2016/7/23, Sat.

 覚めると一一時、脚が凝って、身体の隅々まで痺れているように硬かった。布団を剝いでちょっとうごめいてから起きあがり、用を済ませてきてから瞑想をした。一一時一六分から二八分までである。それから居間に上がっていくと、母親はテーブルに就いてタブレットで何かの動画を見ていた。食事は多分、前夜の肉じゃがが残っていたのではないか。ものを食ってからソファに座り、新聞をひらいて見出しを確認しながら内容を大雑把に拾っていると、窓の外から父親がこちらの名を呼ぶ声が聞こえた。窓を開けて見下ろすと、畑のほうから上がってきた父親が家のほうを指差して、今でなくともいいから、アサガオの蔓が伸びてネットの上端を超えているのを切っておいてくれと言う。というのは、こちらの部屋の窓の外にネットが張られて、それは前年や二年前にはゴーヤを育てるためのものだったのだが、この年はどうしてかアサガオがその座を占めることになったのだ。了承して、ここで立ったのを機に室に戻ることにして、その前に風呂を洗いに行ったが、浴室に入ると突然 "Love for Sale" の旋律が頭のなかに流れだして離れなくなった。そのうちに黒人らしい、力の入った女性ボーカルの声まで想起されたのだが、誰の歌の記憶か名前を思いだせなかった。それから緑茶を用意して下階に帰ると、一二時二〇分直前である。 "Love for Sale" を流そうと、音楽プレイヤーのライブラリを曲名順に並び替えると、件の曲は一〇種類ある。そのなかにDianne Reeves『I Remember』の文字があって、想起された音楽は彼女のものだったとわかった。先頭の、Cannonball Adderley『Somethin' Else』のものから流しはじめ、聞きながら前日の新聞を写し、その後この日のものも読んだ。合間に歯磨きを済ませたのだが、新聞に目を落としていると母親が桃を持って部屋に来た。山梨の父親の実家からもらったらしい。食べるよう勧めるのに、もう歯を磨いてしまったからと言っても、いいじゃないと言うので、まあいいかと二切れをもらって、それから再度歯を磨いた。音楽はさまざまな "Love for Sale" の連続のあとはJesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』を流し、新聞を読み終えて仕事着に着替えると、出勤する前に瞑想を行った。枕の上に胡座をかいて窓外の蟬の音を耳に吸いこむようにしていると、その響きの微細なうねりに少し快くなって、ノイズミュージックを聞く人もこのような快感を覚えるのだろうかと思った。一時三九分から四五分まで短めに座ったそのあとだったと思うが、窓をひらいて、くねりながらネットに絡みはじめているアサガオの蔓の上部を鋏で切り、兄の部屋にほうにも行って同じように処理した。それから預金通帳を含む諸々の小物のみ身につけて上に行き、手ぶらで軽い出発である。玄関外の水場に立っている父親に行ってくると掛けて歩きだし、坂に入って周囲に耳をやると、どうも蟬の雨の質が前日と変わったようだと思われた。アブラゼミの声の拡散のなかに、規模は薄いが微妙に波打つ音が含まれているようで、先ほどの瞑想中に耳から身体に入って快感をもたらしたのはこれではないかと判断し、同時にそれがクマゼミだろうともこの時は思ったのだが、今になってみるとよくわからない。クマゼミは基本的には午前中に鳴くらしいし、その後検索した動画で聞かれるような激しい鳴き方をしていたようにも思えない。ともかく進んでいって、街道の途中で母親の懸賞葉書を投函し、そのまま表を行った。郵便局に寄ってATMで札を数枚下ろしたのは、七月三〇日に迫る友人の結婚式の祝儀用である。金が出てきて二つ折りの財布を片手に取りだしたところで、こういう場合の金というのは折り目がないほうがいいのではないかと思い当たった。そういった類の社会常識についての知識がほとんどないのだが、まあ新しそうなほうが良かろうと、置かれている袋を取ってそれに入れ、ポケットに差しこんだところが、あとで確認してみると真新しい札などではまったくなく、折り目付きのものだったので意味がない。郵便局を出て駅前に行くと、どんな催しか知らないが祭の字の入った提灯が通りに架けられ、商店の前に露台が出て何やら物を売っていた。職場に入ると同僚と女子高生らが「ポケモンGO」について話しているなかで早速準備を始めるのだが、どうも緊張が身に纏わりつく。おそらく前夜遅くまで起きていた上に緑茶を飲んだためだろうと思われたのだが、身体からしなやかさが奪われるほどの緊張は久しぶりだった。それで中学受験用の社会の教材を確認しながら、薬を一粒財布から取りだして口内で溶かした。授業が始まってからもしばらくは緊張がほぐれず、声もやや揺れてあまりはっきり出ないような有様だったが、ある機会にちょっと声に張ると思ったよりも力が入って、そこから落ち着いて調子を取り戻した。授業は六時に終了だが、引き継ぎをしたり新人に声を掛けたりと少々やることがあって、六時半過ぎまで自主的に残り、それから退勤した。何の鳥か知らないが街路樹に集まって、ぴよぴよとしきりに鳴き声を撒いていた。横断歩道を渡りながら見上げると、灰色がかった宵の近い曇天の前に、鳥たちの黒い姿が散らばっている。裏通りに入って森が近くなると、ヒグラシの声が何本も、天にまっすぐ伸びる煙のように立ち、道を行くあいだずっとついてきた。表に出ると自販機でスプライトのペットボトルを買い、それを持って残りの帰路を辿って帰宅、家は無人で居間は薄暗闇だった。両親は映画を見に出かけたのだ。薄いほうのカーテンを閉めて食卓灯を点けておき、室に帰って服を脱ぐと他人のブログを読んだ。その後わりと長く瞑想をしたのだが、身の熱と疲労のために意識が薄くなり、一日の回想をしているつもりがいつの間にか道を逸れて夢の入口に立っている。何か妙な場面を目にしていることにはっと気付いて本筋に復帰するのだが、すると今しがたまで見ていたシーンは即座に流れてしまい、何を見ていたのかもう思いだせないのだった。七時四四分から八時五分まで座ってから上階に行き、台所に立ってレトルトの牛丼を鍋で湯煎した。丼の米にそれを掛け、ほかにも、忘れたが何かしらのものを並べ、スプライトをコップで飲みながら食べた。夕食後に新聞をまた読んでいると、両親が帰宅した。多分八時四〇分くらいのことだっただろう。当然夕食を取ってくるものだと思って、おかず類をすべて食べてしまったのだが、食べていないと言う。それで母親がキャベツを炒めはじめたのを、フライパンの前が空いた隙に箸を取って、肉や葱が加えられるのを混ぜた。二口くらいつまみ食いすると緑茶を用意して室に帰ったが、このあと何をしたのかよく覚えていない。音楽プレイヤーの履歴を見ると、九時二二分にJesse van Ruller & Bert van den Brinkの "Love for Sale" が記録されており、二七分に続く "I Hear A Rhapsody" もあって、その次の曲は一〇時一七分まで飛んでいるから、このあいだに風呂に入ったらしい。その後はまた音楽を流しつつ、メモによるとこの日の新聞記事を一一時まで写したようである。そしてそれから書き物に掛かったのだが、途中、蟬の声の音源を聞いたところが関連動画にイチローのスーパープレイ集が出てきて、一つクリックして見てからまた一つまた一つと連鎖的に見てしまった。さらにウィキペディアイチローの記事を読み、そこから松井秀喜のものにも飛んで読んでいるうちに一時二〇分に達して、しまったとしか言いようがないなと思った。ようやくテクストに戻ったのだが、空腹の身体がいかにも軽く、薄くなったかのように頼りなく、キーボードの上で手を止めてみると指も震え、腕の表面にも緊張の感覚が貼り付いている。おそらくこれも緑茶の作用であるので、ここのところしきりに飲んでいるのを、やはり蕎麦茶に戻さなくてはと決めた。一時五五分に前日の記事が仕上がったが、わずか一二〇〇字足したのみである。実際に生活している渦中や、瞑想中に回想している時などは書けるものをできるだけ記す気に満ちているのだが、この日のように怠惰のために時間をなくしてゆっくりと書く余裕がなくなると、やはり面倒になるものだ。それはこの日の記事についても同じで、まだ何とかおおまかには朝からの記憶が保たれているのだから続けて取り組めばいいものを、投げやりな気分になっておのれに夜更かしを許すことにした。それでだらだらとし続けてあっという間に四時前である。背後では新聞屋のバイクの排気音がうなる。そろそろ眠ろうとベッドに移って、瞑想もせずに電灯を消すと空気がもういくらか明るい。カーテンをめくると、雲の垂れ籠めた下の隙間に、東南の空がオレンジ色に焼けはじめていた。アイマスクで明るみを防いで布団にもぐったのが四時一〇分頃だった。