2016/7/2, Sat.

 一番初めに覚めたのは、六時だった。四時間で目覚めたか、もう起きてしまってもいいなと思いながらも動けず、やがてふたたび寝付いた。その頃に見た夢はもはや失われている。次には九時頃覚醒して、少々まどろんでから九時半に意識をはっきりとさせた。空は白、窓外からは耕運機のものらしい八分音符の単調な連続で掘り進むようなエンジン音が響いており、父親が在宅でもう畑に出ているのだろうかと一度は思ったが、音調の高さからして自家のものではないなと聞き分けた。布団を剝いでからも少しごろごろとして、起きあがるとコンピューターを点し、ワールドワイドウェブの各所を確認した。それから洗面所に行って洗顔や排泄を済ませ、戻ってくると辛うじて覚えていた二番目の夢を記録した。

 教室。中高のものではない。大学めいてわりと広く、長テーブルである。外国人のなかに混ざっている。留学生の立場か。教師は初老の婦人、おかっぱのような髪型だが、かなり白さが混じってばさばさとしている。彼女の声はひどく小さく、ほとんど聞こえず、何を言っているのかはわからない。右隣りに黒人の巨漢。拙い英語で雑談する。互いの教科書を比較する。一見同じだが、レベルの表示が、こちらのものは「B」か何か、あちらのは「S」となっていた。ひらいてみると最初のほうはまったく同じ内容が続くが、三〇ページあたりに移ると、習う文法は同じでも問題の構成が変わっていたりした。それで、ちょっと違ってるねとか何とか話す。その後、左隣りの男が日本語で話しかけてくる。日本人か、少なくともアジア人風の風体。日本語のネイティヴではないらしいが、わりと流暢である。目の前に紙が置かれていて、諸々落書きがされているなかに沈んで、「ゴミ箱」と、あと一つ何だか忘れたが、「かす」とか「くず」みたいな言葉が大きく乱雑に書かれている。それを見て、これは何と書いてあるのかわからない、と男が言ってくる。この言葉は知らなくていいと返すと、でも何となくわかるような気もするけどね、と、罵倒語的なニュアンスを読み取ったらしい。

 それから窓辺の枕に移って瞑想である。一〇時一八分から二七分まで座っているあいだ、雲は空に広がっているが、明るさもそれなりに漂っていて、左腕の表面に温もりが感じられた。それから上に行き、先に風呂を洗うと、母親が作ってくれたチャーハンを温めて食べた。また前夜のポテトもケチャップを乗せて食べ、そうしながら新聞をひらいて読んだ。一一時頃になって新聞の記事を追うのを終えると、皿を洗って蕎麦茶を用意し、自室に帰った。それで肌着を脱いで上半身を晒し、蕎麦茶を飲んで汗をかきながら、先日知人から送られてきた論文を読んだ。一時間読んで正午になったら止めようと思っていたが、結局時計の針が天頂を回っても読み続け、一二時半を過ぎた。そこから一旦ベッドに移って、ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション』の一巻を、まだ正式に読みだすつもりはなかったがぱらぱらめくった。最初の篇の冒頭を読んでみても難解で何を言っているのかよくわからず、しかも本全体で六五〇ページだかあるから、骨の折れる読書になりそうである。解説をちょっと先読みしておいてから、腕立て伏せと腹筋運動を行った。そうして上階に行き、べたついた肌を制汗剤ペーパーで拭って、部屋に帰ると仕事着姿に着替えた。ネクタイもきちんと締めて首もとを閉ざした格好になり、荷物を持って上に行き、台所に入ってサランラップを一枚、台の上に敷いた。おにぎりを作ろうと思ったのだが、そうしてから炊飯器の表示が灯っていないことに気付き、そうだ米はないんだったと思いだした。出してしまったラップは仕方がないので貼り付けたままにしておき、冷蔵庫を見るとバターパンがあったので、それをもらうことにしてリュックサックに加えた。そうして出発、玄関の周りで花に水をやっていた母親に、ラップを何かに使ってくれと言い残して歩きだした。坂を上がっていく途中、ガードレールの向こうの木々のあいだの空間に、褐色に染まった葉がひらひらと回転しながら何枚か落ちているのが見えて、足を止めた。何という木なのか知らないが、明るく密度の高い緑の底まで染みた葉の合間に、ところどころ褐色に褪せたものが引っ掛かっており、あるかなしかの風がその周辺を気付かれないほどの静かさでかすめていくと、力尽きた茶色の葉ははらはらと宙を垂直にゆったりと舞い落ちるのだった。眼下にもう一本ある道の脇には目に明るい褐色が虫のように群れて重なりあって地面を隠し、あいだのアスファルト上には粉のようにまぶされていた。そこを過ぎてこの日も肌に熱い陽のなかを行き、街道に出ると、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を流しはじめた。それで裏通りに入っていくのだが、この日のほうが日なたの明るさが減じているように見えても、身の周りを取り囲む熱さは前日と変わらず、風呂に入っているかのような大気である。やはり手持ちのバッグが欲しいと考え、背を濡らしながら進んで行き、図書館分館に行くために駅の手前で曲がった。中央図書館にはもはや二巻までしか表に出ていない鈴木道彦訳『失われた時を求めて』が、こちらの分館には、以前読んだ時には全巻書架に出て揃っていたのだ。館に入り、図書室にも入って棚のあいだを行くと、例の水色の背表紙が並んでいるのが見えてまだあるなと安堵したが、前に立って見てみると、一巻だけがなかった。この田舎町にも、プルーストを読もうという者が自分以外にもいるらしい。ならば別の機会に中央で借りるかというわけで館を出て、職場に行った。奥に行ってみると、自分がいつも座っているあたりは女子高生二人が雑談しながら使っていたので、別の列のなかの一席に入った。そうしてコンピューターを用意し、Ellen Mcllwaine『Honky Tonk Angel』を流して二時一〇分から書きだしたのだが、どうも記述が流れない。頭頂のあたりまで席の仕切りが立っているとはいえ、周囲を人が行き来する気配が集中を乱したせいもあろうが、それよりはこちらの意識の問題、つまり最近では、またもやしっかり書かなければという病気に掛かっているような感じがあるのだ。しっかりというのはうまく書くということではない、そんなことはもはや問題ではない。しかし、書けるものを書けるだけ、自分がその瞬間瞬間に感じたものを最大限に取り入れてなおかつ正確に書き、おのれの日々の生を覚えている限り精密に跡付けたいというような欲求があって、それで記憶を探るのにも時間が掛かるし、書き流すようなこともしづらく、指が滞る。しかし、そんな風に書くことは本来、この文章の眼目ではないはずなのだ。真偽は知らないが、小島信夫は推敲や訂正をまったくしなかったらしい。そのように自然に緩やかに、手をほとんど止めることもなくさらりと一筆書きの絵を描くように、そんな風に書くことこそがこの日々の記述の目指す境地であるはずが、どうも二種類の欲望が互いに食い違っているようなところがあるようだ。ともかく三時前に前日の分は仕上げて、この日の記述も続けて、三時四五分である。四時半から授業が始まるので、書き抜きをするような時間はなかった。流していたElvin Jones Jazz Machine『Live at Pit Inn』を止めて、持ってきたパンをかじりながら、知人の論文を読んだ。そうして四時過ぎから準備を始めて、四時半から働いた。終えて帰途に就いたのが、八時前である。職場の戸口から踏みだした瞬間に、空気がひどくぬるいのが感知された。蒸された夜気が身を囲んで、それは皮膚を覆うというよりは、無臭でありながら夏のにおいとして嗅覚を刺激するような種類のものだった。やはり尾骶骨が痛むなと思いながら裏通りに入って歩いている途中に、行く手の西空が青いなと気付いて、足を止めた。八時を迎えるまであと五分の時刻になっても、まだ宵の名残りが残っているのだ。丘の際からまさしく最後の明るみ――明るみと言うのも誇張になるくらいの、うっすらとした透明感のようなものだが――が洩れて青さを辛うじて空に留めており、同時に、今はただ切り絵のような黒い影と化している森が昼間には満々と湛えていた緑の色素が風に吹きあげられてその影の奥から染みだしたかのように、空に生まれた池のなかには翡翠めいた神妙な色合いが数滴加えられていた。そのような精妙な色の空を目にするのは、おそらく初めてだった。東の方角を振り仰ぐと、ビルの先に覗くそちらの空はもはや単調な墨色に染まり尽くしており、左手、南側の空も地上から舞いあがる光を夜の深みが吸いこんでいる。西空のなか、やや北寄りの一角のみに、闇に追いやられて取り囲まれ、暗んでほとんど埋没しかけた青の領域が夜の侵食に対して虚しい抵抗を続けていたわけだが、それも東から迫り来る無慈悲な夜空の静かで仮借のない進軍のなかに吸収されてしまうのは、もうまもなくのことだった。ちょっと進んでから、iPodを用意して、Bill Evans Trioを聞きはじめた。それでしばらく進むとやはり青は見る見るうちに丘の裏へと押しやられ、電灯の光に邪魔された目には稜線と空の境が定かならないくらいに夜が浸潤し、充満していった。腕時計を見ると、八時一〇分だった。音楽を聞きながら残りの帰路を行き、いつまでも居候を続けている我が家に到着すると、室内の空気は外のそれにも増して蒸し暑かったので、居間でもうシャツと肌着を脱いで上半身を裸にした。それらを洗面所の籠に入れておいてから自室に下りていき、どうやらまずインターネットに繋いで回り、そして記事を投稿したらしい。それからiPodをコンピューターに繋いで、中身を整理した。iPodに入れておくのは、Bill Evans Trioの一九六一年のライブとAntonio Sanchez『Live In New York』だけでいいなどと、先日半ば冗談のようにして考えたものだが、それを実際にそうしてみようという気になったのだった。スクロールとクリックを繰り返して機器の中身を軽くしていき、最後に迷ったが、Thelonious Monk『Solo Monk』も残すことにして、容量のほとんどは活用されないまま、三つの作品だけが残ることになった。そうして、Bill Evans Trio "All of You (take1)" をリピート再生して、ベッドに仰向いて身体を休めながら、瞑目したために半ば夢に落ちたような意識で、二回繰り返して聞いた。それから食事を取りに上階に行ったのだが、この時既に九時を結構回っていたようである。夕刊の一面には、バングラデシュダッカで起こったテロ事件がセンセーショナルな様子で伝えられていた。それを読んでものを食べ、食器を始末して自室へ帰ると一〇時だったらしい。たびたび考えては断念していたことだが、書き抜きノートを作ろうとまた思った。他人の著作から書き抜いた文章を日付順にまとめておくための記事である。それを作ったからといっておそらく読み返すわけでもなく、何の役に立つとも思えないのだが、ともかく作るだけは作ってみることにして、やり始めたところが、Evernoteのカテゴリの並び順を変更できないことが煩わしい問題として立ちはだかった。何か方法はないのかと検索すると、カテゴリ名の最初に番号を振れば良いのだという情報を見つけたので、早速それに従って思い通りの順に整序し、そしてそのなかに「書き抜き」カテゴリも設けた。それで、以前は一年分の書き抜きを一記事にまとめようと思っていたのだが、それだとさすがに容量が大きくなって動作も阻害されるなというわけで、月毎にすることに考え直し、「書き抜き: 2016年」というサブカテゴリのなかに、「書き抜き: 2016/6」、「書き抜き: 2016/7」という具合で記事を作った。五月以前を遡るのは面倒なので、ひとまず過ぎたばかりの六月分からまとめておけば良いかというわけである。それで日記記事を遡りながらコピーとペーストを繰り返して、書き抜いた文章を移していき、終えると六月は一二万六〇〇〇字ほど他人の文を書き抜いていたことが判明した。七月の記事内にも前日の書き抜きを移しておくと、そのあとは英語にちょっと触れることにして、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいた。一〇時四〇分である。忘れている語を調べるために辞書を繰って、復習の一〇ページだけで三〇分使ってしまい、それから風呂に入りに行った。ぬるま湯にゆったりと浸かったり、たわしで腹や胸や腸のあたりを擦ったりして三〇分、出てきてねぐらに帰ると一一時四五分だった。それからまた英語をちょっと読んだり、知人の論文を読んだりしたのち、一時を回ったあとからインターネットでポルノを閲覧しはじめた。射精をしたのが一時四〇分、それからまた知人の論文を読みはじめて、二時半には閉じようと思っていたところが三時、三時にはというところが三時半という調子で、あれよあれよという風に読んでいき、結局四時と同時に読了を迎えた。哲学について考えているこの知人に二通のメールを送った時には、まだこの論文は読んでいなかったわけだが、それにもかかわらず自分がメールに書いたことと密接に関連していると思われる内容が諸所に見られて、驚かれた。ジョン・デューイは、今まで思っていたよりも遥かに面白そうである。また、西田幾多郎などもわかるわけがないと思って興味の範疇外だったが、読んでみても良いかもしれないと思わされた。コンピューターを閉じ、ベッドに乗ってカーテンをめくると、空は既に青みはじめており、稀薄な紫の色が低みに混ざった雲が垂れこめているのが露わで、その雲の隙間を通って、黒い木々の裏から夜明けの先駆けである煙のような白さも覗いていた。枕の上に座って瞑想を始めると、新聞屋のバイクの音が遠くに響いていたが、まもなく、鳥が、ほとんど一斉にと言っていい調子で鳴きはじめた。夜鷹のみではない。聞き分けるほどの知識がないが、朝を迎えて目を覚ましたらしい鳥たちの声が、雨に打たれる川面に弾ける小さな飛沫のようにあちこちで無数に立ち、繰り返された。午前四時という時間はこんな風なのだなとそれを聞きながら一〇分間瞑想したあと、明かりを消してもカーテンは青さに通り抜けられて室内は薄ぼんやりとして、もはや夜闇は消えている。アイマスクでその明るみを遮断し、布団の下に身を横たえた。