときに容易に流れることのできるつぶやきSNSをやめたのは明確に正解だったとその点は安堵した。やるべきことはやるべきだと煩悶を断って書きぬきにかかったが、日付けの変わる前には力が尽きた。