2014/7/12, Sat.

 七時の目覚ましで起きた。携帯は電源を切っていた。立ちあがって目覚まし時計をとめてからいつもどおり布団にもどったけれど、めずらしくうだうだせずにすぐにまた起きた。眠いけれど、不思議ともう一度眠る気にはならなかった。食パンを焼いて食べた。マーガリンとブルーベリージャムを塗った。眠気と暑さであまり食欲はなかったけれど、あとハムとトマトとヨーグルトを食べた。お茶を飲みながらだらだらしてから日記に取りかかった。終わると九時過ぎで、意外とすぐに書けた印象だった。Bobby Timmons『In Person』をここのところ毎日くりかえしかけている。上半身は裸だった。汗のにおいが立ったからやっぱりシャワーを浴びようと決めた。兄の部屋でアコギをがちゃがちゃ鳴らしてから上へあがった。下着を準備していると電話が鳴った。O.Mさんだった。あれ?というので、Sです、と名乗ると、ずいぶんいい声だったから、といった。暑さで体調が悪くなったので申し訳ないが今日は休むといった。裸のまま外に出て玄関先で母にかわった。口がうまく回らないで、そうですか、といったきりでお大事に、も何もいえなかったのを悔やんだ。もっとも声はそこまで悪そうではなくて、本人もこのくらい声が出せるくらいだからといっていた。父方の祖母はN.Yさんが連れてくることになった。シャワーをさっとすませた。浴室は明るくてのっぺりと白い。風呂もわいていたけれどふたをあけなかった。ひげはあまり伸びていないからそらなかった。出て礼服に着替えた。ネクタイはいいんじゃないといっていたけれど、来る人はつけてくるだろうからこっちもつけないわけにはいかなかった。リビングの鏡の前にネクタイをつけにいくと、もうO.Hさんが来たと母がいった。十時で、まだ一時間あった。部屋におりて、日記を下書きした。暑いからなんとなく気持ち悪さと肩の重さがあった。
 冬はこたつになるテーブルの一画にOさんがいた。おはようございます、よろしくお願いしますとあいさつした。そのうちにぞろぞろやってきて、それほど広くもないリビングが人でいっぱいになった。冷たい烏龍茶を出したり、あたたかいお茶をついだり、父方の祖母が持ってきた桃の箱を運んだり、足が悪いおばさんを支えてイスに座らせたりした。お坊さんが親子で来ると、仏間に敷かれた座布団にみんなそれぞれ座った。足の悪い人はイスに座ったままで、仏間に人が入りきらないから隣のリビングにいる人もいた。息子のお坊さんの隣について経を聞いた。仏壇のいちばん手前の段には持ってきた桃やお菓子が供えられていた。その下に木の台が置かれて、香炉や、わりばしで足をつけたナスとキュウリが乗っていた。仏壇のまわりには白や黄色の明るさを散らす花かごがふたつ置かれていた。大きな遺影が隣に置かれて、その前には、病院で祖母がリハビリのときに履いていた地味なピンク色の靴を器にしてやっぱり花が飾られていた。息子のお坊さんは黄色い紙の小さな経本を自分の前に置いていた。鉦を鳴らしながら親と一緒に唱えているときは暗唱していたけれど、ソロパートになるとところどころ本を見ながらやっていた。
 経が終わると、墓に移動となった。足の悪いおばさんを送りだして車に乗せてから、最後に家を出た。ひどく暑い日だった。みんなが揃っている墓場に着いて、またおばさんを支えて墓の前まで連れていった。母に借りた小さい傘を頭の上にさしてやった。足の悪いおばさんはふたりいて、ひとりはTさんでもうひとりはYさんで、こっちはTさんについて、Yさんのほうは母の妹のYさんが支えていた。Tさんはまだそこそこ歩けたけれど、Yさんのほうはもっと悪くて、顔もくたびれていた。ふたりは並んで墓場の段に腰かけて、なんとか墓参りできてよかった、泣けてきた、といって喜んでいた。みんな順番に線香をあげてからもどった。さえぎるものが何もなくてよく陽の照る墓場だった。飲み物が欲しくなったけれどなかった。またTさんを支えて車のほうまで連れていっていると、他のおばさんが、こんな若い子に手をつないでもらえることなんてないよ、と笑った。
 近くの飯屋に移動して会食となった。横に長い座敷にふたつ細長いテーブルが並んで、その奥に祖母の席がつくられた。障子を背にして通路側の席についた。向かい側のいちばん端は父、そこから左にK.Hさん、Y.Hさん、S.Iさんだった。こっち側は右隣のテーブル端に母がいて、左はYさん、Tさんが座った。ふたりのためにイスが用意されていた。意図しなかったけれどYさんの隣になった。父があいさつして、K.Hさんが献杯の音頭をとって食べはじめた。何かあったらYさんを手伝おうと思って、自分の料理はさっさと食べた。Yさんは手もあまり動かないみたいで、おぼつかなく食べながらこぼしたりしていたけれど、あまり世話されるのも嫌だろうから、お膳を手元に引き寄せたり、オレンジジュースをついだりしてあげるだけにした。Tさんは手の届かないところにいたけれどけっこう自由に食べているみたいだった。父にいわれて適当に酒をついだりもしたけれど、立ち回りかたがわからないからそっちは父や母にまかせたし、正面の三人はわりと自分や互いでついで好きに飲んでいた。
 揚げ物類が出てきた。四つあるうちの三つでお腹いっぱいになった。エビフライや母の残した分は店側が用意してくれたパックに詰めた。Yさんは手をつけなかったからそれも詰めてあげた。次に出てきたうどんと、デザートのメロンは食べた。さっきと同じく自分の分をさっさと食べ終わってしまって、Yさんがうどんをうまく分けて取れないのを見ながら手を出しかねていた。結局正面の旦那さんのY.Hさんに頼っていたけれど、Yさんはお椀におさめられたうどんを食べなかった。何かのタイミングでこっちのことに話がおよんだときに、母が横から大きな声で、アルバイトなのよアルバイト、就職に失敗しちゃって、塾の先生やってるの、と口を出した。その瞬間なぜか一座が静まっていて、もうひとつのテーブルのほうも不思議と話が途切れていたから、母の声がよく通った。別にいまさら親元でフリーターだからどうということもないけれど、なにもこういう席で大声でいわなくてもよかった。先生か、すげえなあとかおじさんたちはいっていたけれど、月七万も稼いでいない。
 おひらきになって、Yさんをまた車に乗せた。Tさんは迎えが来るまで父が付き添いに残った。母の運転でS.IさんとK.Hさんを送りながら帰った。父方の祖母とN.Yさんが服を着替えにほんの少しだけ家に寄った。祖母は背中が曲がって小さいけれど、けっこう元気そうだった。見送ってから、部屋にもどって眠った。昼寝はいつだって気持ちがいいけれど、夏の夕方のぬるい眠りは気だるさにからだが溶ける心地だった。夢を見た。さっきまでいた飯屋の駐車場で親戚の人たちを迎えていた。突然めまいがして顔のまわりを薄膜で包まれたみたいになって倒れこんだけれど、不思議に苦しさはなかった。そのまま目をさました。薄暗くなっていく部屋のなかで、プルースト、『幻のアフリカ』、中澤俊輔『治安維持法』と読んだ。夕食は昼の揚げ物があったからさっさと食べた。風呂から出てだらだらしたあとに、十時頃から『治安維持法』を読みはじめて読み終わった。最初からおざなりに読みかえしながら、出てくる事項を大まかな年表にまとめつつ書きぬいた。十二時になるころには空腹だった。カップラーメンを食べようと探したけれどなかったから、食パンを二枚焼いた。バルト『批評と真実』を読みながらかじった。戻ってだらだらして、歯をみがいて古井由吉自撰作品の一巻に手をつけてから電気を消した。暑い夜で、窓を半分網戸にして、ドアもあけて、扇風機を二時間タイマーにして眠った。