2016/9/10, Sat.

 この日もまた朝から何度も覚めて夢をいくつか見た覚えがある。母親が室にやってきたのは一〇時台である。ホームセンターに出掛けてくるから、雨が降ってきたら洗濯物を頼むと言うのに目を覚まし、雨が降るのかと聞き返した。外は曇っていたが、明るめの曇りで、雨が降りそうな気配でもない。上階から父親の声が聞こえるところでは、休みらしく、連れ立って行くらしい。両親が出たあと、また寝付いては駄目だと何とか意識を保ち、一〇時半を過ぎると本を読みはじめた。夏目漱石吾輩は猫である』である。一時間ほど寝そべって読んでいるあいだには、陽射しが雲にやや勝って空気が光る瞬間もあった。一一時半を回ると起きて行き、用を足してからまず風呂を洗った。釜には米がなく、台所の調理台には側面に粉のまぶされたバターバケットが放りだされていたので、一片をそのままかじり、もう一片はトースターに入れた。フライパンにあったタマネギとウインナーの炒め物を熱し、ゆで卵も合わせて卓に運んで、それから即席の味噌汁を用意した。しかし湯を注ごうとしたところがポットが電源に接続されておらず、一瞬がっかりしたが小鍋で湯を沸かした。パンに四角いバターも載せて食事を取りながら、北朝鮮の暴挙を伝える新聞を読んだ。それほど晴れ晴れとした日でもないが、気温計は三二度のあたりを指している。一二時半過ぎまで新聞記事を追ってから、皿を洗い、アイロン掛けもして下へ戻った。それでコンピューターを灯したところがしかし、すぐに両親が帰ってきた気配がしたので上へ行き、買ってきた荷物を運び入れた。団子を買ってきたから食うかとの誘いに乗って、みたらしのものを頂き、下階に戻ると隣室に寄り道してギターを弄り回した。音を奏でているうちに知らず汗が湧いて、腋から玉が一筋流れるのが肌にわかる。一時四〇分頃になると自室に帰り、娯楽的な動画を見ていたのだが、母親がベランダから窓をどんどんと叩くので、これでは仕方がないなと鍵を開けて、書き物をすることにした。Steve Miller Band『Fly Like An Eagle』を耳にしながら前日の記事を進め、このアルバムは売り払うことに決めた。途中で排便しに行き、戻ってから音源を削除して、次にMilt Jackson『Vibrations』を掛けた。これもまあ言ってしまえば大したものではあるまい、小粒の作品だろうと聞く前から決めつけていたところが、なかなかどうして、闊達に跳ね回って機嫌の良いアルバムなので、これは残すことにした。二時五〇分には九月九日を仕上げ、この日の分に入って一五分も掛からずに現在時刻まで記述を済ませた。それから、おそらく寝床に転がってちょっと休みがてら、『族長の秋』を読んだらしい。さらに腕立て伏せをしてから外出の準備に入った――立川の本屋に行って、高校日本史の参考教材を買ってこなければならなかったのだ。ついでに売却用に整理したCDを売ってくるつもりでもあったので、床の上のボックスに載せてあったものを、ジュンク堂の緑色の不織布の袋に収めた。小型鞄と合わせて上に持って行き、電車の時間を確認してからデオドラントシートで肌を拭き、服を着替えた。すると、窓の外で草取りをしていた母親がこちらの名前を呼ぶ。シーツを入れてくれと言うので(あるいは呼ばれてこれを言われたのは『族長の秋』を読んですぐあとのことだったかもしれない――「歯磨きしながらウィキペディア」とのメモが残っているのだが、日明貿易の記事を読んだり、その貿易で硫黄が輸出されたのは何故なのか調べたりしたのも(火薬に使われるという話だった)おそらくはそのときだったのだろう)、上のベランダに向かった。出ると、何を燃やしているのか隣家の庭から朦々と煙が湧き立っている。ベランダの柵に取り付けられた二枚をばさばさと揺すってから取りこみ、自分のベッドのものは室に持って行って、寝床を整えた。電車の時間まではまだ猶予があった。早めに出るつもりではいたが、もう少し何かに時間を使おうと迷って、アイマスクを洗っておくかと気が向いた――少し前から、皮脂の臭いが染み付いているような感じがしていたのだ。それで上の洗面所に行き、洗面器のなかで石鹸を付けて擦り、絞ってから洗濯機に放りこんで一分間の脱水を掛けた。蓋がロックされてなかのドラムが回っているあいだ、どれくらい速く回っているものかと窓に顔を寄せて覗いてみたが、速すぎてよくわからない。それどころか、なかに入っているはずのアイマスクの姿が、底のみならず側面に目を凝らしてもどこにも見えないのだが、速度が遅くなってくると忽然として現れるのだから驚かされる。それをベランダの入口に掛かっていたハンガーに留め、それで大方いい時間になった。外に出て、隣家とのあいだから家の南側に回って母親に行くことを告げてから、片手には袋を提げ、片手にはバッグを抱えて道を歩きだした。左側、一段下がったところに並ぶ公営住宅の建物に陽が掛かっており、道の上には暖色も落ちていないが、空気には温もりが漂っている――と見ていると、右側の、家屋根を越えた木々の裏に午後四時の太陽が枝に阻まれながら覗いた。坂に入ると、ツクツクホウシがまだ残っているなかにガビチョウの声も響いて、西側から陽が木の間を洩れて、右の壁に掛かって薄緑や土の色をさらに柔らかにして、左ではもう少し濃い色の葉に溜まっている。進んでいると前から、髪を伸ばし放題に伸ばしてばさばさと振り乱したような、目付きの悪い男が下りてきた。この人はちょうどそこにある家の息子で、ちゃらんぽらんとしたような生活を送っているらしく、この地域共同体においていくらかアウトローな立ち位置にある人間らしい――母親が、渾名だか呼び捨てだかでこの人のことに言及するのを過去に何度か聞いたものだが、何と言っていたのか忘れてしまった。過ぎて駅に入り、階段を上ると、西空には雲が掛かっているもののさしたる力もなく、陽を安々と通している。汗を滲ませながらホームに下り、先のほうへ進んで手のひらで顎や首周りを撫でて湿り気を吸わせた。近くには初老の女性が立って、暑そうに扇子をぱたぱたやりながらうろついている。ぼんやり目の前を見ていると、西陽が瞳の表面に小さなセロファンのような円を貼り、身じろぎに合わせてそれらが重なりながら付いてくる。線路の向かい、右のほうに目を移せば、ばらばらな方向を向いて駐車場に停まっている車たちのいちいちが、車体の縁のどこかしらに白点を留めていた。正面奥の丘は、数年前に木が伐採されたのだが、その後だいぶ生え揃ってきて土の色も見えず、低木が少々の起伏を作りながら緑を一面に茂らせて、そこは陽の当たらない位置だから蔭がかっているせいで、その緑のなかに青みがやや混ざって沈み気味のように見えるのだった。待っているあいだに西陽はさらに雲を抜けて、瞳に映る琥珀のような色合いが少々厚くなったように思われる。電車に乗るとちょっと待ってから降り、ホーム先に移って乗り換えた。そうして夏目漱石吾輩は猫である』を読みはじめた。電車内ではさして印象深い物事もなかったように思われる。立川まで本を読み続けて、周囲の客がぞろぞろと降りていくのを席に就いたまま見送り、切りの良いところまで読んでから読書時間を手帳に記録すると自分も降りた。階段を上ってざわめきを耳にしながら、立川に来るのも久しぶりだなという感じがした。便所に寄ってから精算機に行き、五〇〇〇円をICカードにチャージして、改札を抜けた。周囲の空間には雑音が満たされ、それらが一秒の絶え間もなく耳に入りこんでまるで襲ってくるようななかを歩きながら、まったく騒がしい、この町に住まなければならないとは、いまから心許ないなと心中独語した。しかし図書館の蔵書を考えると、やはり立川市内には住みたい――西立川付近が場所としては良いのだろうと思った、わりと閑静そうだし、昭和記念公園もすぐ傍にある――ただその分、物件は値が張るのだろうが。南口の出口に向かうと、高架歩廊の側面に落ち陽が掛かっているが、階段を下りながら右を向いても建物に遮られて太陽の姿は窺えなかった。人間がぞろぞろ歩いて活気に沸いているなかに混じって行き、中古CD屋に向かった。開放された木造りの居酒屋は、カウンターが大方埋まり、フロアのテーブルにも人が見えて、五時で早くも賑わっている。そこを過ぎてもうしばらく行き、どこだったかと見ていると左の並びに現れて、ここだと入った。レジの店主に挨拶し、CDを売りに参りましたと渡して、袋を引き取って鞄にしまってから棚を見分した。まずは最奥のブルースである。気になるものは諸々あるが、そう何枚も買っていられないので目星を付け、ジャズのほうに移行した。そうして見ているあいだに店主が呼んだので、レジに向かうと、六七〇〇円だと言う。異存なく了承し、小さな書類に住所等を記入したあと、保険証を示した。印鑑がないと言うと、左手の人差し指で印を押してもらうと言う。押した指をティッシュを持って控えていた店主が拭ってくれて完了、金を受け取りながら、思ったよりも高く売れて良かったですと口にした。相手は、そうですか、ありがとうございますとか何とか答えたと思う。またお願いしますと言うのに、いまちょうどCDを整理しているところなので、また売りに来ますと受けて、再度棚に戻った。店内にはThe Beatlesそのものではないが、それによく似た質感の軽快なロックが掛かっている。わりと虱潰しに眺めてから、ジャズはLee Konitz/Steve Swallow/Paul Motian『Three Guys』、Brad Mehldau『The Art of the Trio Vol.1』に同じく『Art of the Trio 4: Back At The Vanguard』を選びだした。Patricia Barber『Nightclub』や、名前は忘れたがFred Herschが一曲歌伴で参加している女性ボーカルも気に掛かったが、それらは見送った。ブルースからは、Big Bill Broonzy『Good Time Tonight』、Lightnin' Hopkins『Lightnin'』、Muddy Waters『The Lost Tapes』を選んだ。それからレジ近くのロックの棚もちょっと見て、The Velvet Underground『Live at Max's Kansas City』を最後に選び出し、会計をした。五六四六円である。外に出ると既に六時、陽は沈んであたりは青みがかっていた。道を駅まで戻り、駅ビルの前で先を見上げると、空には青く浸された雲が膨らんで、土埃の立った水底のようになっている。階段を上り、騒がしさに満たされた通路を駅の反対側に抜けた。ディスクユニオンに寄ってPaul Motianの参加作などを探したいと思っていたが、もう遅いし、思いのほか金も使ってしまったし、今日はもう本屋に行って帰ろうと心を決めた。歩廊を行って本屋の近くまで来ると、沈んだ空気のなかに、広い通りに沿ったオレンジ色の照明灯が、点々と連なって見えないところまで繋がっているのが目に入った。僅かばかりの詩情を感じながら建物に入り、CD屋は素通りしてエスカレーターを上がった。本屋に踏み入り、まずは文庫の棚をちょっと見たあと、哲学のほうに行って平積みされている新刊書を眺めた。哲学にも読みたい本は無数にあるのだが、棚を見ていても買えるわけでもなし、とさっさと海外文学のほうに移って、新刊を見下ろしたが、かえってこちらのほうが明確に興味を惹かれる本は少ない。岩田宏が最期に成し遂げられなかった仕事であるマヤコフスキー叢書を買うことにして、『第五インターナショナル』を掴んだ。さらに、アレクサンドル・ポチョムキン『私(ヤー)』という、前々から気になっていた本のことも思い出して、買うことにした。この作品は例の、改行も行開けもなく文字がページをいっぱいに満たしてつらつらと続く形式のもので、そうしたものを一つ以上作ろうと思っているこちらとしては、やはり先例として読まないわけには行かないだろうと思ったのだ。ほかに似たものがないかと近くの群像社作品を探ったが、同じ形式のものが見つからなかったとはいえ、群像社の本はどれもこれもまことに面白そうで興をそそられる。しかしこの日はこれ以上文学に金を使うつもりもなかったので、高校参考書のほうに移った。それで既に持っている『日本史標準問題集』(職場に置いておく用のものである)に、Z会の『入試に出る日本史B用語&問題2100』(毎回の授業冒頭のチェックテストに用いるつもりである)、山川出版社の『日本史用語集 A・B共用』(薄ピンク色掛かった新版で、紙質が柔らかいものに変わっていた――自分が持っていた古い版のものは背表紙が固く、長く使ったために全篇の真ん中あたりでぱっくりと割れてページが二つに分かれていたものだが、この質ではそうした心配もなくなったようである)を取り、会計に向かった。研修中の若い男の店員を相手に金を払って(五八四四円だった)、店をあとにした。駅前まで行くと、広場の端、駅舎の入口横で、シートか何かを敷いて何やらごそごそ準備している人が見られる。水爆禁止というような文字が見られ、また、「鶴をください」というような看板もあったように思う――原水爆禁止運動の従事者が、どうやらこれから呼び掛けを始めるところらしかった。過ぎざまに、九月二二日という日付も見かけた覚えがあったが、その意味はわからなかった。第五福竜丸被爆した日付か何かだろうかと思ってのちに調べてみたが、どうも該当しない――ただ、同船の久保山愛吉無線長が亡くなったのが一九五四年の九月二三日だと言うので、もしかしたら看板が示していたのはその日であり、こちらが日付を見間違えたのかもしれない。駅に入って電車に乗り、『吾輩は猫である』を読みはじめた。車内は空いていた――途中で足もとに置いていた荷物を傍らに載せ、脚を組んで(そのほうが本を太腿に当てることができ、見やすいのだ)本を読み続けた。電車は一挙に地元まで行くものではなく、途中の駅で停まるものだったので、降りて、ベンチに就いてしばらく待った。後ろには若い男二人が来て、関西弁のほうが、自分は親戚が建設会社をやっていてそこでアルバイトをしたから、その点ほかの皆のように仕事を探す苦労はしなかったと話し、続いて指導者に毎日叱られる建築現場の厳しさを語っていた。来た電車に乗り、地元に就くとさらに乗り換えて、最寄り駅に到着した。八時前、見上げると黒く染まり尽くして何の形も模様も見えない夜空のなかに、ほぼ半円になった月が黄白く照って、付近の薄雲だけを浮かびあがらせていた。夜道を歩いて帰っていると、川向こうから太鼓の音がぽこぽこ響いて、まだ祭りをやっているらしい――帰りの電車内にも、向かいの座席の下にかき氷の容器が二つ捨て置かれていたものだ。続いて笛の音も重なりはじめたが、これは川向こうから渡ってくるものではなくて、すぐ近所の家の青年がたびたび吹いているもので、祭りの音が届くのに興を催しでもしたのだろう。右方からそれらの音が渡ってくる一方、左の林のなかでは秋虫が鳴きしきって、両者が拮抗し、立ち混ざっていた。帰宅して室に帰ると、早々に支出を記録計上するつもりだったが、その前に、日本史の教材を机に置きたかったので、CDやら本やらで埋まっているのを片付けることにした。ものを別の場所にどかし、埃が散らばっているのをティッシュを何枚も使って拭いたあと、さらに床にしゃがんで、CDボックスの中身を入れ替えた――既に取捨の終わったものを奥に、まだ吟味の済んでいないものを手前にしたのだ。それからコンピューターを点けて、諸々の情報を整理した。家計を記録、収支を計算し、書籍と音楽にそれぞれ購入記録を設けておいて、八時四〇分頃になってから上に行った。夕食は素麺だった。食べると九時を過ぎていたはずである。既に食事を終えた母親は、ソファに就いてタブレットを弄り、画面から目を離さずにじっと見つめていた。風呂に行く前に、室に戻ってちょっと休んだらしい、九時三八分にはBill Evans Trio "All of You (take 1)" を聞いている。それから風呂に上がって、汗を流して出てくると母親は相も変わらずタブレットを弄っていて、帰った時からやっているからもう二時間くらいではないかと思った。一〇時一〇分だった。室に帰り、娯楽動画の類を眺めてから、書き抜きに入った。まずはここ二日の新聞である――最近は新聞記事の写しは時間が掛かるのでやめていたが、中国で「民主化」の先進例となった村の元村長が拘束され、実刑を受けたという記事、北朝鮮の核実験関連の年表、労使間の合意による残業協定関連のデータなど、気に掛かる記事が見つかっていたのだ。音楽はJacqueline du Pre & Daniel Barenboim『Beethoven: The Five Cello Sonatas』を流した。二〇分で済ませてから、山川偉也『哲学者ディオゲネス』に移って、こちらも二〇分強掛けて一箇所写したところでほとんど一一時半に至ったのでそこまでとした。日付が変わる前に、日記の読み返しである。九月一〇日を二年分読むのだが、過去の自分の文章から思考が触発され、己の来し方が分析されて現在位置が明確化するので、やはり読み返しを日課にして良かったなと思った。零時直前に終えて、歯を磨くと、読書に移る前に瞑想がてらこの日の記憶を思い返して脳に印象付けておいた。虫の声が外に満ちているなかで二〇分間座り、そうしていよいよものを読む時間、と言ってもまずは英語である。Love in the Time of Choleraを三〇分読み、一時を越えてから『吾輩は猫である』に移った。それで一時間ほど読んだところで中断し、眠気が寄りはじめているようでもあったのだが、性欲が満ちるどころか欲情の僅かな匂いすらもなかったのに、なぜかコンピューターを灯してポルノを見始めてしまい、結局射精して眠りを遅らせることになった。それからテーブルに寄り掛かりつつ、買ってきた日本史の用語集で、キリスト教が日本に初めて伝えられた安土桃山期あたりの事項を読んでいるうちに三時を回って、水を飲んだり用を足したりしてきてから、就寝は三時一五分である。