2016/8/26, Fri.

 まったく意図しない偶然の遭遇のようにして七時一〇分に目を覚ました――しかも随分と軽く、はっきりとした寝覚めだった。前夜に眠ったのは二時四〇分であり、もっと朝寝をするつもりで目覚ましも仕掛けていなかったのだが、二度目の眠りの気配がなかったのでひとまず携帯電話を取り寄せ、他人のブログを読んだ。二つ回って八時、そこまで到っても眠気が来ないので、思わぬ僥倖で時間が増えたと捉えることにして、本を読みはじめた。山川偉也『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』である。前日に続き快晴の朝で、アサガオの葉に生えた無数の産毛が白く発光しながら霜のように固まっており、カーテンを閉めても熱が洩れるようで肌が湿る。さすがに寝床に横たわったまま読書をしていると眠気が寄ってくるのだが、取り合わずに二時間を読書に費やし、一〇時二二分に読了した。それから起きあがって上階へ、遅めの朝食を取ると、母親が、タイピングソフトをコンピューターに入れてくれと言う。それで階段を下りたところの部屋で、父親のコンピューターを起動させて、大きなモニターの側面からディスクを挿入した。図付きでインストールの手順を記した紙があったので、こうするのだと説明しながら母親自身にマウスとキーボードを操作させ、シリアルナンバーを入力して無事ソフトを立ち上げるところまで導いた。レベル順に分かれた日本列島の各地点を横断しながらその地域の地名を入力していくという趣向らしく、最初の北海道から挑戦してみたのだが、稚内などの語を一〇秒の制限時間内に入力しなければならず、ホームポジションに指を置くことすら覚束ない母親にそれができるはずがない。随分と不親切な仕様になっていると思いながら、トレーニングモードが別にあったのでそちらにアクセスしてみると、こちらもいくつか段階が分かれていて、その初めのものは「asdf asfd asdf」というような指の運動を一〇分間続けるもので、糞つまらんなと思わず口にした。制限時間などなくして、最初からもっと意味のある語や文章を打たせる作りにしたほうが楽しかろうと思ったのだが、しかしまったくの素人にはむしろこのくらいのほうが良いのかもしれない、母親は意外と熱心に指を動かしていた。要するにこれはギターを始めた時に真っ先に突き当たるクロマチックトレーニングと同じものであり、それまでギターに一度も触れたことのない人間が六弦から一弦まで四つずつ、機械的なフレーズであってもただ順番に綺麗に音を鳴らせるというだけで幾許かの楽しみを感じるように、キーボードという新しい玩具に初めて触れた者には画面に指示された通りに正しく文字を打ちこむことができるだけで、いくらか新鮮な楽しさを覚えるものなのかもしれない。それでもより楽しんでできるほうが良かろうと、出来損ないのT-SQUAREのようなちゃちなBGMを止めて、父親の音楽プレイヤーを起動し、そのなかから母親の好みに合わせてZARDを流した。そうして傍らで見守っている途中でインターフォンが鳴ったので、上階に行くと、宅配便である。宅配員の差しだした用紙に簡易印鑑を押して、牛肉の入った包みを受け取った、兄夫婦の結婚式のカタログギフトで注文したものである。この朝にはこちらが友人の結婚式で獲得した松阪牛もインターネットで注文しておいたので、じきに届いたら合わせてすき焼きでもやろうという魂胆である。梱包をひらき、かさばる箱を取り払って冷凍庫に入れておき、風呂を洗ってから母親のもとに戻り、またちょっと見てからもう終えると言うので機械をシャットダウンして自室に戻った。一二時三七分から四七分まで瞑想をしたのち、ジュリア・アナス/瀬口昌久訳『古代哲学』の書き抜きを始めた。Billy Drummond『Dubai』、Gaspare Di Lieto『Waltz For My Son』を流し――この二作品はどちらも売却と判断された。前者にはChris Potterが参加しており、後者はリーダー以外はFabrizio Bosso、Billy Harper、Reuben Rogers、Eric Harlandと名立たる名手ばかりのライブ盤である。ここに名を挙げた誰も充実した演奏をしていることは否定されないのだが、その判断と、音がこちらの耳を掴んでくる瞬間があるかどうかとは別のことである。耳を掴まれる瞬間とは端的に、その音楽を聞き尽くしていない、まだ聞こえていない何かがそこにあるという感じをもたらすものであり、それはそこに展開される音楽の形に、それまでの歴史において構築されてきた一般性に還元されない何か具体的な様相が感受されるときに生じるもので、そうした感覚によってより突き抜けた理解を目指すように誘われるからこそ、自分は同じ音楽を飽きもせずに何度も繰り返し聞くことができるのだ。これは読書においてもまったく同様で、そういう意味で「僕は、およそ自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている」というフランツ・カフカの言葉は、音楽においてもまったく正しく当てはまるものである――、汗を肌に帯びながら一時間、打鍵を続けた。『Waltz For My Son』のちょうど掛かっていた曲目にじっと聞き入ってみると、Fabrizio Bossoなどはさすがのコントロールで、事も無げに低音部と最高音部のあいだを滑らかに飛翔してみせるし、Reuben Rogersなんかも力の入ったソロを展開していたけれど、それらの個々の充実ぶりが総合的に見て何かしら耳を惹かれるような形を描いていないようだったので、先の判断となったのだった。時刻は二時である。モニターを見つめながらの打鍵に疲れた身体を労るためにベッドに横たわり、『失われた時を求めて』の四巻を読みはじめた。三〇分ほど読みながら休むと、書き物を始めたが、このあいだのことはまったく覚えていない。メモによると三時三五分まで文を綴り、それからシャワーを浴びに行った。労働前に汗を流し、べたついた頭を洗っておきたかったのだ。湯を浴びて出てくると確か三時五〇分くらいで、出勤時間がだいぶ迫り来ていたので急いで歯を磨いたり服を着替えたりした。それで上階に行くと誰かがインターフォンを鳴らして、玄関に出て行くと近所の婦人が戸口の外、見えないところから名前を言ってみせる。母親を呼んで自分はトイレに入り、出ると野菜を貰ったと母親は袋を持って嬉しそうにしていた。こちらはもう出勤なので靴を履いて外に出て、婦人に挨拶した。貰い物の礼を言ってから、入院していた亭主が退院したということを聞いていたので、退院されたそうでと話を振った。調子は良好で、食欲もあるらしい。良かったですと受けていると母親が出てきて、返礼の野菜を渡し、立ち話が始まった。相手の婦人が時折りこちらにも目線を送りながら話すのを、腰のベルトの前に両手を重ねて、なぜかやたらとかしこまったような調子で受けた。こういう世間話の常で、そろそろ、と口にして去っていく素振りを見せながらも、その間際にまた何かしらを思いついて即座に口に出してしまうために、話が何度も継がれて延長されるのだが、何度目かの繰り返しののちに正式に終わりとなって、こちらは頭を下げて自転車置場に行った。四時を過ぎていたので予定していた時刻より少々遅れてしまうが、だからといって特別な問題はない、もう何年もやっていれば多少準備不足でもどうにかなるものだ。自転車に乗って坂を上って行き、街道に出て走りながら振り向くと、道路上に撒かれた水の痕が焼けつくように激しく発光していた。裏通りを行くあいだに首すじや背を温める西陽は、例の粘度を持った液体性の感触である。職場に着くと働きはじめ、仕事を済ませたあと、上司に対するメッセージカードを記入してから、退勤した。帰路のことは特に覚えていない。帰ると、母親はパソコン教室に出掛けているので居間は真っ暗だった。服を着替えて瞑想を怠けて上がり、飯を食っていると、八時半頃になって母親が帰ってきた。向かいに就いて食事を始めながら、今日の人はすごく丁寧で、とか話すのを珍しく聞く気になって、しばらく聞いていると、とにかく家にいたくないと言いはじめた。以前からたびたび耳にする言葉ではあるのだが、その訳は、家にいると隅々まで綺麗に保たなくてはという義務感に追われる、というのは、家の管理を怠っていると、働かずに自宅にいるくせにだらしなく怠けていると思われるからだ、ということらしい。誰もそんなことは思っていないだろうと思うのだが、母親は隣の老婆を例に出した。老婆が管理している家(これは隣家と接しており、我が家の畑の敷地とも斜面を挟んで接する形になっている)に先頃若い男女が新しく入ったのだが、老婆が母親と立ち話をした際に、その家を指して、草がすごく生えているなあということを言ったらしい。そんなの勝手じゃん、と母親はちょっと気色ばんで言うのだが、要するに自分もそう思われていないか気になって仕方がないのだ。それはそんなに非難がましい口調だったのか、と尋ねても、判然としない。老婆がそう言ったのは(彼女自身は九五歳だか九六歳だかにもかかわらず毎日のように庭に出て、腰を大きく曲げて草を取っているために、他家の様子が敏感に目についたということはあるのだろうが)、単なる世間話の一環で、特に非難するような意図はなかっただろうと自分は思うが、と一応宥めはしたものの、そう言っても仕方がない、頭でそうとはわかっても気になってしまうのが神経症というものである。話をして皿を片付けたあとに、そのまま風呂に入った。髭を剃って上がり、室に下りると一〇時、帰宅時にやらなかった瞑想をここで行った。ここ数日来、大きな口内炎が二つ、下唇に一つと下の歯に囲まれた内側の地帯に一つ、できている。座っているあいだそれがしきりに痛んで、舌を当ててみると、なぜか傷口が縁の僅かばかりの段差をなくして大きくひらいている。口内炎というものは、日常レベルでは間違いなく最大の苦痛である、一度痛みが和らいだと思ってもまたすぐにひりひりと痛みはじめて、それが生活のあらゆる場面に付き纏ってくるからだ。舌で唾液を塗って痛みを少しでも軽くしようと試みながら、一四分座り、一〇時半過ぎから書き物を始めた。久しぶりに、Guns N' Roses『Appetite For Destruction』を聞いた。零時前まで文を綴ると、Bill Evans Trio "All of You (take 1)" を聞き、興が乗ったのでそのままほかの二テイクも流し、同じ曲ばかり三種類も聞き入ったのだが、どれもこれも素晴らしく、瞑目して項垂れているあいだに気分が高揚して瞼の裏に涙が溜まるのを禁じ得なかった。その後はまた読書、『失われた時を求めて』四巻を読み、自慰を挟みつつ三時まで読み続けたところで力尽き、瞑想をすることもできずに眠りに就いた。



 『国家』に関するきわめて明白な点は、理想国家についての記述はその著作全体のほんの一部を占めるにすぎないことである。その記述は、政治的行動を起こすための「青写真」にしてはあまりに簡潔で概略的であり、著作の基本的枠組みにもなりえないものである。この著作の主要な議論は第二巻の冒頭で提出され、第九巻の終わりで答えられている。それは、「なぜ、私は道徳的でなければならないか?」という問いに答えようとするプラトンの試みから成り立っている。道徳とは、自分自身よりも他人に利益を与えることのように思われる。それならば、他人を無視し利用する仕方で自分自身の目的を追求する生き方をおくるのは、私にとってよくないことなのだろうか? プラトンは、たとえ現実世界で起こりうる最悪の状況においても、道徳を至高のものとする人生こそが個人にとって最善の生き方として合理的に弁護しうると考えている。自分の立場を理解させるため、プラトンは理想の国家を道徳的な人間の魂の構造とパラレルなものとして導入する。つまり、議論の最後で彼が述べているように、理想国家は、よき人生を生きたいと強く願う道徳的人間が、内面化すべき理想として受け取るような抽象的構造を示しているのである。しかし、理想国家は、『国家』に構造的枠組みを与えるほどの思想ではなく、現実世界に対するプラトンのさまざまな問いに対し、理想国家に言及して答えようとしても、この書の議論の力を弱めるばかりである。
 (ジュリア・アナス/瀬口昌久訳『古代哲学』岩波書店、二〇〇四年、51; 「2 なぜプラトンの『国家』を読むのか?」)

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 古代の倫理思想における幸福とは、楽しい気分であるとか満足しているかとかの問題ではない。それは感覚や感情ではまったくない。幸福であるとか幸福でないといわれるのは、人生全体についてであり、それゆえ、幸福についての議論は、幸福な人生についての議論となる。現代のわれわれにとって、幸福であることが、人生全体の問題だけではなく、ある瞬間や一瞬の感情経験の問題でもあることは不運である。こうした次元の違う事柄を考えなくてはならないために、幸福についての(end64)現代の議論は、またたく間に混乱に陥ってしまう傾向にあるからである。古代の倫理において幸福は「楽しい気分」にまつわる議論とはまったく異なる道筋で、倫理的議論のなかに入ってくるのである。

 時には、人は日常生活のいつもの雑事から距離をおいて、自分の人生全体について考えることがあるだろう。何らかの危機によってそうせざるをえなくなることもある。あるいは、人生のある段階を通過するとき、たとえば青年から大人になるときに――ヘラクレスの物語のように――自分の全人生において何をしてゆくか、何に価値をおくか、何が自分にとって最も重要であるかについて考えさせられるかもしれない。古代人にとっては、これが倫理的思考のはじまりであり、倫理的反省の入り口である。ひとたび人が自己意識に目覚めれば、人は選択に直面しなければならない。そして、ある一定の価値や行為の方針は、他の価値や行為を排除するという事実に対処しなければならない。人の抱くあらゆる関心が、どのようにして一つにまとまるか、あるいはまとまらなくなるのかを問わねばならない。あらゆる古代の思想家が認めるところによれば、人が探し求めているものは、最終目標や目的、つまりテロスのもとに関心事を統一することによって、自分の人生全体を意味あるものにする方法である。自分の関心事を何らかの総合的な方法で統一できない人は、めざすすべての計画を自分のものにして、自分の[﹅3]人生のなかで一つにするということから根本的に目を背けていることにしかならないからである。
 (64~65; 「3 幸福な人生――昔と今」)

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 (……)まだ理論に出会う前であっても次の一つのことだけはいうことができる。プロディコス以降の哲学者が同意するように、そして最も有名なところではアリストテレスによって述べられているように、人々の最終的な目的は幸福であり、自分が行なうあらゆることに求めているのは幸福な人生を生きることだという点には誰もが同意するということである。(それゆえ、古代の倫理論は、幸福を意味するギリシア語のエウダイモニアに由来して、eudaimonist〔幸福主義〕と呼ばれるのである。)

 なぜこのことはそれほど明白だとみなされるのだろうか? もしも、幸福というものが快楽や楽しい気分という概念を通して提唱されるものだとすれば、そのことは少しも明白ではない。しかしそうではなく、幸福とは、われわれの最終的な目標がもっている形式的[﹅3]特性に合致するものなのである。すなわち、幸福な人生は、その内容を云々する以前に、いくつかの要求を満たす必要がある。そのいかなる候補も――徳、快楽、何であれ――次に述べる要求を満たさねばならない。まず人のあらゆる関心事を統合する総合的な目的は、完結的[﹅3]でなければならない。人が行ないまた得ようと(end66)努力するあらゆることは、その目的のためにこそ求められるのであり、さらに何か別のことのために求められるのではないからである。それはまたそれだけで完全に充足的[﹅3]でなければならない。それは人生においてよく生きるために価値をもついかなる要素も排除していないからである。これらのことはとても深い意味をもっているが、一方で常識的な論点でもある。そして、常識や直観のレベルで考えても、幸福こそが唯一の目標であり、人生全体をかける目標として妥当であり、完結的でそれだけで充足的である。われわれは他の事柄を幸福になるために行なうが、しかし、さらに別の理由のために幸福になるということは意味をなさない。そして、幸福に生きているからには、よく生きるためにさらに何かに不足するということはない。これらの点は、古代の幸福の概念に関していうなら明白である。しかし、アリストテレスあただちに指摘しているように、それですべてが解決されたということではまったくない。というのは、幸福がどのように特定されるべきかについてはきわめて大きな相違が残るからであり、倫理思想の異なる諸学派はまさにその相違から出発しているからである。

 しかしながら、次の一つの点は最初から明らかである。幸福とは幸福な人生をおくること、つまり、人の人生全体に関わることである。けれども、快楽の方は一時的なもの、つまり、今は感じられているが、後には感じなくなるようなものとして理解する方が自然である。快楽は、自分の人生を構成するさまざまな活動を行なうときに経験するものである。食事も、会話も、生活さえも、あ(end67)るときには楽しんだと思えば、すぐ次にはそうではなくなることがあるだろう。しかし、古代の思考方法によれば、人があるときには幸福であるが、次の瞬間にはそうでなくなることはありえない。幸福は人生全体に関わるからである。

 ここにいたって、プロディコスの物語における<快楽>の役割が、幸福に至るには明らかに誤った道を与えるものである理由をわれわれは理解できる。快楽は、まさに今この場に、満足を欲する現在の欲望に、われわれを縛りつける。このことが、価値あることに打ちこむ人生のために必要な、自制心を備えた合理的で総合的な反省を妨げる。快楽は短期間だが、幸福は長期間にわたる。それゆえ、この問題に対する現代の見方とはまったく反対に、快楽は幸福の候補にあがりさえしない。人の人生の全体が、快楽のような短期間しか与えられないものに収斂されてしまうなどということがどうしてありえるだろうか? そうしている者は、大きな過ちを犯していることになる。現在の満足に負けて、その後の人生に対して当然もつべき関心を犠牲にしてしまっているからである。
 (66~68; 「3 幸福な人生――昔と今」)

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 とはいえ近年にいたるまで、「ヘラクレスの選択」にある考え方のなかで、われわれにとって真に異質なのは<徳>の役割であると考えられていたようだ。現代の倫理思想においては、ごく最近まで、徳はなにか滑稽な概念で、歴史的には理解できるが、倫理的思考において真剣に用いることはできないものになってしまっていた。しかし、この一〇年の間に、「徳倫理学」は劇的なカムバックをとげた。けれども、またしてもわれわれの徳の概念と古代の徳の概念には完全な一致がみられないので、説明と比較が必要になる。(end74)

 古代の徳についての概念で最も単純なものは、徳とは道徳的に正しいことを行なうことに一貫した関心をもつことだという概念である。ここで想定されているのは、間違ったことに対立する行為として、道徳的に正しいことを行なうという考えをしっかり保持することである。何が道徳的に正しいかについて、手のこんだ理論からはじめる必要はない。その説明は徳の説明が展開されるにつれて深められるものである。

 徳はこれよりもずっと豊かな概念である。しかし、道徳とは無関係なこと――たとえば、徳が道徳とかかわりのないある種の「卓越性」であるという考え方からはすでに切り離されていると思ってよい。(残念なことに、古代の倫理に関わるテクストを「現代化」しようという間違った試みのために、翻訳者のなかには、ギリシア語のアレテーを、一般には時代遅れにもみえる「徳」ではなく、「卓越性」と翻訳し、その結果、テクストが道徳に関わるものだという論点を不明瞭にしてしまう場合がある。道徳哲学者が徳の道徳的な意味合いを認識しはじめている現在、これはとくに不幸なことである。)

 時折にではなく、一貫して道徳的に正しいことを行なう備えをしようと願う者は、正しいこととは異なることへと引きこむ(きわめて多くの)誘いに打ち勝つ自制心と精神力を育成しておかねばな(end75)らないだろう。したがって、<徳>がヘラクレスに向かって、彼女の道が困難でしばしば不愉快で欲求不満を伴うと述べているのは驚きではない。道徳的に正しいことを行なうことは立派であるが、徳を備えた人物はそれよりもずっと多くのことをなさねばならない。徳を備えた人物は、道徳的に正しいことを行なうことを当然とする気質と確固とした精神状態を養わなければならない。そして、そのような精神の境地にいたるためには、二つのことを身につけておかなければならない。道徳についての確固とした理解と、それに基づいて行動しようとする心構えである。どちらも容易にまたすぐに身につくものではなく、徳を備えた人となるには、それまでにまずある特定の性質を備えた人間となっていなければならないのである。したがって、徳と人の人生全体とには結びつきが存在する。つまり、徳を備えることは、特定の人格[﹅2]を備えた人間となることであり、それをやりとげる動機をもつこととあわせて、自分の人生全体とどういう人間になりたいかということについて思慮深く反省することを必要とする。もし、人がたんに自分の欲望の充足を続けるだけで、長期的に見て考え行為する能力を養わないならば、そのいずれも起こりえないだろう。

 現代の徳の概念は多くの点でこれよりも弱い。徳は、その場面ごとに、ある決まった仕方で行為するというある種の習慣として考えられることが多い。そのため徳は、限られた範囲で個別に発達するばらばらの習慣のことであるかのように見える。たしかに、勇敢に行動する習慣をもたない人でも、寛大に分け与える習慣をもつことは可能とも思われる。だが、古代の考え方においては、道(end76)徳的に適切なことは何であるかを理解することによって、行為についての個別のさまざまな習慣は統一されなければならない。

 さらにそのうえ、古代の徳の概念においては、実践的な知恵がそれを行なう動機と統合され、実践的な理性の働きというかたちをとる。われわれは第1章において、理性と感情の関係については古代の多くの理論があるのを見たが、そのすべての理論が共通して認めているのは、徳を備えた人間においては、感情や感覚が理性と争ってはいないし、もはや争うことはありえないということである。道徳的な行為が要求していることを理解してはいても、その行為をするために、それに反対する欲求を打ち負かす必要がある人間は、まだ徳を備えてはおらず、ただ自制心があるというのにすぎない。その人間の欲求が、その人間のっもつ理解と同調するものであることを、徳は求めるのである。
 (74~77; 「3 幸福な人生――昔と今」)

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 (……)プラトンが遺した有名な章句のいくつかを見れば、知識の技術知モデルと呼ぶことができる考えが彼のなかでは支配的であったことがわかる。知識について考えるときに重要なことは、専門家ならばできることだが、関連する事項を互いの、またその領域全体との関係において理解できるかどうか、さらにこれを理にかなったかたちで、つまり、個々の判断を説明すると同時に、それらを全体についての統合的な理解に関係づけて説明を与えることができるかどうかということである。そしてさらにいえば、理にかなった説明を与えるという重要な理念について再考するときに、プラトンは随所で数学をモデルとして採用している。
 (101; 「4 理性、知識、懐疑主義」)

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 数学を知識モデルとすることに関連して、さらに二つの注目すべき点が出てくる。一つは、数学的な結論というのはとくに論破しがたいことである。われわれはピュタゴラスの定理が誤っていると論じて時間を無駄にすることはしない。すでに見てきたように、技術知モデルに焦点を当てる一連の問題においては、知られるものについての確実性と正当化はあまり注目を集めることがなく、むしろ重要なのはその理解が実際に適用しうるものかどうかに関する問題であった。プラトンはしかし、いくつかの点において明らかに、深刻な疑問にさらされることのない知識という考え方に惹かれているように思われる。(end102)

 もう一つの注目すべき点は、数学が、確定したものとしての知識を与えるという事実から生じる。数学の知識が、日常的に感覚を通じてわれわれが経験している世界をその対象とすることは、どんなかたちであれありえない。ピュタゴラスの定理は、実際に描かれた三角形とその角度を計測することによって発見されたのではない。実際に描かれた三角形にたとえ規則にあわないものがあっても、その定理にとってはまったく問題とはならない。プラトンは、知性と論証を用いることによってのみ接近できる知識が存在しうるという考え方に惹きつけられたのである。そして、哲学的理性の力とは数学的に理性を働かせる能力をさらに発展させたものである、という考え方に惹かれた哲学者は、プラトンが最後ではないのだ。
 (103; 「4 理性、知識、懐疑主義」)

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 懐疑主義者も他の人々とまったく同様に、真理と知識を探究することからはじめる。そのための方法として、懐疑主義者は、他の人々が主張することの道理を調べて問い質し、また自身の立場を支持する道理を模索する。知識が理にかなった説明を要求するという基礎的な考え方に関するかぎり、他との意見の相違はない。いかなる種類のものであれ、もつに値するような知識(すなわち、日常的な情報の断片についての知識ではない)を備えているというのであれば、自分が主張することに関しては、十分な道理を与えられなければならない。懐疑主義者を他の哲学者から区別するのは、彼らは十分な道理を与えられるという段階まで自分が到達したとはけっしてみなさないというただその一点につきる。ギリシア語のスケプティコスが意味しているのは、否定的な疑惑を抱いている人ではなく、まさに探求者のこと、スケプテスタイすなわち探求に専念する人のことである。後期の懐疑主義に属する著述家セクストス・エンペイリコスが書いているように、一方にはすでに真理を発見したと考える独断的な哲学者がいて、他方には真理はけっして見出しえないという立場を主張できると思っている否定的な独断論者がいるが、それに対して懐疑主義者はそのどちらにも与しないという点で、どちらの陣営とも異なっている。懐疑主義者は物事の探求をずっと継続するのである。

 なぜそのような問題が生じるのだろう? もし、何らかの探求を行なうならば、知識、あるいは(end109)少なくとも信念とみなすことができるような何らかの[﹅4]結果がきっと見出されるだろう。われわれはそう考えようとするけれど、懐疑主義者は、それが後にはつねに軽率な(つまり「早まった」)同意であったことがわかるものと考える。われわれはあまりに早く自分の立場を決断してしまったのである。真実な探求を行ない、徹底的に吟味するならば、状況はもっと複雑で問題をはらんでいたことが明らかになるだろう。結局のところ、どの立場にしても与する理由を見出すことはできず、それゆえ、ついには判断を保留せざるをえなくなる。つまり、どのような問題に対しても突き放した中立的な立場を取ることになるのである。
 (109~110; 「4 理性、知識、懐疑主義」)