2014/7/13, Sun.

 寝坊して十時過ぎだった。携帯と目覚まし時計の合わせ技で八時台には起きたかったけれど、携帯のアラームをとめた記憶しかない。バルト『批評と真実』を持って上へあがった。母がいた。混ぜご飯、卵とねぎのおつゆ、ハムとピーマンの炒めものを食べた。食べながらバルトをすこしめくった。前に一度読んだときよりもよく理解できるようになっていた。お茶はゆうべなくなってしまったから、葬式のお返しでもらったあまりおいしくないのをついで下へおりた。
 日記に時間がかかった。メモはOさんが来たところまでと、寝る前に一日をおおざっぱに要約したものだけだった。今日もBobby Timmons Trio『In Person』を流した。一時前までかかって、お茶はあまりおいしくないのに六杯も飲んだ。くもっていてそれほど暑くはないけれど、やっぱりからだから汗のにおいが立ってべたべたした。昼食は食べないで、日記を投稿するとそのまま中澤俊輔『治安維持法』の書きぬきに取りかかった。このときはSteve Miller Band『Fly Like An Eagle』を流した。二時過ぎに終わった。つかれた。長時間パソコンの前に座っていたわりには腰も痛くないし気持ち悪さもなかったけれど、目がつかれた。ベッドに寝転がって腰を休めて、おざなりにストレッチをした。歯をみがいていると母に呼ばれた。自転車をどかすから鍵を持ってきてといわれた。歯みがきを終えて部屋で着替えていると、窓の外から母の急かす声が聞こえてひどくいらいらした。同じことを何度も言われることと、自分のペースに介入されることが苦手だ。薬を飲んで、リュックを背負って上へあがった。『治安維持法』と母に渡された婦人誌三冊が入っていた。靴下を履いて外へ出た。家の横をおりると自転車が出されていたから鍵をあけて上へ引いて、家の前にとまった良心の車のうしろへ持っていった。あいた自転車のスペースにはいま父が掘っているじゃがいもがおさまる予定だった。
 セミが鳴いていたけれど鳥の声より遠くの林の奥だった。きのうの夕方にカナカナを聞いたことを日記に書き忘れた。目はつかれていて、蛍光灯をじっと見つめているときみたいな視界のこまかいぶれがあった。生い茂る草や木々の葉を見てもなんとなく立体感がないような気がした。重なる緑の隙間から網目みたいにきれぎれに空の白が見えた。途切れ目から見あげるとそれこそ立体感がなくてのっぺりとしていた。目もとやこめかみを押しながら歩いているうちにすこし楽になった。ポケットに手を突っこんで駅までだらだら歩いた。ホームの端の白線を見おろしながら先まで行った。茶髪のきれいな女の人がいた。電車に乗ると、日曜日だから行楽帰りの人でいっぱいだった。高齢の人の何人かは同じ黄色い布の腕章をつけていて、さいたま市なんとか協会と書いてあった。Miles Davis『Four & More』を聞いていた。
 改札を出ると窓際に同僚が立っていた。見ていると気づいて目が合ったから、おたがいに会釈した。駅から歩廊へ出た。頭上は平坦な空も水平にひらいた先を見ると波みたいな白いうねりがかすかに寄せていて、西の山の上には煙が凍ったみたいに青い雲が浮かんでいた。図書館に入ると、多目的室では論語の講義をやっていた。机が入り口近くまで並べられて人がいっぱいに埋まっていた。
 『治安維持法』と女性誌を返却した。CDの新着に惹かれるものはなかった。文芸誌の棚を見ると八月号になっていたからぱらぱらめくった。「群像」に阿部公彦蓮實重彦の『「ボヴァリー夫人」論』について書いていたから席に座って読んだ。読んでいるとなぜか手がふるえて右手の指先にしびれがあった。その場から離れたい不安をすこし感じたけれどかまわず居座った。読み終わって置いてCDを見たけれどめぼしいジャズはないから上へあがった。新着図書にも印象に残った新しいものはなかった。日本の近代史をとりあえず新書でいくつか読みたかった。『治安維持法』で文献表にもあがっていた岩波の『特高警察』がいいかとも思ったけれどやめた。中公新書成田龍一『近現代日本史と歴史学』の目次を見たら概観してそうだったからそれにした。もう一冊何か借りることにした。家に積んである本、特にムージルが読みたいからあまり借りてはいけないけれど、来てしまえば借りたくなるからしかたがない。窓際に並んだ学習席の横を通ってフロアの反対側へ行って、全集の棚を見たけれど金子光晴西脇順三郎もなかった。それからは文学や美術をいろいろ見て、結局黒田夏子『感受体のおどり』を手に取った。冒頭の「男か女かときかれて、月白はどちらかと問いかえすと、月白が女なら男なのかと月白はわらった」を読んで、やっぱり読まないわけにはいかないだろうと決めた。
 図書館を出て隣のローカルデパートへ行った。買い物を頼まれていたけれど、先にエスカレーターをあがって本屋へ行った。『ボヴァリー夫人』がほしかった。前回もほしくなって来たけれどなかったからたぶんないと思ったらやっぱりなかった。話にならない本屋だった。フローベールや文学は期待できないからあきらめて、英語を勉強しなおすために大学受験の参考書を見た。仕事で高校生に当たったときにうまく説明が出てこないことがあってすこし危機感があった。とりあえず塾でも使っているし現役時代にも使っていた『Next Stage』は買うことにした。それから英文解釈の参考書を見て、やっぱり現役時代に読んだ西きょうじ『英文読解入門』と、いい評判は聞いていたけれど現役時代は読まなかった『ポレポレ英文読解プロセス50』も取った。あとは古文も読めるようになりたいから、やっぱり現役時代に使った河合塾のステップアップノート30と漢文のほうの同じシリーズも足した。レジを待っているとピックアップ台の上に大衆小説と反中・反韓本が並べてあるのを見てうんざりした。
 買った本はリュックに入れてスーパーのフロアにおりた。日曜日だからにぎわっていた。頼まれた食パンと卵のほかにポテトチップスやチョコレートと、カップヌードルをふたつかごに入れてレジへ並んだ。研修中の店員のところだった。顔一面にニキビができて赤くなっていた。時間がかかるからこっちのうしろに並んでも他のレジに行ってしまう人がいた。金を払って袋に詰めてから、入り口のほうに集まった惣菜店のひとつで竜田揚げのパックをふたつ買った。袋をいらないというのを忘れて、小さいビニール袋に包まれたそれをスーパーの袋のいちばん上に乗せた。そのそばのお茶屋にも寄った。見ているとひどく小さなコップに冷たいお茶をついで出してくれた。飲み終わるとすぐに取りに来てくれて愛想がよかった。静岡茶と鹿児島茶を買って、静岡のほうは隣のTさんにあげるから包装してもらった。抽選大会をやっていてその券をもらった。本屋でももらった。出口の前でやっていて、ジュースやティッシュが並んでいたけれど、持ち物が増えても面倒だしはやく帰りたいから素通りした。駅のベンチで電車を待っているあいだと電車に乗っているあいだ日記を下書きした。
 家に帰ると取ったじゃがいもが玄関外の水道の脇に置かれていた。すこし毒々しいピンク色のものがあって、あとで聞くとアンデスなんとかといった。家に入って、お腹が空いていたからさっさと食事にした。混ぜご飯、インスタントのみそ汁、ハムとピーマンの残り、買ってきた竜田揚げを食べた。食べ終わって、盆の迎え火をたくことになった。玄関の外、道との境になっている砂利のなかに下水道のふたがあってその上でおがらを燃やして線香をつけた。まだ明るかった。父は水道でじゃがいもを洗っていた。もっと暗くなってからその明かりを道しるべにするために燃やすんだ、といっていたけれどこだわらなかった。燃え残ったおがらにチャッカマンを近づけて焼いてからなかへ入った。線香を持っていった母は仏間で寝ていた。
 部屋にもどって買ってきた西きょうじの本を読んだ。知っている内容だけれど思いだしながら読んだ。窓の外でなびく雲がうすく桃色がかっていたと思うと、あっという間に青く暮れていた。この家の残念なところは西に沈んでいく夕陽を見られないことだった。半分くらい読んで風呂に入った。買ってきた菓子を一気に食べてお腹が痛くなったけれど、風呂に浸かっているとなおった。出て、Steve Lacy & Mal Waldron『At the Bimshuis 1982』を流してプルーストを読んだ。『失われた時を求めて』の八巻でははじめて書きぬきした。つづけてミシェル・レリス『幻のアフリカ』も読んだあとは、日付が変わる前まで日記を下書きした。歯をみがきながら思考を散漫に綴ったあとに、歯をみがいたのにカップラーメンが食べたくなって食べた。だらだら不健康な夜ふかしをしてから眠った。