2016/8/11, Thu.

 初めに覚めたのは確か八時台だった。アイマスクをずらすと外は曇りらしく、部屋が随分と薄暗くて、まるで夕刻のようだった。ふたたび眠って夢を通過したあと、定かに覚めたのは九時五〇分、すぐに起きあがることができずに例によってだらだらとして、一〇時半を過ぎてから床を抜けた。それからなぜか顔も洗わずに隣室に入って、ギターをしばらく弄んだ。毎度のことだが適当にブルースを弾いたり、ピックを使わずに爪の先で雑なカッティングをしたりしてから上に行き、洗面所で顔を洗った。居間のテーブルには電子レンジが置かれていた、というのは前日に、ボタンを押しても反応しなくなったのだ。徴候はあった、数日前には稼働中に突然停止することが何度かあったのである。それでこちらが新聞を読んだり風呂を洗ったりしているあいだ、父親がどこからか、型は元のものより古いようだが別の電子レンジを運んできて、台所に設置していた。ついでに物の配置を変えているようで、台所が空きそうにないので、一旦自室に帰って、起床時にさぼった瞑想をすることにした。コンピューターを点けて前日の記録を付けておいてから、枕に尻を乗せて、目を閉じた。回想をしたり、外で空気に広がる蟬の音を聞いたりしているあいだに一度、風が入りこんできて、裸の肌に柔らかく触れるその感触が漣のなかにいるようで大層快いのだが、その一度きりであとは寄ってこなかった。一一時三九分から五三分まで座ると、コンピューター前に移り、ヘッドフォンを付けた。一日に一曲だけでもいいから、音楽に集中する時間を取りたいと考えていたのだ。それで何を聞くかとなると、やはりBill Evans Trioの "All of You (take 1)" が選ばれて、黙って八分聞いたあと、続けてJohn Coltraneの "Moment's Notice" も九分間聞いた。そうして食事を取りに上に行って、前日の汁物に茄子が足されたなかに素麺を入れて煮込み、また細切りにしたジャガイモを固めて焼いた料理をよそった。この日は兄と義姉が来る予定で、翌日には家族まとめて山梨の父親の実家を訪れるという話だった。それで母親は、肉屋に惣菜を頼もうか、あるいは兄を迎えに行くついでにフライドチキンでも買ってこようか、それとも自分で天ぷらなどを揚げようかなどと言って迷っていた。また新聞を読みながら食すと自室に帰って、ベッドに乗ってさらに新聞記事を読んだ。同時にこのあとの時間をどう過ごそうかと迷っていて、というのは外出したい気持ちがあったのだが、しかし目的がないのだ。自分が出かけるとして行き先は地元の図書館か立川の街かぐらいしかないのだが、学生の夏休み中、さらに祝日が重なっているとなると、館も喫茶店も人で埋まっているのは必定、書き物はできない。何か買い物をして気を晴らすにしても、本は溜まりすぎているし、中古CD屋にでも行きたいところだが、しかし今月の家計は結婚式の祝儀があったため、とうに赤字である。出かけたい気持ちだけが宙吊りとなって、どうしたものかと思いつつ、ひとまず寝転がって片山昇・安藤信也訳『サミュエル・ベケット短編小説集』を読みはじめた。書き物を何より優先するべきなのだが、夜更かしのためかどうにも身体が気だるくて、やる気が出なかったのだ。横たわって読んでいるうちにも、なぜか軽い頭痛が湧いてきた。宥め宥め一時間ほど読んで、二時前になるとまたどうするかと思いながら上に行って、アイロン掛けをした。シャツとエプロンがそれぞれ一枚ずつだったのですぐに終えて、室に帰ると、ようやく書き物を始めた。二時一五分くらいから行って、およそ一時間掛けて現在時刻まで追いつかせることができた。相変わらず出かけるかどうか迷いながら、とりあえず上階に行くと母親が、四時半頃兄を迎えに行く際に、図書館に寄るという。市中央図書館ではなくて分館のほうなのだが、プルーストが置いてあるので、それを借りるために同乗してもいいなと――別に今日借りなくてはならない必然性はないのだが――匂わせておいて室に戻った。そうしてベッドに横たわり、『サミュエル・ベケット短編小説集』を読んでいるうちに時計の針が回って、四時半が近くなると母親がどうするのかと訊きに来た。成すべきことの観点から合理的に考えればこのまま安楽な姿勢で読書を続け、『サミュエル・ベケット短編小説集』を読了してしまうべきなのだが、やはり外気を呼吸したい、仕切りのない空間のなかを行き過ぎる空気の動きを感じたい、視界の果てまで広がる空の下に身を置きたいという気持ちがあったので、やはり出かけることに決めた。そうした欲求を満たすのだったら、ただ家の前の道路にでも出れば良さそうなものだが、何かしらの目的がないと家の外に出る気にならないのだ。それで服を着替えて薬を一粒飲み、上階に行って靴下を履いたあと、車中で流すCDを取りに室に戻った。Donny Hathawayのライブが聞きたかったのだが、どこにあるのかわからず見つからなかったので諦めて、玄関を出た。短い階段の途中にはバケツが置かれ、なかではナスやらピーマンやらキュウリやら、父親が畑で収穫したものが水に浸っていた。車に乗ると、毒にも薬にもならないようなR&B調のJ-POPが流れはじめる。旋律にしろ歌詞にしろコード進行にしろアレンジにしろ、すべてがありふれた枠の内側にこじんまりと、収まり良くまとまって安息しており、人々の消費欲求への大層な奉仕ぶりである。坂を上っていき、街道を行く途中で曲が変わって、愛してる愛してると繰り返されはじめるのを聞いてみても、これはすごいなと思わされるもので、続く歌詞にちょっと耳をやっても、時空であれ状況であれ事物であれ、具体的な情報は何一つ詞のなかに盛りこまれず、何らかの触覚や質感といったものをもたらしうる要素は最大限まで排除されて、愛という名詞で呼ばれる曖昧で空虚な情念のみがふわふわと浮遊しているのだ。その全き抽象性、物語への恭順さには、こういった音楽を聞くたびに毎度驚かされるものだが――大衆歌謡やポップスというジャンルはおしなべてそんなものかもしれないが――、それよりも驚きなのは、こうした音楽が世上に広く流通しているという事実、こうしたものこそが流通するという事実のほうだ。勿論、その抽象性のゆえにこそ流通するのだが、それにしても、具体的な限定を離れて丸ごとの、ほとんど無垢なまでの観念のまま差しだされる「愛」が、多くの人々の「共感」を呼び、聞き手の心中に「愛」めいた感情を誘発して、受け入れられているのだとすると、もし本当にそうしたことがこの世の至る所で起こっているのだとすると、くだらないとか空疎だとかいうことを越えて、その伝達の抽象性、物語の魔力の甚大さを自分は非常に不思議なものだと思うし、それに驚かされざるを得ない。そんなことを思いながら乗っていると、窓外、人が地に横たわっているのが視界の端に一瞬見えた。男である。膝を立てていたかどうか、ともかく脚は伸ばしきらずに途中で折れてしどけないようで、顔に赤みが差していたように映った。人が倒れている、と母親に言い、一応声を掛けたほうが良いのではと続けた。どうするの、と母親が迷うのに、停めてくれと言って路肩に寄せてもらい、声だけ掛けてみると言って降りた。一体何についてか、気を付けてと母親は言った。それで多分眠っているだけだろうとは思ったが、本当に熱中症で倒れている可能性も考えて、あたりに自販機がないか視線を走らせながら道を戻り、男の寝ている場所まで行った。そこそこ広い空き地の前である。反対側は裏通りまで繋がっており、そちらの縁には夏草が茂って、通勤時にその前を通る。以前にそこを占めていた建物――それがどんなものだったのかまったく記憶にないのだが――が一掃されて以来、トラックが入って砂袋を運んでいたり、人足が働いているのが見られることもある。敷地の入口にはいまは柵が掛けられており、その手前、地面に埋まるようになっている薄汚れた金属板の上に男は寝ていた。黒いリュックサック、もしくはバックパックのようなものを枕にしている。顔はやはり赤みがかっていた。左肩の脇にしゃがんで、身体に手を当て、揺らしながら、大丈夫ですかと声を掛けた。相手は呻いて顔を擦り、気分悪くないですかとの問いに、大丈夫、と答えるのだが、軽く寝返ってあちらを向いて、また眠ろうとする。あの、ここで眠らないほうがいいと思いますけど、とか、僕行っちゃいますけど、いいですかとか訊いても判然とした反応がないのに、どうするかと困惑しながら、もう一度揺らしつつ大丈夫ですかと訊くと、相手は突然はっと正気付いて頭を持ちあげた。驚愕めいた表情で目をひどく見開いて、まるで知らないうちに眠っていたのにいま初めて気付いたというような様子で、愕然とした、と形容して良さそうな顔だった。立ちあがってみると相手は細身で、こちらより背が高かった。何でこんなところで寝てたんですかとちょっと笑いながら尋ねると、すいませんと、打ちのめされたような表情を変えないままに答えた。いや、謝ることはないんですけど、とこちらはなぜか偉そうな物言いになって、それから、すみません起こしちゃって、ちょっと見えたんで、大丈夫かなと思って、と弁明した。それから相手は、駅はどちらかと訊いたので、あっちにずっと行けばと道の先を示すと、先に立って歩きだした。そのあとを行き、足取りがこちらよりよほど速くてしっかりしているのを、大丈夫そうだなと見ながら車に戻り、母親が訊くのにあの人だと前方を指差した。発車して、何だったのとか訊いてくるのによくわからんと答えているうちに、放っておいたほうが良かったんじゃないのと言う。触らぬ神に祟りなしというわけで、以前まだ働いていた自分に、電車のなかで眠っている人を起こしたら強く文句を言われたという体験を話すのに、電車のなかには危険はない、と一言返した。この時点で既に、苛立ちが芽生えはじめていたわけである。そうだけど、と言ってまだうだうだと言い募るのに、さらに苛立ちが湧出して、さっさと黙れと思いながら、そんなことはこちらも勿論考えた上で行動に出ているのだから、とちょっと声を荒げた。お節介になる可能性は認識しているし、今回の事例もそう終わったような感じでもあるが、それを考慮した上で、本当に具合が悪くて倒れているという小さな可能性を潰すために、そしてその小さな可能性が現実のものだったら何らかの対処を取るために、念の為に確認しに行ったのではないか。そうして実際、杞憂であったことがわかったのだから、何もなくて良かったと、それで終わりの話であるところ、なぜこちらがわかりきっていることをぎゃあぎゃあ言われなくてはならないのかと、阿呆らしく思ってげんなりし、眠るにしてももう少し適した場所があるだろうと吐き落とすと、それでやっとその話は終わりになった。それから図書館分館に行って、『失われた時を求めて』の二巻を借りた。雑誌を見ていた母親に鍵を貰って出て、車に戻りがてら建物を見やると、窓前のネットに、アサガオかどうかわからないが、こちらの部屋外と同じように蔓植物が広がっている。その向こう、建物の端の一室は、レクリエーションルームかあるいは学童保育のようなものになっているのか、子どもたちが声を立ててはしゃいでいた。見えた限り何もない一室で、ゲームなどもやらずにただ身体を動かして遊んでいるように見えた。車に戻ると、持ってきていた『サミュエル・ベケット短編小説集』を読みはじめたが、なかの空気が暑いので扉をひらいた。するとすぐ傍の木から、アブラゼミの激しい鳴動が落ちてくる。いくらも読まないうちに母親が戻ってきて、兄を拾いに行く前に、晩餐のおかずを買おうと肉屋に向かった。それで唐揚げをたくさん買ってから、駅前に行き、スーツケースを引いた兄がちょうど待ち合わせ場所の裏道に到着したところを乗せて、買い物をするためにスーパーマーケットに走った。道中、母親は隣に就いた兄にぺらぺらと雑談を仕掛ける。兄は興味がないようでありながら、意外と丁寧に、ところどころで相槌を入れていた。スーパーの駐車場に就くと二人は店へ、こちらは車内に残ってまた読書をしたが、やはり暑いので、じきに外に出た。それで車止めの低いブロックに腰を下ろして、『サミュエル・ベケット短編小説集』に視線を落とした。周囲には人が行き交い、コンクリートの路面をカートの車輪が擦る音が響く。車のエンジン音が膨らみ、鍵がオートで掛かったり解除されたりする時の、Pの子音を持ったアラーム音が聞こえる。そのなかで本を読み、そのうちに振り向くと、兄が袋を持って戻ってきていたので、席に戻って受け取った。それからしばらく待って母親も帰ってきて出発、なぜか突然浮かんできた "To Be With You" を口ずさみながら到着を待った。帰宅すると重い袋の荷物を運びこみ、諸々の品を冷蔵庫に詰め、それから室に帰った。六時だった。ベッドに転がってふたたび読書をしていると、階段下の部屋で何かコンピューターをいじっているらしい兄が、母親が呼んでいると言っている。上がっていくと、巻き寿司を作ろうと言う。面倒くさいと思いながらも、母親の指示に従って、ボウルに米を入れ、味の素と混ぜた酢を掛けて、しゃもじで切り混ぜた。作り方がわからないので、母親が一度手順を示すのを見た。巻き簾に海苔を乗せるとその上に酢飯を広げ、適当な位置に一本線を付ける。そこに青じその葉を敷き、切り分けたキュウリを一本置いて、あとは蟹蒲鉾などの具を裂いて並べる。わさびを少々塗り、マヨネーズも掛けていよいよ巻くわけだが、ここでこつがあって、一巻きして具を囲んだところでぎゅっと押さえて形を定め、そこから端まで巻いたあともう一度形を固めて完成と言う。面倒くさいと思いながらもやり始めるとわりと凝るもので、具にチーズやシーチキンなどを追加していき、それらをつまみ食いしながら六本作った。切るのは任せて室に帰ってふたたび読書、義姉が来て食事が始まる前に、『サミュエル・ベケット短編小説集』を読み終えてしまいたかったのだ。七時を回ったところで、兄が迎えに行った義姉が着いたのだが、呼ばれないのをいいことに読み続けて、読了することができた。それからさらに、ジュリア・アナス/瀬口昌久訳『古代哲学』も読んでいると、天井が鳴ったので、本を置いて上に行った。義姉に挨拶し、卓に皆就いて乾杯、こちらはコーラを飲んだ。また胃液が過剰分泌されると困るのであまり口を付けず、唐揚げやら巻き寿司やらサラダやらを旺盛に食いながら、ちびちびと飲んだ。テレビはオリンピック、体操選手の演技を中継している。内村航平が一歩遅れて苦戦していたところが、最後の鉄棒で完璧な演技を決めて、わずか〇. 〇九九点差で優勝したところが流れた。その後、スタジオに場面が戻ると、解説員が、この先の体操界で内村航平以上の選手は出てこないのではないかと思うほどだ、と飄々としたような口調ながら最大級の絶賛を与えていた。例によって会話にはさして加わらずに、そちらの方をちらちら見やりながらものを食っていたのだが、途中、先日こちらが招かれた結婚式の話になった。すると母親が、祝儀に五万円を包んだのだということを、そんなことをわざわざ言わなくともいいのに、呆れたような笑いで勝手に明かす。その情報が卓に放られた瞬間に、義姉も兄も一緒になって驚き、多い多いと言いだして、本人たちにそんなつもりはなかったのかもしれないが、こちらは何だか非難されているような気になった。友だちだったら三万円が妥当、自分だったらいまでも三万円にすると兄は言う。余計なことを言わないようにと黙っていたのだが、こちらの勝手であるはずの事柄についていつまでもうだうだと話が続くのに段々と苛立ってきて、母親が何か言ったのに、別に良いだろう、大体、多くて何が悪いのかというようなことを、顔をしかめながら挟んだところが、口にした直後から堪え性がなくて黙っていられなかったことに後悔した。先の倒れていた男の件にしてもそうだが、自分がどうでもいいと思っている事柄に対して、横から何だかんだと口出しをされることほど、心の底からうんざりさせられる事態はない。以前にもどこかに書き付けたことがあるが、生の途上に起こる明確で大きな障害よりも、生活のところどころで偶発的に生じるこうした些細な齟齬のほうが、ある意味ではより強く自分を阻喪させるような気がする。日常というものが、そうした避けえない小さな衝突に満ちているという、ごく当然の事実こそが、何よりも気を滅入らせるのだ。この極小の齟齬によってもたらされるストレスというのは、唇にできた口内炎によって引き起こされるそれに似ているなと思った。極々日常的な痛みであり、生活に何らの支障をもたらすものでもないが、執拗に身を責め苛むその不快さに似て、一日の流れのなかのさまざまな時点に、ざらざらとした炎症が生じているようなものだ。その話題が終わったあとはまた静かにしてものを色々食って、九時頃になると席を立って食器を洗った。卓に戻ってほかの人間の空いた食器も下げて洗い、ビールの缶を踏んで潰したあと、入浴に行ったのが九時半頃だろう。それで髪を洗い、翌日祖母に会うからと髭も剃って、身体を擦ったあと、このあと義姉が入るだろうからと殊勝さを発揮して、網で湯のごみをすくって掃除しておいた。網をもとの場所に戻してから浴槽のほうを向くと、どこにいたのか、百足か何か、ひどく小さな節足類がうねうねと体をうごめかせている。それを洗面器ですくって排水口に流し、冷たいシャワーを浴びていたところが、今度は窓辺にこれも微小なゴキブリが姿を現した。窓をひらき、シャワーを放射して外に流しだしたかと思いきや、しばらくするとまたうろついている。窓の桟に入ってしまったので、ブラシを持ってそのあたりを搔いてみるのだが、反応がない。逃げたかと思ったところが、いつの間にか窓枠の縦の辺に茶色い点が移っているのを発見したので、ブラシで外に弾き飛ばした。行く先が見えなかったが、しばらく待っても再度現れないので、多分片付いたのだろうと判断して、風呂場を出た。髪を乾かしたあと、いつもだったら下着一枚で出るが、それもこの日は義姉の手前憚られるので、タオルをまた取って新しく湧いた汗を拭き、シャツとハーフパンツを着てから出た。台所に立っていた義姉に挨拶して、室に帰ったのが多分一〇時過ぎ、プレイヤーの履歴によると、一一時二五分頃からCurtis Mayfield『Live!』が始まっているので、ここから新聞記事の書き写しをしている。そしてさらに一一時から『ベンヤミン・コレクション1』の書き抜きをして、一一時半に終了することができた。その後は歯を磨いて、あとはずっとジュリア・アナス/瀬口昌久訳『古代哲学』を読んでいたはずである。隣室で明かりを消す音がして、兄のいびきが洩れはじめたのちも読書を続けて、一時半に切りあげて瞑想に移った。一時三五分から座り、この日のことを回想したあと、目を開けると二時一〇分になっていた。実に三五分が経過していたわけである。それだけ長く座っていただけあって、消灯して横になるとしばらく脚の先の方が痺れていた。入眠の様子は覚えていない。



 芸術作品は唯一無二であるということは、芸術作品が伝統の連関に埋めこまれているとい(end593)うことと同じである。ただし、この伝統そのものは、まったく生きたもの、きわめて変転しやすいものである。たとえば古代のウェヌス〔ヴィーナス〕の像は、それを礼拝の対象としていたギリシア人にとってはある伝統連関に属していたが、それを災いをもたらす偶像と見なした中世の聖職者にとっては、また別の伝統連関に属していたのである。しかしこの両者に対して、等しい現われかたをしていたものがある。それはこの像の唯一無二という性格、換言すればそのアウラである。芸術作品が伝統連関に埋めこまれているもっとも根源的な様態は、礼拝に表現されていた。最古の芸術作品は、私たちが知っているように、儀式に用いられるものとして成立した。最初は魔術の儀式に、のちには宗教的な儀式に用られるものとしてである。さて、決定的に重要なのは、芸術作品のこのアウラ的な存在様式が、その儀式機能から完全に分離することは決してないということである。別の言い方をすればこうである。<真正>な芸術作品の比類のない価値は、つねに儀式に基づいている。このような基づき方は、いかに間接的なものになっていようと、美への礼拝の最も世俗的な諸形式においても、世俗化された儀式というかたちで、いまだに認められるのである。世俗的な美への礼拝は、ルネサンスとともに形成されはじめ、その後三百年間行なわれたが、この期間が過ぎたのち、はじめて深刻な動揺に見舞われた。その際にあの儀式的な基礎がはっきりと見えてくる。つまり、最初の真に革命的な複製手段である写真の登場(これは社会主義の勃興と同時であった)とともに、ある危機――その百年後には誰の目にも明らかになった危機――が近づきつつあるのを感じとった芸術は、この事態に対抗して、芸術のための芸術[ラール・プール・ラール]という教義をもち出(end594)したのである。これは芸術の神学にほかならない。ここからはその後さらに、まさに一種の否定神学〔「神は……でない」と否定を重ねることによって神を知ろうとする神学〕が生じてきた。これは、いかなる社会的機能を果たすことをも拒むだけでなく、いかなる具体的なテーマによって規定されることをも拒絶する、<純粋>芸術の理念というかたちで現われた。(文学でこの立場に立つことになった最初の人はマラルメであった。)
 これらの関連を正しく評価することは、技術的複製が可能となった時代の芸術作品にかかわる考察のために不可欠である。それによって、いま論じている問題に関する決定的な認識がもたらされるからである。つまり、芸術作品が技術的に複製可能となったことが、芸術作品を世界史上はじめて、儀式への寄生状態から解放するという認識である。複製される芸術作品ということから、もともと複製可能な性格をもつ芸術作品の複製ということへ、だんだんに比重が移ってゆく。たとえば写真の原版からは、たくさんのプリントが可能である。どれが真正なプリントかという問いは無意味である。だが芸術の生産において真正さという基準が無効になる瞬間には、芸術の社会的機能全体が、大きな変化をとげてしまう。芸術は儀式に基づくかわりに、必然的にある別の実践、すなわち政治に基づくことになる。
 (ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫、一九九五年、593~595; 「複製技術時代の芸術作品」)

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 芸術史を、芸術作品そのもののなかにある二つの極の対決として描き出し、この対決過程(end595)の歴史を、芸術作品の一方の極から他方の極へと重心が交互に移動してゆくことのうちに見てとることができるであろう。この二つの極とは、芸術作品の礼拝価値とその展示価値である。芸術生産は、魔術に用いるための形象とともに始まった。これらの形象においては、存在するということだけが重要なのであり、見られることは重要ではない。石器時代の人間が洞窟の壁に模写したオオシカは魔法の道具であって、それが仲間の前に展示されるのは偶然に過ぎない。他人にそれを見せることは重要ではなく、せいぜいのところ霊たちに見せることが重要なのであった。そのようなものとしての礼拝価値はまさに、芸術作品を隠された状態に保つことを要求する。ある種の神像は内陣にあって、聖職者しか近づけない。ある種の聖母像はほとんど一年中被いをかけられたままであり、中世の大聖堂のなかにある彫刻のいくつかは、一階平面にいる観察者には見えない。いろいろな芸術行為が儀式のふところから解放されるにつれて、その産物を展示する機会が増える。あちこちに運んでゆくことのできる胸像の展示可能性は、神殿の内部に固定した位置をもっている神像の展示可能性よりも大きい。タブロー絵画の展示可能性は、時代的に先行するモザイクやフレスコ画の展示可能性よりも大きい。ミサ曲の展示可能性は、本来は交響曲の展示可能性に劣らぬものであったかもしれないが、しかし交響曲は、その展示可能性がミサ曲のそれよりも大きくなることが目に見えていた、まさにそうした時点に生まれたのである。
 芸術作品の技術的複製のさまざまな方法が出現したことにより、芸術作品の展示可能性は飛躍的に増大し、その結果、芸術作品の二つの極、礼拝価値と展示価値のあいだの量的な重(end596)心の移動は、芸術作品というものの性格の質的な変化へと転換する。原始時代にも似たようなことがあったわけである。つまり原始時代において芸術作品は、その礼拝価値に絶対的な重みがおかれたことにより、なによりもまず魔術の道具となったのであり、いわば後になってはじめて芸術作品と認められたのであるが、同様に今日、芸術作品はその展示価値に絶対的な重みがおかれることにより、まったく新しい諸機能をもった形成物となるのであり、これらの機能のうち、私たちに知られている機能つまり芸術的機能は、将来は副次的なものと見なされるかもしれない機能として際立っている。ともかく、現在のところ映画が、このような認識のための最も有用な手がかりを提供してくれることは確実である。もうひとつ確実なことは、映画において最も進んだかたちで現われているこの芸術の機能転換が、歴史的に大きな射程をもつものであって、現在の芸術を芸術の原始時代と比較してみることを、方法的にだけではなく素材的にも可能にしているということである。
 (595~596; 「複製技術時代の芸術作品」)