2014/7/3, Thu.

 昨日も夜更かしをしたのにぱちっと目があいたのが不思議だった。寝るときにアイマスクをつけるのをやめたから、目をあけた瞬間にものがよく見えた。カーテンは白地で青と黄色のストライプが入っていた。光は強くなくて、カーテンも色づいていなかったからくもりだとわかった。すこしあけるとぼんやりとした白さだった。鳴りつづける携帯を取りにいって、そのまま起きればいいのにどうしてもベッドにもどってしまう。それからせっかくあけた目も閉じてまた時間が過ぎた。
 鶏肉をシシトウと炒めたものと、生野菜が残っていたから食べた。ソファで中澤俊輔『治安維持法』をめくった。原敬の日記があるらしくてすこし読んでみたかった。註がそれなりについていて大量の参考文献も載せてあって、丁寧な新書だった。部屋におりて、Richie Kotzen『Get Up』を聞いたきのうのことを書きながらまたそれを流した。『Return of the Mother Head's Family Reunion』に移ってもまだ書き終わっていなかった。『Break It All Down』に移してそのうち書き終わった。柴崎友香『わたしがいなかった街で』を書きぬきはじめたけれど、音楽のせいでギターが弾きたくなったからすこし弾いた。上で音が聞こえたからもう母は帰ってきていた。顔を見にいってすぐにもどって、『わたしがいなかった街で』の書きぬきを進めた。音楽はRalph Peterson『The Art of War』に変えた。
 いろんな色が混ざったチェックの半そでシャツを着ることにした。裾をまくれるボトムスが涼しいけれど、柄がかぶるから緑一色のジーンズにした。久しぶりに帽子をかぶった。薬は飲まないほうがいいと思ったけれど、想像するとからだがこわばったからやっぱり飲んだ。本当は飲まなくてもたいしたことはない。階段をあがった。豆電球を買ってきて、あと手紙を出してと母が言った。埃でひどく汚れた豆電球をひとつポケットに入れた。手紙は忘れないように手に持った。
 風がやわらかでそれほど涼しくもなく湿り気が混ざっているようだった。西に歩いて交差点から坂にあがった。男子高校生とすれちがった。ゲーム機を胸の前に持って目を離さなかった。知らないけれどなんとなく見たことがあるようなおばあさんと目が合ったからこんにちはといった。坂を抜けた。横断歩道を渡ってすぐそこに淡い色のアジサイが小さい群れになっていた。忘れないように持っていた手紙をポストに入れた。
 階段をあがっておりてカードをタッチしてホームの先までいった。駅の向こう側に立ちあがっている丘は何年か前に木が伐採されたから斜面を覆う草の背はまだ低い。頂上のあたりは切られなかった木が残っていて、まわりの草が低いからむきだしになった幹と幹の隙間が見えた。木々がつらなって見事になめらかな輪郭線の向こうにも丘がほんのすこし見えて、遠いから色がうすかった。丘のふもとには家があって、木がまばらに生えた広い敷地は畑でネギがたくさん並んでいた。敷地の隣は砂利の駐車場だった。いっぱいとまっている車はどれも不思議と白黒灰色のなかにおさまる色だった。奥に石を積みあげた高い壁があった。たしかそこにトンネルみたいな穴があって子どものころに入ったような気もするけれど、いまは草に覆われて見えなかった。ふたつ線路が敷かれた脇には白くて小さな花が群れになっていた。レールのあいだにも草が生えて、遠くのほうはかたちのない緑色が走っているように見えた。赤茶色に錆びたレールは上側だけ白いすじが入ってすこし光沢があった。太陽が出ればよく陽ざしを反射して白く光る。いまは光はなかった。そういういちいちを見て言葉にした。まだ書けそうだった。だんだん文章がつまらなくなる、苦しさと焦りが数日続く、そのあとなんとか抜けだす、それをいままでくりかえしてきた。
 Miles Davis『Four & More』のスリリングさを握っているのはTony Williamsではないかという気がして聞いているけれどなにが起こっているのかまだあまりよくわからない。すこしはわかった。目を閉じて集中して聞いていると駅に着いた。改札から出て、短い歩廊を歩いた。見おろすとコンビニの前で若い女の人ふたりと、かかわりなさそうなおじさんが話していてめずらしかった。図書館に入った。廃棄コーナーはしばらく前から児童書か興味のない雑誌で埋まっている。三冊を返した。受付の女の人はすこし不安がにじんでいるような表情だった。CDを見た。前に借りたけれど消してしまったArchie Sheppの『Ballads for Trane』と、上原ひろみを借りることにした。上原はソロピアノの『Place To Be』と、Anthony JacksonとSimon Phillipsとやった『Voice』と、Tony GreyとMartin Valihoraのトリオの『Spiral』があった。『Place To Be』は借りたことがなかった。パソコンに一枚だけ入っているのがどっちなのかよくおぼえていなかった。たぶん『Voice』だから『Spiral』のほうを借りることにした。
 上にあがって新着図書を見た。ハンスなんとかの例の巨大な『岸辺なき流れ』の下巻があった。その隣に丸山健二トリカブトなんとかが上下で並んでいた。岩波ブックレットが三冊あった。一冊は本田由紀だった。もう一冊は、我反抗する故に我あり、みたいな題だった。引きだして目次を見るとカミュの『ペスト』を扱った本だった。あと一冊は見なかった。イレーヌ・ネミロフスキーのなんとか事件があった。講談社学術文庫の『ハンナ・アレント』ははじめて見た。パトリック・ドゥヴィルの『ペスト&コレラ』は読んでみたかった。たしかピーター・マシーセンというどこかで聞いた名前の人の黄泉なんとかというのがあった。あとは忘れた。見ているあいだ、うしろで物わかりの悪そうな声のおじさんが職員の人になにか聞いていた。
 何を借りるか迷っていた。迷いながら目星はついていた。エンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』をきのう思いだしたからフロアの先まで歩いて見にいった。端にある学習席はだいたい埋まっていたから日記は書けなかった。マタスはあったから、借りることにした。手に取って、もう二冊借りられるけれどこの一冊だけに決めた。家にある本を読みたかった。古井由吉を読みたかった。ムージルも読みたかった。フロアをもどった。ワールドカップだからサッカーが特集されたテーブルの前を過ぎて貸出機で借りた。下におりた。出口へ向かって、途中で横に折れて「現代思想」を見た。今月号はロシア特集だった。しゃがんでバックナンバーを見た。柄谷行人と誰かが儒教について書いたらしい号と、國分功一郎が主導してキルケゴールを特集した号の目次をめくった。思想や哲学はたぶんいつまで経っても手が出せない。いわゆる現代思想で手を出すならドゥルーズとバルトとフーコーがよかった。見ているあいだにカウンターでさっきの人とは別の物分かりの悪そうなおじさんが職員の人になにか聞いていた。相手に話す隙を与えないのはあまりよくない。職員の人は謝っていた。納得したのか知らないけれどおじさんは出ていった。こっちも出た。
 豆電球を買ってきてといわれていたから歩廊から下におりた。階段の下にはさっき見た若い女の人がまだいた。手になにかチラシみたいなものを持っていた。よくわからないけれどたぶん美容院の人だという気がした。話していたおじさんはおじさんではなくてまだわりと若くてサングラスをかけていていまどこかに行ってしまうところだった。その人が去ったあとにベンチに座っていたおじさんがなにか話していた。コンビニに入った。豆電球を見つけた。いちおう古いものをポケットから出して確認した。ふたつセットのをふたつ取って、あと白いダースを合わせて買った。からだの大きい女の人がレジだった。外に出た。若い女の人たちはチラシみたいなものを配るでもないからなにをしているのかわからなかった。誰かがまいた餌にハトが群がって頭を前後にふっていた。人慣れしていないから普段は近づくと逃げるけれど、食べ物に夢中でそばを通っても気にしなかった。エスカレーターをあがって駅に入って、SUICAに千円チャージした。改札に入ってエスカレーターをおりるとちょうど電車が来るところだった。
 地元の駅で降りた。階段をゆっくりあがってくだった。横断歩道を渡った。きのうの夜おりた坂を通ることにした。その前に炭酸がほしかった。きのうも飲んだから小さいペットボトルにしなくてはいけなかった。せっかく渡った道をまた渡って自販機で買った。渡ってもどって坂をおりた。隣にある家の小学生がちょうど帰ってきたところで、友だちとバイバイバイバイと別れていた。きのう色がわからなかったアジサイは赤と青が混ざっていた。道の両側にはなんとなく池や沼のまわりにありそうな草が生えていた。落ち葉も湿っていた。途中からある白い柵の向こうは水路になっていた。そのせいで空気が湿っているから余計に薄暗い気がした。
 帰ってリビングに入った。
 「ぶどうあるよ」
 「ぶどう……え、なんかめっちゃでかいハチいるじゃん」
 南の窓の右半分が網戸になっていて内側にハチがとまっていた。網戸をすこしあけて窓は閉めてガードした。
 「でっかいなあこいつ」
 もぞもぞ歩いているのを見ているとなんとなくかわいらしくも思えてきた。ガラスの向こうとはいえ顔の近くで飛ぶとびっくりした。たぶんスズメバチだった。琥珀色のうすい羽がぶるぶる震えた。尾の先に針らしいものは見えなかった。使うときに出すのかもしれない。
 「でっかいなあこいつ」
 「カウナスって知ってる?」
 「なにそれ」
 「カウナスに行ってるんだって」
 兄のことだった。母は寝転がって携帯を見ていた。
 「ああなんかロシアのまわりの国じゃない」
 「杉原記念館だって」
 思いだした。国ではなかった。
 「杉原千畝? リトアニアじゃない?」
 ぶどうを用意して食べるあいだ、母はたぶん兄のブログの記事を読みあげた。杉原千畝がどうの、ユダヤ人脱出がどうの、松岡洋右外相の外交資料が残されているどうのといった。母は杉原千畝松岡洋右が読めなかったから教えた。
 「有名なの?」
 「名前くらいは。昔ドラマになってた気もする」
 「へえ」
 部屋におりた。ベッドに寝転んだ。ミシェル・レリス『オランピアの頸のリボン』を読んでいると、そんなに眠くはないのに不思議に疲れていた。本を閉じて目をつぶった。眠っているようないないようなあいまいな意識のまま時間が過ぎた。夢をたくさん見た。起きると布団をかけなかったからすこし寒かった。上にあがって、ソファに座ってまたすこし眠くなった。眠気を断ってシャツにアイロンをかけた。お腹が減っていたからもう夕食にすることにした。素麺が残っていたから煮こんだ。大きい玉ねぎを一個まるまる入れたから半分くらいは玉ねぎになった。
 食べ終わって部屋にもどった。ライブラリに唯一ある上原ひろみを確認したらやっぱり『Voice』だった。それを流して『オランピアの頸のリボン』から書きぬいた。Evernoteに記事をつくるときにカテゴリに迷った。断章形式でいろいろ混ざっていた。小説ではなかった。詩みたいなものもあるけれどすべてそうではなかった。まあエッセイになるかと思って「教養書・エッセイ(海外)」のカテゴリに入れた。「一日中タイプライターを叩きつけて暮しを立てている彼女にとっての歓びは、夜になると、愛人に叩いてもらう鍵盤になることだった。」という一文だけがページのまんなかにある断章を読んだときに、余白のふくらみの感触みたいなものがよくて、ひとつ一文と決めて断章を書きためていくのもいいかもしれないと思いついた。
 風呂に入ったあとはなにをするでもなかった。日記を下書きしないでもう書きだすことにした。『Voice』、David Kikoski『Combinations』、くるり『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』とBGMを移しているうちに、あっという間に日付をまたいだ。時間がかかりすぎた。前よりどんどん時間がかかるようになってきている気がした。ただ図書館に行っただけの日に、どうしてこんなに書くことがあるのか意味がわからない。